インターネットは生きる価値を与えてくれることもある

最近、ネット規制の話やネガティブコメントなど、インターネットの負の側面の話題がさかんなようです。
インターネットの原点って何だろうと素朴に考えてみたとき、やっぱりそこに、楽しさがあるから人は集まるんだと思います。法的問題や未成年への悪影響といったものは、世界が大きくなりすぎたが故の弊害とはいえるでしょう、でも原点は、決してそういうことを考えたかったわけではない。
インターネットは確かに悪い部分もある、しかしそれは日常生きている世界も同じことで、誰かが自分の楽しさや生きがい、成功を保証してくれるわけではない。自分で切り開いて、自分で居場所を作っていく必要がある。つらくても、誰かが助けてくれるわけではない。所詮は他人である。家族であっても、自分を完全にわかってくれているわけではない。
何か、ぬくもりがほしいと思ったということはある。端的にいって私がWebのコミュニケーションツールを使っているのも、やはり、反応が欲しいから。コメント乞食乙と思われるかもしれないが、本音はそうだ。予期しないうれしさ、という意味で、寒いなーと思っているときに後ろから誰かがふっとマフラーをかけてくれたような、そんなささやかな満足感を感じる。
インターネットが今日ここまで発展したのは、人がいかに人とつながりを暗に求めているか、また、表現したさを抑えているかの裏返しでもあります。大方の人はみんなツンデレですよ、間違いない。インターネットは情報探索装置としても非常に便利だが、それよりも、日常の生活に刺激を、そしてその日を楽しく生きる価値を与えてくれる場所でもあり得るのだ。・・・人によっては。
インターネットには負の感情が渦巻いていると思えるようなコメントを見るときもあるが、一方でそれ以上に正の感情、楽しさを与えてくれるようなコメントやコンテンツがたくさんある。一度インターネットを知った人々は、もう14年前のような世界にはいられない。
インターネットがきっかけとなって起こってしまった、自殺などの事件が大きく報道されるが、インターネットがあることで希望を持ち、助けられたケースは数字に残りようがない。「インターネットがあるから、インターネットのせいで起こってしまった事件」と嘆く前に、そのものの問題の本質から解決する必要があるのではないのだろうか。インターネットはあくまで、ツールなのだから。