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プラダーウィリー症候群(Prader-Willi Syndrome)の情報のメモ

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2017-09-18

[][] Makoto Morimura <OTW>

Makoto Morimura <OTW>

http://thethree.net/exhibitions/4553

午後、家族と伺いました。

先週の肥後橋のcalo&bookさんの展示も拝見しましたし、今日は地図のシリーズの新作でした。

前回、the three konohanaで拝見した作品に較べて絵画としてのイメージが明瞭になっていました。

前回展のレビュー

森村 誠 「Argleton -far from Konohana-」

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20150607/art

新作を見ながら、バブル期に社費で行かしてもらった建築事務所協会のアメリカツアーで自由時間にメトロポリタン美術館に行き敬愛するモンドリアンのブロードウェイブギウギを観た時の記憶が蘇りました。

モンドリアンの最終的な到達点にオプアート的な視覚刺激とカオスではない偶然性の要素の組み入れを感じていましたし、今回の展示で、偶然性についての考えが深まりました。

カオスな物理的現象のなかに自由創作の可能性を観た具体美術のようなあり方とは別に、今回の作品のように複雑な都市の構造や人間の記憶のメカニズムと作る方法との偶然の一致に可能性を見出すことは、ルーティンな作業に見えながら常に新たなイメージを産み出す可能性を秘めていると感じます。

2017-07-30

[] メガ恐竜展2017

ブロガー招待に今回も当選しましたので、夏休みの日曜日、家族とATCホールへ観に行きました。親子連れで凄い人出でした。

メガ恐竜展2017

http://mega2017.jp/

過去何度も自然史博物館さんの特別展で拝見してきた恐竜展などにより、学んだ内容が適宜盛り込まれていました。毎回次々と更新される新たな発見や仮説に基づいたテーマによる特別展ですし、今回も何故メガ化巨大化したのかという興味深い仮説。

巨大化への第一歩となるのは単細胞生物から多細胞生物への大きな変化から。そこから生まれた様々な生物のうち脊椎動物のみが巨大化していったという事実は、2016年の特別展「生命大躍進−脊椎動物のたどった道−」でも観てきました。今回は展示されていませんでしたが、カンブリア紀の脊椎動物の先祖とされる小さなピカイアの実物化石のとても可愛い姿を思い出しました。

特別展「生命大躍進−脊椎動物のたどった道−」

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20160416/shizenshi

巨大化していく、進化し多様化していく脊椎動物にたいして、絶滅せずに現在でも同じような姿のウミユリの美しい化石が今回展で複数展示されていて、こちらもとても印象的でした。

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メガ化の始まりも最初は三畳紀の竜脚類の小さな体長1m程のエオラプトルから。

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その後のジュラ紀以降の地殻変動によって当時のパンゲア大陸が南北に分かれた事が竜脚類のメガ化に大きく影響したらしい。私の興味は毎回、特に地形の問題にあるので注目しました。

気温も高く植物が豊富で植物食に特化した竜脚類がメガ化していったらしい。中期ジュラ紀から白亜紀にかけて海面が現在よりも100mも高かったなど想像を絶する世界。

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今回の目玉展示のヨーロッパ最大の恐竜のトウリアサウルスは、そんな後期ジュラ紀の1億4500万年前の頃の竜脚類。三畳紀の小さなエオラプトルとは比べられ無いほど大きな姿に驚きます。

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竜脚類がメガ化した仮説として今回の展示では理由が述べられています。

エネルギー効率が高い(温血性)

長い首が効率良く餌を食べる為に用いられた(首の骨が空気に満たされ軽い)

大きな肺を持っていた(長い首でも呼吸可能な)

など

そんな大繁栄した竜脚類も大絶滅によって消えてしまいます(これも生命大躍進展で詳しく学んだ5大絶滅の最後の大絶滅)

しかしそれ以降の植物食鳥類が竜脚類と同じ条件を持ちながら何故かメガ化しなかったりと、まだまだ謎があるそうです。

娘のアーチャンは、やはり触れる展示が大好き。そして子供には鉄板のウンチの化石の臭いを嗅いでいました。

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とてもたくさんの恐竜の標本で全て掲載はできませんし、哺乳類が何故、竜脚類ほどメガ化しなかったか等の展示も興味深いですし、それは是非展示を直接観ていただきたいですね、夏休みにお薦めの展示。

今回も招待感謝です。

2017-07-22

[] やわらかな脊椎展クロージングトーク

やわらかな脊椎展クロージングトーク 黒嵜想(映像批評家)、長谷川新

http://cas.or.jp/

無人島にて展以来注目している長谷川新さんキュレーションの展覧会のクロージングトークに行きました。

自分がもし、今20代でネット介して膨大な情報を誰もが入手出来る環境でアート制作をしていたら、どうだったろうみたいな妄想しつつ、それも功罪あるよなと感じるような内容含みのトークと感じました。

オープニングトークでも感じましたが、長谷川さんの設定されたテーマのうち、今回の二人のアーティストに共通する、集団制作もしくはその活動のようなものへの評価が垣間見える。

現在はネット介して集まらなくてもよくなった事が大きいという指摘は、誰もが実感している。

話題はキュレーター論にも拡がった。キュレーターに対する若いアーティストからの(どちらかと言えばキュレーターから選ばれない、評価されなかった側の)反発みたいなものは、ネット時代故にダイレクトにやり取りされてしまうようだ。

私も若いアーティストからキュレーターに対するかなり強烈な批判を聞かされた事があり、少し面食らった経験でしたが、その辺りの現在の事情も、成る程なと垣間見えるようでした。

黒嵜想さんの、この展覧会に対しての客観的なかつ好意的な評価に同感ですが、メタ作者問題という視点は、少し時間掛けて考えたいですね。

今回の出展アーティストで宗教家になられた大寺さんが、超越が無いと描けない状態からの、メタ作者としての神の世界の獲得によるクリエイションと、もう一人の若い乙うたろうさんの、自分で自分を交換可能なものにしている、即ちメタ作者レベルをまだ持ち得ていない状態という対比も考えさせられる。

メタレベルの獲得によりクリエイションな状態にという指摘には、個人的にはあまり共感しかねるところがありますね。

キュレーターは何を作っているの?という親しい関係故と思いますがストレートな問いに丁寧に答える長谷川さん。メタ作者問題についての黒嵜さんの対比のところで、長谷川さんがキュレーターとしての、メタ作者性を引き受ける的な発言があり、私は少なからず驚いた。

質疑時間にその事についてもう少し詳しく聞きたいと。

この問題系はでも、不可避なんだろう。人間故に。

刺激的なトークでした、感謝。

2017-07-19

[] 大寺俊紀・乙うたろう「やわらかな脊椎」展

大寺俊紀・乙うたろう「やわらかな脊椎」展

http://cas.or.jp/

casのwebより引用

素晴らしい展示、最終日にキュレーターの長谷川新さんのトークショーあるようなので、何とか時間作って行きたいですね。

今回の展示のステイトメントに、信仰のことが書かれていて、私は無信仰ですが考えさせられる企画とそれに答える優れた作品群と感じます。

信仰と抽象的なアートは、ともに純粋な世界を志向しているし、とても親い関係にあるのでしょう。しかし信仰の世界のみを記述することは難しい作業であると感じますが、アートを介して考え記述していくことは、そこにブレイクスルーな回路を生むのかもしれないですね。

信仰の場における信仰対象との向き合い方はある意味で強制的な権力的とも感じるような強い軸のある空間に閉じられる。そこで体験されるイメージは、多くの信者によって共有されるある意味での不変項のようなものかもしれない。

最近たくさん開催されている仏像展では、そのような強い軸のあるバイアスの掛かった関係を解きほぐす目的なのか、仏像の周囲を自由に辿り、バイアスのある関係では見ることのできない背面であったりを、リアルに見ることができる設えとしているケースが多い。でもそれらを体験しても、バイアスの掛かった関係において見えてくる不変項を、補強するだけではないのかと思える。

今回のお二人の展示を拝見して、そのバイアスの掛かった関係の中で、かつ不変項ではない、イメージが体験者においてそれぞれに発生しているような感じがしました。

乙うたろうさんの壺に描かれたキャラクターの顔のイメージは、最初に見つめるポイントから、次なる視点への移動が滑らかにすべるようで、かつまったくの体験者のフリーな視点移動でもなく、まるでアシスト自転車でペダルを漕ぐ、漕ぎ始めのように、描かれたイメージが体験者を誘導するようだ。

台座のような白い四角い厚紙が展示室の軸と少しずつどれもずれていて、かつ観るものに応答しているが、intimate(親密な)な関係を拒んでいる。

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大寺さんの抽象絵画も、表面から浸透することのない、明確な形態が同様に動き連結を始めアシストする。絵画のフレームは乙うたろうさんの作品とは対照的に展示室にフィットしていて、絵画の内部でずれて視覚認知をアシストしている。

組み立て式のオブジェでは展示室の軸とずれていて、ここに乙うたろうさんのイメージが描かれていても、成立すると感じます。(内包される空間は畳んでしまえば、元の空間に戻る)

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信仰の場とある意味での決定論的カオスとが親和的であり得ることを指し示す証左のようで、立ち尽くしてしまった。

2017-07-16

[] 特別展「瀬戸内海の自然を楽しむ」

今回もブロガー招待に当選しました、感謝です。家族と伺いました。

特別展「瀬戸内海の自然を楽しむ」

http://www.mus-nh.city.osaka.jp/tokuten/2017setonaikai/

自然史博物館のwebより引用

先週、娘のアーチャンが支援学校の臨海学舎で淡路島に行ってきたところだったので、カラフルな瀬戸内海の立体モデル見ながら、淡路島のこといろいろ会話ができて理解も深まったようです。(まだ夏休み前でしたが、宿題作りの参考になるような展示がたくさんありました。)

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大阪市内に住んでいると、大阪湾に近いけれどほとんどが人工護岸ばかりで、海を感じることは少ないですが、そんな中でもこれも人工的な干潟ですが、南港野鳥園に行く機会も多いので、干潟がいかに環境にとって大事なものか再認識しました。娘のアーチャンは渡り鳥の情報がやはりお気に入りのようで、ipadで写真撮っています。

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アーチャンが撮影した画像

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今はもう無くなってしまった過去の光景や資料もとても貴重で美しい。

干潟の上を板に乗って漁業する姿の板絵は、神社に安全祈願として奉納されたもので、自然と生き物と人間との豊かな関係が感じられます。

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こちらも、今はもう無い塩田の光景。塩田の底を破る害虫についての研究も、とても詳しく、当時の大きな課題であったことが伺えます。

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最近の漁業の姿や市場の賑わいなど、永続して欲しいと願わずに居れませんね。

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今回の目玉展示の1つ、ザトウクジラの骨格標本。すぐそばに居るスナメリの標本が愛らしく感じられる。ATCで同時開催中のメガ恐竜展のテーマに、何故恐竜は巨大化したのかという疑問があり、逆に陸上の哺乳類が 何故巨大化しなかったのかも述べられていますが、海の哺乳類でも巨大化したもの、小さいままのものと多様であることが感じられました。

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やはり触れることの出来る展示は子供たちには欠かせません。

美しい瀬戸内海の砂を見ています。

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[] 加賀城健「Physical / Flat」展

6月17日に前期の「Physical 」展を、7月16日に後期の「Flat」展を拝見しました。

加賀城健「Physical / Flat」展

http://thethree.net/exhibitions/4450

the three konohanaのwebより引用

後期に同時開催されたアートフェアの展示は残念ながら見逃してしまいましたが、初めて拝見した大和郡山市での「HANARART2012 旧川本邸」以前の初期の作品から最新作まで見る事が出来て、加賀城さんの一貫したイメージと変化してきたところとが感じられました。

前期の「Physical 」展で、加賀城さんは不在でしたが、ギャラリーの山中さんから詳しく解説して頂き理解が深まりました。

染色がご専門の加賀城さんの過去の初期作品は主に脱色でかつシルクスクリーンのスキージ使って液どめの糊を長い布に延ばしたりと、版画的な制作方法と親和な方法と感じます。

それにより、単に身体によるアクションペイント的な表現ではなく、視覚的な絵画的な特性を獲得しているように感じました。

私と妻とが知り合ったのは通っていた銅版画アトリエがきっかけですが、銅版画に対する二人の共通した認識は、とにかくうまく意図通りに作れない、そのうまくいかなさに魅力感じているところでした。

その不一致と、同時にアナローグに描いてから何行程もの地味な作業を経ての作品イメージの現象があり、銅版画の描く際には水平に置くために平面を構成するX、Y軸と、濃淡に関わる部分は銅板にZ軸方向に掘る、そのイメージ作るプロセスと近い感覚を加賀城さんの布に染料がZ軸方向に染みていく染色の技法や産み出される作品のなかに感じます。

最初に拝見した「HANARART2012 旧川本邸」のトークショーで加賀城さんがお話しされた「例えば伊勢神宮の祭殿に吊るされた布が風に吹かれてめくれ上がる時に、参拝者の思いが伝わったように感じる、そんな人と自然現象との偶然の一致のようなものへ思いを掛ける人の心の有り様と布のイメージ」を再読し、また今回展までのイメージの変化を思うと、その時に感じた印象とはまた異なった光景が感じられてきます。

「HANARART2012 旧川本邸」

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20121103/art

「HANARART2012 旧川本邸」の中庭を構成するインスタレーション的な、そこに訪れる人に対する薄いエンクロージャーとしての布のイメージの比喩として祭殿の布の話と解釈していましたが、むしろ、加賀城さんの中に元々ある、バイアスのある強い関係(静止画としての絵画のような)への思いと、それへの抵抗のような揺れる心の有り様に思えてきました。

その後に拝見したthe three konohanaでの2回の個展で、人を誘導する装置のようなイメージから、正対する強い関係軸へと、イメージが変化しているように感じます。

the three konohanaでの 「ヴァリアブル・コスモス|Variable Cosmos」展の時に私は下記のように記録していました。

加賀城健展「ヴァリアブル・コスモス|Variable Cosmos」展

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130907/art

「the three konohanaの最初に拝見した展覧会、伊吹拓展の時の感想に、私は最後のところで、「デュシャンの大ガラスのように、もし透明なガラス面もしくは画布に彼が描いたらと空想した」と書き込んでいたのですが、加賀城さんの布のオブジェが、そのような透明な画布に描かれた(染められた)、大ガラスのように感じられてきました。

祝い屏風、対角線審判法の流れの軸のような、そして大ガラスのような。

その後次の「Essential Depths」 展の際には、さらに変化を感じて下記のように記していました。

加賀城 健 「Essential Depths」展

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20150405/art

大ガラス以降、デュシャンは絵画を放棄したとされますが、加賀城さんの個展では、より絵画的、視線の軸を持った、より対面するようなバイアスのある作品群になっているように感じました。

大ガラス、もしくは祝屏風のような廻りこめる透明もしくは半透明な立体で、作品の表や裏自体の区別が消滅しても、人間的な感覚の限界によって、イメージは断片的にしか捉える事はできないし、想像することもそこから始まるように。

壁面に飾られ、もしくは床にずらされながら布置された作品群は、布に覆われたフレームを半透明に見せながら、裏面の全てを見せず、裏側はゼロではないが、1/2や1/3くらいにイメージが縮減してバイアスが掛かっている。

立体作品が不可避的に持つリアリティの強さに対して、絵画的に描くことの重要性があると思いますが、ここでは描くことを回避しつつ、いかに重いリアリティを蒸発させることが出来得るのか、とても刺激的な方法と感じました。

そして今回の後期の「Flat」展では、布への染色という技法がより複雑化して、布に対しての奥行き方向へ浸透していくベクトルのような時間軸含んだZ軸のようなものを感じますし、そこから逆に絵画的な平面を構成するX軸もY軸にも時間を感じるようなイメージを感じました。

絵画的な指向を強めつつ、しかし従来的な方法では描かない事によって、かつ偶然性に依りながら、視覚認知上のセラピー効果のあるような、エンクロージャーの定かでは無い作品で強度を持っている、強くシンパシーを感じる作品群。

2017-06-10 17歳7ヶ月

[][] 円空彫

昨年お世話になった楽描の会さんの円空彫ワークショップに今年も参加しました。

昨年、Eテレ日曜美術館で円空特集していて、時代が私のベンチマークにしている17世紀(アーチャンと同じプラダーウィリー症候群児ではないかとされる少女の肖像画をスペインの宮廷画家ファン・カレーニョが描いたのが1680年だったこと。そしてその頃地球規模でマウンダー極小期という太陽黒点活動の低下からの天変地異で、円空も また長良川の氾濫で母を亡くし、その鎮魂として円空仏を掘り始めたというエピソード)で、それで興味持って検索したらワークショップ見つけたという感じでした。

その後、あいりん地区の慰霊祭に奉納されるという予想外の展開で軽い気持ちで参加したのが、結果とても厳粛な体験となりました。

釜ヶ崎なつまつり

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20160815/event

今年もよろしくお願い致します。

先週奈良で観た快慶展のインパクトが強すぎたのか、家族全員円空風ではなく、快慶イメージで作りました。

どれも完成せず持ち帰り次回で完成予定。

アーチャンの作品

快慶展のパンフ見ながら作っていました。展示替えでこれは実物は残念ながら見れませんでしたが、孔雀明王坐像。

孔雀から描き始めレイアウト無茶苦茶で、脚が入りきれないと裏側に折り曲げて描いていました。どうやって彫るねん。

明王も首が入らずでかなりおどろおどろしい造形になってました。

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カーチャンの作品

髪型がほぼ自分という自画像のような仏像彫ってました。

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トーチャンの作品

快慶がたくさん作られた釈迦如来立像を見ながら作りました。着物の波模様が美しいので合いそうな木目の木を選びました。微妙な前傾姿勢も強調してみました。それらをディフォルメしてみました。

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2017-04-22

[] 特別展「石は地球のワンダー 〜鉱物と化石に魅せられた2人のコレクション〜」

大阪市立自然史博物館さんの特別展のブロガー招待に申し込み、今回も当選したので家族と行きました。

特別展「石は地球のワンダー 〜鉱物と化石に魅せられた2人のコレクション〜」

http://www.mus-nh.city.osaka.jp/tokuten/2017ishi-wonder/

大阪市立自然史博物館のwebより引用

最近の私の興味や関心が「人間/人間外」的なことやその延長としての「生物/非生物」的なテーマにあるので、その観点から生物と非生物の境界線のような存在が、鉱物と化石に魅せられた2人の研究者さんから寄贈されたコレクションからの展示物に無いか探してみました。(宝石のような輝く原色の美しい鉱石が無数に展示されていますが、それはぜひ展示場で直接ご覧ください)

北側隆司鉱石コレクションから

以前ここで拝見した特別展「来て!見て!感激!大化石展」http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20110703/eventの際にも展示されていた、しのぶ石のように、非生物な鉱物ですがその外形は明らかに植物にしか見えないような姿となっていて、形態形成のメカニズムが生物/非生物共に共通した物理的原理により生成しているのだろうと感じます。

しのぶ石

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また球状閃緑岩と珪化木と比較できるように置かれていましたが、球状閃緑岩の模様は樹木の幹のようです。そしてとても美しい。

球状閃緑岩

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珪化木

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これも過去の特別展で展示されていましたが、鉄の原料となる縞状鉄鉱床のスライスされたもの。縞状鉄鉱床は太古の海に溶けていた鉄がその後の酸素を産む微生物の登場で、酸化鉄となり海底に沈殿し、鉱石となり隆起し採掘され鉄の原料となっているものです。

スライスされた標本は初めて見ましたし、とても美しい。様々な変動の痕跡を写す縞模様に、とてつもなく長い時間の呼吸のリズムのようなものを感じてしまいます。

縞状鉄鉱床

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砂漠のバラと呼ばれる石膏の結晶も非生物とは思えません。解説文にも何故このような形態が生じるのか原因は不明とありましたが、それは同時に何故バラのような複雑な美しい形態が産まれるのかと同義と感じます。

石膏の結晶

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「生物/非生物」と真逆なイメージの正多面体の形態の鉱物の結晶混じりの石たちもとても魅力的でした。プラトン立体そのままのような立方体の黄鉄鉱やその他の多面体を宿す鉱物たちは、おそらくプラトンの時代の人たちの四大元素説の思考に大きな影響を与えたでしょうし、今現在の私たちが観ても息を呑む美しさですね。黄鉄鉱にはプラトンが宇宙そのものとした五角形による正12面体の結晶のものがあるそうですが、探してみましたが残念ながら見当たりませんでした。

黄鉄鉱のパイライト

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鉄ぼんざくろ石には後の天文学者のケプラーが発見した菱形12面体の結晶があり、四次元立体のようなその歪んだ形態もまたとても魅力的です。ケプラーは鉄ぼんざくろ石を観たのでしょうか?

鉄ぼんざくろ石

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金澤芳廣化石コレクションから

こちらも魅力的な展示でした。

化石がよく含まれているというノジュール(堆積物が長い年月を経て凝集した丸い岩のようなもの)の事は初めて知りました。

ノジュール

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いったんノジュールを割ってまた元の位置に戻した展示方法のゴードリセラスの化石を観ますと、まるで恐竜の卵のように見えてきます。これも凝集という現象と生物の形態との位相の相似があると感じます。

ゴードリセラスの化石

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異常巻アンモナイト(普通の貝のようなアンモナイトと区別する為の名称で変異がある訳ではないそうです)の形態も植物の蔓や茎が伸びていく際の螺旋状を示しているものがあり、これも同じ位相が異なる存在において生じていて面白い。

異常巻アンモナイト

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家族で観ましたが、いつもの特別展にあるような、子ども向きの触れる展示が今回は無かったので、娘は少し理解が難しかった様子でしたが、ipadを渡すと、自分の好みのカラーの鉱石を次々と撮影して楽しんでいました。

今回も楽しい企画に参加出来て感謝です。

追記

上記の書込みのうち、黄鉄鉱の正十二面体について、自然史博物館へ問い合わせしましたところ、下記の回答を頂きました、感謝です。

一部質疑があります。レビューに、「黄鉄鉱にはプラトンが宇宙そのものとした五角形による正12面体の結晶のものがあるそうですが、探してみましたが残念ながら見当たりませんでした。」と書いたのですが、実際にそのような五角形による正12面体の結晶のものはあるのでしょうか?

またあるとして、会場にあったのに見落としていたということは無いでしょうか?

以上教示願います。

以下、学芸員さんからの回答です。

五角形正12面体の結晶をする黄鉄鉱は、イタリアのエルバ島産出のものが有名です。

エルバ島は歴史的な産地でしたが、最近では採掘が終了している(掘り尽くされた)状態のようです。

今回の展示では残念ながら五角形正12面体の結晶標本は展示していません。

 
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