芝高康造展

うつぼ公園のバラ園でランチを食べてから、僕の銅版画の先生だった芝高さんの個展へ家族で行きました。

芝高康造展
http://www.2kwgallery.com/2kw58_crrnt.html
2kwgallery58より

太目のビュランを使った、エングレーヴィング(線刻銅版画)の技術は、おそらく芝高さんの作品でしか今は見れないのかもしれません。ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」の外形線を解体し、ランダムに集積していく様は、世界の全体像を捉える事は人間的な能力の限界によってできないが、しかし不安ではない世界観やイメージを静かに語りかけてきます。

体験と体感 “TROPE”

うつぼ公園近くの2KWギャラリーで芝高さんの個展を見て、それから国立国際美術館(時間切れで入場せず)を辿り、grafさんへ。
体験と体感 “TROPE”展を観ました。
「形態は機能に従う」的な近代へのアンチとしての形態論のその次の提言の可能性が感じられる。個人的には、そこではフィット感みたいなものが手掛かりになっていそうに思う。ガチガチの関係では無く、かといって何でもありな、途方に暮れるようなデザインでもないような。ここでも、先に見て来た芝高さんのエッチング作品に観られるような、断片化した世界を自由に楽しむ感覚がある。

体験と体感 “TROPE”
http://www.graf-d3.com/index2.html

野井成正の表現 – 外から内へ/内から外へ

grafさんを出て、川沿いに歩いて、中之島デザインミュージアムde sign deへ行き、「野井成正の表現 – 外から内へ/内から外へ」展を見ました。
以前から散策を兼ねて前を通る事もあって、気になるスペースでしたが、ようやくオープンされました。
1Fに、角材と丸いスチールプレートの金具を用いたインスタレーションがあり、2Fには竹を狭い距離で無数に天井から吊って、それを触れながら避けながら展示物を見るものとがありました。
今日見て来た芝高さんのエッチングgrafさんでのTROPE展でも感じた断片化とその断片への親密さの感覚をここでも同様に感じました。仮設的システムでありながら、恒常的なインテリアとされていて、かつ祝祭的な雰囲気に、京都の祇園祭の際の山鉾の建て方と似たものを感じました。協働して作る事で、イメージを共有し、与えられたシステムではなく、自分の親しい場所として感じられるような仕掛けを目指しておられるのか。

野井成正の表現 – 外から内へ/内から外へ
http://www.designde.jp/exhibition/
中之島デザインミュージアムde sign deより

展示とは別の次元の話ですが、近未来の新しい生活像を提案するようなギャラリーであれば、小規模と言えどもエレベーター設置して、バリアフリーは配慮して良いのではと思うが。アーチャンが車椅子併用の我家は特にそう思うが。
河川沿いで小規模に棟を分散せざるを得ないのかもしれないけれど、僕の中では点数低くなってしまうな。大阪府が河川を中心とした街作りとして誘致したプロジェクトだし、なおさらそう感じるが。

絵本作り

最近アーチャンは、小冊子作りに目覚めて、いろいろな人に描いてはプレゼントし始めました。
先日の小学校の家庭訪問の際にも、担任の先生と、たんぽぽ教室の先生方3名とにそれぞれ1冊ずつ手渡していました(画像は無し)
それでリクエストすると、トーチャンとカーチャンにもそれぞれ描いてくれました。何もすることの無い空白の時間帯とか、この子は行動面精神面でややこしくなり易いので、事前に察知して、集中できるようにリクエストしてみたという部分もあります。この流れをもう少しうまく日々の生活のスキル向上に役立てるような方向にできればと思います。

カーチャンの本。
表紙の顔はおまけのマンガの少女。おやつをいつも家族で分けることを意識させて、アーチャンに分ける作業担当にしたり試みているので、分け与えることの喜び感通じて、少しでも食行動の異常などが軽減すればと思っていて、そのことを誓いの言葉のように書いています。けなげだけれど、あまり守れてないな。少しずつですね。

トーチャンの本。
連休中、無精ひげしてたので。
表紙はこれもおまけのマンガのキャラクターらしい。