Webでの自由と責任感(1) 炎上と実名制

アーキテクチャが使い方を規定するのは当然である。2chには2chの、yahooにはyahooの、ニコニコにはニコニコのシステムによってユーザの行動はある程度無意識のうちに(時に意識的に)規定されている。それぞれ異なる空気、雰囲気のコミュニティや文化がそのシステムに基づいて醸成されている。
今回はWebの匿名について考えてみる。一口に匿名といってもいろいろな段階がある。
1,非匿名(実社会・実名mixi,一部ブログ)
2,Web人格(代替可)(はてななどのブログ、匿名mixi,コテハンアバターやオンラインゲームのキャラ、動画アップ者)
3,Web人格(代替容易)(yahooやmsnメルアド、掲示板で便宜的に使われるハンドルなど)
4,Web人格(変動)(2ch名無しさん、ニコニコ動画のコメント)
5,準匿名 (コメントするときユーザを固定したものとして使わず、その場限りで言って終わるような形。言い捨てや荒らし、コメント欄の匿名など、残るのはアクセスログだけ)
6,完全匿名(プロキシなどを介し、リンク元などの情報すら隠すタイプ。元ユーザをたどることは不可能)
(下へ行くほど匿名性が強くなっています)
まぁ、いろいろいるわけです。一口に匿名といっても、微妙にニュアンスが違う。今回はこういった場合分けをしてみましたが、違うやり方もあるでしょう。
Webの負の側面として挙げられる一つのパターンが、不特定多数の準匿名が非匿名(の個人や企業)を攻撃する炎上や祭りである。最近もいろいろやってますね。何回かエントリでも取り上げましたが。
匿名性と発言の数はトレードオフの関係にあると思う。実証はしていないが予測。2chやニコニコを実名にすればわかることだろう(できないが)。発言をしている人の向こう、アクセスの向こうには人が確かにいるわけですよ。その人がどれくらい見えてくるか。
炎上はなんというか、Webという空間のどこかを攻撃する棒だけ「自分の場所」から出して、棒がギリギリ通るような穴だけあけて、それでみんなが棒だけ出して対象をつついているイメージ。棒をかわしたりたたき折ることはできても、棒をつつく力のもととなっている相手の姿を見ることができない。炎上は、無数の棒につつかれながらWebという世界に絶望する対象、というイメージがあります。ネット実名制の話を何回か見たことがありますが、その背景にはこういう「一方的に攻撃するずるい不特定多数」というイメージをもっているからだと思う。そんなのは卑怯だと。実名で堂々としゃべれやと。そういう論理です。素朴に思うことは、実名制にしてほしいということは、実名制になると、コメントで罵倒などをされたら、その人の個人をたたきに反撃に出るのだろうか。出るんだろうな。または出るぞと言って圧力をかけるという感じか。
そういうWeb社会にこれからなる可能性はあるだろう。しかしそれは実社会と何も変わらないのではないか。人間関係に気を使い、言いたいことも飲み込む世界に。Webでそういったシステムを踏襲する必然性はない。
匿名やWeb上の人格としての活動であっても、うまくいっている部分は多い。うまくいっていない部分がクローズアップされるだけだ。マスコミや社会は、うまくいっていない部分に常に注目するから。正常、日常は記事にならない。
結局、あれは正義なのか、悪なのか。火種はだいたい作者の、読者がそれを見てどう思うかの想像力の欠如から発端となり、見た人が興味本位や不快感から2chなどに晒し、それから大勢の人がコメントやその他の手段を使って叩く。対象は「絶対悪」であり、手段を選ばず叩くべき対象として認定されている。なんか国家や巨大企業に復讐する人のようだ。復讐と言えば藤木直人主演の「喪服のランデブー」が印象に残っているなぁ。あれは良かった。
話がそれた。Webでは手がかりが少ないがゆえに、いろいろな方向から情報を集めて特定していく。ここで本来の実社会でのやり合いとの相違点として、不特定多数の第三者がからんでいるということですね。彼らは利害関係はない。しかしそういったコメント行動や炎上に加担する。正義感か、怒りか、興味本位か、真意の所は分からないが。
このとき準匿名にはリスクが基本ない。いわゆる「ずっと俺のターン!!!」状態です。人の本性として、他人を貶め、嘲笑う心(そして自分の安全さを確認し満足する)や他人をひっぱって上に行きたい気持ちを多かれ少なかれもっています(私だけだったら凹みます)。それを実社会で明示的に出すと評価が下がり、だれも相手にしなくなるのでその感情をあまり出さないだけです。Webではリスクがないがゆえに欲望だけが表出する。それが多数となり、一所に向かって暴走する。そういう現象なのかと私は思っています。
やられる方からしたら苦々しい。早くなんとかしろ総務省、というところでしょうか。一方やる方はこのままであってほしいと思うでしょう。両方の立場があるので今後どうなるかは不透明ではある。
逆に考えると、やっと個人レベルでもそういった企業すら動かす「力」を持てるようになったと見ることもできる。世は弱肉強食、弱者が何を言っても相手にされない時代から、一人のクレームが企業を動かしかねない状態にまでの影響力をもったのはWebの力です。Webという現在のアーキテクチャがそのような状態を生んだといえる。それを是とするか、非とするかはまさに時代が決めることでしょう。
この話は長くなるのでまた次回。結局分類した意味があんまりない・・・w次回以降で使います。
 ここはWebなので、Webに肯定的な考え方の人が多いでしょう。最近読んだ否定的な内容の本としては、毎日の「ネット君臨」ですか。Webの匿名性を否定的にとらえた内容です。ひろゆき氏のインタビューもあります。マスコミ思考乙な部分もありますが、世の中にはいろんな考え方と立場の人がいることも覚えておく必要はある。

次は準匿名についてでも書きます。いつになるかは不明ですが。書く順序が逆だな。

















ネット君臨

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