私日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-10-05

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ユーカリの毒のせいで日がな一日解毒に励むコアラは、日本酒飲んでぼんやり仕事している自分に重なるなぁと思いました。ここ3日ほど体調が悪いのと仕事バタバタしていたので、日本酒を飲まなかったのだけど、頭が冴えて、よく回るものから、せからしくてしんどかったです。飲まない方がパフォーマンスは高いんだなぁと今さらながら思いました。


こども時代母親に虫眼鏡のみを与えたられた少女は、身近にあるものを虫眼鏡を使って観察することに取り憑かれた幼年期を過ごす。高校生となった彼女は自らの進路に悩む。ひょんなことから幼年期、不思議な草を見つけた記憶が思い返される。彼女はその草の正体を暴くべく訪れた大学研究室不思議な草と再会を果たす。その研究室では不思議な草に『ルラムーン草』と名付け研究されていた。彼女はより明確に過去出来事を思い出していく。


『草』『窓』『ゆがんだ子ども時代』でテーマは『童話

『草』はそのままマクガフィン物語きっかけとしました。

『窓』は高校生から見た大学暗喩としました。

『ゆがんだ子ども時代』は『虫眼鏡のみを与えられた』他者から隔離されら特殊環境としました。

童話』は少女時代記憶曖昧さとフィクションを盛り込めば、それっぽくなるのではないかと考えました。


過去とか記憶が好きみたいです。

2017-10-04 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

「生酛・山廃酛の現代における今後について、あなたの考えを解説してください」


生酛づくり、山廃酛づくりの利点は、空気中の乳酸菌を利用し、長時間かけて酒母を拵えるところにある。

そうすることで、香りに頼らない、しっかりした酒質の日本酒に仕上げることができる。

昨今は日本酒に食中酒であることが求められているように感じる。

香りを強く出す酵母で醸された日本酒では、その香り料理の味を邪魔してしまうからだ。

香りを抑え、酒本来の味を楽しみながら、料理の味を引き立て、次の料理の前に口を洗う。

これら食中酒の目的に合っているのは速醸酛より、生酛・山廃酛であるように思う。

ただし、生酛・山廃酛では酒母を育てるため長時間温度を調整する必要があり、山廃酛においては特殊技術必要になる。速醸酛に比べ、時間がかかるため生産量を増やせないデメリットもある。

今後は、元来の生酛・山廃酛より高いレベルの生酛・山廃酛で醸される日本酒は増えるように思う。


個人的に生酛や山廃は苦手です。飲み込んだあとの乳酸菌のもやっとした感じ(乳酸菌飲料のあと口)が苦手なのです。とはいえ、味がしっかりしているというか、どっしりしているというか、複雑なものになっているので、面白いです。飲む温度を変えてみると、違った一面を見せてくれるのも生酛・山廃の特徴だと思います。上にも書いたけど、酒造りに時間のかかる生酛・山廃を選択できない酒蔵も多いと思う。速醸か生酛かの二者択一ではなく、多様性ということで、いいんじゃないかと思います。でも、生酛や山廃や他にも熟成ブレンドを突き詰めていくと、消費者からは離れていくんだろうなという気もします。日本酒入り口覗いている人には、ワインのような酸味があって、カプカプしていて、しゅわしゅわしているものが、分かりやすいと思うしなぁ。)

2017-10-03 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 窓にかじりついて草を生やすことに喜びを感じるこどもがおりました。

 こどものお母さんとお父さんは、そんなこどもを心配し、電波が遊びに来れないように家を改築することにしました。電波が遊びに来なくなったことで、こどもは窓の外を眺めることができなくなりました。草を生やせなくなったこどもは両親に怒りました。

「草が生えない!」

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「草」「窓」と「ゆがんだ子ども時代」の三題噺で、ジャンルは「童話

2017-09-29 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

学校からの帰り道、夕日に照らされる川面を見るとはなしに見ていたら、小学生の頃に川遊びをした記憶が蘇った。河原でぱしゃぱしゃじゃぶじゃぶといったものではなく、高い岩場から飛び込んだり、魚を手づかみで捕まえたりした。疲れたら、水面に浮かび数十メートル流されたりもした。今思えば、夕方ニュースにも登場せず、無事生還できたものだと思う。あの頃は溺れるなんて考えもしなかったし、死ぬなんてこれっぽっちも思っていなかった。確か母方の実家自然の多く残る、というか、お金に目端の効く人たちから見向きもされない土地で、山と川はあったけど、それ以外何もない、少なくとも私には良いところを見つけられないところだった。川遊びは母方の実家夏休み帰省した際の記憶なのだと思う。何事も面倒くさがる私が、誰の導きのもと、そういった遊びに興じるに至ったかは思い出せないのだけど、岩場から川面に至る一瞬の記憶は忘れていたとは思えないほど鮮明に蘇るし、川の冷たさを爽快に感じた記憶もある。はて、私を川遊びへと導いたのは誰だったのだろうか。ぼんやりしていたくせに、両足はきちんと自宅へ向けて歩いていたようでだ(歩いていたのは私なのだけど)。家に着くなり、母に先ほどのことを話した。母は私の記憶とは異なるところで、そのことを覚えていた。母の記憶では、午前中は夏休みの宿題を課し外出を許さなかった。お昼ごはんを食べ、昼からはお隣に住む同い年のヒデちゃんと一緒なら遊びに行くことを許した。ヒデちゃんはしっかり者だったので夕方チャイムが鳴るまでにはあなたを連れて帰ってきてくれていたと言う。ということは、私を川遊びに誘ってくれたのは、そのヒデちゃんということになる。しかしながら、私の中にヒデちゃん記憶はない。思い出せない。ヒデちゃんサッカーが上手そうだ。ギターも上手そうだ。自然相手に遊ぶ感じはしないし、帰宅時間をきちんと守ってくれるようにも思えない。主観。手がかりを求めて、アルバムを引っ張り出した。当時、カメラは父の持ち物で触らせてもらった記憶はないし、ヒデちゃん写真を撮ってもらった記憶もないのだけど、私の記憶はザルだと言わざるを得ない。父よ、撮っていってくれ。願いが通じたのか、写真は見つかった。私が神に愛されていなければこの写真はなかったかもしれない。もしくは、私が長子でなかったら、この写真はなかったのかもしれない。後者が優勢。写真ヒデちゃんは日によく焼けた活発そうな子だった。一方の私は、色白で目つきが悪く、太陽のもとへ引っ張り出してもすぐに倒れてしまいそうだった。それよりも土蔵に放り込んでおけば紙魚の這う古い本を暗がりであれなんであれ夢中に読んでそうな子だった。母の記憶ねつ造で、私はヒデちゃんいじめられていたのではないだろうか。だから今まで記憶封印していたという可能性はないだろうか。母の実家には何度か訪れているのだけど、ヒデちゃんとの記憶は今のところない。ヒデちゃん地元の子なのかと思い込んでいたけど、母の実家のお隣さんの親戚のこどもで、たまたまあの夏のあいだだけ遊びに来ていたのかもしれない。しかしながら、母はヒデちゃんのことを以前から知っているような口ぶりだった。そうでなければ、自分大事なこどもをたまたま隣の家にいた子に任せたりはしないだろう。先月、祖母入院した。驚いて電話をかけたけど、返ってきた声はいつもの祖母の声だった。点滴と検査ですぐに退院したのであまり心配する必要はないのかもしれないけれど、一度顔を見ておきたい。祖母のためというより自分のために。それを口実にヒデちゃんの正体を探るのも悪くない気がした。夏は近い。テストも近い。


(「川」と「少年」と「最後目的」の三題噺

2017-09-27

katakata

今月の頭にパソコンを新調したのだけど、ほとんどいじっていなかったので、日記を再開しようかと思った次第です。

とはいえ、毎日お酒をたらふく飲んでいるので、そんな状態で書いても、事実なのか想像なのか妄想なのか、はたまた単に酔っているだけなのか、わかったもんじゃないわけで、かといって、あったことをそのまま文字に起こしても、起きた、仕事に行った、帰って酒を飲んだ、寝た、で終わってしまうので、どうしたもんかとほとほと困り果てるわけですが、新しいMacBookキータッチが割とサクサクしていて楽しいので、とりあえず、触るだけでも楽しいMacBookということで、カタカタしようと思いました。カタカタしているうちに、も少し賢い文章が打てるようになっているかもしれないので、そこはおいおい。

2017-04-10

[]「猫町萩原朔太郎

猫町 他十七篇 (岩波文庫)

猫町 他十七篇 (岩波文庫)

目的地への道標として、私が唯一のたよりにしていた汽車軌道は、もはや何所にも見えなくなった。私は道をなくしたのだ。

「迷い子!」

瞑想から醒めた時に、私の心に浮かんだのは、この心細い言葉であった。私は急に不安になり、道を探そうとしてあわて出した。

そこで私はすべての印象を反対に、磁石あべこべ地位で眺め、上下四方前後左右の逆転した、第四次元の別の宇宙景色の裏側)を見たのであった。つまり通俗常識解説すれば、私はいわゆる「狐に化かされた」のであった。


危ない薬は駄目だし、迷子にならないようにあいほん貸してあげたいなと思いました。

2017-01-15

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個人的センスは磨くものだと思っている。

天性のものということになると、幼少期に形成されたものがすべてということになる気がする。

センスが良い悪いというのは、好みの問題だと思う。すこし人と違う磨き方をした結果なのかなと。

センスストックだと思う。

ある特定指向ゴールド最高とか、オーガニック最高のようなスタイル?)ではなく、人に合わせられる、時節に合わせられる、遊びの種類や、知性などの、選択できるストックが多い方が、対応しやすい。

あと、正解がないので、贈り物などに困ったら王道に逃げることができます

鉄板を用意しておけば精神的に楽です。

普段服装にしても面倒くさいなら鉄板に逃げればいいと思います

最低限、清潔であれば、わりとなんとかなりますし。

2016-10-14

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できるだけシンプル物事を考えているはずなのだけど、それを補強しようとすると、複雑になる一方で、ただ好きだということを伝えるだけでも、すごくごちゃごちゃしてしまい、違う、そうじゃない、ってなってしまうのをなんとかしたい。言葉に頼るでもなく、頼らないでもなく、多寡なく、自分気持ちを伝えられたなら、どれだけ生きやすいだろうなと、ふと思いました。実際は、言葉が足らなかったり、付け足しすぎて何を言いたいのかわからなくなったり、そんなにうまくはいかないのだけど、以心伝心でしょうか、ストレスいちばん少ないやり取り、というのに憧れます。言葉以前に、人間関係の構築あたりで取り組むべきことなのかもしれません。どうでもいい人ならそこまで真剣に取り組む必要はないのかもしれません。結局は、自分にとって大事な人とそういうやりとりができればよいと考えているので、自己中心的な考え方なのかもしれないけれど、それでも大事な人がいちばん上位であることは揺るぎないなと思うのです。


ボブ・ディランノーベル文学賞受賞を受けて、ついったーで、学校朝の読書時間に彼の詩集を読んでいたら、先生に「文学を読みなさい」と言われた、というツイートを見かけたのだけど、先生だって全方位に予防線を張った発言ばかりできるわけではないし、趣味嗜好や好き嫌いがあるのだからやり玉にあげられるのも、なんだかおかしな話だと思った。世界理解のある人間を求めすぎている。ちょっとした発言が誰かを傷つけ、多くの共感を呼んだりする社会というのが、さいきんの社会なのかもしれないけれど、他人の考えと自分の考えには分別をつけ、他人に染まりすぎない、と意識して自我を保つ方が良い気がする。知らずに染まっている人が増えているような気がする。皆、自分の考えだと思っているのかもしれない。ほんとのとこはどうだろ。あまり近づかないのが正解なのかもしれない。

2016-10-13

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自信がないです。

何事においても。

自信って何の尺度だろ。

自信があるから行動するのか。

自信がないから行動しないのか。

自信とは関係なく、行動すればいいんじゃないかなと思う。

あ。

他人を説得するために、自信がありますアピールしなくちゃいけないのか。

それは面倒だ。


仕事引き出物の包装をやっているのだけど、なかなかうまくできません。

場数が足りない。

低いスキルでもきれいにできる方法が知りたいです。

習熟度が上がるにつれ、より高度な方法をとれるようにはなっていないのよな。

体系化されていないことがほとんどだし、その中から必要ものを見極め、短期間で習得することが望ましい。こういうのって学校での勉強試験がよいプラクティスになってたのかな。

仕事を始める前に、あらかじめ必要知識技能を身につけるのは、難しい。

就職活動面接で、これこれの資格を持っています、なんてのは実際に仕事を始めるとそれほど重要なことでもなかったんだなと今さらながら思います

明日も包装がんばります

2016-10-10

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10月8日(土)

珈琲屋さんへ行って本を読んだ。

夜はお酒を呑んだ。


10月9日(日)

サイゼリヤへ行って本を読んだ。

綿矢りささんの新刊を買った。

夜はお酒を呑んだ。


10月10日(月)

家でごろごろしながら本を読んだ。

夜は血界戦線を観た。

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