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性とナンパについて渋谷で考えた RSSフィード

2017-01-24

プロゲーマー梅原大吾氏の語りを聴いて

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ネットで話題になっていた日本人初のプロゲーマーという肩書をもつ梅原大吾氏の講演を拝聴した。感情の見えづらい瞳、陰鬱な雰囲気を全身に湛えた、まぎれもないカリスマであった。ぼくは格闘ゲームのことは何一つ知らない。ゲームセンターのガヤガヤした雰囲気があまり好きではないので、学生の頃は極力近づかないようにしていた。もちろん彼のことも知らなかった。話し始めた瞬間すぐに彼に惹きつけられているのに気付いた。視聴してるとすぐにわかることだが、彼は別によく訓練されたトークスキルをもっているわけではない。むしろ固有のゆったりしたリズムで滔々と話し続け、興奮すると一人称がもごっちゃになったりするような人だ。それでもなぜか聴いてしまう。語り口の底に流れるアイデアがとてもはっきりしているし、そのうえ難解な言葉は一切使わない。前半は一人語り、後半は質疑応答という構成。全部で2時間近い内容だったが蓋を開けてみると一瞬の出来事だった。


梅原氏はひとつのマイナーな分野における卓越したプレイヤーだけど、その分野内で成功していくためのノウハウ案の定こういう場では語られていない。彼はもっと別の分野の様々な人たちに向かって語りかけている。ぼくの以下のブログエントリーでいうところの「学び」の第3段階について語っているのである。

第3段階の様相は多種多様である。いわゆる意識が高い人というのは第3段階の役割を担いたがる。そして皆が好き勝手になにかしらの新しい視点や枠組みを打ち出して「こういう○○系はイケてない」とか「これからのグローバルな恋愛戦略とは」みたいな大きな風呂敷を広げた講演なんかを(わりと廉価で)やったりする。たとえば、ハウツウ思考に侵された人たちを啓蒙するような活動がある。宮台さんもナンパのプロセスを前半部分と後半部分に分けたりして、前半は異性を獲得するハウツウを学ぶプロセス、後半は異性との関係を継続するプロセスというふうに位置付けていた。そして彼の興味は後半部にあった。ちなみにこの第3段階の役割を実際に担えるのは例外なくエライ人、つまり社会的に広く承認された人たちである。これは考えてみれば当然の話で、誰からも認知されていない人がこんな大風呂敷を広げたところで誰からも相手にされないからである。

第3段階の啓蒙活動はいかにして下々の人を説得するかのゲームのようなもので、その戦いは熾烈を極めている。力も知恵もない人たちがエライ人たちの言説をありがたがって拝聴する。啓蒙家はなぜか現状に困っている人々に新しい視点を与えたがる。力強い言葉でもって、「こうすれば世界が広がるよ」とうそぶく。しかし実際には毛ほどの変革ももたらせないことがほとんどだ。むべなるかな、その前の第2段階のプロセスでギチギチに詰まっているからである。

絶望的に学べない人の3つのタイプ - 性とナンパについて渋谷で考えた

第3段階というのは「世の中との関わり方」についての学びである。彼は今現在もまだそのことについて学んでいる最中なのだろう。時間に余裕がない人は1時間8分40秒のあたりからだけでも視聴してみてほしい。彼には格闘ゲームの天分の才能があって鬼のように勝ちまくったかもしれないが、彼がここで講演をしているのは決してゲームに勝ち続けたからではない。そうではなくて、彼がスポンサー会社から認められて、給料をもらって、プロゲーマーとして社会の中で確固としたポジションを獲得したからである。彼は「ゲームプレイヤー」という辺境の分野から、自らの力によって抜け出し、世の中においてポジションを与えられた。企業は彼をただチャンピョンとして扱うだけでなく、もっと広範な価値があると判断してスポンサーをした。これこそが講演に値することなのだ。そして彼はこの講演の中で、<その与えられたポジションをまっとうしようとする自分>と<本来のゲームが好きで好きで仕方ない子供のころの自分>とのおりなす葛藤のようなものについてずっと語っている。そして現在のひとまずの決心についても。


ぼくは彼と比べると、才能や環境、動機等も含めて様々な面でまるで異なっているが、辺境に位置しているという点では共通している。彼もぼくもこの社会の決してマジョリティではない、それらの周辺に浮遊しているような人間である。周辺にいる人間には社会のマジョリティのことが全然よくわからない。最近友人のサウザーさんがブログで、日本の会社の内情なんかを切れ味鋭く分析しているが、いずれもぼくにはピンとこないものばかりである。周辺にいると気になるのはやはり同じく周辺にいる人たちのことであるし、そのマイナー分野で卓越して確固としたポジションを築きあげていった人たちに自然と興味をもつ。ナンパの世界ではどれだけ成果を上げようとも世の中から認められた例は一度もない。というのも「異性を獲得するという技術」は結局「たくましさ」や「狡猾さ」の獲得に他ならない。つまり初心者のうちは「必要最低限もっておかないと生活がはかどらない」という類の対人技術であり、中級になってからは「力強く自分の利益を獲得しながら世の中を渡っていくのに役に立つ」換言すると「その場その場で現状を丸く収めながら渡っていく」類の技術にすぎないからだ。そのような技術はどれだけ卓越したとしても、「あの人はたくましい人ねえ」という羨望や嫉妬混じりの評価こそ得られども、「あの人には価値があるね」という風にはみなされない。ナンパの道の先には「逞しいアノニマス」以上の人材は見出されえず、道化のような振る舞いを期待されて注目集めに利用されるのが関の山。どこまで言っても無名の存在だ。価値があるとみなされるのは、クラスタの外で存在を見出されたときだけである。


梅原氏に憧れたキッズたちが、これから目を輝かせながら専業のプロゲーマーを目指していくに違いない。彼らにはまずまわりを一切気にせずゲームの腕を只ガムシャラに磨いていく日々が待っているだろう。その中で一体どれだけが生き残り、どれだけが敗れ去っていくのだろうか。個人的には大半の人たちの未来は暗いだろうなと思ってしまうが、それはぼくの心のうちにある暗さが反映されただけなのかもしれない。世の中がそういうものだというふうにもし受け止められたなら、それは暗いものではなくなるのだろうか。質疑応答の時間に、梅原氏は「まだなんの具体性もないが、」という前置きをしたうえで、「そういったゲームプレイヤーたちが不安を軽減させながら生き残れるような環境づくりに興味がある」というようなことを言っていた。彼は自ら先陣を切ってひとつの産業をつくり出して、そして今それを大切に育てようとしている。それだけですでに偉大である。眩しい。ぼくも目の前のことを一個一個やっていこうと思った。

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