プヒプヒ日記

 

2017-03-25

限度なんですよ

昨日とりあげた作品は戦後まもなく書かれたものだが、作中の事件は昭和十二年に起こったとされている。なぜこの年にしたのか、作者はある対談でこう述べている。

「十二年が限度なんですよ。十二年に日華事変が起こっているでしょう。それまでは、わりに自由だったわけです」

苦しい時代を乗り越えてきた長老の言ならではの重みがある。願わくば将来の作家が、「平成二十九年が限度なんですよ」などと言うことがありませんように。

2017-03-24

リフレクトする病

何を隠そう、拙訳『探偵ダゴベルトの功績と冒険』の解説は、高山宏『殺す・集める・読む』の影響を受けて書かれたものだ。だからこの本を一度は買って読んだことは確かだ。

だが今、その内容は揮発したように頭から消えている。おまけに本までどこかに行ってしまった。だから先日の日記は内容を確認せずおぼろな感じだけで書いたものだ。

それではまずいような気もするので、もう一度読もうとこの間から探しているのだが、いまだに見つかっていない。その代わり買ったまま放ってあった小谷野敦『このミステリーがひどい!』が出てきた。

この本の最初のほうに「だが、私を決定的にミステリー嫌いにしたのは、[……]アガサ・クリスティの『アクロイド殺人事件』(一九二六)である」と書いてある。これには思わず膝を打った! いや、『アクロイド』自体は屈指の名作だと思うけれど、自分にも似たような体験があったのを思い出したから。

それは中二のとき、級友から借りて読んだ本だった。その小説の結末近くの、密室の謎解きをする場面で、名探偵がこんなことを言っていた。

……雨戸をあけておいたところで、それなんの意味をなさんや。ええいっ、いっそ密室の殺人にしてしまえ――と、思ったかどうかわかりませんが、それが雨戸をあけておかなかった原因だろうと思うのです。

「この人は何を言ってるのだろう?」と当時は思ったものだ。「ええい、いっそ」では論理がぜんぜん通ってない。こんな勢いというか乗りというかやっつけ仕事みたいな感じで、はたして人は密室をつくるものなのか。 

そのときの違和感はいまだに頭のどこかに残っている。もし当時の拙豚の批判精神がもう少し強かったら、あの時点でミステリは卒業していたかもしれない。実に危ういところであった。

幸いにして優柔不断だった拙豚は当時のクラスメートO君の感化もあってずるずるミステリを読み続け、そしていつしか四十年の歳月が過ぎ、ついには翻訳までするようになるのだから、うたた感慨に堪えない。

そういえば澁澤龍彦が何かのエッセイで、自分が異性愛者なのはたまたまにすぎなくて、きっかけさえあれば同性愛者になっていてもおかしくはなかったという趣旨のことを書いていた。人の根源にあるともいえる性的嗜好さえそうしたきっかけに左右されるのなら、ミステリごときへの嗜好はどんな些細な偶然に左右されてもおかしくはないのかもしれない。

今では焼きが回ったのか病膏肓に入ったのかそれとも中毒症状を呈しているのか、この名探偵の言葉もそれほど変とは思わないようになってしまった。ただ自分が同じ立場に立たされたら、「ええいいっそ密室に」とは考えず、とりあえず雨戸は開けておくだろう。

乱歩がこの作品を一応評価しながらも留保(というか端的にいえばケチ)をつけたことはよく知られている。作者への嫉妬がその底にあるという説もある。そうかもしれない。だが乱歩の慧眼は、この作品に潜む「病」を見抜いたのではなかろうか。留保はそのせいではなかろうか。

だが後代のミステリはその病に突破口を見出し、さらなる発展を遂げ豊饒性を獲得するにいたった。

その病とは何か。『殺す・集める・読む』に書いてあったような気がするのだけれど贋の記憶かもしれない。贋の記憶かもしれないが、本が出てこないので、あやふやなまま書くと、ミステリは世の常の小説とは違って、本の外側に読者がいるばかりでなく、本の中にも読者がいる(すなわち事件内容を読者より正確に「読む」ホームズ)。本の外に作者がいるばかりでなく、本の中にも作者がいる(すなわち記述者ワトソン)。この合わせ鏡みたいな妙な構造が、高山御大の言葉でいえば「リフレクトする病」をひき起こすのだ。

つまり先の作品の場合は、探偵小説のなかに探偵小説マニアが登場することが、すさまじいマニエリスムを起こす癌となっている。アクロイドの場合も、やはりリフレクトする病が作品全体を侵していて、それが人を嫌悪させるのだと思う。犯人の設定がフェアとかアンフェアとかいわれるが、たぶん問題はそこにはない。

(『殺す・集める・読む』が無事発掘されたらまた続きを書くかもしれません)

おまけ・忖度

昨今は忖度が大はやりのようだけれど、拙豚がこの言葉を覚えたのはやはり中学のころで、乱歩の随筆中に出てきた黒岩涙香の「無惨」によってだった。すなわち日本最古の推理小説のひとつといわれるこの作品は上篇疑団・中篇忖度・下篇氷解の三部からなっていて、ここでは忖度は今でいう推理にあたる。それ以来この単語はずいぶん長い間見ていなかったので、「忖度」と聞くと腹が立つより何より先にまず郷愁を感じてしまう。

2017-03-22

『錬金術とルドルフ2世』到来

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「どうやら超豪華論集 『錬金術とルドルフ2世』の英語版が、ついにプラハで出版されたようです。ルドルフ2世やルネサンスの宮廷文化に関心のある皆さま、これは必携書です」(2017.1.8日の項)とか、「カラー図版を多数収録した600頁を超える決定版的な書物で、今後はルドルフ2世を語るときに避けて通れない文献となるでしょう。」(2017.2.8日の項)と、bibliotheca hermetica叢書などで大活躍しているヒロ・ヒライ博士が熱烈推薦する”Alchemy and Rudolf II"がついにわが家にもやってきました。今後ルドルフ2世について何か書く機会がやってきたときには、この「避けて通れない文献」を大いに活用しようと思っています。

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見よこの豪華図版を!

2017-03-19

怪談生活

「どうしてツイッターやらないんですか」とたまに聞かれる。この日記の更新頻度を見れば、拙豚がツイッターに向いてないことは一目瞭然であろうけれど、やはりどうもツイッターというのは恐ろしいものだという気持ちがぬぐえず、いまだ二の足を踏んでいる。

たとえばこんな話がある。ある人がツイッターのアカウントを取得して、毎日ツイートをしていた。だがそのうちハッと気がつくと、いつのまにか全身が骸骨になっていたという。そして骸骨になった今もあいかわらず毎日ツイートし続けているという。

なんだか江戸期の随筆にでもあるような、とうてい信じられない話であるが、否定もされず伝え続けられているところをみると、ある程度の信憑性がそこにはあるらしい。「その骸骨の人のツイートを確かにこの目で見た」「アイコンまで骸骨になってた」と主張する人さえいる。

このようにツイッターみたいな新しいものが何か出てくると、怪談はそれにともなってほとんど必然的に発生する。怪談というと一見古めかしく田舎くさいように思えるけれど、新しいもののない環境では逆に怪談は栄えないのではなかろうか。隅々まで日常性に浸されたようなところでは、怪談は生まれにくいような気がしてならない。しばしば怪談の舞台が過去にとられるのは、過去そのものにその理由があるわけではなく、過去が現在を侵犯するからだろう。

あともうひとつ言えるのは、怪談の蔓延と科学知識の普及とは必ずしも関係がないということだ。先の骸骨怪談がSF好きの人たちのあいだでも囁かれていることがそれ証していよう。

ではなぜ理性は怪談を駆逐できないのだろう。数年前に復刊された稲生平太郎の名著『何かが空を飛んでいる』でも似たような問題設定がなされている。なぜ人は狂ってもいないのに円盤を見てしまうのだろう。

この『何かが……』で示唆されていることをあえて自己流に解釈すると、ようするにどんな人の頭にも先天的なバグがあって、そのバグがあるいは円盤を見させ、あるいは「怪」を感知させるということだ。

この「バグ」というのは、いわゆる「狂気」というのとは違う。たとえば全体としては精巧なプログラムのある場所で、たとえば「+」が誤って「−」になっていて、ふだんはぜんぜん支障がないけれど、たまたま情報をそこを通ったときに攪乱が起こる、というようなものだ。

前置きが非常に長くなってしまって恐縮だが、この本の第一部*1はその「バグ」がどこでどんな具合に発生するのかについての、詳細な報告集として読める。だからたとえば円城塔氏の作品を好んで読むようないわゆる理系的な頭を持つ人にこそ勧めたい気がする。すごく面白いですよ。

あるいは言葉をかえていえば、本書は怪の「ツボ」はどこにあるのかについての一大コレクションとしても読める。鍼灸の人にいわせれば人体には365だかのツボがあるそうだが、本書を読んでいると怪のツボもそれに匹敵するくらいの数がありそうだという気持ちがしてくる。

*1第二部はすみません、まだ読んでません。読むのが惜しい。

2017-03-09

Golden Dawn

新宿の一角にゴールデン街なるものがあるそうだ。マルコ・ポーロ伝えるところのジパングのように黄金の瓦が軒を並べているところなのか、はたまた往時のプラハの錬金術師通りのように怪しげな者たちが秘術の探求に精を出すところなのか、いつとも知れぬ頃からその街は存在し、都政方針変更による消滅を危惧されながらもしぶとく昔と変わらぬ姿を今にとどめているらしい。

かくてわれら秘密結社の面々は、良からぬたくらみを胸に秘めて、黒衣の美女が深夜から夜明けまでを宰領するその酒場へ足を運んだのであった。あらかじめ翌日の半休を取ってきたという黄金の夜明けを迎える気満々のつわものもいた。

だがそんなわれわれを待ち受けていたのは恐ろしい罠だった。秘密の天井裏に伸びる梯子。地の底まで果てしなく沈む椅子。いきなり鳴りだす非常ベル。われわれの集会が敵に感知されたのだろうか。はたして秘密結社は無事にミッションを完遂できるのか。奇絶、怪絶、また壮絶!

鈴木鈴木 2017/03/15 14:37 はじめまして。超絶今更ながら本屋で『スウェデン騎士』『聖ペテロ』を購入、大変満足してこちらのブログにも到達し過去記事を読み漁っているところです。
今後も他の本含めお仕事追いかけさせていただきます。おわり

puhipuhipuhipuhi 2017/03/15 19:59 おお激励のコメント恐縮です。
かくなるうえは東京創元社(名指し!)に向けて、「垂野氏の訳書をもっと出すように」と言っていただければなお一層ありがたいです(笑)。