2008-06-22 essay
山浦彬仁
①
「現実逃避」という言葉がある。
現実や、現実を受け入れる事から逃げて、
アクチュアルな世界へ逃げる事を意味する。
以前はアクチュアルな世界への逃避は、有効であった。
敗戦色が濃厚となった時も、「神風が吹く」「神国が負けるわけがない」と
アクチュアルな世界を「信じる」事で、自己が肯定された。
それは、オールウェーズ3丁目の夕日に代表されるように
「豊かな未来」というアクチュアルに浸ることで、
そこにあった、(今日的に言われる)下流社会も肯定され、
「貧しいながらも楽しい我が家」が実現された。
②
1970年代、今までアクチュアルだったものが反転し、
私たちには、「リアル」しかなくなってくる。
学校という、そもそも「アクチュアル」な世界(労働から回避された教育の場)
それでも、バブル崩壊の頃は、ジュリアナ東京で踊っていればよかった。
長島巨人に「メイクドラマ」という言葉を信じる事ができた。
95年、地下鉄サリン事件が起こる。
今まで「テロ」と言う言葉が、漫画やドラマだけの「アクチュアル」なものが、
リアルな世界で起こってくる。
97年、神戸でのサカキバラ生徒が発生。
2001年、911の発生。
アフガン戦争、イラク戦争、コソボ紛争、
グローバリバリズムとパターナリズム。
環境問題、小泉劇場、福祉破綻が見えてくる。
2004年、ニートという言葉が流行。
2006年、格差社会と言う言葉がブーム。
そして今日を生きる我々22歳。
③
私が個人的に「ピュアなことにする」という事を解題すると、
それは「アクチュアル」なものが無くなって、
もはや、「現実しかない」「現実へ逃避するしかない」リアルだけがある。
まさに「おにごっこ」は「リアルおにごっこ」となったのだ。
それは、大学3年生の若者がこぞってインターンシップにいくように、
留年する学生や、授業に出ない学生が否定され、
「アクチュアルな世界」の崩壊ではないのか。
そのアクチュアルな世界の崩壊の時代にいきる我々のやろうとしている
「ピュアなことにする」は、果たしてどちらに向かうのか。
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よこたたかお
①個人
僕の史的なことを言えば、「なんで、俺がそんなに強い男じゃなきゃいけないの?」といういじけている感じが、最も自分らしいな、と思う。
今でこそ、劇団を主宰し、アートイベントを主催しているわけだけれど、初めての恋人にフラれたあのとき。それは今でも忘れられない、世界で最も辛い男であった。
僕が付き合っていた女性は、三つ上の人だった。イギリスのロンドンからの帰国子女で、某有名劇団の研修生として入りたての人だった。
彼女は、僕というものを見ていなかったように思う。それは、海外から帰ってきて、色々と不安だったから寂しさのあまり僕と寝た、ということだったのだと思う。そして、彼女は劇団の中で年上の男を見つけて、僕の元から去っていく。
そんな状況に立たされて、僕は諦めることしか選択肢はなかった。だって、彼女は僕自身のことを愛していたわけでもないだろうし、彼女はそもそも年上の男性が好みであって、また頼りがいのある男が好きだった。……僕は、女性が持っている「恋人」のイメージに適合していない限り、「それは愛じゃなかったんだ」とでもメンチを切って、忘れるべきだったのだ。「所詮僕は、能力も才能も男らしさもない、だめな男なのさ」という感じで。
しかし、何を思ったか、僕はそのとき「ノルウェイの森」を読んでいて、主人公のように普通の青年が愛に生きる姿に自分を重ねていた。そのときから、「もしかしたら、愛さえあれば、何でもできるんじゃないだろうか」と思い始めた。
大学に入りたての頃、社会も知らない、人との付き合い方も知らない、女の扱い方も知らない。何もできない男だった。
けれど、彼女への愛さえあれば、いつかその想いは届くさ。と願いつつ、今に至る。
まだ、別れて二年半くらいか。そんなに長い時間ではないけれど、大学四年目を迎えた僕にとっては、この原動力が今の僕の立ち位置を生み出していると言っても過言じゃない。
「ピュアなことにする」というのは、傍目から見ればバカみたいなことだけど、実際的にこういう形で実を結ぶこともあるのだから、その力を信じてみてもいいんじゃないだろうかと思う。
②社会
今、私たちは何に必然性を持てるのか。そもそもそんなもの、もはやないような気がする。
私たちはソ連のように社会主義政権の中で戦ってきたわけでもないし、学生紛争のように権力と戦ってきたわけじゃない。私たちが今戦っているのは、スーパーで安い野菜を買い、美しい女性に愛想を振りまいて、幸せな家庭を築く。と、そういう戦いなわけだ。
たとえば、あなたは横浜に住みたいと思うのだろうか。医者の父親を持ち、多趣味な母親、そして二人の女の子。さらにペットの犬が一匹。そんな家族像を思い描いて、日々暮らしているのだろうか。
思えば一方で、ニート問題、労働問題、後期医療制度問題。暗い影だって、すぐそばにある。
じゃあ理想の家庭がそうした現実社会問題に立ち向かっているか否か。それは、イエスだろう。
だけれど、僕は「日本」特有の問題があるとすれば、エコやロハスのような最悪さがここにはあるのだと思う。
それは、「幸せな家庭は、社会問題に関心がある」ということだ。彼らが社会問題に関心を示し、社会を変革しようと思うことは、僕からすればあまりいいことではない。
彼らの論法は「うつ」に対して「うつ病」という診断名をつけてしまう。私は、うつには医学名をつける必要はないと思う。それは、笑ってこなしてやればいいのだ。もしくは、彼らには悪口を言ってやればいいのだ「何だお前、うつとか言って。そんなの荒川に捨てちまえ」というように。
横浜に住んでいる家族が「あら、あなたはうつ病なのね。それはかわいそうに」と見てしまうこと、それはうつ患者にとって何もいいことじゃない。彼らは処方箋にしたがって薬を飲み、「これでいつか治るのだ」と思ってしまう。ましてや、自分がうつなのだと自覚してしまう。
格差社会ってなんだ、って僕は思う。格差なんていうのは自覚しなけりゃ何も問題じゃない。ましてや日本は格差なんていうほどじゃない。
それをギャーギャーわめきたてて、人と人の間に壁を作ってしまう。そんなことは許さない。
僕らは、何か大きなバックグラウンドを背負っているわけじゃない。それぞれの個人が。
だったら、もう僕たちは平等なわけだ。それでいいじゃないか、と思う。アイデンティティなんていらない。
だから、僕たちがこうやって横浜でアートやって、表現やっていること。それは横浜で幸せな家庭を築くことと何が違うんだろうか?
もっと、対等に話せるはずだ。もしくは話していたはずだと思う。
ピュアなことにして、次に進もーぜ。
③対個人
まず、僕は原理主義者というものが嫌いだ。
この「ピュアなことにする」というのは、「ピュアです」とは違う。
「私ピュアです」というのは、原理主義者だ。彼らが構築した思想から少しでもはみ出たものは、糾弾される。メンツを保とうとする。
「ピュアなことにする」というのは、いわば新宿のコマ劇場前の広場だ。コマ劇場前には多くの風俗店がひしめいている。もはや、乱雑だ。
しかし、新井君に連れられて、あのコマ劇場前の広場に行ったとき、「自由」を感じた。何故だろうか。それはよくわからない。
けれど、仮に目の前に風俗店があったとしても、それが小学生の目に入ったとしても、この広場の中では自由であるのだから、私たちが汚れていたとしても、何も問題はない。自由にさせてくれるのだ。
原理主義者だったら、風俗店のある街になんかいけないだろう。それは彼らの思想体系からはみ出ているからだ。けれど、広告郊外じゃなくたって、新宿のあの広場には自由がある。
仮に私たちやその街が汚れていても、その場が「ピュアである」ことにさえすれば、もはや何も問題じゃないわけだと思った。
人間ですし、汚れていくし、やっぱりキレイでいたいとも思うし。
でもそれは二律背反するものじゃなくて、共存していくもので、「ピュアなことにする」っていうのは、仮に汚らわしくたって、自由になれる権利はあるんだよ、ってそういうことを伝えたいと思っています。
だから、ピカピカの人間なんてアホらしいと思うし、汚れている人は、愚鈍にならずに、美しいものを求めていけばいいと思う。
ここには、自由があるんだよ、と。
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太田信吾
【格差社会では、亡霊気取りでOK〜ピュアなことにする論考穵〜】
「本当にピュアな人」と「ピュアなことにする人」の違いって、ムカついたときに、キレちゃうか、キレちゃいたいけど我慢しちゃう、ってことだと僕は仮に据えています。
このイベントに集う人の中には、僕もそうなんですけど、本能的にはキレたいんだけど、キレることのむさ苦しさが嫌な人って、多いんじゃないですかね。つまり、キレたときの反動が先に頭に過ぎっちゃって、なんだかもう、キレられないんです。キレたことに、しちゃうんです。それで壁に穴とかあけちゃったり、たまにするんですが。
「甲子園」とか「早慶戦」とか「100キロハイク」とか、一丸となりたいけど、なってしまうことに恥ずかしさを覚えちゃう、ってことですね。
でも結局人肌寂しくなってしまって。だからこうして文字を書く。生き抜くための手段として。
なぜ生き抜けるのかっていうと、文字を書くことで、自分と、他人と、と向き合う必然性が出てくるから。人間の弱さや欲望や、生々しい部分を見つめるってことが自分にとって、亡霊的な日常生活の中で、生きてる実感を得ることの出来る少ない手段であるから。
まぁでも、こうしてコソコソ文字を書いてる僕は、世間的には引き篭もりであり、金を稼げない僕は、同時に、社会不適合者なんですけどね。何をするのもコソコソやるんですけどね。冷酷で冷徹なもうひとつの視点を、内側に隠し持っているんですけどね。
キレられないっていう症状が何に起因してるかといえば、裕福(もしくはほどほどに・人並みに、裕福な)な生活ってところにあるはずです。幼い頃から、キレる必要がなかったからです。頑張ることやピュアなままで何かに一途になったりすることなんてとても馬鹿馬鹿しいから、楽な方法を探してしまうわけですね。肩書きや体裁だけが目的の大学生とか、ホームから線路に落ちた人を見殺しにする大衆とか、空虚だね。空虚すぎるね。そんな日常です。僕は、肩書きや、名声や、世間体のために、大学に入った人間です。そのことに、ここ最近になって気づきました。
でも、僕のように、空虚な都市社会の亡霊たちにも、生々しさ・人間らしさとか、生への欲求は、どっかにあるはず。だから死なずに生きてるんだろうな。エゴイスティックに。本能的に。動物的に。
そう、仮定して、今日も生きてみることにします。
僕の大学生活は、今年で終わりです。
就職活動などはしませんでした。フリーターになります。
僕は今、強烈な、転落願望に苛まれています。
転落というか、今まできかざったものを、捨て去っていくことに、残りの人生使いたい。
生きている実感を、亡霊は、亡霊なりに、掴む手段があると思うのです。
それは、とても、心地よい、感覚です。
皆さん、ごきげんよう。
「男たる者、ヒモでOK〜ピュアなことにする論考穸〜」
少子高齢化、少子高齢化と、馬鹿みたいに騒がれているが、じゃあ少子高齢化社会を救うためにどうすれば良いの?社会に出る女性が増えた昨今、逆に家庭を守ることの出来る男がもっと増えるべきだと私は考える。日本社会の現状を見ると、非常にバランスが悪いのだ。男も女も、社会に出たがる風潮があり、出世や名声を得ることだけが美徳とされる社会であるが、内心、家庭を守る方に力を注ぎたいと考えている男性や、一度は社会に出たものの自分より有力な女性を前に、太刀打ち出来ないな、と気づいてしまった男性は少なくはないはずである。そういった願望を持つ男性を、戦う女性の援護隊として、つまり良き花婿候補として長野県天龍村のプロの女房の下へ送り込み、家事修行をさせることによって、「デキる男」を育成する。それによって、結婚を諦めてきた会社人間女性にも遅い春が訪れる可能性が生まれる。家事の出来ない女性は「花嫁」としての価値を持たなかったのだから。だがそれは近代的な価値観の中だけの話であると願いたい。
就職することだけが、人生の選択肢ではない。これからは、男が、女をサポートすることが許される時代である。性の解放を今一度、我々男になれなかった脆弱男児は立ち上がり、叫ばなければならない。
「俺の人生、半分でOK〜ピュアなことにする論考窂〜」
あぁ、もう…僕は人生、半分でいいや。そう思ってしまったんです。神様、それはいけないことですか?
名門、早稲田大学まで出て、難関潜って、やっと就職したのに、なんでたった1年で会社辞めちゃうの?って辞表出す前にも散々聞かれたことなんですけど、会社辞めてまでそういうこと聞かれるのが、いちいち僕にはストレスなんですよ。だから僕はもう、僕自身として、バイトの履歴書書くのも嫌なんですよ。
ねぇ、神様?
別に死にたいとか、そういうことじゃないんですよ。会社辞めたのも、欝とか、いじめ被害とか、そんなんじゃないし、「給料、こんなに僕、要らないです、実家暮らしだし、親父もまだ現役なんで、ちょっと減らしてもらえませんかね?」そう上司に相談したら、結果、話がこじれたまぁそれだけのことで、別に誰も悪くないんです。
僕、別に旅行とか金掛かる趣味もないし、金、あんまし使うあてもないし、なら、人生、半分でいいやっていうか、微妙に、もうちょっと、速度落としたいっていうか、スローライフ?今、流行の、Uターン?Iターン?
わかんないけど、まぁでも僕、虫嫌いだし、デパ地下歩いて試食とか好きだし、土曜日朝刊のチラシ片っ端から観るのとか生まれてこのかた長年の趣味だったりするから、別に会社辞めたからって辺鄙な田舎の村とか行こーとか思うわけでもなくて、まぁダサいけど、埼玉でいいやとか、妥協とかじゃなくて、リアルに、思っちゃったタチなんですけど
あーでも勘違いしないでくださいね、死にたいとか思ってるわけじゃないし、生きる希望がないとかそんなんじゃないし、てかもしそんなんだったら、血液とか心臓とか内臓とかペニスとか、欲してる人に譲れよとかっていう話になるかもだけど、僕そんな気持ちさらさらないし、生まれたからには最後まで生き切りたい、燃え尽きたいとか思ってる人間なので
ただ、人生半分でいいやと思ってしまったんです。
半分だけで精一杯なんです。
給料も、就業時間も、贅沢も…
気づいてたら終わってたくらいがちょうどいいんです。
折り返し地点過ぎてゴールするまで、ずっとゴールはまだか?ゴールはまだか?って考えるのに、もう絶えられないんです。
けして死にたいわけじゃですよ。 もっと効率的な人生の生き方をしたいわけです。
つまり、エコですよエコ。
効率的に生きて、余った時間を睡眠に充てる。現代人に足りないのは、そういう自分の心の労わりと、日常生活のメリハリだと思うんです。きっとあのまま仕事続けてたら、満腹過ぎて笑い死にしてただろうなとか、思い出すとぞっとするわけですよ…
でもまー、親も会社辞めるなら家に居させないとか言うし、でも今まで20数年間、飯とか作ったことねーし、俺、作れねぇしな、と思って、ガキの頃、たまにお使いに行かされてた商店街の惣菜屋に歩いていける距離の、まぁ実家からそんな離れてないからわざわざどうなの?って感じだけど、とりあえず家出とかないといけないし、俺、今別に彼女とかいないし、だからとりあえず出たわけなんですけど、でもまぁ、惣菜屋のオカズはまぁ、ホドホドにおいしいし、1ヶ月経っても母さん恋しくなったりしなかったんだけど、惣菜屋のメニュー、制覇したはいいものの、惣菜屋のメニュー、俺がお使い行かされてたガキの頃と一切変わってないし、変わる予兆も皆無?的な感じだし、1年働いて貯め続けたサラリーマンの給料もデリヘルと3度の飯で、もう尽きようとしてるし…早っ、って感じだけど、まぁ仕方ねぇしなーとも思ったりして…
んで、まぁ、仕方ないからバイトとか探そうかなと思ったわけですよ
この安っぽいジメジメしたアパートで飢え死にしたら、それこそ蛆虫塗れだろーなとか思って、そんなん耐えられないし、俺やっぱ遺骨とか、エーゲ海に巻いて欲しい性質だし、自然と神はいかに一体になれるか、とかそんなこと考えてる性質だから、そんな受身な死に方とか嫌なんですよ
まぁでも、就職の失敗もあるし、ネット使ってちょっとmixiで告知してみたんですわ
☆一個のバイト、半分こして、やってみませんか?☆
☆一個じゃおおいけど…☆
☆そんな相方募集中!!☆
mixiとかって、今、過渡期って言われてんのもあるけど、潜りみたいな奴って多くて、俺のこと俺って知ってる奴が俺のこと知らない赤の他人みたいなふりして足跡つけてくるし、そんなんうぜーし、だから、まぁ、プロフィールを実名からハンドルネームに変えて募集したわけですよ
僕、「おおたしんご」っていうんですけど、苗字のオオタは太いに田んぼの田って書いて「太田」なんですけど、でもどうしよう、俺、小さい頃からあだ名とかなくてずっと「オオタ君」とか呼ばれてたし、慣れてないんですけど、そういうイカしたコードネーム的なやつ作るのとか…でも「ふとったちんこ」ならギリギリかなとか思って、いじめられてそう俺とか思って、あーでもちょっとハズいわ、「肥田珍光」とかならセーフ?中国人ぽい?まぁほどほどって感じ?かと思って、結局「肥田珍光」にしてみたわけですよ、応募の宛先の名義は。てか、まぁ、予想以上に結構なメッセージ貰って、相方は別に誰でもよかったんですけど、地元近いほうがいいんで、とにかくダ埼玉な奴ってことで、偶然一人いたんで、そいつに「おめでとう!今日から僕とあなたは肥田珍光です!もう一人の肥田珍光より」って送って、ほかの人にはごめんなさいメール送ったわけですよ。でもまぁそんな長い文章じゃないし、ごめんなさいメール、全員にコピペして送るのとか人間としてどうなの?とか思ってしまって、そんな長い文章じゃないし、応募してくれた336人の人たちに、一人一人、まぁ結局は同じ文章だから結果は一緒なんですけど、とりあえず、コピペとかじゃなくて、全部文章を打って、誤字脱字とかないか確認して、ごめんなさいメール送ったんですよ。結局、その日一日、ごめんなさいメール送るだけで終わってしまって、夜22時とか、気付いたらなっちゃってて、でも真心込めてたし、すげー充実した感じがしてて、会社の仕事みたいに押し付けられてる感がないからなのかな?わかんないけど、昼飯夜飯食ってないの気付いて、近所の惣菜屋もう閉まってるから、その倍くらい歩くんですけどタバコ吸うついでにいいやとか思って、コンビニに飯を買いに行ったわけですよ…
何やってんだ俺?肥田珍光とか今日だけで何回書いたよ?336回は最低書いたよな、てか変換難しいんだよ、馬鹿野郎とか思ったりしてて、そうこうしてたら気付いたらコンビニ、バーン!って感じで、おおさすが都会のオアシス!生き返った!って感じで、安らいだんですけど、コンビニの入り口にちょうどバイト募集のビラが張ってあって、夜勤(22時〜翌6時)1H\1100とか書いてあって、暗算でぜんぜんいけるんですけど、携帯の電卓で念のため調べたら、8時間二人でわけてバイトしたら1日4時間4400円だし、週5で入れば週\22000円、1ヶ月4週+半週って考えると月収\99000?とかそんな感じでなにこれ、あのアパートでぼーっと暮らすには十分すぎんじゃん!とか興奮しちゃって、レジに突っ立ってウトウトしてるなんかやる気なさそうなノッポ君に「夜勤8時間のバイトしたいんですけど」って言ったらなんか彼が店長だったみたいで、おー待ってたよ的なオーラで急にその店長輝きだして、そのまま即面接!って感じだったんですよ。てかいつ来てもレジに立ってるのこの人だったな、ほかの店員この店で見たことねぇなとか思って、そしたら店長なんか可愛そうになってきて、もうすげー心臓バクバクで、でも「履歴書要らないんですか?」って聞いたら、「募集急いでるし」とか店長言うし、なんか薄汚いコンビニの奥の部屋に連れてかれて、「週何回できんの?」とか先手先手で聞いてきたんですけどやっぱりちょっと言い出しにくくて…「半分でいいですか?」とか聞くのは、やっぱどうも…
もう一度、「履歴書いらないんですか?ふつうバイトするときとかって書きますよね?」とか聞いたら、そんな書きたいなら書いていいよって言われて、ちょっとキレ気味で店に陳列してある履歴書用紙猛ダッシュでその店長さん取って戻ってきて、で、まぁ僕、ある程度適当に履歴書書いて、出したんです。名前とかなんでも良いみたいなオーラ店長出してるし、「肥田珍光」の名義で。
で、まぁ、とりあえず偽名で通して貰って、明日からバイト着てよって言うからとりあえず承諾して、アパート戻ってmixiで応募してくれた相方に即メール送ったんですよ。「<中略>…てか仕事決まったよ。俺、先行で行くから、お前後行な。でも悪ぃ、2等分するとか言い出せなかったけど、多分あの店長、言わなくても余裕だから、作戦立ててみた。ひばりが丘中学の裏のセブンイレブントイレに深夜2時に入ってて。君はそっから4時間店員バイト。俺はそれまで4時間バイトしてる。深夜2時に交代ね。何事もなかったかのように。てかネットだからって簡単だけど、ばっくれたりすんのなしだからね。したら、俺、途中でもバイト帰るし俺もばっくれるよ?そうなったらどうなるかわかってる?君の携帯に電話来るからね。書いちゃったよ、今日書いた履歴書に、君が送ってくれた電話番号」
んなわけで、今日、これからバイトです
今日は18時間、寝てました。2時間をAVみたり、飯食ったり、銭湯行ったりとか、まぁ所謂生理的行為ってやつに消費して、これから8時間、バイトです。4時間、じゃなくて、8時間、バイトのつもりで出かけます。じゃないと苦痛になるから。
よく、自分が二人いたらどんなに楽か、みたいな妄想語るワーカホリック人間がいると思うんですけど、そんな輩こそぜんぜんエコじゃないし、早期絶滅をすべき人種だと思うんですよ。イギリスとかではガソリン1ℓ1500円とか異常な値段するわけですよ。それは政府が、国民を車乗せないように仕向けようっていう罠なわけです。
そうでもしなきゃ、地球のことなんて考えず、どこまでも楽しようとするからね、人間どもは日本の政府ってのは、まったく頭が良くないから、僕たちは自分で考えて、自分で実践するしかないんです、こうやって。
慣れてきたら、企画書書いて、ダ埼玉市長が親父の知り合いなんで、政策提言してもいいかなと思ってます。もっと気を抜いて効率的、環境的に生きるために、っていう、さ。
人類、もっと手をとりあって、生命のバトンを後世に繋いでいこうよ、っていう。
エコを想うのも語るのもいいけど、もう少しだけ、エゴは捨てようよ?っていう
4時間バイトだとか思うと、黙々と単純労働しながら半分の2時間過ぎたあたりでまだ終わらぬか?まだ終わらぬか?って問いが永遠続いて死にそうになるから
ふーっ、思い込め、思い込め、
思い込め、イカした俺。8時間バイトだと思い込むんだ。
それくらいの心構えでちょうどいい。なんとしても、あんなくだらない仕事を精神疲労させずこなすためには。
いいか?よーい、ドン!今日という一日を、なんとしても、生き抜くんだ
頑張れ。頑張れ…俺…頑張れ、君