猫と暮らす(6)

 猫が人間のことばをわかるのかどうか、それはわからないが、ソラが覚えた人間のことばがある。それは「ニボシ」である。そう、煮干しのことだ。
 我が家では味噌汁の出汁に煮干しを使っているが、いつも頭は取っている。その頭を与えると人が変わったように、いや、猫が変わったようにソラは興奮した。
 ケージから出して遊ばせると、当然ながら再びケージに入れるときに抵抗する。そんなときは、煮干しの頭の出番である。
 鼻先に持っていってそのままケージに誘導すると、そのままなかに飛び込むのである。しまいには、「煮干し」と声に出すと自分からケージに直行するようになった。健気というか、わかりやすいというか……。
 ソラは、スーパー袋やビニール袋などに異常な興味を示した。ときどき噛んで、ウ〜ウ〜うなって放さなくなることがある。そんなときも煮干しの出番である。
 正月に家族と同じ食卓で鯛の頭を与えたときは、獲物をすばやくくわえると電光石火のごとくケージに逃げ込んだ。
 ぼくたちは、いつのまにか家族の一員となってしまったソラと暮らす新しい年に、何の疑問も持っていなかった。体重は順調に増え、片眼でも何ら支障はなかった。
 状況が一変したのは、1月16日だったーー。
 珍しく昼ごはんを食べ残したソラは、午後ケージのなかで横たわっていた。いつもならそばを人が通たびに、出してくれ〜、とばかりにケージに体をこすりつけながら媚びた鳴き声を出すのだが、その日はちがっていた。
 気になってケージから出してやると、喜んでそのあたりを動きまわったが、いつものような覇気がなかった。
 そのときはまだ深刻に考えていなかったのでそのままにしていたが、夕方になると動くのもおっくうそうで、膝に乗せると黙って丸くなっていた。そういうのは、明らかにソラではなかった。
 風船がしぼんでいくように、見た目にもソラはみるみる弱っていった。絶対おかしいと思ったので、家人がかかりつけ医に運んだ。
 獣医の見立てでは「血友病」の疑いはあるが、はっきりしたことはわからない、ということだった。注射をされて帰ってきたが、一向によくならなかった。
 翌朝(17日)まで少しでも回復することを願っていたが、容体は変わらず、むしろ悪化しているようにも見えた。
 家人に託して、ぼくは仕事に出かけた。午後急いで帰宅すると、ソラはケージから出されて座布団の上に横たわっていた。すでに動くことができず、目にはまだ光が宿っていたが、呼吸は浅かった。
 夜の日本語クラスの仕事があったので、ぼくは夕方後ろ髪を引かれる思いで出かけた。しかし、授業が終わってその帰り道、ぼくの携帯にメールが入った。
 ソラが死んだことを直感した。……駆けつけてきていた娘からの知らせだった。
 ーーあまりにもあっけない展開に呆然とした。
 たかが猫かもしれないが、家族と化した多少なりとも感情を持った動物の死はやはりこたえた。
 ソラはあれが命の限界だったのかもしれない。誕生期の過酷な生活や病原菌の汚染、体力がつかないままでの度重なる目の手術、片眼というハンディ……。
 うちに来て精一杯生き、7ヶ月で燃焼してしまった。たくさんの好事を家族にもたらし、役目が終わったと思ったのかさっさと逝ってしまった。
 なかなかカッコイイではないか。そんなにカッコつけなくてもよかったのに、と今は思う。(/_;)