JAN HOET

ヤン・フートは1975年、ベルギーにあるゲント市現代美術館のキュレーターに就任した。彼のキュレーターとしての信条は、その幼少期〜思春期における特殊な環境から育まれている。

彼の父親は精神科医であり、精神病患者をひじょうに大切に扱ったという。精神病患者に対する狂人という言葉を嫌ったばかりでなく、病院に隔離したわけでもなく、彼の父親は、いくつかの家庭を選んで精神病患者を送り込み、普通の人々と生活をさせるという方法をとっていたのである。
そして、フートが暮らした家庭においても、7人兄弟と両親に加えて、5人の精神病患者が共に暮らしていた。フートはこれらの人々と寝食を共にし、感性を研ぎ澄まし、彼らの声に耳を傾けながら育ったのである。
  
このような経験からフートは1989年に精神病患者の作品を含んだ『オープン・マインド』展を開催するに至る。フートは1991年8月号の美術手帖においてインタビューを受け、『オープン・マインド』展を通して以下のように語っている。

“美術も含めて神秘にみえる事物に対してつねに心を開いた状態に保つことだと、確信しています。とりわけ現代美術はいつも新しい潮流をもたらすものですから、心を閉ざしていてはならないと思っています。…そして私は、この展覧会を通じて、社会に対して攻撃的に振舞えるのは唯一美術のみであり、精神病患者の作品では決してないということに気付きました。”
 

Live in your head : When attitudes become form

*参考資料掲載
(月刊アトリエno.758,1990年4月,アトリエ出版社より)


『態度がフォルムになるとき』展
“Live in your head : When attitudes become form – works – concepts – processes – situations – information”(1969年)


ハラルド・ゼーマンによる序文 一部抜粋

 『態度が形になるとき』(作品―観念―過程―状況―情報)は、妙に統一性がなく複雑であったこれまでの展覧会に異議をとなえるものである。次のような問いが許されるだろう。ここでわれわれはこの数年優勢であった幾何学的抽象の復興、主観芸術、タシスムの焼き直しといったものと関わりを持つのだろうか。確かにここで展覧される芸術家の多くについては、デュシャンの創作過程への偏愛、ジャクソン・ポロックのアクションにみられる緊張感、60年代はじめのハプニングにおいての素材と肉体的緊張と時間との統合などが、その系譜として広く知られている。しかしながらどの場合においても、純粋な視覚体験が、作品を新たに創作したいという願望を引き起こしはしなかった。ヒッピー、ロック、そしてドラッグの常用は、遅かれ早かれ、若い世代の芸術家たちの行動に影響を及ぼしたにちがいない。その主だった代表者の何人かが東部の影響をとりわけ排除していたアメリカ西海岸出身であることは特徴的である。こうした反社会的形式の多くは、一方では瞑想の愛好、他方では身体や独創性における自己賛美に支えられた行動にもとづいているが、これらがこの新しい芸術の中へと流れ込んでいった。ヨーロッパでは、さらなる多くのモザイク石が見出される。すなわち、中心の喪失が芸術家をさらにいっそう地元に留まるようにさせ、その時々の社会のあらゆる表象に反対する意識芸術を作らせたのである。同時に「芸術展覧の三角形」―アトリエ、ギャラリー、美術館―を打破したいという欲求が感じられるようになった。……この展覧会のタイトル(それは一つの命題であって、スローガンではない)もまた、次のような理由から理解されねばならない。つまり、それまでまだ芸術家たちの内的態度はあまり直接的に作品に反映されてはいなかったのである。むろん常にそうであったというわけではなく、モンドリアンポロックはその内的姿勢をフォルムにした―しかしそれは完結した結果、あるいは自律的オブジェを念頭においてのことであった。ところがこの展覧会に参加した芸術家は、いずれもオブジェから自由になろうと努め、そうすることによって、オブジェを超えた、きわめて重要な状況に到るように、その意味の層を拡張するのである。彼らは、芸術創造過程が最終的な作品や「展覧会」においても明らかに目で確認できることを欲している。こうした芸術家にとって、自分自身の肉体と人間特有の動きを司る力は、それほど大きな役割を果たし、そしてそれらが、新しい「フォルムと素材のアルファベット」を形成するのである。
一連の芸術家、たとえば「アース・アート」の芸術家たちは、もはや作品ではなく情報を、また「コンセプチュアル・アート」の芸術家たちは、物質的なものを全く必要としない作品の見取り図を展示する。こうしたコンセプチュアル・アートは、好んで既成のシステム(テレフォン・ネットワーク、郵便、雑誌、地図)を用いながら「作品」を創作し、最終的には、もともとの出発点についてのあらゆる説明を廃した新たなシステムへと、それを導く。
作品、観念、過程、状況、情報(われわれは、それぞれの表現がオブジェや実験を免れないということを知った)は、こうして芸術上の態度がなりをひそめたフォルムなのである。それは造形作家の先入観からではなく、芸術創造の過程を経験することから生まれるようなフォルムである。このようなフォルムはまた、身振りの延長として、素材の選択や作品のかたちを記録する。この身振りは個人的な親しみ深いものとも、また公共的で拡張的なものともなり得る。とはいえ、常に過程が本質的なものとして存在する。過程は「筆跡」であり、同時に「文体」でもあるのだ。したがってこの芸術の意味というものは、ある世代の芸術家がひとまとまりとなって、「芸術と芸術家の本性」をありのままの過程としてのフォルムの中に置くよう試みることにある。


+参加アーティスト
C.アンドレ、J.アンセルモ、R.アーシュワーガー、R.バリー、J.ボイス、A.ボエッティ、M.ブフナー、M.ベーシェム、H.ダルボーヴェン、J.デイベッツ、G.ファン・エルク、R.フェラー、B.フラナガン、H.ハーケ、M.ハイツァー、E.ヘス、D.ヒューブラー、A.ジャケ、N.ジェニー、E.キーンホルツ、Y.クラン、J.コスス、J.クネリス、S.ルウィット、R.ロング、B.マクリーン、W.デ・マリア、D.メダラ、M.メルツ、R.モリス、B.ナウマン、C.オルデンバーグ、D.オッペンハイム、パナマレンコ、P.パスカリ、M.ピストレット、M.レッツ、R・ルーテンベック、R・ライマン、サルキス、R.セラ、R.スミッソン、K.ソニア、R.タルト、L.ウェイナー、G.ゾリオ,etc.

HARALD SZEEMAN


ハラルド・ゼーマンは、1933〜2005年のスイス生まれであり、戦後のヨーロッパを代表するキュレーターである。スイスのベルンで行われた『態度がフォルムになるとき』展“Live in your head : When attitudes become form – works – concepts – processes – situations – information”(1969年)は、現在でもしばしば引き合いに出され、60年代のヨーロッパにおいてそれまでの芸術の概念を覆すコンセプチュアル・アートを徹底的に推進させたキュレーターであると言われている。


『態度がフォルムになるとき』展=展覧会実践の方法論における重要な転換点

1960年代という時代はあらゆるものが多かれ少なかれ、「進化は表現されなければならない」という「表現」の時代であり、人々は変化を切実に求め、実験的な雰囲気にあふれていたと言う。そうした中で、ゼーマンは、展覧会を開くことだけに興味があったのではなく、常にクリエイティビティ(創造の力)の中心になるような、なんでも可能になる場所の開拓を行おうとしたのである。


残らないattitudes<観念>を展示したり、展示ができるまでの過程(アーティストへのオファーの手紙なんかもカタログに掲載)を見せたり、実験的でおもしろい。
ゼーマンは芸術に境界線を引かなかった。
ヴィジュアル・アートの総合的な場を作り、観客に対して「答え」を導くことはなかった。


ゼーマンの言葉
「展覧会を組織することは、表現の一つの手段です。作品と空間の結合=婚礼を取り持つこと、それはおそらく言葉にならない詩の創作であり、あるいは黙した悦びであるでしょう。ある空間的条件の中で、複数の作品の音色を響き合わせること、もしくは作品に最も深く息づく空間を授けること、愛を持って展覧会を組織するとは、そのようなことだと私は考えています。個々の作品の各々の強度の中には、ひとつのユートピア、言わば、計量不能剰余価値があります。これこそが可視化されなければならないものです。それは、一生涯を捧げるに値する仕事です。―」
(月刊アトリエno.758,1990年4月,アトリエ出版社)

walk like a trickster

生意気なくらいの心意気と柔軟さを。


The first is trickster's apparent lack of morality according to acceptable codes of polite society.
Secondly, trickster traditionally functions as mediator and translator between the spheres of the divine and the human, or between different languages and discursive systems.

― JEAN FISHER 『TOWARD A METAPHYSICS OF SHIT』