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2008-10-28

[]「小説世界の奏でる音楽保坂和志

小説、世界の奏でる音楽

小説、世界の奏でる音楽


言葉が固い。こういう書き方こそ哲学なのだろうけど、批評的でもある。論理を尽くしていかにも正しいことを導き出そうとしている風にみえる。「正しいもの」に憑かれると恣意的な論理に飛びついたり、矛盾を孕んだりするように思う。保坂和志さんがそうだといっているわけではありません。ただ、考え続けていれば、恣意的な論理や矛盾を孕んだ論理が誘惑してくるんだろうなと思って。

4章あたりはすこんと飛ばしました。他もさらりと飛ばしたけど。


この点は安倍和重がじつに巧妙で、『アメリカの夜』とか『シンセミア』とか『ミステリアスセッティング』とか、いかにも意味がありそうな言葉を表題に持ってきて、書評者はだいたいそれにパクッと食いついて、作者の誘導にのって小説を読んでしまうという、"誤り"でなく、正解すぎる正解を求める読み方をするという愚を犯してしまうことになるのだが、表題なんて所詮は小説の本体の外に貼りついているシールのようなもので、そのシールを他の言葉に置き換えたところで小説本体が変わるわけではない。


(178ページ)


私は現役の小説家だ。最近小説らしい小説をひとつも書いていないがとにかく現役の小説家で、現役の小説家として他の人の書いている小説の手の内はほとんど全部わかるし、それをやろうと思えば自分にやれないとは思わない。実際にやるやらないは別にして。

ほぼすべての小説にあてはまることだが、あることをしようとするためにはしないで済ませた別のあることがある。あるいはひじょうに高い達成に向かって小説が走り出した場合には、作者がその手応えに酔ったり、達成に向かってある集中をするためにひじょうにありふれた文学的な方法を避けがたくつい使ってしまったりしているのもわかる。もちろんこれから起こる事件をにおわせて、読者の興味を煽る書き方なんか簡単にわかる(これがまた避けがたいほど多いのだ)。

私は正直者だからこんなことを書いてしまうが、他の人たちだってたいていみんなそういう風なことは考えているわけで、「こういうことは自分にはできない」と本当に感じたときに脱帽する。


(244ページ)

kazukankazukan 2008/10/31 02:40 保坂和志はここ最近、小説家というよりは「小説」小説家になっている気がします。「小説」に取りつかれているのは間違いない。
僕は保坂和志小説は大好きですが、保坂和志哲学は面白くないと思っています。

quaint1719quaint1719 2008/10/31 20:52 おっしゃるとおりだと思います。小説家というより読書家ですね。保坂和志哲学なら「小説の自由」が比較的読みやすかったです。レーモン・ルーセル「アフリカの印象」はこの本で知ったのですが、出合えてよかったです。
私も保坂和志哲学は面白いとは思えませんが、「小説」の読み方は面白いと思っています。本書で取り上げられている小説では、柴崎友香「主題歌」と青木淳悟「いい子は家で」を読んでいましたが、そういう風な読み方もできるのだなと驚きました。「小説」に取り憑かれているなと思ったのも、この2作の読み方を、私の読み方を比較した結果でした。あと、244ページの引用から、万能感とでもいうんでしょうか、「こと小説に関して私にできないことはない」と主張しているように読めてしまいます。いくら正直者でも抑制は必要だと思うのですが、抑制が効かなくなっているように感じます。
だらだらと長くなりました。ごめんなさい。

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