「誤配」が織りなす『ハヤテのごとく』
高橋留美子の作品『めぞん一刻』は「誤配」の物語であった。主人公の五代が発するメッセージは、本人の失敗や一刻館の住人たちの妨害、響子の勘違いなどによって誤って伝わる。五代の発言や行動の真意は宛先である響子に届かないばかりか、それが第三者を経て誤ったメッセージに加工されて響子のもとに届く。誤解した響子の行動がこんどは五代にそのままの形でフィードバックされ、彼は自分のメッセージが誤配されたことに全く気づかないまま傷ついたり、逃げ出したり、喧嘩をしたりする。のちに誤解であることがわかり、五代と響子の関係は元通りに修復される。この繰り返しが『めぞん一刻』の基調を成す(コメディの側面)。他方、『めぞん一刻』が持つ成長物語の側面は、五代が「誤配」を修復しようと努力するところに見られる。五代の意図する正しいメッセージ(響子への好意)が、正しい宛先(響子)に届く。実は物語の初期で酒に酔った五代がこれをすでに遂行していた。長い年月と数々の「誤配」を経て、ようやく物語の終盤で五代はこれを反復できるようになる。無意識のうちに遂行していた原初の「配達」が、いかにして意識のうちで遂行できるようになるかが『めぞん一刻』のもう一つの基調を成していた(成長物語の側面)。
さて、『ハヤテのごとく』も「誤配」の物語である。その始まりは、誘拐して身代金をせしめようとしたハヤテのメッセージが、好意の告白だと誤解されてナギに伝わったところにあった。それからナギは誤解をしたままであるし、執事として雇われたハヤテもその誤解を解くつもりは今のところない。ハヤテのメッセージを「誤配」されたマリアも今更正しいメッセージを正しい宛先に届ける気配はない。その後のハヤテ自身のナギに対する思いは、恋愛感情というよりむしろ忠誠心と家族的愛情である。このメッセージすら「誤配」され、ナギはハヤテの思いを誤解し、正しいメッセージを受け取ってしまったマリアはそれを隠し続けている。
15巻の6話、11話で明確になったのは、ヒナギクの好意がハヤテには「嫌われてる」と伝わっていることである。この「誤配」は当事者たちのあいだでは気づかれず、西沢歩の口を通して宛先のハヤテから発信者のヒナギクにフィードバックされる。ヒナギクはこの「誤配」を訂正し、正しいメッセージを正しい宛先に届ける努力を始める(それが次巻への引きになって15巻は終わった)。
- 作者: 畑健二郎
- 出版社/メーカー: 小学館
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「誤配」をフィードバックする際に媒介する人物は二種類いる。マリアのように、誤配の事実を隠蔽するタイプと、歩のように誤配の事実を発信者(ヒナギク)に開示するタイプである。これらのタイプは媒介者自身の物語上の役割にも相当する(本人の性格ではない)。たとえば、マリアの場合、彼女の出生、生い立ちは隠蔽されたままである。媒介する誤配関係に隠蔽の楔を打ち込むだけではなく、自分自身の秘密をも抱えている。こうした隠蔽型は、生徒会の愛歌(三千院帝との関係)や千桜(咲夜のところでメイドをしていることや趣味)にもみられる。
他方、歩に関して言えば、彼女は自分の好意をハヤテに開示しているし、ハヤテとの出会い、二人の関係性についての感情、家族関係さえもが物語のなかであらわになっている。15巻で初めて登場した日比野文も開示型なのだが、主役たちの関係性を媒介する役割がまだないので、その特質は明確にならない。
雪路や美希、理沙、伊澄などは「誤配」を助長するもうひとつの媒介者の役割を担っている(『めぞん一刻』では一刻館の住人たちや七尾こずえがそれに相当していた)。彼女たちはメッセンジャーとして誤配関係を構築する。たとえば、ハヤテの白皇学院入学試験に際しては、理事長からのメッセージを雪路が隠蔽してハヤテに正反対の報告をしてしまう。この誤配はマリアの計らいによって発信者のメッセージごと訂正される。このことからマリアが特権的な媒介者として振る舞っていることがわかる。場面が変わり、15巻の11話ではヒナギクの笑顔を雪路や美希らは誤った形に加工してハヤテへと届ける。こちらの関係においてフィードバックを担う歩は、マリアのような特権的な媒介者ではない。それゆえ、歩はハヤテが誤解しているという情報をヒナギクにフィードバックする以上の特権的な振る舞いはできない。このことがヒナギクに努力を要求するのだ。
以上踏まえて「誤配」構造を整理すると次のようになる。
咲夜の位置づけはあまり明確ではない。しかし、誤配を助長するよりは、ナギに対してハヤテの心情を代弁したり(1億5000万でハヤテが伊澄に売り飛ばされたとき)、あるいはナギの心情をハヤテに伝えたりするなど、開示型のフィードバックであると見ることができるだろう。
ハヤテ→→→(誤配:伊澄)←←←ナギ
│ │ │ │
│ └←咲夜(開示型)→┘ │
│ │
└──マリア(隠蔽型)───┘
ちなみにメッセージの配達が適正に行われた構造は以下のようなものである。
ヒナギク→→→(誤配:雪路)→→→ハヤテ
│ (誤配:美希) │
│ (誤配:理沙) │
│ │
└←←←←歩(開示型)────┘
ヒナギクが適配の役割を担っているのは、ヴァレンタインの後押しをしているからだ。もちろん、誤配の機会はあった。ハヤテがヒナギクの家に泊まることになったときも、歩は二人の関係を誤解しそうになったのである。しかし、その誤解はヒナギクによってすぐに解消された。
歩→→(適配:ヒナギク)→→ハヤテ
│ │
└←────(遅延)←────┘
15巻6話でハヤテ自身のモノローグとして触れられているように、もしハヤテがごく普通の高校生活を送っていれば、歩は一人、メッセージの伝達に成功し、ハヤテと結ばれるヒロインとなっただろう。しかし、この物語で歩はメッセージが正しく配達されたにもかかわらず、不幸にも(今のところ)ハヤテとは結ばれないヒロインである。そして、誤配が生じないゆえに二人の関係は物語上の幅が広がらない、閉じた円環を形成する。ヒナギクが歩のメッセージを適切に配達する手助けをしたことが、皮肉にも物語上の歩の役割を媒介者に押しとどめさせる結果を招いている。閉じた円環が「誤配」によって破られなければ、歩は物語全体を巻き込むようにはふるまえない。
『ハヤテのごとく』が「誤配」の物語だというのは、こういう事情によくあらわれている。正しいメッセージが正しい宛先に届くのは「ごく普通」で「良いこと」だと考えられている。しかし、物語のなかで、そうした普通さは特徴のない凡庸な日常に、配達機能の良さは描くべきところのない背景へと退いてしまう。物語の主役を飾るのは、「誤配」されたメッセージと、それをめぐる人物たちのドラマである。そして、「誤配」こそが数多くの登場人物たちを巻き込み、彼女らに物語上の役割という種を撒く舞台装置なのだ。
今回は『めぞん一刻』にしか触れなかったが、「誤配」によるディスコミュニケーションが物語の原動力となるのは恋愛漫画の主たる特徴のひとつである。『ハヤテのごとく』もその伝統の一端に連なっている。パロディや現代的なガジェットを用いつつも、『ハヤテのごとく』はきわめて正統派なのだと言えるのではないだろうか。