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足立恒雄のページ

2015-08-30

アレクサンダー『無限小——世界を変えた数学の危険思想』紹介

 ガリレオが地動説を奉じたために異端審問にかけられて、有罪判決を受けたことを知らない人はいない。近代初期において西欧文明の中心地であったイタリアが勢いを失い、次第に文化・経済の中心がフランスやイギリスに移っていったことには、種々の原因が挙げられるけれども、異端審問に代表される宗教的な立場からの言論と出版の弾圧がその主要なものの一つに数えられることも異論はないだろう。傍証としては、ミルトンの『アレオパジティカ』を挙げておけば十分だろう。

 しかし、数学もまた弾圧を受けたことについては、ほとんど知られていない。正確に言えば、ガリレオに始まり、その弟子のカヴァリエリやトリチェリによって開発された「不可分者」の手法イエズス会禁忌に触れたのである。不可分者、あるいは無限小は数学の題目であって、地球と太陽の関係とは異なり、聖書に何も書かれていないのに、なぜ弾圧の対象になり得るのか。それが本書の第1部の主題である。

 なぜ数学に関しても中心地だったイタリアで微積分学が発達しなかったのかという疑問に関して、「ギリシア数学の伝統の重みに耐えかねたイタリアに比べて、むしろ辺境の地であったために、伝統のしがらみを持たないイギリスやドイツで自由に発展することができたのである」という趣旨の説を読んだことがある。しかし、そうではなかったのである。イエズス会がその強大な力を背景にガリレオ派の不可分者論を制圧したことが主因となって、イタリアは数学史の表舞台から退場したのであった。

 第2部では、実験的経験主義、そしてこれと相性の良い政治体制である議会制民主主義がイギリスで育っていく様子を、『リヴァイアサン』の著者ホッブズと数学者ウォリスの間の四半世紀にわたる激烈な論争とロンドン王立協会の成立過程とを通じて描いている。すべてを説明し、その普遍的真理性を唱えるデカルトやホッブズの教条的合理主義の哲学体系に対して、実験を通して現象とやり取りをしながら、漸進的に、そして修正を繰り返しながら、真理を獲得していくのが実験科学の手法である。しかし、実験科学が議会制民主主義の申し子なのではなく、逆にロンドン王立協会の繁栄に象徴される実験科学の成功がイギリスにおける民主制度の成立に大きく寄与したというのがアレクサンダーの主張である。絶対的真理がどうのこうのよりも、実際に現象を説明する上で役に立つことを優先するプラグマティックな思想のお蔭で、無限小という矛盾をはらんだ、怪しげな概念を基礎としながらも、多方面からの批判をものともせず、微積分学は発展し得たのであった。

 本書は、私にとっては、夜を徹して読むに値するスリルに満ちた書であった。この感動を皆さんと共有したいと思い、翻訳を申し出た次第である。

 著者アレクサンダー氏の文章は荒削りで、処々に本題ではない事柄で細かいミスがあり、記述が錯綜していて、必ずしも読み易いとは言えないが、内容の持つ圧倒的な迫力はそうした欠点を補って余りある。訳者としては、可能な限り、記述の誤りをそれとなく正し、平明な文章になるように心がけた。文章の綾に頼る必要のない、内容で勝負の出来る著作であることは確かだから、原文からのそうした逸脱は許されると思う。現代の整備された微積分学の立場から観た説明を付けた方が理解に都合が良いと思われる箇所には訳注で補った。原著には、詳細に典拠が付されているが、一般的な読者には見ることのできない資料がほとんどなので、訳からは省かせていただいた。専門的な立場から検証したい方は原著に当たって下さるようお願いする。

 本書の主張は極めて明快であり、こうした斬新で迫力満点の数学史書はアルパッド・サボーの『ギリシア数学の始原』か、科学史書に広げてもトーマス・クーンの『科学革命の構造』位しか私にはすぐには思い当たらない。しかし、これらのインパクトの大きかった著作がそうであったように、本書に対してもおそらくは専門家の間から批判や疑問の声が上がるだろうと予想される。たとえば、ドイツやスイスなどの国においても微積分学が育っていった理由を説明していないという指摘は当然あるだろう。しかし、そういう議論の沸騰することは、数学史の世界、さらには日本の知識人社会にとって大変望ましいことだと私は考える。

 本書に登場するカヴァリエリやアンジェリの所属したイエス会という(イエズス会に潰されてしまったらしい)修道会は今まで全くと言って良いほど知られていなかった。日本で出版されている人名辞典や数学史書にはカヴァリエリがイエズス会士であったと間違って記されている位なのだが、それもイエズス(Jesuit)会とイエス(Jesuat)会では一字しか異ならず、しかも一方は対抗宗教改革の中心勢力であった大修道会であり、もう一方は歴史のかなたに消え去った小勢力だったのだからやむを得ないだろう。しかし本書をきっかけにして、英語版ウィキペディアを含めて、本書を引用したイエス会についての記事が結構見られるようになってきた。それだけ本書が世界的に読まれ、インパクトを与えているという証拠であろう。

 なお、著者Alexanderは「アレグザンダー」の「アレクサンダー」のどちらとも読み得るが、アレクサンダーの方が日本語として通用しているので、アレクサンダーということにした。また、「無限小(infinitesimal)」と「不可分者(indivisible)」では微妙に意味が異なるが、 アレクサンダーはあまり厳密な使い分けをしていないので、本書でもあまり神経質にならず、原文を踏襲した。