Hatena::ブログ(Diary)

性とナンパについて渋谷で考えた RSSフィード

2011-03-22

「からだ」と「ことば」のレッスンーー秀逸すぎるナンパの教科書

今日は偶然書店で見かけたある本がナンパ師のために書かれたものとしか思えなかったので中身を少し紹介したいと思う。新書だけどクオリティー高すぎて驚いた。

著者の竹内敏晴さんは演劇方面で活躍された方で、主に演出家や俳優にむけて本書は書かれているので、それをナンパの教科書として紹介するのは少し気がひけるんだけど、「演技」と「ナンパ」は、こと身体の使い方という点に関しては重なるところが非常に多いと思う。ナンパも演劇と同じく自身の身体を使ったパフォーマンスだからだ。著者はおそらく人間の「からだ」というモノに対して相当な緻密な理論を持っているのだろうと思うけど、本書では理屈っぽいことはあまり書かれておらず、かわりに著者が定期的に催していた演劇のワークショップ(竹内レッスンという)の様子が詳しく書き綴られている。講師である著者と生徒たちとのやりとりの様子が、時には写真付きで、ほぼ全章を通じて克明に描かれていて、嫌でも想像力を掻き立てられる。全ての章が例外なくナンパに応用可能であるということに本当に驚いたので、いくつか例をとりあげて見てみよう。


話しかけのレッスン

話しかけのレッスンは全ての竹内レッスンの基礎になるレッスンだ。概要は以下のとおり。

四〜五人が床に坐り、めいめいの好きな方向を向いていると、二〜三メートル離れたところから、別の一人が、そのうちの一人に短いことばで話しかける、という形をとることが多い。

「話しかけられた!」と感じた人は手をあげる。

注意を集中して聞いてみると、「話しかけてくれた!」と感じたとたん後ろをふりむくとか、手をあげるといったことは、まずめったにおこらない。そのことにまずみんなあっけにとられるようだ。話しかけ手にしてみると「そんなバカなことが!ワタシハあの人に話したのに。あの人は耳がワルイのか。それともドンカンなのか?」と思うし、聞き手にしてみると、自分にカンケイない、ということをまざまざと感じた体験が初めてなので、とまどってしまっているのだ。

要するに、聞き手は話し手が誰に話しかけているのかわからない状況にある。率直な感想としては、「ふぅ、これはなんというナンパのレッスンですか?」という感じ。ナンパはそもそも女の子に話しかけないと成立しないのだけど、その一番最初の関門を上手にクリアするための大きなヒントがここには書かれている。

著者は竹内レッスンの基礎は声とことばがどんなふうにからだに触れてくるかに気づくことにあるとしており、話しかけのレッスンでは、聞き手としてそのことに気づくことに主眼をおいている。ナンパ風に解釈してみると、声かけがうまくいかない理由の多くは女の子に声がきちんと届いていないからだ。「きちんと」っていうのはかなり抽象的な表現だけど、きちんと届いた声で話しかけると、無視されることはあまりなくなる。されることはあっても意図的に無視されるようになる。相手が無視しようと必死になっている様子が伝わってくる。きちんと声が届くというのはなにかしらの影響を相手に与えているということだ。ナンパ師は竹内レッスンでいうところの話し手にあたるわけだけど、聞き手として訓練を積むことによっても「声の届き方」を実感し、それを話し手として活かすことができるようになるだろう。


「並ぶ」レッスン

並ぶレッスンとは、二人一組になって、二人で少し近づいたり遠ざかったりしてどんな感じか探ってみながら、自分が落ち着いたり安心したりできる位置や姿勢を見つけるレッスンだ。

二人ずつ組になって立ってるけど、なにかひどく似ていると思いませんか?肩と肩の間が二十センチくらいあいて、全く同じ方向に向いて、お互いは見合うことがない。まるで電信柱を二本並べたみたいだ。中には違う人もいますね。肩を組んでいる女の人同士もいるし、あそこでは男と女が手を取り合っている。後ろ向きになって背中合わせになっているのもある。

相手の肩より後ろに身を置かないと安心できない人がある。そうされたら落ちつかないから、どうしても相手を視野のうちにいれておきたくなる人もあれば、自分が一歩前へ出ている感じのほうがいい、という人もある。正面から向き合わないと安心出来ない人、それだけは絶対嫌だという人。相手の右側に立つほうが気が休まる人、反対の人。背中合わせになるとほっとする人、そうなると怖くてたまらない人、などなど。

これもナンパのためのレッスンとしか思えない。声かけの時、女の子はナンパ師の立つ位置や距離というものを非常に気にするから。いきなり近すぎる距離で声をかけたり、真正面に立って進路を塞ぐように声をかけたり、そういう距離感や位置感を掴めない失敗がナンパ初心者には非常に多い。誰にでも居心地のいい距離感というものが存在することは肝に命じておこう。このレッスンにおいては、自分の安心する距離感を実感することで相手の安心する距離感に想像をめぐらせることに非常に役立つのではないかと思う。


「触れる」レッスン

こわごわとひとりが相手の肩に手をおく。触られるとくすぐったがってみをよじって笑い出す人もある。妙な顔になってふっと静かになる人もある。

そこで触られている人に、どう感じます?と尋ねると、「感じるって……」と、困惑した顔をするのが大部分である。ついで、「なんにも、別に……」という答えが返ってくることも多い。「さわられています」という返事には吹き出してしまった。それをあなたはどう感じます?と押し返してきくと、初めてあなたの顔をちらちらと見て少し考える。「どうも相手の人は、何か私に遠慮してるみたい」とか、「無理に元気よくしているよう」とか、つぶやく。

触れるレッスンとは、外界、特に他者と触れ合う時の感覚が鋭く深くなるのに気づくことを主眼としたレッスンだ。人はだれかに物理的に触られると、居心地良く感じたり、逆に落ち着かなく感じたりすることがある。自分が触られたときの他者の輪郭を確かめ、「心地いい感じ」や「心地悪い感じ」を意識すること、それから他者の感じるであろう「心地良い/悪い感じ」に思いを巡らせること。本書ではこれらをじゅうぶんに実感し、またなぜそのように感じられるのかを考察した後、次のステップである「押す」レッスンに移行する。

ナンパのプロセスは女の子の「からだ」に近づいていくプロセスだということもできる。その途中には彼女の皮膚に触れる瞬間が必ずある。そのフェイズを円滑に自然に進めるためには「触れる」レッスンは必要不可欠だ。いきなり手を握ったりキスしたりすることの愚から避けることができるようになるだろう。


著者はからだと言葉の専門家

今回のエントリーは本書の一部分だけをかすめとったものでしかないし、さらに言うと本書は著者の主催する膨大な過去のレッスンの内容の一部をかすめとったものでしかない。著者は長期にわたるレッスンを通じて、人間のからだに関する膨大な記録を手に入れたのだろう。その記録から導かれた知見は信頼に値するものだ。自分はこれを機に本書以外の著書である『ことばが劈(ひら)かれるとき』も読んでみたが、その時に著者は「からだ」に関する確固とした哲学を持っていることを確信した。自分はこのエントリーにおいてこれらの哲学的洞察は取り上げていない。「からだ」に関する哲学を言葉で語ろうとすると、たくさんの新しい概念が既存の言葉や新しく定義された言葉でもって振り回され、それらは慎重に扱わないと言単なる言葉遊びや遊戯的なモノになってしまう危険性をはらんでいるので、自分の手には負えないと感じたから。もちろん著者のそういう哲学的考察は一読どころか何度も読むに値する。けれど、本当は自分や他人の「からだ」は言葉を介して考察しなくても感じることができるものだ。それでは満足できず、より深い考察に触れてみたい方は以下を読んでみましょう。文庫本なので比較的サクサク読めます。系譜的にはメルロポンティという哲学者に大きな影響を受けているらしいです。

ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)
竹内 敏晴
筑摩書房
売り上げランキング: 44398


さて、ナンパへの応用というものを考えたとき、「話しかける」レッスン、「並ぶ」レッスン、「触れる」レッスンに共通しているのは、違和感を持たれずいかに女の子に自然に近づいていけるかを達成するためのものだということだ。原則を言うなら、ナンパ師は女の子との物理的距離を心理的距離と比例して少しずつ縮めていかなければならない。そのための技術を磨く手段として、竹内レッスンは最適であると自分は確信している。

ちなみに今回は紹介しきれなかったけど、第三章に書かれている「緊張」と「身構え」のレッスンはセックスの技術を高めるのに相当役立つものになっているし、最終章の「出会い」のレッスンは、ナンパの集大成という内容と言っても過言ではない。興味のある方は是非手にとって一読することをお勧めします。ナンパ師は必読。本当に。


関連エントリー

・あなたの口説きの技術をはかる一つの質問

・ナンパにおいて女の子を分類する際にかなり有効な5つの視点

上のリンクは俺のtwitterアカウントです。よかったらフォローしてみてください。

人気ブログランキングへ