パラレルワールド

おはようございます。
プロ家庭教師プロ・プラネット広報&SEO担当の畠山です。

良く良く、ネットの事をやっていると出てくる「パラレルワールド
今の社会の向こうにあるもう一つの世界(?)的な意味合いで使われる事が多いですが
代表的な所では、「ゲーム」や、今はやりの「SNS」と言った交流サイトもその一つでしょう。

「ゲーム」や「仮想空間」だから……
今とは違う世界があるかも…?
と言っても、それはほとんどの場合は”幻想”にすぎません。

それは、「ゲーム」であれ「仮想空間」であれ、その向こうにいるのは、結局「人間」であると言う点では
変わりようが無いと言う事だからでしょう。
もし、時代が変わって、人間以外の存在が後ろに出てくる場合には、もっと違う…それこそ「理想的な」事…
と言うのも出来てくるのかもしれませんが…?

いずれにしても、人間の世の中での不思議さ…と言うものが「パラレル」な世界にも付き物…
と言う点では同じような気がします。

体系化

おはようございます。
プロ家庭教師プロ・プラネット広報&SEO担当の畠山です。

「体系化」と言う事……
様々な事象や知識を、最初から最後まで繋いでいく作業の一つですが、場合によっては「論理化」と言う事にも繋がるかもしれません。
人は、様々な事を経験をして行きますが、それが繰り返される事もあるし、二度とは起きない事もあります
そして、それが「偶然」であったのか?
それとも、「必然」であったのか?
と言う事を吟味したりする訳です……

良くある「体系化」されたものとしては、「動物」「植物」等の生命の進化の過程などが、それに当たるでしょう。
曰く「人間の祖先は………」と言う形で、様々なものに繋がっていきます。

これを、色々な事…例えば、今の仕事の流れであったり、その過程であったりを中心に構築をすると言う事をしていくと
色々な事が見えてくるでしょう。
「整理した見える」「整理して浮かび上がるモノ」が色々と出てくる筈……

そして、その過程での弱点や強味と言った事も、また見えてくるでしょう。

もちろん…「勉強」と言う事にも、しっかりと当て嵌まる訳ですが…
それは、ただ闇雲に勉強をすると言う事では無くて、自分の「勉強」に「技」を見出すと言う作業に繋がって行くのだと思います。
「人間」であるからこそ、「工夫」と「知恵」を使って作業をしていく…そんな事も、頭の片隅に入れておいてください。

何が本質か

おはようございます。
プロ家庭教師プロ・プラネット広報&SEO担当の畠山です。

モノの本質が何か?を見極められたならば……
と思う事は少なくありませんが、
その「本質」をどのようにしたら見極めていけるのか……?

それは、様々な情報でも無いし、ネットでの検索でも無いし…本からの知識でも無いし…

単純に言えば、それは「経験」と言う事に裏打ちされるでしょう…
無論、先人をして「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク)と言う諺もありますが
しかし、この「歴史」にしろ、「情報」や「ネット」「本」でも
自分の手や足や目、さらには皮膚で感じた事を通じて「現実でのリアル感」を体得していくと言う事の積み重ねが必要でしょう。

世のなかが便利になれば、便利になるほど……
その「現実でのリアル感」の到達に「やらなくても分かるかな?」的な雰囲気が漂います……

情報やデータが不足していたからこそ…世界の数々の偉業(大航海時代など)は達成されたのでは無いでしょうか?
目に見えない、一種の訳のわからなさがあったからこそ、そこに駆り立てられる怪しい魅力があったのでしょう。

すべてが分かり切っている世界は、ある意味澱んでいるし、動きが止まります……

「実際には世界は動いている」しかし「目の前は止まっている」……
そんな、目の前の錯覚に惑わせれない様に、進んで行ってもらいたいもの…と思うものです。

携帯メール

おはようございます。
プロ家庭教師プロ・プラネット広報&SEO担当の畠山です。

電車に乗ると、誰もが見ている「携帯電話」
人により、その利用は様々ですが…
「ゲーム」をする人
「株価」を見る人
「取引先へのメモ」を見る人

しかし、一番多くの利用法?としては「メールを見る人」と言う感じではないでしょうか。

老若男女、携帯を片手に握り締めて、カタカタカタとメールを受け取り返信をしていく……
そんな情景は、ありふれているけれど、日常にすっかり溶け込んだ風景に

そういえば、「光源氏」の時代から「ふみ」はコミュニケーションの最強の手段だな〜と。
光源氏」の時代の男女の恋文も
「電車の中」の時代の携帯メールも
同じく、人と人とのコミュニケーションであると言う事を考えると、時代は変われども人間の本質は変わらないな、と思うところでもあります。

「人間だからこそ、コミュニケーションをする」
そんな感じを、車中でちょっと思った次第です。

ネットの使い方

おはようございます。
プロ家庭教師プロ・プラネット広報&SEO担当の畠山です。

ネットが身近なモノになって早何年と言う感じですが…
色々と調べ物に便利なネットですが、その調べ方にも工夫をすると色々と便利さも増してきます。
しかし……
これは、ご存知の方も多いですが、「ネット」で調べて出てくる情報がすべて本当のものであるのか?
と言う事については、少々考えた方が良い部分です。

確かに、ネットは色々な人が知恵と知識を傾けて書いてくれているものが多いのですが
結構な勘違いであったり、主観的な記事であったりと言う事も少なくはありません。
また、ネットで上位表示されるモノの中には、余り内容は無いけれど何故か?上位に表示がされているものもあったりします……

対人と言う事では無い部分での便利さと簡単さがネットにはありますが…
それに相応した部分でも注意や吟味と言う事が必要な事もあるかと…

便利さの裏腹には、自己責任がある?と言う事もどこか頭の隅にでも置いておいてください。

混沌とカオス

おはようございます。
プロ家庭教師プロ・プラネット広報&SEO担当の畠山です。

世の中の流れが読めなかったり
非常に不安定になったりしている昨今
まさに「混沌」とも「カオス」とも言うべき現状ではあるのだと思います。

その”相対的な状況”を指して「ビッグバン」等とのたまう気はサラサラないのですが…
しかし、その様な状況だからこそ「見えてくるモノ」や「感じるモノ」というものもあるのだと思います。

周りが崩れゆく中で何をどうするのか?と言う事は
昔からのテーマの一つではありますが

南宋文天祥の「正気の歌」を。


天地有正氣 雜然賦流形 天地に正気有り 雑然として流形を賦く
下則爲河嶽 上則爲日星 下りては則ち河嶽と為り 上りては則ち日星と為る
於人曰浩然 沛乎塞蒼冥 人に於ては浩然と曰い 沛乎として蒼冥に塞つ
皇路當芿夷 含和吐明庭 皇路清夷なるに当たりては 和を含みて明廷に吐く
時窮節乃見 一一垂丹逭 時窮すれば節乃ち見れ 一一丹青に垂る
在齋太史簡 在晉董狐筆 斉に在りては太史の簡 晋に在りては董狐の筆
在秦張良椎 在漢蘇武節 秦に在りては張良の椎 漢に在りては蘇武の節
爲嚴將軍頭 爲嵆侍中血 厳将軍の頭と為り 嵆侍中の血と為る
爲張睢陽齒 爲顏常山舌 張睢陽の歯と為り 顔常山の舌と為る
或爲遼東帽 芿操窅冰雪 或いは遼東の帽と為り 清操氷雪よりも窅し
或爲出師表 鬼神泣壯烈 或いは出師の表と為り 鬼神も壮烈に泣く
或爲渡江楫 慷慨呑胡羯 或いは江を渡る楫と為り 慷慨胡羯を呑む
或爲撃賊笏 逆豎頭破裂 或いは賊を撃つ笏と為り 逆豎の頭破れ裂く
是氣所旁簿 凛列萬古存 是の気の旁簿する所 凛列として万古に存す
當其貫日月 生死安足論 其の日月を貫くに当っては 生死安んぞ論ずるに足らん
地維頼以立 天柱頼以尊 地維は頼って以って立ち 天柱は頼って以って尊し
三綱實係命 道義爲之根 三綱 実に命に係り 道義 之が根と為る
嗟予遘陽九 隷也實不力 嗟 予 陽九に遘い 隷や実に力めず
楚囚纓其冠 傳車送窮北 楚囚 其の冠を纓し 伝車窮北に送らる
鼎鑊甘如飴 求之不可得 鼎鑊 甘きこと飴の如きも 之を求めて得可からず
陰房闃鬼火 春院閟天鄢 陰房 鬼火闃として 春院 天の黒さに閟ざさる
牛驥同一蔞 鷄棲鳳凰食 牛驥 一蔞を同じうし 鶏棲に鳳凰食らう
一朝蒙霧露 分作溝中瘠 一朝霧露を蒙らば 分として溝中の瘠と作らん
如此再寒暑 百沴自辟易 此如くして寒暑を再びす 百沴自ら辟易す
嗟哉沮洳場 爲我安樂國 嗟しい哉沮洳の場の 我が安楽国と為る
豈有他繆巧 陰陽不能賊 豈に他の繆巧有らんや 陰陽も賊なう不能
顧此耿耿在 仰視浮雲白 顧れば此の耿耿として在り 仰いで浮雲の白きを視る
悠悠我心悲 蒼天曷有極 悠悠として我が心悲しむ 蒼天曷んぞ極まり有らん
哲人日已遠 典刑在夙昔 哲人 日に已に遠く 典刑 夙昔に在り
風簷展書讀 古道照顏色 風簷 書を展べて読めば 古道 顔色を照らす

「モボ」&「モガ」

おはようございます。
プロ家庭教師プロ・プラネット広報&SEO担当の畠山です。

大正時代に、時代の先端を行くような感じの日常のスタイルや住まい方などが現われた。
第一次世界大戦による、日本の「成金」現象や、「大正デモクラシー」と言った事が背景にあったと思うが…
俗に、「大正浪漫」などと言われる話である。
その、「大正浪漫」の先端を行く男性を「モボ」、女性を「モガ」等と言ったりもしたが
それは「モダンボーイ」「モダンガール」の略称と言う事にもなる。

そもそも、”洋風の言葉”である「モダン」等を使った上に、それを省略する……
それだけでも、一つの大きな衝撃であったことは難くないが、それをやってのけた人達も
それを許した人達も、共に、おおらかな時代であったのでしょう。

後から振り返れば、激動の「明治」「大正」に挟まれた、一つの陽だまりの様な時代であったのかもしれないが
それは、後世から振り返って初めて分かる事……
それが、良い時代であったかどうかは、個々人により違うのだと思うが
きっと、その時代を生きていた人達は、その時代を一生懸命生きていたはずでしょう。

受験生にとっては、今が陽だまりでは無いかと思いますが……
しかし、この厳しい時期を過ぎて行ったという事は、きっと大きな糧になっていく筈。
毎日毎日、神経が擦り減るとは思いますが、どうか、志望に適うように頑張ってください。

”頑張れ受験生!”