帰ってきたヒトラー 上下 感想

 何の理屈もなく、何の前触れもなく、本物のアドルフ・ヒトラーが2011年のドイツに蘇った。彼はまずコメディアンとして世に出ることになる――


 ヒトラーを視点人物とし、ヒトラーが現代に蘇ったら何を思い、どのように行動し、周囲はどのように受け取るのかをシミュレートした風刺小説。
 ざっくりまとめてしまうと基本は勘違い物。


 ヒトラーは蘇ったのは運命に選ばれたからで、間違った方向に進もうとしているドイツを正すことが自らの使命だと悟ります。

 ビスマルクでもなく、フリードリヒ大王でもなく、
 カール大帝でもなく、オットー大帝でもなく、
 なぜこの私が?
 この質問への答えは、すこし考えればすぐにわかった。思わず笑ってしまうほど、簡単なことだった。おそらくその任務があまりにも困難であるがゆえ、ドイツの歴史に残るいずれ劣らぬ勇者や偉人たちも、しゃしゃり出てくるのをやめたのだ。その任務に適しているのは、党機構や行政に頼らず、だれかに何かを任せたりもせず、ただひとり自分だけの力で民主主義の無秩序を一掃できた人物。過去にそれをたしかに実行した人物なのだ。

 そして彼なりに現代ドイツを良いものへと変えていこうと行動に移していきます。テレビに出演するのも、ネット動画を公開するのも、彼が正しいと信じる思想と行動を広めるために。今度は上手くやろう、と。


 対して周囲はヒトラーを最初から最後まで卓越した政治コメディアンと捉えます。真に迫った言動でヒトラーを戯画化することでナチ的なものを批判していると。現代政治が善いものとしていることへの矛盾点を暴きだそうとしていると。ヒトラーヒトラーとして振る舞えば振る舞うほど、周囲はその徹底性に手をたたくことになります。そしてコメディアンがあえて行っているヒトラー的な行動として世に広めるの手助けをしていきます。当然本物だとは知らないで。

 
 そのすれ違いっぷりが見物でした。
 例えば極右の党にヒトラーが突撃レポートし、その日和っぷりをくさして曰く、「まっとうなドイツ人は、こんな党にかかずらうべきではない」。
 或いはネオナチからは小賢しいユダヤ人とののしられる手紙が届いたり。
 至る所で倒錯してふざけた事態が巻き起こっていきます。


 もちろんヒトラー視点であるからこそ、彼の視点で語られる内容にはドイツ人の純潔と強靭さを希い、ユダヤ人と彼が思う非ドイツ的なものへの憎悪に満ち、どう贔屓目に見ても、どう転んでも、やっぱりナチスの独裁者でしかないと読者は知っています。
 ではコメディアンのファッションだと勘違いした周囲はというと、繰り返す歴史に無防備な素朴さとちょろさに眩暈がします。本当にお前らは気づかず、扱っているものの深刻さを顧みないのか――と。
 あえて簡略にして戯画化している点はおおいにあるでしょうが、この小説を楽しむだけではなく、ふと本から顔を上げて社会の安全弁を探す作用がきちんとあったと思います。では実際に今生きる社会で似たようなことが起きたら、自分はどう思うのか――と。
 正しく風刺小説かと。


 以上。勘違いものとして興味深い小説でした。読みやすいので、時間があるときにさらっと読めます。
 

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