言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

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カブトムシとシミュレーションに関するメモ

幼い頃、カブトムシを飼っていた。大きな鳥かごに詰め込まれた数十匹ものカブトムシは、そのうち交尾をし、卵を産み、死んでいった。

卵をかえす為に、父とおがくずを集めた。幼虫はおがくずの中に球状の空間を作り、さなぎになり、そして再び夏とともにカブトムシになった。しかし、そのカブトムシは去年のものより随分小さかった。

三年目にはもう、ちゃんとしたカブトムシは生まれなかった。その事は僕に、ひどく恐ろしい印象を与えた。

あまり関係無い話かも知れないけど、シミュレーション、特に etoys によるシミュレーションの話をする時に頭をよぎるのはこの時の記憶だ。人の手で作られた物だけに依存して何かを作るということは、鳥かごの中で生物の世代を進めるような危険は無いだろうか。コンピュータで、例えばクランクの動きをする物を作った子供は、クランクについて何かを知った事になるのだろうか。

シミュレーション・ツールは人の頭が作り上げた物だ。雑多な自然の性質の中から、特徴的な値を取り上げ、一般化し、自然を模倣する。注意深く模倣したとしても、その模倣には開発者のバイアスがかかっている。だからシミュレーションの上に何かを作る者は、シミュレーションによって何が失われて何が得られるのかを強く意識する必要がある。

たとえよく出来たシミュレーションであっても、それは本物では無い。その定義から、誰かの頭に想像出来る程度にしか本物に似ていない。私たちがシミュレーションに頼ることの有意義さは、天動説のモデルで天体を語る事の有意義さ程度でしかない。

シミュレーションのクランクは本物のクランクには無い面白さを持つ。これは本当に楽しくて勉強になる。でも一方では、本物のクランクを作っていれば発見できたはずの物を忘れてはいけない。