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2017-07-16

[] 加賀城健「Physical / Flat」展

6月17日に前期の「Physical 」展を、7月16日に後期の「Flat」展を拝見しました。

加賀城健「Physical / Flat」展

http://thethree.net/exhibitions/4450

the three konohanaのwebより引用

後期に同時開催されたアートフェアの展示は残念ながら見逃してしまいましたが、初めて拝見した大和郡山市での「HANARART2012 旧川本邸」以前の初期の作品から最新作まで見る事が出来て、加賀城さんの一貫したイメージと変化してきたところとが感じられました。

前期の「Physical 」展で、加賀城さんは不在でしたが、ギャラリーの山中さんから詳しく解説して頂き理解が深まりました。

染色がご専門の加賀城さんの過去の初期作品は主に脱色でかつシルクスクリーンのスキージ使って液どめの糊を長い布に延ばしたりと、版画的な制作方法と親和な方法と感じます。

それにより、単に身体によるアクションペイント的な表現ではなく、視覚的な絵画的な特性を獲得しているように感じました。

私と妻とが知り合ったのは通っていた銅版画アトリエがきっかけですが、銅版画に対する二人の共通した認識は、とにかくうまく意図通りに作れない、そのうまくいかなさに魅力感じているところでした。

その不一致と、同時にアナローグに描いてから何行程もの地味な作業を経ての作品イメージの現象があり、銅版画の描く際には水平に置くために平面を構成するX、Y軸と、濃淡に関わる部分は銅板にZ軸方向に掘る、そのイメージ作るプロセスと近い感覚を加賀城さんの布に染料がZ軸方向に染みていく染色の技法や産み出される作品のなかに感じます。

最初に拝見した「HANARART2012 旧川本邸」のトークショーで加賀城さんがお話しされた「例えば伊勢神宮の祭殿に吊るされた布が風に吹かれてめくれ上がる時に、参拝者の思いが伝わったように感じる、そんな人と自然現象との偶然の一致のようなものへ思いを掛ける人の心の有り様と布のイメージ」を再読し、また今回展までのイメージの変化を思うと、その時に感じた印象とはまた異なった光景が感じられてきます。

「HANARART2012 旧川本邸」

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20121103/art

「HANARART2012 旧川本邸」の中庭を構成するインスタレーション的な、そこに訪れる人に対する薄いエンクロージャーとしての布のイメージの比喩として祭殿の布の話と解釈していましたが、むしろ、加賀城さんの中に元々ある、バイアスのある強い関係(静止画としての絵画のような)への思いと、それへの抵抗のような揺れる心の有り様に思えてきました。

その後に拝見したthe three konohanaでの2回の個展で、人を誘導する装置のようなイメージから、正対する強い関係軸へと、イメージが変化しているように感じます。

the three konohanaでの 「ヴァリアブル・コスモス|Variable Cosmos」展の時に私は下記のように記録していました。

加賀城健展「ヴァリアブル・コスモス|Variable Cosmos」展

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130907/art

「the three konohanaの最初に拝見した展覧会、伊吹拓展の時の感想に、私は最後のところで、「デュシャンの大ガラスのように、もし透明なガラス面もしくは画布に彼が描いたらと空想した」と書き込んでいたのですが、加賀城さんの布のオブジェが、そのような透明な画布に描かれた(染められた)、大ガラスのように感じられてきました。

祝い屏風、対角線審判法の流れの軸のような、そして大ガラスのような。

その後次の「Essential Depths」 展の際には、さらに変化を感じて下記のように記していました。

加賀城 健 「Essential Depths」展

http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20150405/art

大ガラス以降、デュシャンは絵画を放棄したとされますが、加賀城さんの個展では、より絵画的、視線の軸を持った、より対面するようなバイアスのある作品群になっているように感じました。

大ガラス、もしくは祝屏風のような廻りこめる透明もしくは半透明な立体で、作品の表や裏自体の区別が消滅しても、人間的な感覚の限界によって、イメージは断片的にしか捉える事はできないし、想像することもそこから始まるように。

壁面に飾られ、もしくは床にずらされながら布置された作品群は、布に覆われたフレームを半透明に見せながら、裏面の全てを見せず、裏側はゼロではないが、1/2や1/3くらいにイメージが縮減してバイアスが掛かっている。

立体作品が不可避的に持つリアリティの強さに対して、絵画的に描くことの重要性があると思いますが、ここでは描くことを回避しつつ、いかに重いリアリティを蒸発させることが出来得るのか、とても刺激的な方法と感じました。

そして今回の後期の「Flat」展では、布への染色という技法がより複雑化して、布に対しての奥行き方向へ浸透していくベクトルのような時間軸含んだZ軸のようなものを感じますし、そこから逆に絵画的な平面を構成するX軸もY軸にも時間を感じるようなイメージを感じました。

絵画的な指向を強めつつ、しかし従来的な方法では描かない事によって、かつ偶然性に依りながら、視覚認知上のセラピー効果のあるような、エンクロージャーの定かでは無い作品で強度を持っている、強くシンパシーを感じる作品群。

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