私日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-05-16

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5月16日 水曜日 晴れのちくもり


お昼休みに『砂の女』を読んだ。

ちょうど情事のところ。

「指」や「帽子」の暗喩に、なんか笑けてきた。

安部公房戦後文学だったと思うのだけど、こういう性に関する遠回りの暗喩は、近代文学のものかと。描写に興奮するんじゃなくて、言葉というか文字に興奮するような、文豪ごとの変態加減が垣間見れて面白いです。

四の五の御託並べて結局ヤんのかい、っていうのもあってね。


機動警察パトレイバー』2巻を途中まで。


お酒を2本注文した。土曜日日曜日に届きそうな気がする。


小学校修学旅行伊勢に行ったのだけど、道中、鳥羽水族館ジュゴンを見たのね。四半世紀ほど昔の話なのだけど、その時は2匹いた記憶があるのだけど、調べてみると、1匹はもう亡くなっていて、今は1体だけみたい。見れなくなっちゃうかもしれないから、行っておきたいなと思いました。日帰りはきついと思うので、折を見て泊まりがけで。

2018-05-15

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5月15日 火曜日 晴れ


長年放置していた『機動警察パトレイバー』(文庫)の1巻を読んだ。

むかし、ブックオフの100円コーナーで文庫版の漫画を揃えることに燃えていた時期がありまして、『横山光輝三国志』全30巻とか、『帯をギュッとね』や、萩尾望都作品を集めてました。『ジョジョの奇妙な冒険』や『じゃじゃ馬グルーミンUP』はセールの時にまとめて買った覚えがあります。


夜、wikipedia安部公房の項目を読んでいたら、埴谷雄高見出してもらったとか、長女の名前宮沢賢治『グスコーブドリの日記』の登場人物ネリから取られたとか、主宰劇団看板女優愛人関係にあっただとか、その女優大島真寿美原作ビターシュガー』のドラマ版に出演していたとか、カーマニアで、カメラマニアで、ワープロ執筆したり、最初期のシンセサイザーユーザーだったり、話題に事欠かない文字通りの文豪だったのだなと思いました。読書会までに『壁』は抑えたいところだけど、『砂の女』がまだ途中。

2018-05-14

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5月14日 月曜日 晴れ


たなくじで、聞くは一時の恥、聞かぬは凶、を引いてしまったので、思う存分聴いていきたいと思う。女性に年齢聞いたりしてもいいんですよね、上司阿呆なことしてたら、「それ本気ですか?」って聞いていいんよね、うわーなんかいいの引いちゃったなー。


お昼すぎから頭が痛くなるわ、悪寒がするわ、しんどかったので、帰宅後、体温を計ったら35度8分だった。道理寒いわけだ。

2018-05-13

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5月13日 日曜日 雨


昨晩の深酒のせいでお昼近くまで起きれず。

部屋にあったツタヤで借りてきたDVDの返却期限はいつだろうと確認したら昨日だった。どうせ延滞料金が発生しているのだからと全て観る。

観終わる頃には雨も小康状態になっているだろうと思ったら、そんなことなかった。

母の日ということでピザをせがまれた。

ピザなのでビールを飲んだ。350ml1本でしあわせな気持ちになった。


夜、『ψの悲劇』読み終えた。

昼間観たDVDが『攻殻機動隊ARISE』だったので、関連付けてみたい気もするけど、牽強付会になっちゃうのは目に見えてるのでやめとく。

2018-05-12

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5月12日 土曜日 晴れ


仕事をした。

飲みすぎて2度吐いた。

2018-05-11

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月曜火曜水曜とお酒を飲まず昨晩ひさしぶりに飲んでみたら、今朝は怠くて仕事めんどいモードでした。めんどいと思いながら出社して普通に仕事こなして夕方おうちに帰るの、社会歯車だわー、まじ社会歯車だわー、油切れてないかなー、ギシギシゆうてるわ、歯ぁ欠けてるわ、いつまで回ってられるかなー、ほんまなー。


休み森博嗣『ψの悲劇』を少し読んだ。

シリーズのコンセプトに今さら気づいた気がした。

読み終わったらシリーズ読み返してみたい。

その前に、『砂の女』読みきらないと。たぶん再読しないといけないから。

2017-10-05

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ユーカリの毒のせいで日がな一日解毒に励むコアラは、日本酒飲んでぼんやり仕事している自分に重なるなぁと思いました。ここ3日ほど体調が悪いのと仕事バタバタしていたので、日本酒を飲まなかったのだけど、頭が冴えて、よく回るものから、せからしくてしんどかったです。飲まない方がパフォーマンスは高いんだなぁと今さらながら思いました。


こども時代母親に虫眼鏡のみを与えたられた少女は、身近にあるものを虫眼鏡を使って観察することに取り憑かれた幼年期を過ごす。高校生となった彼女は自らの進路に悩む。ひょんなことから幼年期、不思議な草を見つけた記憶が思い返される。彼女はその草の正体を暴くべく訪れた大学研究室不思議な草と再会を果たす。その研究室では不思議な草に『ルラムーン草』と名付け研究されていた。彼女はより明確に過去出来事を思い出していく。


『草』『窓』『ゆがんだ子ども時代』でテーマは『童話

『草』はそのままマクガフィン物語きっかけとしました。

『窓』は高校生から見た大学暗喩としました。

『ゆがんだ子ども時代』は『虫眼鏡のみを与えられた』他者から隔離されら特殊環境としました。

童話』は少女時代記憶曖昧さとフィクションを盛り込めば、それっぽくなるのではないかと考えました。


過去とか記憶が好きみたいです。

2017-10-04 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

「生酛・山廃酛の現代における今後について、あなたの考えを解説してください」


生酛づくり、山廃酛づくりの利点は、空気中の乳酸菌を利用し、長時間かけて酒母を拵えるところにある。

そうすることで、香りに頼らない、しっかりした酒質の日本酒に仕上げることができる。

昨今は日本酒に食中酒であることが求められているように感じる。

香りを強く出す酵母で醸された日本酒では、その香り料理の味を邪魔してしまうからだ。

香りを抑え、酒本来の味を楽しみながら、料理の味を引き立て、次の料理の前に口を洗う。

これら食中酒の目的に合っているのは速醸酛より、生酛・山廃酛であるように思う。

ただし、生酛・山廃酛では酒母を育てるため長時間温度を調整する必要があり、山廃酛においては特殊技術必要になる。速醸酛に比べ、時間がかかるため生産量を増やせないデメリットもある。

今後は、元来の生酛・山廃酛より高いレベルの生酛・山廃酛で醸される日本酒は増えるように思う。


個人的に生酛や山廃は苦手です。飲み込んだあとの乳酸菌のもやっとした感じ(乳酸菌飲料のあと口)が苦手なのです。とはいえ、味がしっかりしているというか、どっしりしているというか、複雑なものになっているので、面白いです。飲む温度を変えてみると、違った一面を見せてくれるのも生酛・山廃の特徴だと思います。上にも書いたけど、酒造りに時間のかかる生酛・山廃を選択できない酒蔵も多いと思う。速醸か生酛かの二者択一ではなく、多様性ということで、いいんじゃないかと思います。でも、生酛や山廃や他にも熟成ブレンドを突き詰めていくと、消費者からは離れていくんだろうなという気もします。日本酒入り口覗いている人には、ワインのような酸味があって、カプカプしていて、しゅわしゅわしているものが、分かりやすいと思うしなぁ。)

2017-10-03 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 窓にかじりついて草を生やすことに喜びを感じるこどもがおりました。

 こどものお母さんとお父さんは、そんなこどもを心配し、電波が遊びに来れないように家を改築することにしました。電波が遊びに来なくなったことで、こどもは窓の外を眺めることができなくなりました。草を生やせなくなったこどもは両親に怒りました。

「草が生えない!」

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「草」「窓」と「ゆがんだ子ども時代」の三題噺で、ジャンルは「童話

2017-09-29 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

学校からの帰り道、夕日に照らされる川面を見るとはなしに見ていたら、小学生の頃に川遊びをした記憶が蘇った。河原でぱしゃぱしゃじゃぶじゃぶといったものではなく、高い岩場から飛び込んだり、魚を手づかみで捕まえたりした。疲れたら、水面に浮かび数十メートル流されたりもした。今思えば、夕方ニュースにも登場せず、無事生還できたものだと思う。あの頃は溺れるなんて考えもしなかったし、死ぬなんてこれっぽっちも思っていなかった。確か母方の実家自然の多く残る、というか、お金に目端の効く人たちから見向きもされない土地で、山と川はあったけど、それ以外何もない、少なくとも私には良いところを見つけられないところだった。川遊びは母方の実家夏休み帰省した際の記憶なのだと思う。何事も面倒くさがる私が、誰の導きのもと、そういった遊びに興じるに至ったかは思い出せないのだけど、岩場から川面に至る一瞬の記憶は忘れていたとは思えないほど鮮明に蘇るし、川の冷たさを爽快に感じた記憶もある。はて、私を川遊びへと導いたのは誰だったのだろうか。ぼんやりしていたくせに、両足はきちんと自宅へ向けて歩いていたようでだ(歩いていたのは私なのだけど)。家に着くなり、母に先ほどのことを話した。母は私の記憶とは異なるところで、そのことを覚えていた。母の記憶では、午前中は夏休みの宿題を課し外出を許さなかった。お昼ごはんを食べ、昼からはお隣に住む同い年のヒデちゃんと一緒なら遊びに行くことを許した。ヒデちゃんはしっかり者だったので夕方チャイムが鳴るまでにはあなたを連れて帰ってきてくれていたと言う。ということは、私を川遊びに誘ってくれたのは、そのヒデちゃんということになる。しかしながら、私の中にヒデちゃん記憶はない。思い出せない。ヒデちゃんサッカーが上手そうだ。ギターも上手そうだ。自然相手に遊ぶ感じはしないし、帰宅時間をきちんと守ってくれるようにも思えない。主観。手がかりを求めて、アルバムを引っ張り出した。当時、カメラは父の持ち物で触らせてもらった記憶はないし、ヒデちゃん写真を撮ってもらった記憶もないのだけど、私の記憶はザルだと言わざるを得ない。父よ、撮っていってくれ。願いが通じたのか、写真は見つかった。私が神に愛されていなければこの写真はなかったかもしれない。もしくは、私が長子でなかったら、この写真はなかったのかもしれない。後者が優勢。写真ヒデちゃんは日によく焼けた活発そうな子だった。一方の私は、色白で目つきが悪く、太陽のもとへ引っ張り出してもすぐに倒れてしまいそうだった。それよりも土蔵に放り込んでおけば紙魚の這う古い本を暗がりであれなんであれ夢中に読んでそうな子だった。母の記憶ねつ造で、私はヒデちゃんいじめられていたのではないだろうか。だから今まで記憶封印していたという可能性はないだろうか。母の実家には何度か訪れているのだけど、ヒデちゃんとの記憶は今のところない。ヒデちゃん地元の子なのかと思い込んでいたけど、母の実家のお隣さんの親戚のこどもで、たまたまあの夏のあいだだけ遊びに来ていたのかもしれない。しかしながら、母はヒデちゃんのことを以前から知っているような口ぶりだった。そうでなければ、自分大事なこどもをたまたま隣の家にいた子に任せたりはしないだろう。先月、祖母入院した。驚いて電話をかけたけど、返ってきた声はいつもの祖母の声だった。点滴と検査ですぐに退院したのであまり心配する必要はないのかもしれないけれど、一度顔を見ておきたい。祖母のためというより自分のために。それを口実にヒデちゃんの正体を探るのも悪くない気がした。夏は近い。テストも近い。


(「川」と「少年」と「最後目的」の三題噺

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