コーヒーが好きだ。もっぱらインスタントコーヒーを飲む。よって、人前でコーヒー好きと言わないことにしている。豆がどうの、スターバックスの今日のおすすめがどうの言われるに決まっているからである。そんなものは知らない。僕はただ苦香ばしくて酸っぱい汁を飲みたいだけだ。
そんな僕だが、実はこの間まで気取って「ドリップコーヒー」を飲んでいた。一杯50円くらいする物である。高いからちょっとずつしか飲めなかったが、飲むたびに、やっぱりドリップは違うなぁと思っていた。
そんなことを続けていたら、だんだんコーヒーを毎日飲みたくなってきた。しかし一杯50円もするドリップコーヒーは毎日飲むにはもったいない。それでためしにインスタントコーヒーを買ってみたのだ。代用品である。そしたらそれが美味しいのだ。しかも安いので毎日飲める。ヤッター!と歓喜すると同時に、今まで自分は一体何をやっていたのかという情けなさもあった。
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でもこういう事ってよくあるんじゃないだろうか。目的が手段になったのだ。
僕の場合、最初はコーヒーを飲む事自体が目的(気取って飲んで自己陶酔)だったのだが、いつしか生活を充実させるためという手段になってしまった。コーヒーを、頭がスッキリしたり口寂しさを紛らわすという、本来の目的に使うようになったのだ。だからインスタントコーヒーで十分。
例えばタバコもそうだろう。タバコを吸うきっかけは、吸うこと自体がカッコいいからというのが多いが、何年も吸いつづけている人は既にそういう理由ではないはずだ。手持ちぶさたを解消するためとか、吸うとスッキリ(吸わないとイライラ)するからという理由に違いない。「フカシ」ている人はいつまでたってもカッコいいからという理由からかもしれないが。しかしこれはかっこわるい。
ただの生活の一部になると、なんだかかっこいい。これはなんだろうか。こだわらないというダンディズムか。ダンディズムって何・・・?
とても疲れる注意書き
多くのサイトには「注意書き」とか「最初に読んでください!」といったものがある。その中には読んでいてすごく疲れるものがあって、そういうのに当たると、その後メインコンテンツを見ようという気がなくなってしまう。
でもそれは掲示板に来る荒らしとか、自分が荒らしている認識がない荒らしとかがたくさん来てしまって、それの苦肉の策なのかもしれない。一言「バカ禁止!」と書いているサイトもあるが、自分がバカだと認識しているバカなどいないので、大概が無駄である。
疲れる注意書きとは、たとえば一切の誤魔化しを許さないものがある。「。。。」で誤魔化すのはやめてください、とか、きつい事を言った後に(笑)をつけたり顔文字で誤魔化すのは絶対に止めてください、とかだ。
こういうのお絵かき掲示板の注意書きにも多い。お絵かき掲示板では、絵を投稿する際にたいていコメントものせるものなのだが、その時「下手ですけど」とか「適当です・・・」という先回りの言い訳をしてしまう人がいる。そういう人に対してあらかじめ注意があるのだ。「下手だと思うなら載せないでください」「適当に描いて載せないでください」とかである。
下手だと思っても見てほしいからのせるわけだし、まさか本当に適当に描いているから適当ですと言っているわけではないのだが、それを許さないのだ。実に厳しい。僕が心配する事でもないだろうが、息がつまらないだろうか。
そういう人は、テスト前に「私全然勉強してないよぉ」と言ったことがないのだろうなと思う。皮肉っぽいが。
しかし、本当に勉強してない人がそういうことを言っても全く見向きもされないのは一体どういうことか。ああいやだいやだ・・・。