プヒプヒ日記

 

2016-09-20

死の舞踏

ページを開くといきなり怪しい病院に一人きりにされる少女。およそ半世紀も前に楳図かずおや古賀新一が描いたところの妖怪病院のノリで快調に(怪調に?)はじまる。

中世期の「死の舞踏」に描かれた骸骨たちのように、遺伝・精神疾患・外科手術――こういったものが、昔日のペストに代わって、これでもかこれでもかとばかりに、貧しいものをも富んだものをも、等しなみに斃していく。狂気だって前世紀までにはあったはずの聖性を剥がされて、精神疾患と呼ぶしかないものになっている。科学というのはこんなにもネガティブなものだったのか。

物語はどれも唐突に終わる。文学性もヘッタクレもないかたちで、まるで現実の死のように無慈悲に。でも正調幽霊譚の雰囲気ではじまる物語が皮肉に終わる「大いなる謎」なんかはロアルド・ダールみたいでけして悪くはない。

パタパタ無力に倒れる人間たち――グラン・ギニョール(大きな人形)とはよくいったものだ。

2016-09-01

ナイショの話

ここを見ている方だけにそっとお教えしましょう。

実は、二年前に出た世紀の奇書『両シチリア連隊』はすでに版元品切れなのです。もう店頭在庫しかありません。というか(少なくとも東京では)店頭在庫さえめったに見かけません。アマゾンにも一冊あるきりです。「入荷予定あり」と書いてありますが大ウソです。

ということで運よくどこかで見つけたら今のうちに買っておいたほうがいいかもしれません。

ふおふおふおふお。

小林 晋小林 晋 2016/09/18 22:23 現在入手可能になったようです。『死の扉』も版元品切れだったけど、たぶん取り次ぎにあったのでしょう。補充されました。

puhipuhipuhipuhi 2016/09/20 20:18 情報感謝です。それにしても最近は版元在庫の寿命はテントウムシなみになってしまったのですね。ダンゴムシでさえ5年生きるのに。ああ奇書の命は短くて……
(参考サイト: http://matome.naver.jp/odai/2135960155454279501 )

2016-08-28

ラヴクラフトより異形

不機嫌な姫とブルックナー団

不機嫌な姫とブルックナー団

面白かった。一気に読んだ。

一般的にいって、「生前は一握りの崇拝者にしか理解されなかったが、死後に評価が高まり、今では古典とみなされている」といったパターンは、文学史や他の芸術の歴史にあまた見られる。われわれに身近なところではラヴクラフトがその好例といえよう。

本書に登場するブルックナーもその一例であるらしい。「あるらしい」といったのは拙豚がクラシック音楽をほとんど聞かないからだが、ともあれ非常に変な音楽であるようだ。その特徴は本書から引用すれば、「……くどくて頑固で愚直で大仰だ。強調したい音形は駄目押しのようにユニゾンで何度も繰り返す。和声の展開は精緻で、メロディ自体は優しくロマンティックなところも多いが、その作り方進行のさせ方に繊細さがない。静かにしっとり続くかと思うと、いきなり大音響になったりする。自分のやりたいことだけ続けようとするみたいな、朴念仁の音楽だ」

聞いたことのない者にも「なんだかすごく変」という感じはヒタヒタと伝わってくる。そして本書で活写される「ブルオタ祭り」は、「クトゥルーの呼び声」の一場面さえ思わせる異様なものである。いあ、いあ、ぶるっくなー。

ブルックナーの音楽と生涯は本書では「ダメ」とか「残念」とか「不器用」とか「どんくさい」とかいうタームで語られる。ラヴクラフトの作品と生涯も、「悪文」「形容詞過多」とかそのたぐいの似たようなタームで語られることもあるけれど、ブルックナーが彼と異なるのは、その残念感があまりにも残念なために非ユークリッド的なスケールに高まって、現代に生きる同様に残念なわれわれの生き方にまで影響を及ぼすことである(というのがたぶん本書のテーマではないか)。

この小説のヒロインである代々木ゆたきはブルックナーの愛好家だが、彼女はそれをただ音楽として聞いていた。ところが彼女が偶然出会ったブルックナー団の三人は、ブルックナーを聞くだけでなくブルックナーを生きている。「ブル活」なるものを実践し、己に敵対する有力者をひとしなみに「ハンスリック団」と呼んだりする。

かくて小説が進むにつれてブルックナーの生涯と音楽は、オタクとかいじめとかいう現代のリアルな状況と徐々にシンクロしてくる。この過程がちょっとマジックリアリズム風味もあってじつによい。とくに暗示的に語られるポン(ブルックナー団の一人)のいじめ体験から少し間を置いて引用されるブルックナー伝第四章「史上最悪なる我がコンサートの果てに」のいじめ描写は壮絶で、ある意味この小説のクライマックスだろうと思う。

ヒロインもまた、「ブルックナーを聞くこと」から「ブルックナーを生きること」に、半ば無意識にスタンスを変えていく。しかもブルックナー団の三人のような現実に跼蹐した形ではなく、もっとポジティブに。そして小説のラストで、みずからのうちの「残念性」「どんくささ」を逆手にとり、いわば「残念性」をバネにして生きる方向を定めるにいたる。

おお、これを異形の勝利と言わずしてなんと言おう。気のせいか、なんだか「インスマスの影」のラストがチラチラ思い浮かぶではないか。

【おことわり】これは肝心のブルックナーの音楽を一音も聞いていない者による感想です。ブルックナーに親しんでいる方の感じ方とは相当に異なるであろうことは予想されますので、前もって謝っておきます。すみません。

高原英理高原英理 2016/08/29 00:10 早々のご感想まことにありがとうございます。今回、直接の参照はありませんが、世紀末ヴィーンを舞台としています部分は『探偵ダゴベルトの功績と冒険』の印象を少しだけ念頭に置きつつ書かせていただきました。その点もありがとうございます。

puhipuhipuhipuhi 2016/09/01 20:38 こちらこそありがとうございます。ブツ届きました。
あと書き忘れましたが、
今の人が「○○は俺の嫁!」とか言い出す100年も前に「嫁帳」を作ってたというのが凄かったです。
しかも60人以上! AKBなんとかより多い……

小林 晋小林 晋 2016/09/18 08:57 puhipuhiさんがブルックナーを聴いたことがないというのは驚きです。この前テレビで嫌いな作曲家ナンバーワンだと知って、ええっ、という気持ちでしたが(コンサートではよく取り上げられる作曲家です)、初めて聴いた時からはまるくらい私にはツボでした。高原氏のゴシック関係の本は読んだことがあるので、この作品も是非読んでみたい気になりました。

小林 晋小林 晋 2016/09/18 19:29 追伸:本日、神田三省堂にて入手。署名本を買い逃した気配がして残念。それはともかく、少し読み始めたところですが、ピヒプヒさんがブルックナーを知らずに読んだというのは、痛恨です。知っていたらもっと楽しめたと確信しています。

puhipuhipuhipuhi 2016/09/19 09:03 ブルックナーというよりクラシック全般が苦手なのです……
ところでこの本はミステリ的琴線にも触れるところがあるんですよ(ネタバレなんで以下は読了後にお読みください)

冒頭すぐのところに、「あなたのブルオタ度チェック」みたいな採点表があって
これ自体も通常の描写によらずしてブルックナーを紹介する新鮮で巧みな技巧と思いますが
その中の一項目がなんと、終わり近くの挿話の伏線となっているのです
こんなところに伏線を埋め込むとは! まるでハッター家の病歴カルテみたいじゃないか!と
ミステリ者なら小膝を叩くところです。高原英理あなどりがたし

小林 晋小林 晋 2016/09/19 09:40 これを機にお聴きになってみたら、ブルックナー。
SFですが高野史緒『ムジカ・マキーナ』という本もお薦めです。

ハンスリック団という言葉が出てきて、内心笑ってしまいました。
コンサート行く人にとっては、うんうんとうなずく箇所が頻出。「フラブラ」はホント迷惑ですよねえ。余韻を楽しめっていうの。

この作品、短すぎるのが欠点ですよ。
ちなみに、ぼくはブルオタの試験に落ちました。クルシシャノフスキーって人、知りません。

2016-08-11

『松山俊太郎 蓮の宇宙』に寄せて

松山俊太郎 蓮の宇宙

松山俊太郎 蓮の宇宙

 翁の講義は美学校に何度か潜り込んで謹聴したことがある。言葉もおそらくトータルで十語くらいは交わしていると思う。

 人は会わなければわからないということもないし、会えばわかるというものでもない。だが謦咳に接してこそ感得できるものはある。その意味で生前の翁にまみえられたことは稀なる幸運だった。一言でいえば書かれたものから想像するより何倍もバケモノであった。

その翁の印象を語るには、親友であったといわれる種村季弘と比較するのがてっとりばやいだろう。種村は「断片からの世界」というエッセイでノヴァーリスのアフォリズム集『断章』に触れてこう書いている

……文章(センテンス)の閃光から閃光へと鳥のような身軽さで飛び移ることを可能にしてくれる、アフォリズム的発想の遊戯的自在さの魅力とでもいおうか。……その、さながら空中に遊ぶような思考の軽やかさが、一口に天上的と名づけたくなるような風情を呈していたことである。

すなわち結合術(アルス・コンビナトリア)の秘儀である。だが翁は、こんなのは曲芸みたいなものにすぎないと思っていたフシがある。種村流アルス・コンビナトリアについて翁はこう語っている。

種村の記憶力というものは、もう、まことに怪しいというか、妄想で変形された記憶だからね、大概は。何かいっぱい知っているということよりも、ある事柄とある事柄の結び付け方というのが面白いというか、奇抜というか、目の付け所が違うということはあるんだろうな。(美学校特別講義より)

遠慮のない間柄だからこその毒舌ということを差し引いても、種村式結合術をあんまり評価していないということは伝わってくる。それはそうだ。いかにアルス・コンビナトリアの辣腕を奮ったこととて、断片が断片であることには変わりがない。そこが翁には不満なのではなかろうか。

結合術の愉しみは、アンソロジーを編む愉しみでもある。種村がいくつもの名アンソロジーを残しているのにひきかえ、知識量あるいは読書量ではひけをとらなかっただろうに、翁はこの分野に冷淡だった。澁澤龍彦に捧げたアンソロジー『最後の箱』のブサイクさはいっそ見事といえるほどで、ほとんどアンソロジーとしての体をなしていない。それだけに旧友を思う真情が籠もっているともいえるが――ともかく翁はアンソロジーという小宇宙をつくることに楽しみを見出すタイプではなかった。相手にするのは常に原寸大の宇宙だった。

翁は自著を上梓することも嫌った。おそらく自分の思想が「一冊の本」となって自分から切り離されること――断片化されることをいさぎよしとしなかったのではなかろうか。

また雑誌連載を終了することも嫌った。本書解題にあるように翁には「法華経と蓮」「古代インド人の装い」「東洋人の愛」と三つ長期連載があるが、いずれも延々と連載されたあげくに中断し本にはなっていない。これもたぶん同じ理由からだろう。単行本『蓮と法華経』は雑誌連載版「法華経と蓮」を参照しないと意味不明なところがあるので、いつか本になればいいのだけれど……

種村流結合術は、断片化した世界の救済方法でもあった。では断片を忌む翁は、結合術の代わりにいかなる手段をとったか。それは始原に遡るということだ。今はバラバラになっている世界も、起源をたどれば何か意味のあるものだったに違いない。今の世に生きるわれわれは手足がバラバラになったオルフェウスしか目にすることができないけれど、もともとは妙なる調べで天地を動かす存在だったはずだ。

だから翁は執拗なくらいに「もとの姿」「もとの意味」にこだわる。本書『蓮の宇宙』を紐解けばそれはイヤというほど味わえるはずだ。

最後に大事なことをひとつだけ。「蓮の研究に一生を捧げた」と聞くと狭い分野をコツコツやっていたように世間は思いがちだろうけれど、ぜんぜんそんなことはない。蓮というテーマはけして暇つぶしのためにあてずっぽうに選ばれたものではない。

蓮すなわち万有なのである。どんな些事でも極めれば普遍に達するとかそういう話ではない。正真正銘万有なのである。実にうまいところに着眼したものだと感嘆のほかはない。

「蓮に着眼した」というその一点だけで、つまり「人類文化を理解するツボとして〈蓮〉を提示した」というその一点だけで、たとえ研究は未完に終わろうとも、翁の偉大さは不朽のものとなろう。何より本書はそこを強烈に訴えかけてくる。

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渋谷に出たついでにスイスカメラの1stも買った。この2アイテムを同時に買う人は世界広しといえど何人もいないだろうと思う。ふおふお。

HirumanoyaHirumanoya 2016/08/24 00:38 はじめまして。ずっと覗いているだけだったのですが、松山翁の話題なので思い切って出てきました。
自分は翁の業績を拾い読みしているだけなのですが、「もとの姿」「もとの意味」にこだわる人であるのに、研究分野がインド、四大文明の中では新しい文明であるインドの、その中でも最初の思想の対抗として生まれた仏教の、さらに最初の仏教の教えの次に現れた法華経であった、というのは、どういうことだったのか。このあたりが気になっています。

puhipuhipuhipuhi 2016/08/24 01:21 おお、ご覧いただきありがとうございます。
翁の探求の一つの到達点ともいえる論文「アパダーナと法華経」では、法華の成立を遠くエジプトの幼童神にまで求め、そこのスイレンからすべてがはじまることが論証されています。かくの如く始原への博捜に翁の凄さがあると考えます。

sutendosutendo 2016/08/24 06:35 先日発行部数を知り、あわててネットで入手しました。これが発火点になってくれるといいですね。

puhipuhipuhipuhi 2016/08/24 10:08 >発行部数
値段設定から考えると、1000部以上ということはありえないでしょうね。
800部くらい?

sutendosutendo 2016/08/26 12:03 勿論具体的な数字は言えないんですけど、完売して次の松山俊太郎未完論文集の企画につながって欲しいですね。

puhipuhipuhipuhi 2016/08/27 15:06 お、おおっぴらに公言できないほどの部数なんですか・・・
ひょっとして盛林堂ミステリアス文庫や噴飯文庫より小部数だったりして・・・
ともあれなんとか完売してほしいものですね

2016-07-31

évocation

年をとると涙もろくなって困るが、このブログの文章でまたまた涙腺が緩んだ。ここには言葉を習うことのありがたみが純粋な形であらわれている。

年齢は関係ない。だいいちCDニューエクスプレスとかそういうのだって、現地の人からみれば小三のドリルみたいなものだ。

なかんずく吐胸を突かれるのは、「いちばん驚いたのは、占いの結果が読めるようになったことです」のくだりだ。つまりこの人にとって、言葉の功徳は、周囲とのコミュニケーションではない。超自然との触れ合いだ。なんだかとても他人事とは思えない(うるうる)。

あとすばらしいのは「まず口に出してから書く」という先輩女子のアドバイス。言葉はもともと音だった。だからいつも音を伴わなければならない。そうしてはじめて言霊として降りてくる。

通りすがり通りすがり 2016/07/31 23:00 初めて書き込みます。
美しい文章でした、電車の中で読まなくてよかったです。
「いちばん驚いたのは、占いの結果が読めるようになったことです」
この言葉は私の心に沈着しました。

puhipuhipuhipuhi 2016/08/11 21:18 ようこそ。お返事が遅れて失礼しました。
ほんとにいい文章ですよね。これグノーシスですよ、というと言葉の定義にうるさい人に怒られるかもしれないけど・・・