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エホバの証人の個人研究ノート(終わり) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2013-05-25

コリント第一7章39節「主にあるものと結婚しなさい」という訳は間違っている可能性が高い

 エホバの証人は、聖書の中の「主にあるものと結婚しなさい(コリント第一7:39)と書かれている部分を、主にあるものと結婚するという規則だと考えている人が非常に多いけれど、これは訳としても、ルールとしても、どちらも間違っている可能性が高いと思います。

 エホバの証人の現実としては、エホバの証人でない人と結婚したとすると、冷たい目で見られます。そして、特権を取り上げられるという懲罰があります。それは、この聖句が元になっていますが、訳としても、解釈としても、いくつかの問題があります。

 もともとの原義としてはこの部分は「主にあって」と訳します。つまり「主にあるものと結婚」というよりは、「あなたが主の元にい続けて、結婚しなさい」という意味の可能性が高いです。

 この部分の聖句は一般的な人に向けられて書かれた聖句ではなくって、やもめに関して書かれた聖句です。つまり、男にめとられると、その宗教にやもめが変わってしまうという文化や習慣が強くあるために、パウロはやもめに対して「結婚した後も、あなたはイエス・キリストを信仰し続けなさい」といっていると解釈することができます。

 原文を直訳すると「けれども夫がもし死ねば、ただ主のもとにあって、欲するままに結婚する自由を得ます。」となるそうです。

コリント第一7章39節は「けれども夫がもし死ねば、ただ主のもとにあって、欲するままに結婚する自由を得ます。」と訳すことができる。

 新世界訳聖書のこの部分は変だなぁ、変だなぁと思っていたのですが、やっと自分の中で決着がつきました。だれと結婚するかについて、この部分以外に、聖書が結婚の規則を定めたようなものがないということは知っていたのに、この部分でだけ規則のようなものをパウロが定めているからです。またパウロが、やもめに語っているのに、ものみの塔協会が、エホバの証人全員に求めてきたからです。

 だから、インターネットでこの聖句を調べているうちに、訳に問題があって、意味が違うかもしれないということに思い当たりました。すると、僕の思っていたとおり、複数の訳の可能性がありました。

 つまりポイントは「結婚相手がイエス・キリストを信仰しているか」ではなくて「やもめ自身がイエス・キリストへの信仰を保ち続けることができるか」ということです。

 聖書の基本的な考え方として、イエス・キリスト以後は、律法が廃棄されたので、なんらかのルールのもとに、僕たちはいるわけではありません。書かれた規則によって裁こうとする人は、はっきりといってしまえば、イエス・キリストのもとにはおらず、イエスが廃した律法のもとにとどまっていることになります。

 主のもとにいるということが、主が任命した人が定めた規則のもとにいることと解したすれば、それはもはや、主のもとにいることにはなりません。ですから、だれかが定めた規則のもとにいるのではなくって、主にあって生きていきませんか。

JW21JW21 2013/07/13 02:42 興味深い点ですね。
ここは以前から関心のあった部分です。

やもめに関して語ったのに、全てのクリスチャンに適用する。
なんか、統治体は拡大解釈して適用するところが多いですよね。
(まあ夫婦が同じ信仰のほうがうまくいきやすいとは一般的には言われていますが)

誕生日のことにしろ、社会・政治へのかかわりにしろ、良心で判断すべきことはたくさんあるのに、聖書中の事例やことばを、自らの教えにとって都合の良いように解釈していく。
こういう統治体の悪い癖、どうにかなりませんかね。

ぴゅうぴゅう 2013/07/13 06:44  ものみの塔には「エホバの証人以外と結婚した場合は、特権を剥奪する」って書いてあります。これが、制裁以外のなにものでもないですね。特権を使って、良心を支配しようとする癖が、統治体にはありますので、特権をほとんど意味のないものと伝えていけば、統治体のコントロールも弱くなると思います。

大多哲成大多哲成 2016/06/29 05:50 大変参考になりました 自分も気になっていくつか調べましたらティンデルの聖書注解 コリント第一 143ページ に同じ意味のことが書いてありました http://www.ootaabc.com/newpage22.html

ぴゅうぴゅう 2016/07/02 13:59 大多さん

ありがとうございます。

僕は、黒崎聖書注解を参考にしましたが、ティンデルの聖書注解は、知りませんでした。

エホバの証人は、この部分を積極的に押し出して、エホバの証人に対して、エホバの証人どうしで結婚するようにさせますが、前後の文脈から見て、不自然だといつも思っていました。

それで、いろいろと検索していたら、黒崎聖書注解というのを発見して、そういう風に訳したほうが前後関係が自然だし、パウロの語っていることの意味もとらえやすいと感じました。

柴ドリル柴ドリル 2016/07/06 22:58 未信者との結婚について、この部分の記述を疑ったことはありませんでしたが、確かに訳し方によって解釈は変わってきそうですね
主にあるものというのが自分なのか相手なのかで全然違ってきますし

あと、JWが未信者と結婚した場合については、いくつか疑問があります
絶対に破ってはならないとされる3つの原則(淫行、偶像崇拝、血を避ける)には入っていないのに、なぜ罰せられるのか?
バプテスマを受けている息子や娘が未信者と結婚した場合と、教えは知っているもののバプテスマを受けていない子供(途中から来なくなった)が結婚した場合では扱いが全然違うのはどうなのか?
また、教えを知っているがバプテスマを受けていない子供が結婚前に性行為をした場合、お咎めなしなのはなぜか?
断絶の発表はないし、排斥の発表があった家族も親は普通に話したり面倒見たりしていたので、違和感ありまくりでした
まあ、長老にこんなこと聞くと、こっちが吊し上げられるんでしょうが・・・

大多哲成大多哲成 2016/07/09 19:14 ありがとうございます 自分も黒崎聖書注解も参考にしました

ぴゅうぴゅう 2016/07/12 22:50 柴ドリルさん

協会の基準は聖書ではないんですよ。

協会の基準は「裏切り者は許さない」「裏切り者との接触は許さない」です。だから、バプテスマを受けているかどうかで、扱いが、非常に異なっています。