プヒプヒ日記

 

2018-06-03

当たりとの遭遇

今日も夕方に学魔本を漁りに古書ほうろうに行った。だんだんわかってきたのだが、この店は夕方になってから棚に新しい本を補充するようだ。だから開店早々に行くと、かえっていい本にはめぐりあえないような気がする。ちなみにちくま文庫版ラブレーはまだカウンターの上にあっていっこうに棚に並ぶ気配はない。

それはともかく、これ↓が今日の収穫。なかでも『メタヒストリー』が半額で買えたのはとても嬉しい。この本はカルロ・ギンズブルグがしきりに批判対象として著作の中で槍玉にあげているので前から気になっていた。あと『ミニマ・モラリア』はたぶん学魔本ではない。

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そしてジャン=ジャック・ルセルクル『言葉の暴力』にはこんなものが挟まっていた。おお、これが噂の「先生ご自身が切り抜いた」という「当たり」なのだろうか……「いいものばかりなんだよ!」の一枚なのだろうか……。ureccoの写真ではないようなのだが……

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ともあれ更なる「当たり」との遭遇を楽しみにせっせと読書に励むことにしようと思う。

2018-05-29

学魔本を求めて

学魔本を求めてまたまた古書ほうろうへ。これで三度目か四度目だと思う。この店のよいところは、「学魔本」というコーナーを特に作ることなく、あちこちの棚に分散して置いてあるところである(ときには均一本の中にまで!)。おかげで。宝探しの気分であちこちの棚を見て回れる。そこここをひっくりかえしていると一時間や二時間はすぐたってしまう。もしかすると店にとっては迷惑な客なのかもしれない。

それはともかく今日買った本をご紹介。

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学魔サイン。かっこいいねえ。

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学魔赤傍線。画像だと見難いかもしれないが、「何通りもの草稿」の脇に引いてある。

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学魔寄贈印。この印が押してある本はけっこうたくさんあった。

あとカウンターの端に置いてあるちくま文庫版のラブレーもどうも学魔本のようなたたずまいがあるが、なかなか棚に並ばない。店の人に聞いてみると、五冊揃いで引き取ってきたはずなのだが第三巻だけどこかに行ったのだという。揃いとなって棚に並ぶ日ははたして来るのだろうか。

2018-05-24

閉と開

ウロボロスの基礎論 (講談社ノベルス)

ウロボロスの基礎論 (講談社ノベルス)

竹本健治さんの『ウロボロスの基礎論』がこの五月に講談社文庫に入った。なんと今回が初の文庫化らしい。二十年ぶりくらいに読んでやはりこれは傑作であるなあと改めて溜息をついた。

本書の冒頭に書いてあるように、この『基礎論』も『偽書』と同じく、小説と「事実」との関係がテーマとして伏流している。だがそのアプローチは両者で正反対である。

『偽書』では何もかも作品世界にとりこんで、「閉じた」状態を作り出そうとしている。その象徴ともいえるのが作中の竹本家にあるワープロである――このワープロは、例のスティーヴィ・クライのタイプライターと同じく、本人が書いた覚えのない文章をいつのまにか保存している。つまり作品の外と思われる世界まで作品内にとりまれてしまう。そういう意味で「閉」の世界である。

それに対し、『基礎論』は逆に何もかも開放された「開」の状態をめざしている。ところどころで唐突に紛れ込む異質な一行もそうだし、他人の文章の長々しい引用もそうだし、果ては作中の言葉でいえば「小説ジャック」――他人に文章なり漫画なりを自由に描かせるアプローチなんかが典型的にそうで、もはやここには外の世界から隔てられた「小説世界」というのは存在しない。田舎の家みたいに近所の人が断りもなしに勝手にドカドカあがりこんでくるのである。「○ん○」という本来は人目には触れないものが公衆の面前に置かれるのである。

だから『偽書』と『基礎論』は双対ともいえるクラインの壺的な関係にある。つまり『偽書』では小説が事実を呑み込んでいるのに対し、『基礎論』では事実が小説を呑み込んでいる。二匹あわせてウロボロスの龍になっているわけである。

『偽書』については野地嘉文さんと本多正一さんのご厚意によって『幻影城終刊号』にある程度まとまった文章が書けたけれど、この『基礎論』についてもどこかで20枚くらい書かせてもらえないものかしらん。

2018-05-21

百門の薔薇館

『皆川博子の辺境薔薇館』の寄稿者用献本をいただきました。ありがとうございます。畏れ多くも皆川さん手書きのカードまで同封されています。

さっそく中をぱらぱらと見てびっくり。なんと、東雅夫さんが、「皆川博子を読み解くキーワード20」で、『猫舌男爵』の拙文解説を引用してくれているではありませんか。恐悦とはまさにこんなときに使う言葉でありましょう。

「テーベス百門の大都」という言葉がありますが、この辺境薔薇館すなわち皆川作品世界にも実は百くらいの入り口があります。皆川作品に興味はあるけれど、内容が多彩すぎて何から読んだらいいのかわからない、という方は、まずはこの東さんの文章を参考にされてはいかがでしょう。もしあなたが澁澤好きならこの本から、映画好きならこの本、幽霊好きなら、人形好きなら……というような懇切丁寧なガイドとしてもこの「キーワード20」は重宝します。

日下三蔵さんの著作リストも大変な労作。こちらはテーマ別ではなくミステリ・幻想小説・時代小説……とジャンル別にガイドがなされていて、ジャンルから入ろうという人にはうってつけです。

おお、あと、西崎憲さんの文章にある「世界文学性」というフレーズは言いえて妙です。海外文学は好きだけれど皆川作品は読んだことがない、という人はぜひ『猫舌男爵』を手にとってみてください。きっとアッと驚いて腰を抜かしますよ。

2018-05-17

学魔本放出を巡る誤解を糺す

駒場のとある古書店主が今回の学魔本放出について、日記で触れている。「懇意でもないのにかっさらいやがって」という嫉妬と羨望が見え隠れする嫌らしい文だけれど、そのせいかどうか、どうも認知に歪みが生じているようだ。同業者なんだから、ちゃんと裏を取ってから書けばいいのにね。そんなこともする気にならないほど憤懣が大きかったのかしらん。

ともあれネット情報というのは誤報であればあるほど、アッという間に燎原の火のごとく広まってしまうものだから、まことに僭越ながら拙豚が今のうちに誤解を解いておく必要があるような気がしてきた。

ということで、以下が古書ほうろうの方から直接うかがった正確なところです。

  1. 学魔蔵書三万冊がそっくりそのまま古書ほうろうに行くわけではない。古書ほうろうに放出されるのはおそらく蔵書のごく一部。
  2. 洋書は前にも書いたとおり、放出本の大半は大妻女子大に行く予定。
  3. 今回の蔵書処分はお宅の引越しによるもので、必要な本はまだ手元に置いておかれるはず。
  4. 学魔はボルヘスみたいに失明したわけではない。日によってはよく見えない日もあるという程度。今後も執筆活動はバリバリお続けになるそうです。

学魔レトリック、あるいは学魔叙述トリックを正しく読み解くにはそれなりの年季を要する。はなはだ失礼な言になるけれど、上にリンクした古書店主などは、まだまだ修行が足りないと言わざるをえない。