凍土の星 片桐功敦展

天王寺動物園でのワークショップの後、まだ少し時間があったので、中津へ向かいgrafさんに置かれていた案内状で見てみたいなと思った、PANTALOONでの凍土の星 片桐功敦展を見てきました。中津駅から少し西へ向かうと、何となくうちの近所かと思うようなこじんまりとした商店街があり、さらに路地に入るとギャラリーがありました。カフェとギャラリーが併設されたとても温かな雰囲気。オーナーさんもとても丁寧な対応でガイドしてくださる。
作品の方は、華道家の片桐さんが主宰されている主水書房に先日お伺いしたhttp://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20081123/artところなので、何となく雰囲気は掴めていましたが、片桐さんのコメント含めていろいろな事を感じさせてくれました。
凍土の星というコンセプトを作者は、どのような思いで作られたのかは分かりませんが、自分の中では、シベリア抑留者である僕の亡父のことをどうしても連想してしまいました。所属していた部隊が白旗揚げた時に500名の部隊が50名となり、シベリア抑留中に、抑留者60万人のうち6万人ほどの方が亡くなっていて、20歳の頃に数年抑留された父は、心身共にボロボロになったようです。よく生き延びたなという思いと、現在であればPTSDとしてケアを受けられたであろう、メンタル面の荒廃を思うと、絶句してしまう。父含めて生き延びた人々は、いかにして生き延びたのか、何故死ななかったのかというのは、僕にとってもいつも意識していることでもあるし、アートのことをする時にも、ベースになっているのかもしれないと思う。
片桐さんのコメントの中に、水の存在形態(固体から液体へそして気体へ)と人間の肉体、心と魂との比喩が語られていて、凍っている心の部分へ光を当てて解かし、その解かし水によって花が咲くのをじっと待つ、という主旨のくだりがあり、僕にとっての光、亡父達生き延びた人々にとっての光は何だろうと、思いました。
僕の場合はやはりアートの力であり、その多くの部分を笑いのようなものが支えているように思っています。
展覧会の会場は1階と吹き抜けに面したスペースと、奥の別の階段を使った暗い部屋とに分かれていて、その暗い部屋には、落ち葉で構成された、大きな行灯のようなものが天井から吊るされていて、下には敷布団が敷かれていて、画廊のオーナーさんからどうぞ寝転がって見て下さいと言われるので、アーチャンを真中に川の字に寝転がり、枯れた葉っぱ見ていると、不思議な気分となりました。タヌキに化かされて葉っぱを頭に載せてる親子の姿を空想。

凍土の星 片桐功敦展
http://www.pantaloon.org/exhi_katagiri.html
PANTALOONのHPより