流れよわが涙、と警官は言った 感想

 3000万の視聴者を持つパーソナリティーのタヴァナーは見知らぬホテルで目覚めた時、誰も彼を覚えておらず、あらゆる記録に載っていない“存在しない人間”となっていた――


 という現実崩壊型のSF。
 タヴァナーは遺伝子操作により生まれた人間=スイックスなのですが、その設定により親がおらず、愛を知らないことに強く説得力を持たせています。また対比される人物として、彼を取り調べ、その悪夢に巻き込まれる――最初から巻き込まれていたのかもしれない――警察本部長のバックマンがおかれます。
 彼らの対比が色濃く出ている箇所としては報いの考え方にありました。タヴァナーは最低の状況の中、考えます。

 人は自分の悪事にも善行にもその報いを受けることはないのだ。いずれも結果は引き合わない。いままでに学んだことがあるとしたら、まあこれぐらいのことかな?
 (P111)

 対してバックマンは次のように述べます。

 なにしろ彼女は・・・・・・だがその報いをいつか必ず受けるはずだと、ときおりバックマンは思っていた。否定された現実は、舞い戻ってその人間につきまとうのだ。前ぶれなくその人間を襲い、狂わせる。
 (P210)

 その真逆の思考と立場により、出会うはずもなかった2人がすれ違い、どちらもの欺瞞が剥がれ落ちていく様は寒々とした感がありました。
 

 読んでいてテンションが最高潮に達したのはバックマンの妹がタヴァナーに会いに来て『あるもの』を見せる場面です。追い求めていたはずなのにありえないと判断したかつての世界と自分を垣間見させる『あるもの』。それを見た時の狂おしい感情をあえて大袈裟に書かれなかった所が冷たさを増強させています。
 残念なことに以降は興冷めな真実で色褪せてしまうのですが、その瞬間の凄みを味わえただけでも読んだ甲斐がありました。


 以上、ディックの長編の中でも面白い方に入ると思います。

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