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足立恒雄のページ

2007-04-01 永遠の真理などというものは迷信である

永遠の真理などというものは迷信である

(理工学部の機関紙『塔』(2006年3月発行)に理工学部長の挨拶として書いたものを再録)

昔、早稲田には田中王堂という哲学者がいた。王堂は、日本で最初に私学出身の首相になった石橋湛山の師であるが、彼自身、日本におけるプラグマティズムの唱道者として、大変功績のある人である。

田中王堂の著作に『ヒュウマニスト二宮尊徳』という、目から鱗が落ちるような名著がある。二宮尊徳と言えば、薪を背負って校庭の片隅に立つ、苦学力行の、つまりは退屈そうな、時代遅れの哀れな人というイメージで、みなさんから馬鹿にされているかもしれない。この尊徳が実はプラグマテイズムの祖であり、偉大な哲学者であったという事実を発掘し、世に知らしめたのが、わが田中王堂である。

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「四角の木材などという都合の良いものは存在しない。かまぼこのような、はんぺんのような、骨も皮もない魚などというものは存在しない。人道は作為の道であって、自然の道ではない。絶えず変更と選択を加えるのが人道である」という尊徳の考え方を進めて、王堂は天理というようなものがあると思うのは迷信に過ぎないと主張した。またある偉人の説く真理というものが不変でなければならないと盲信することが人類の解放をさまたげているのであると喝破した。

早稲田学派の哲学大隈重信ー田中王堂ー石橋湛山、の流れは、現在ではわが理工学部にのみ息づいている。 と、私は思う(大隈重信を哲学者だというとおかしいかもしれないが、天理などという世迷言を盲信した西郷を「あれは空馬鹿だった」と平然と言えるのは大隈だけで、立派に思想を持った人である)。

卒業する諸君には世に出て、絶対的真理などという言葉に目をくらまされることなく、理工学部で習得した「みずから工夫する」という思想を実践していただくことを、また新入学の諸君には理学(基礎)と工学(応用)の融合という思想がわれらの校是であるという言葉の意味を理解していただくことを、希う。