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プラダーウィリー症候群(Prader-Willi Syndrome)の情報のメモ

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2018-04-03

[]特別展「恐竜の卵展」

長居公園内にある大阪市立自然史博物館へ家族で行き、特別展「恐竜の卵展」を観ました(ブロガー無料招待に申し込んで、今回もラッキーに当選しました)

恐竜の卵展

http://dinoeggs.jp/

webより引用

過去、何度かの自然史博物館での恐竜展を継続して観てきたので、卵という切り口での展示は今まで理解してきた知識を横断的に繋げてくれますし、新たな視点も知る事ができました。

6年前の2012年に観た、特別展「発掘!モンゴル恐竜化石展」で

モンゴルの大地は大陸プレートの上に位置するので、日本のように変動が激しい場所とは違い、後期白亜紀以降に大きな地殻変動が無く、地層が平なままの状態だったので、化石も細部まできれいに残っているので価値が高い

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20121123/event

という解説がありましたが、今回の展示で中国や東アジアの恐竜の卵の化石が多く展示されていましたし、やはり大陸プレート上にあるが故なのかと推測しました。

また、同じモンゴル恐竜化石展で感じた

「前回の「新説・恐竜の成長」展で感じた恐竜の親から子への愛情のような心の動きや、最後の瞬間まで生き延びようともがく命の鼓動を今回も強く感じました。「新説・恐竜の成長」展はどちらかと言えばエンターテインメント的な演出の面が強かったこともあり、そう感じた部分もありますが、今回のモンゴル化石は演出ではなく、それ故に心に響いてくるものが違うように思います。特に、巣の中で卵を抱えつつ息絶えたと思われるシチパチという恐竜の化石の美しさに、言葉を失いその前で立ち尽くすことしか出来ませんでした。」

と感想を書いていましたが、今回も孵化直前に何らかの変動で埋もれたまま死んだ卵の化石や、卵を体内に抱えたままの母親恐竜の化石が印象に残りました。

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恐竜も子育てをしたのではという仮説と、進化の過程で、最初は卵を産みっぱなしで土を被せるだけであったのが、土の上から覆い被さり温めるようになり、卵は半分土に埋める程度で直接体で卵を温めるようになる姿に、私たちの抱く感情に近いものを恐竜達も少しずつ獲得していったのだろうと感じますし、その事がとてもよく伝わる展示構成になっていたと思います。

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それにしても、多様な形の卵がありますね。

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娘のアーチャンはやはり触れることの出来る展示が楽しい様子でした。

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博物館を出た後、長居公園の梅林がちょうど満開で観ていると、たくさんのメジロたちが花の蜜を吸いに集まってきていて、この本当に小さな美しい小鳥が恐竜の末裔であるなんて、ちょっと信じられないですが、気の遠くなるような長い時間の経過とともに、姿を変え、生態も変えつつ、生き延びてきた命のちからを改めて感じました。

2017-11-12

[][] 「Transfer Guide」加藤 巧 × 前谷 康太郎

「Transfer Guide」加藤 巧 × 前谷 康太郎

http://thethree.net/exhibitions/4792

the three konohanaのwebより引用

午後、家族と伺いました。

加藤さん、前谷さん、お二人とも居られ詳しくお話しできました。

加藤さんのここで拝見した前回の個展のすぐ後に、私は兵庫県立美術館でのポンペイ壁画展を観て、フレスコ壁画の修復方法のなかにモダニズムに溢れた極細いストライプによる修復部を明確化するユニークな方法のレクチャー受けて、すぐに加藤さんのテンペラ画の点描法を思い出しレビューの最後のところに書いていました。

ポンペイ壁画展

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20161127/art

これら修復の手法や、また断片を集積して、完全に破壊されて復元できない箇所は空白のまま余白のまま残しつつの方法を見ていると、そのテイストのなかに、現代アートの視点と似通ったものを強く感じました。

最近、このはな区のthe three konohanaさんで拝見した、テンペラ画の加藤巧さんの絵画を私は思い出していました。

加藤巧「ARRAY」

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20160803/art

加藤さんの作品は、フレスコ画ではありませんが、フレスコ画のその後の進化形のような手法ですし、加藤さんの自己のドローイングを、テンペラ(溶剤に卵を用いる)で小さなドットに分解して細密に再現していく様と、今日拝見した、ポンペイ壁画のフレスコ画修復での、バーコードのような縦縞による修復の有り様とが、とても重なって見えてきて不思議に感じました。

おそらく、修復というクリエーションでは無いが、過去の時代の遺産に見事にフィットする感覚が、ほんの少し前の過去の自分のドローイングの精密な再現の感覚と、重なって感じられたのでしょうし、そのテイストは、現代の私達の感覚とも、馴染み易い感覚なのではと感じました。

そして、その事が今日も来るまでずっと思い出されてきて、不思議な思いでしたが、今日の展示作品の手法に、極細のストライプを観て、上記のこと、加藤さんにもおつたえしました。

自身のドローイングを、極細いストライプによるテンペラ画でトレースされた画面は、画面自体ストライプに切断分離され等間隔に並べられている。

この展覧会直前に加藤さんも観られた国立国際美術館での福岡道雄さんの回顧展の風景彫刻に対する共感を共有できたのですが、私は福岡道雄さんの彫刻に出会った20代の頃に、そこから「意識は瞬間的に世界を分離し断片化し、無意識はそれを緩慢に接続する」というイメージを得て居て、今日の加藤さんの分離されたテンペラ画のなかに、とても親いイメージを感じました。

もう一つの、小さなセメント版に描かれたフレスコ画は、その形状がまるでドロップ缶やオイルサーディンの缶のようなサイズ感で、絵画のイメージと有機物(食べられるものとして)との境界線が曖昧な印象の物体のようでした。それはノンヒューマン環境論の人間と環境との行き過ぎた互換性のぎりぎりのところで立ち止まっているような印象があり、こちらも深く無意識にダイレクトに届いてきました。

前谷さんの作品は久し振りに拝見できました。

いつものゆったりとした呼吸のような映像ではなく、UVプリンターを用いた多様な素材への写真プリントや、日焼けの固定化のようなカーテンの作品など。

私はスティール画というものは原則的に存在せず、全ての視覚的な感覚は動的な存在と思っていて、前谷さんの作品も4個のグルーピングによる(視覚認知的には瞬時に判別できるスービタイジングと呼ばれる階梯)構成が、ムービーの断片のようで、目が作品を動かしていく。

Subitizing

http://en.wikipedia.org/wiki/Subitizing

Judgments made for displays composed of around one to four items are rapid

かなり以前に拝見した、中之島公会堂での、そこにある重厚なカーテンに映し出された前谷さんの映像を思い出しました。あの時の自分はいったい何を観てるんだろう、という感覚は得難いものだと、改めて思いました。

加藤さんの作品に感じた「意識は瞬間的に世界を分離し断片化し、無意識はそれを緩慢に接続する」と同様のイメージを前谷さんの作品にも感じます。

偶然性に対する受容が前谷さんの場合、加藤さんの作品に較べ、より不可避的というのか、それが作品の基本的な骨格を形作っているように感じる。

2017-09-18

[][] Makoto Morimura <OTW>

Makoto Morimura <OTW>

http://thethree.net/exhibitions/4553

午後、家族と伺いました。

先週の肥後橋のcalo&bookさんの展示も拝見しましたし、今日は地図のシリーズの新作でした。

前回、the three konohanaで拝見した作品に較べて絵画としてのイメージが明瞭になっていました。

前回展のレビュー

森村 誠 「Argleton -far from Konohana-」

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20150607/art

新作を見ながら、バブル期に社費で行かしてもらった建築事務所協会のアメリカツアーで自由時間にメトロポリタン美術館に行き敬愛するモンドリアンのブロードウェイブギウギを観た時の記憶が蘇りました。

モンドリアンの最終的な到達点にオプアート的な視覚刺激とカオスではない偶然性の要素の組み入れを感じていましたし、今回の展示で、偶然性についての考えが深まりました。

カオスな物理的現象のなかに自由創作の可能性を観た具体美術のようなあり方とは別に、今回の作品のように複雑な都市の構造や人間の記憶のメカニズムと作る方法との偶然の一致に可能性を見出すことは、ルーティンな作業に見えながら常に新たなイメージを産み出す可能性を秘めていると感じます。

2017-07-30

[] メガ恐竜展2017

ブロガー招待に今回も当選しましたので、夏休みの日曜日、家族とATCホールへ観に行きました。親子連れで凄い人出でした。

メガ恐竜展2017

http://mega2017.jp/

過去何度も自然史博物館さんの特別展で拝見してきた恐竜展などにより、学んだ内容が適宜盛り込まれていました。毎回次々と更新される新たな発見や仮説に基づいたテーマによる特別展ですし、今回も何故メガ化巨大化したのかという興味深い仮説。

巨大化への第一歩となるのは単細胞生物から多細胞生物への大きな変化から。そこから生まれた様々な生物のうち脊椎動物のみが巨大化していったという事実は、2016年の特別展「生命大躍進−脊椎動物のたどった道−」でも観てきました。今回は展示されていませんでしたが、カンブリア紀の脊椎動物の先祖とされる小さなピカイアの実物化石のとても可愛い姿を思い出しました。

特別展「生命大躍進−脊椎動物のたどった道−」

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20160416/shizenshi

巨大化していく、進化し多様化していく脊椎動物にたいして、絶滅せずに現在でも同じような姿のウミユリの美しい化石が今回展で複数展示されていて、こちらもとても印象的でした。

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メガ化の始まりも最初は三畳紀の竜脚類の小さな体長1m程のエオラプトルから。

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その後のジュラ紀以降の地殻変動によって当時のパンゲア大陸が南北に分かれた事が竜脚類のメガ化に大きく影響したらしい。私の興味は毎回、特に地形の問題にあるので注目しました。

気温も高く植物が豊富で植物食に特化した竜脚類がメガ化していったらしい。中期ジュラ紀から白亜紀にかけて海面が現在よりも100mも高かったなど想像を絶する世界。

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今回の目玉展示のヨーロッパ最大の恐竜のトウリアサウルスは、そんな後期ジュラ紀の1億4500万年前の頃の竜脚類。三畳紀の小さなエオラプトルとは比べられ無いほど大きな姿に驚きます。

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竜脚類がメガ化した仮説として今回の展示では理由が述べられています。

エネルギー効率が高い(温血性)

長い首が効率良く餌を食べる為に用いられた(首の骨が空気に満たされ軽い)

大きな肺を持っていた(長い首でも呼吸可能な)

など

そんな大繁栄した竜脚類も大絶滅によって消えてしまいます(これも生命大躍進展で詳しく学んだ5大絶滅の最後の大絶滅)

しかしそれ以降の植物食鳥類が竜脚類と同じ条件を持ちながら何故かメガ化しなかったりと、まだまだ謎があるそうです。

娘のアーチャンは、やはり触れる展示が大好き。そして子供には鉄板のウンチの化石の臭いを嗅いでいました。

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とてもたくさんの恐竜の標本で全て掲載はできませんし、哺乳類が何故、竜脚類ほどメガ化しなかったか等の展示も興味深いですし、それは是非展示を直接観ていただきたいですね、夏休みにお薦めの展示。

今回も招待感謝です。

2017-07-22

[] やわらかな脊椎展クロージングトーク

やわらかな脊椎展クロージングトーク 黒嵜想(映像批評家)、長谷川新

http://cas.or.jp/

無人島にて展以来注目している長谷川新さんキュレーションの展覧会のクロージングトークに行きました。

自分がもし、今20代でネット介して膨大な情報を誰もが入手出来る環境でアート制作をしていたら、どうだったろうみたいな妄想しつつ、それも功罪あるよなと感じるような内容含みのトークと感じました。

オープニングトークでも感じましたが、長谷川さんの設定されたテーマのうち、今回の二人のアーティストに共通する、集団制作もしくはその活動のようなものへの評価が垣間見える。

現在はネット介して集まらなくてもよくなった事が大きいという指摘は、誰もが実感している。

話題はキュレーター論にも拡がった。キュレーターに対する若いアーティストからの(どちらかと言えばキュレーターから選ばれない、評価されなかった側の)反発みたいなものは、ネット時代故にダイレクトにやり取りされてしまうようだ。

私も若いアーティストからキュレーターに対するかなり強烈な批判を聞かされた事があり、少し面食らった経験でしたが、その辺りの現在の事情も、成る程なと垣間見えるようでした。

黒嵜想さんの、この展覧会に対しての客観的なかつ好意的な評価に同感ですが、メタ作者問題という視点は、少し時間掛けて考えたいですね。

今回の出展アーティストで宗教家になられた大寺さんが、超越が無いと描けない状態からの、メタ作者としての神の世界の獲得によるクリエイションと、もう一人の若い乙うたろうさんの、自分で自分を交換可能なものにしている、即ちメタ作者レベルをまだ持ち得ていない状態という対比も考えさせられる。

メタレベルの獲得によりクリエイションな状態にという指摘には、個人的にはあまり共感しかねるところがありますね。

キュレーターは何を作っているの?という親しい関係故と思いますがストレートな問いに丁寧に答える長谷川さん。メタ作者問題についての黒嵜さんの対比のところで、長谷川さんがキュレーターとしての、メタ作者性を引き受ける的な発言があり、私は少なからず驚いた。

質疑時間にその事についてもう少し詳しく聞きたいと。

この問題系はでも、不可避なんだろう。人間故に。

刺激的なトークでした、感謝。

2017-07-19

[] 大寺俊紀・乙うたろう「やわらかな脊椎」展

大寺俊紀・乙うたろう「やわらかな脊椎」展

http://cas.or.jp/

casのwebより引用

素晴らしい展示、最終日にキュレーターの長谷川新さんのトークショーあるようなので、何とか時間作って行きたいですね。

今回の展示のステイトメントに、信仰のことが書かれていて、私は無信仰ですが考えさせられる企画とそれに答える優れた作品群と感じます。

信仰と抽象的なアートは、ともに純粋な世界を志向しているし、とても親い関係にあるのでしょう。しかし信仰の世界のみを記述することは難しい作業であると感じますが、アートを介して考え記述していくことは、そこにブレイクスルーな回路を生むのかもしれないですね。

信仰の場における信仰対象との向き合い方はある意味で強制的な権力的とも感じるような強い軸のある空間に閉じられる。そこで体験されるイメージは、多くの信者によって共有されるある意味での不変項のようなものかもしれない。

最近たくさん開催されている仏像展では、そのような強い軸のあるバイアスの掛かった関係を解きほぐす目的なのか、仏像の周囲を自由に辿り、バイアスのある関係では見ることのできない背面であったりを、リアルに見ることができる設えとしているケースが多い。でもそれらを体験しても、バイアスの掛かった関係において見えてくる不変項を、補強するだけではないのかと思える。

今回のお二人の展示を拝見して、そのバイアスの掛かった関係の中で、かつ不変項ではない、イメージが体験者においてそれぞれに発生しているような感じがしました。

乙うたろうさんの壺に描かれたキャラクターの顔のイメージは、最初に見つめるポイントから、次なる視点への移動が滑らかにすべるようで、かつまったくの体験者のフリーな視点移動でもなく、まるでアシスト自転車でペダルを漕ぐ、漕ぎ始めのように、描かれたイメージが体験者を誘導するようだ。

台座のような白い四角い厚紙が展示室の軸と少しずつどれもずれていて、かつ観るものに応答しているが、intimate(親密な)な関係を拒んでいる。

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大寺さんの抽象絵画も、表面から浸透することのない、明確な形態が同様に動き連結を始めアシストする。絵画のフレームは乙うたろうさんの作品とは対照的に展示室にフィットしていて、絵画の内部でずれて視覚認知をアシストしている。

組み立て式のオブジェでは展示室の軸とずれていて、ここに乙うたろうさんのイメージが描かれていても、成立すると感じます。(内包される空間は畳んでしまえば、元の空間に戻る)

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信仰の場とある意味での決定論的カオスとが親和的であり得ることを指し示す証左のようで、立ち尽くしてしまった。

2017-07-16

[] 特別展「瀬戸内海の自然を楽しむ」

今回もブロガー招待に当選しました、感謝です。家族と伺いました。

特別展「瀬戸内海の自然を楽しむ」

http://www.mus-nh.city.osaka.jp/tokuten/2017setonaikai/

自然史博物館のwebより引用

先週、娘のアーチャンが支援学校の臨海学舎で淡路島に行ってきたところだったので、カラフルな瀬戸内海の立体モデル見ながら、淡路島のこといろいろ会話ができて理解も深まったようです。(まだ夏休み前でしたが、宿題作りの参考になるような展示がたくさんありました。)

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大阪市内に住んでいると、大阪湾に近いけれどほとんどが人工護岸ばかりで、海を感じることは少ないですが、そんな中でもこれも人工的な干潟ですが、南港野鳥園に行く機会も多いので、干潟がいかに環境にとって大事なものか再認識しました。娘のアーチャンは渡り鳥の情報がやはりお気に入りのようで、ipadで写真撮っています。

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アーチャンが撮影した画像

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今はもう無くなってしまった過去の光景や資料もとても貴重で美しい。

干潟の上を板に乗って漁業する姿の板絵は、神社に安全祈願として奉納されたもので、自然と生き物と人間との豊かな関係が感じられます。

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こちらも、今はもう無い塩田の光景。塩田の底を破る害虫についての研究も、とても詳しく、当時の大きな課題であったことが伺えます。

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最近の漁業の姿や市場の賑わいなど、永続して欲しいと願わずに居れませんね。

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今回の目玉展示の1つ、ザトウクジラの骨格標本。すぐそばに居るスナメリの標本が愛らしく感じられる。ATCで同時開催中のメガ恐竜展のテーマに、何故恐竜は巨大化したのかという疑問があり、逆に陸上の哺乳類が 何故巨大化しなかったのかも述べられていますが、海の哺乳類でも巨大化したもの、小さいままのものと多様であることが感じられました。

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やはり触れることの出来る展示は子供たちには欠かせません。

美しい瀬戸内海の砂を見ています。

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[] 加賀城健「Physical / Flat」展

6月17日に前期の「Physical 」展を、7月16日に後期の「Flat」展を拝見しました。

加賀城健「Physical / Flat」展

http://thethree.net/exhibitions/4450

the three konohanaのwebより引用

後期に同時開催されたアートフェアの展示は残念ながら見逃してしまいましたが、初めて拝見した大和郡山市での「HANARART2012 旧川本邸」以前の初期の作品から最新作まで見る事が出来て、加賀城さんの一貫したイメージと変化してきたところとが感じられました。

前期の「Physical 」展で、加賀城さんは不在でしたが、ギャラリーの山中さんから詳しく解説して頂き理解が深まりました。

染色がご専門の加賀城さんの過去の初期作品は主に脱色でかつシルクスクリーンのスキージ使って液どめの糊を長い布に延ばしたりと、版画的な制作方法と親和な方法と感じます。

それにより、単に身体によるアクションペイント的な表現ではなく、視覚的な絵画的な特性を獲得しているように感じました。

私と妻とが知り合ったのは通っていた銅版画アトリエがきっかけですが、銅版画に対する二人の共通した認識は、とにかくうまく意図通りに作れない、そのうまくいかなさに魅力感じているところでした。

その不一致と、同時にアナローグに描いてから何行程もの地味な作業を経ての作品イメージの現象があり、銅版画の描く際には水平に置くために平面を構成するX、Y軸と、濃淡に関わる部分は銅板にZ軸方向に掘る、そのイメージ作るプロセスと近い感覚を加賀城さんの布に染料がZ軸方向に染みていく染色の技法や産み出される作品のなかに感じます。

最初に拝見した「HANARART2012 旧川本邸」のトークショーで加賀城さんがお話しされた「例えば伊勢神宮の祭殿に吊るされた布が風に吹かれてめくれ上がる時に、参拝者の思いが伝わったように感じる、そんな人と自然現象との偶然の一致のようなものへ思いを掛ける人の心の有り様と布のイメージ」を再読し、また今回展までのイメージの変化を思うと、その時に感じた印象とはまた異なった光景が感じられてきます。

「HANARART2012 旧川本邸」

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20121103/art

「HANARART2012 旧川本邸」の中庭を構成するインスタレーション的な、そこに訪れる人に対する薄いエンクロージャーとしての布のイメージの比喩として祭殿の布の話と解釈していましたが、むしろ、加賀城さんの中に元々ある、バイアスのある強い関係(静止画としての絵画のような)への思いと、それへの抵抗のような揺れる心の有り様に思えてきました。

その後に拝見したthe three konohanaでの2回の個展で、人を誘導する装置のようなイメージから、正対する強い関係軸へと、イメージが変化しているように感じます。

the three konohanaでの 「ヴァリアブル・コスモス|Variable Cosmos」展の時に私は下記のように記録していました。

加賀城健展「ヴァリアブル・コスモス|Variable Cosmos」展

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130907/art

「the three konohanaの最初に拝見した展覧会、伊吹拓展の時の感想に、私は最後のところで、「デュシャンの大ガラスのように、もし透明なガラス面もしくは画布に彼が描いたらと空想した」と書き込んでいたのですが、加賀城さんの布のオブジェが、そのような透明な画布に描かれた(染められた)、大ガラスのように感じられてきました。

祝い屏風、対角線審判法の流れの軸のような、そして大ガラスのような。

その後次の「Essential Depths」 展の際には、さらに変化を感じて下記のように記していました。

加賀城 健 「Essential Depths」展

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20150405/art

大ガラス以降、デュシャンは絵画を放棄したとされますが、加賀城さんの個展では、より絵画的、視線の軸を持った、より対面するようなバイアスのある作品群になっているように感じました。

大ガラス、もしくは祝屏風のような廻りこめる透明もしくは半透明な立体で、作品の表や裏自体の区別が消滅しても、人間的な感覚の限界によって、イメージは断片的にしか捉える事はできないし、想像することもそこから始まるように。

壁面に飾られ、もしくは床にずらされながら布置された作品群は、布に覆われたフレームを半透明に見せながら、裏面の全てを見せず、裏側はゼロではないが、1/2や1/3くらいにイメージが縮減してバイアスが掛かっている。

立体作品が不可避的に持つリアリティの強さに対して、絵画的に描くことの重要性があると思いますが、ここでは描くことを回避しつつ、いかに重いリアリティを蒸発させることが出来得るのか、とても刺激的な方法と感じました。

そして今回の後期の「Flat」展では、布への染色という技法がより複雑化して、布に対しての奥行き方向へ浸透していくベクトルのような時間軸含んだZ軸のようなものを感じますし、そこから逆に絵画的な平面を構成するX軸もY軸にも時間を感じるようなイメージを感じました。

絵画的な指向を強めつつ、しかし従来的な方法では描かない事によって、かつ偶然性に依りながら、視覚認知上のセラピー効果のあるような、エンクロージャーの定かでは無い作品で強度を持っている、強くシンパシーを感じる作品群。

 
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