祭壇とは何か

 聖書を読んでいると「祭壇」という言葉がでてきます。僕たちは、「祭壇」という言葉で何を思い浮かべるでしょうか。

 たとえば、祭壇といえば、ピラミッドのようなものがあって、その上で、いけにえに犠牲がささげられるような、そういうイメージがあるかもしっれません。少なくとも、儀式的なイメージを持ってしまうと思います。

 聖書中で祭壇とはなんでしょうか。答えを書いてしまうと、それは「神の食卓」です。

祭壇は神の食卓である

 創世記にでてくるヤコブは、ところどころで、石を積み上げて、祭壇を作ります。何か偶像っぽいイメージがしませんか。祭壇という言葉と石という言葉を聞くと。

 でも、これは実は、神の食事ための石のテーブルなんですね。それを、表現している、聖句をみてみまっしょう。

そこでヤコブは,[神]が自分と話をされたその場所に柱すなわち石の柱を据え,その上に飲み物の捧げ物を注ぎ,また油をその上に注いだ。
(創世記 35:14)

 飲み物と動物の油を、石の柱の上に注いでいますね。つまり、これは、神の食卓を表現しています。

神とともに食べるという概念を心に留めておく

 実は、食べるということは、神にとっても、イエスにとっても大切なことです。ヤコブとラバンの場合もそうでしたが、ともに食べることによって和解をしました。

 神とともに食べるということは、人と神との和解をも表現しているからです。それゆえ、パンとぶどう酒を与え、ともに食事をするということが、神との和解を意味しています。

パンは一つですから,わたしたちも,たとえ大勢いるにしても,一つの体なのです。わたしたちは皆,その一つのパンに共にあずかっているからです。
(コリント第一 10:17)