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2015-01-20 鏡像の意味論―その5、その6

鏡像の意味論 ― その5 ― 用語の意味から考える−その4 「左右逆転(方向軸の逆転)」には三種類がある

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意味の逆転と形状の逆転とは互いに無関係

図1:左右の意味的逆転(方向軸の意味的逆転)

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図2:形状の左右逆転(形状の方向軸における逆転)

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前回と前々回、「左右逆転」を「形状の左右逆転」と「左右そのものの逆転」との二通りに解釈でき、それぞれの解釈を説明しました。両者それぞれの解釈が妥当と考えられる二通りの現象(認知現象)があるとすればそれらの現象が互いに関係があるか、別個の現象であるかを明らかにすることは重要なことです。というのも、互いに独立した別個の現象が、同じ「左右逆転」という用語で表現されている可能性が出てくるからです。結論から言って、「形状の左右逆転」と「左右そのものの逆転」とは別個の独立した現象であり、互いに無関係であるといえます。前回記事のとおり「左右そのものの逆転」は「左右の方向軸の逆転」とも言えるので当面、単に「左右軸の逆転」またはさらに左右以外の方向軸にも適用して抽象的に「方向軸の逆転」と呼ぶことにします。

上の二つの絵は「左右そのものの逆転」と「形状の左右ないし上下逆転」とそれぞれ図示したものです。次に説明しますが、上述のとおり、方向軸の逆転と形状の逆転とは独立した現象であって互いに無関係であることが図からもお判りいただけると思います。

方向軸の意味的逆転は意味の逆転であり、対象がヒトの場合は上下や前後の意味するものを取り違えることはあり得ず、事実上、左右逆転すなわち左右の取り違え以外にはありえません。これは認知上の誤りですが、言葉の使用における規則違反ないしは間違いであるともいえます。上の図1はこれを表現したものです。

こちらを向いた人物の右側に相当する方向は、ピアノでは左側であり、人物の左側に相当する側が右側になっています。これは左右の意味上の逆転であり、「左右軸の逆転」と表現してもよいのではないかと思います。さらに、「左右軸が逆転した異なった座標系」を使用して認知しているとも表現できるかもしれません。これはヒトとピアノというまったく別の対象ですが、観察者の方を向いた人物をピアノと同じ左右軸で認知することも往々にしてあるように思われます。しかしそのような認知は間違いであるとみなされるので×印を付けています。

いずれにしてもこのような認知は対象が鏡像であるか否かには関係のないものです。また「逆転している」という場合、ピアノと人物というまったく別の対象間で逆転しているとも言えるし、一人の人物を見る異なった観察者によって逆転しているともいえ、一人の観察者が見るときの心理状態によって逆転するとも言えます。要するにこれは認知上の問題であり、場合によっては鏡映反転現象に関わる可能性があるとしても、それは鏡映反転現象に特有の問題とは言えません。


図2は「形状の逆転」を説明したものです。形状の(左右)逆転そのものについては前々回の記事の図を参照してください。

いずれの像も立体であって、裏返すと背中が見えるものとします。また上下と左右は画面の上下左右ではなく、各人物像に固有の上下と左右を意味するものとします。

これら 4 つの人物像の中で と の関係、および,鉢い隆愀犬鬚箸辰討澆襪函△い困譴隆愀犬癲崗絏爾逆転している」と言えそうな気がします。しかし△鉢い任鰐世蕕に形状が異なります。△鉢い里匹舛蕕砲弔い討發修譴召譴鬮,犯罎戮董崗絏爾逆転」と表現してしまえば、△鉢い琉磴い魘菠未任ず、この意味でも「上下逆転」や「左右逆転」という簡潔な表現に問題があることがわかります。

△鉢い琉磴い蓮↓△両豺腓倭をどのように回転、移動しても,判鼎郵腓錣擦襪海箸できないのに対して、い両豺腓倭に回転と移動を加えることによって完全に重ね合わせることができる点です。このような場合は幾何学的に同形であるとみなせます。従って形状の逆転が見られるのは,鉢△隆愀犬任△襪海箸わかり、この関係は, 、 とい両豺腓盍泙瓩凸隶でつないだすべての関係について適用できます。

第三の左右逆転

図2で、形状の異なる とい里い困譴發,紡个靴董崗絏爾逆転」していると表現でき、△両豺腓老曽が上下で逆転しているとも表現できるのに対し、い廊,汎鰻舛世箸垢譴亅,鉢い両豺隋形状が上下で逆転しているとは言えません。では,鉢い鯣罎戮疹豺腓鵬燭上下で逆転しているといえばよいのでしょうか。この場合は図1に示した意味的逆転とも明らかに異なります。図1において左右の意味が逆転しているのと同じ意味で上下の意味が逆転しているわけではありません。しかし確かに上下の軸が逆転しているように見えます。また上下の軸が逆転しているとすれば、,鉢△隆愀犬砲いても同様です。したがって,鉢△隆愀犬鉢,鉢い隆愀犬剖δ未靴堂燭蕕の上下における逆転が生じていることは確かです。この逆転は「意味的逆転」でもなく、「形状の逆転」でもない別種の逆転といえるはずです。

この逆転は△両豺腓皚い両豺腓180°回転することによって解消します。ただし、い両豺腓呂海硫鹽召猫,判鼎覆蠅泙垢、△両豺腓呂海硫鹽召猫と重なり、を,犯罎戮襪鳩曽が左右で逆転していることがわかります。

すでに了解済みと思われますが、,鉢△箸聾澆い剖請関係にあります。それに対して,鉢い箸聾澆い剖請関係ではありません。したがってこの方向軸の逆転は、像が鏡像であるか鏡像でないかには関係がありません。上下軸を持つ形象であれば何にでも適用されるものです。つまり次の図3のように明らかに別人の形象についても言えることなのです。

図3:異なった人物像との比較

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まずここで明らかになったことの一つは、鏡像問題の対象として取り上げられる左右などの逆転(反転)現象の中には鏡像とは関係のない現象、あるいは必ずしも鏡像のみに関わるものではないもっと一般的な方向軸の逆転が含まれているということです。すなわち、図1で示した意味的逆転とこの図3や、図2の,鉢い箸隆屬妨られる逆転関係です。

この逆転関係を他の逆転関係と明確に区別するにはどう定義すればよいでしょうか?とりあえず異なった二つの人物像の「固有方向軸(間)の逆転」と呼ぶことにします。名前や定義はともかく、この逆転と形状の逆転とを見分ける必要があります。というのも、図2の,鉢△箸隆愀犬任蓮形状の逆転とこの方向軸の逆転とが共存しているからです。

この固有方向軸の逆転のみの場合は図2の,鉢い篆3で見られるように上下軸だけではなく左右軸も逆転しています。つまりこの場合は前後軸を中心にして像全体を180°回転したとみなせるため、前後軸に垂直な平面すなわちすべての方向軸が同時に逆転しているとみなせます。それに対して形状の逆転が含まれる場合には左右軸の逆転はなく、上下軸だけが逆転しているといえます。それをわかりやすく説明したのが次の図4です。この図は図1の,鉢△隆愀犬垢覆錣膳曽の逆転を取り出したものですが、人物が着ているシャツのしわを表す線の両端に星とリングの形をつけています。真ん中の一対の像で比較してみると、星形とドーナツ形の位置関係は、上下では逆転していますが左右では逆転していません。図の上部のように平行移動してみるとさらにはっきりと、頭と足とが逆転しているのに左右(星とドーナツ形の左右関係)は逆転していないことがわかります。

図4:2種類の逆転の共存

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他方、上下が逆転している対の一方を平行移動ではなく180°回転すると、図4の下側のようになり、上下軸での逆転は解消しますが、左右軸の逆転が生じています。星形とドーナッツ形の位置関係が左右で逆転するからです。

このように、形状の逆転と固有方向軸の逆転とが共存している場合は固有方向軸の180°回転によって逆転を解消することができますが、その場合には必ず別の方向軸で軸方向と形状とが逆転することになります。したがって形状の逆転は必ず一つの方向軸でのみ生じることになります。この逆転する方向軸は必ずしも上下・前後・左右の一つでなければならないわけではなく、どのような方向軸でも生じ得ます。次の図5では左右の人物像それぞれの上下軸から互いに反対方向に35°傾いた軸上、すなわち画面の横軸方向で形状が逆転しています。顔とか足とか、具体的な意味を持つもので形状を表すとわかりづらいと思いますが、シャツのしわを表す曲線図形に着目すると、画面の横軸方向で逆転していることがわかります。

図5

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以上の検討から帰納的に次の二つの推測が導かれます。

1) 形状の逆転は必ず一方向でのみ認知される。

2) 形状の逆転が認知される方向は、方向軸が相対的に逆転している方向と一致する。

1) の方は、鏡像問題に関する従来の研究ですでに明らかにされていること、すなわち鏡像と直接像との対は互いに対掌体であり、任意の一軸で互いに逆転した形状になっていると説明される事実に合致します。

2) の方は、これらの図から直観的に読み取れることですが、これらの図ですべての場合が表現されているわけではありません。これまでの図は立体を表すものとして、裏側から見るとまったく別の像に見えるものと想定されてはいるものの、人物像の前後を表す方向軸は全く表現されていません。またこれらの図では観察者の立場にいるのは読者のみです。鏡像問題でよく例として挙げられるのは多くの場合は自己鏡像の場合です。読者とその鏡像との関係を図に表現することは不可能です。

ただ、多くの場合は自己鏡像について言えることだとしても、自己鏡像であるなしに関わらず、多くの場合に鏡像と直接像とを比べて左右が逆転しているものと認知されるとされていることは事実であり、その際に生じている方向軸の逆転方向が左右軸ではないことが多いことも確かです。鏡に対して正面を向いた人物像とそれに対する鏡像との関係でいえば、前後の方向軸が互いに逆転しています。したがってこの場合は方向軸が逆転する方向と形状の逆転が認知される方向とが一致していません。この不一致の原因を考察することが鏡像問題の重要な課題の一つといえるでしょう。

従来理論における混乱の一因

鏡像問題に関する従来理論のいずれも、本稿で明らかにされた(と私が考える)三通りの逆転が明確に区別されていないと思います。前回に触れた吉村氏の理論は鏡像問題を包括的に説明することを試みた最後の理論とも言えますが、そこでもこの三通りの逆転が明確に区別されないことに起因する理解不能な部分が残されているように考えられます。

鏡像の意味論 ― その6 ― 用語の意味から考える−その5鏡像問題への適用の一例

| 21:28 | 鏡像の意味論 ― その6 ― 用語の意味から考える−その5鏡像問題への適用の一例を含むブックマーク 鏡像の意味論 ― その6 ― 用語の意味から考える−その5鏡像問題への適用の一例のブックマークコメント

前回は、「左右逆転(反転)」という一つの表現は、3通りの異なった認知現象を意味し得るという結論に到達しました。その3通りというのは次の三つです

1)左右の意味的逆転―左と右の意味が入れ替わること。

2)左右における形状の逆転―固有の左右軸を持つ2つの形象同士での形状の左右逆転。

3)固有左右軸の相対的方向の逆転―固有の左右軸を持つ2つの形象の各左右軸の、共通空間における相対的な方向逆転。

以上の「左右」はいずれも「上下」と「前後」にも置き換えることができますが、もちろん、同じような帰結がもたらされるわけではありません。

以上の3つを、現実の鏡像問題で議論される一つの状況に適用してみたいと思います。

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普通、鏡像問題の考察ではまず真っ先に人物が自分自身の像を鏡で見る場合の左右の逆転の問題から開始することが多いようです。それはある意味当然ではありますが、直接見ることのできない自分自身の像を対象にしなければならない上に、左右を特別視しすぎてしまうことで、余計な先入観が増幅されがちです。むしろこの図のような状況から考え始める方が全体を把握するための近道になるように思います。


上の画像はすでに前回の記事で掲載したいくつかの画像と同じような状況ですが、前回の記事ではそれぞれ抽象的な像として図示しただけであるのに対して、今回の画像は現実にあり得る状況を示したものとして見ていただきたいと思います。つまり床に置かれた大きな鏡の上に二人の人物が直立して観察者の方を向いているという想定です。

この図を一般の人に見せて、「上の人物像とその鏡像とで上下の逆転に気づきますか?」と質問した場合、まず全員が「上下の逆転が見られる」ことを肯定すると思われます。しかしそれだけで、冒頭で掲げた3種の中で2番目の形状の上下逆転が認知されているとは断言できません。形状の逆転が認知されるには前回説明したように上下軸だけが逆転して前後軸と左右軸は逆転せず、その結果として全体としての形状が変化し、比較される対が互いに異なった形状になっていることが認知される必要があります。向かって左の人物Aの場合、左右の形状的な差は非常に小さいため、左右軸は両者で逆転しているとも逆転していないとも、どちらともすぐには認知しないのが普通ではないでしょうか。

また、左の人物像Aと右の人物の鏡像bとを比較することもできます。この場合もやはり上下軸の逆転が認知されるといって良いと思われます。この場合は形状の逆転はあり得ません。両者は同じく上下・前後・左右軸を持つ人物像ではありますが、各部のサイズが違うし、色やパターンもまったく異なります。したがって一方の形状をどの方向で逆転しても他方の形状になることはあり得ません。したがって、Aとbの対でもBとbの対でも同じ意味で上下の逆転が認知されている可能性が高く、そうだとすればBとbの対では形状の上下逆転が認知されているとは必ずしも言えなくなります。

これらの中で向かって右の人物の場合、一方の肩にかばんを掛けているので、全体としての形状の違いは分かりやすくなっているはずです。しかしこの場合もパッと見てすぐに形状の差異を認知して、上下軸は両者で逆転しているのに左右軸は逆転していないとは簡単に気づけないと思われます。個々のパーツに注目した場合、人物の顔にしても、肩にかけている鞄にしても、ただ同じ形の顔や鞄がさかさまになっているだけと感じるのではないでしょうか。これには冒頭で掲げた3種類の逆転の中の1)が関係しているように思われます。この逆転は間違えやすい混乱の要因です。それでも両者の違いになんとなく気づいてそれを確かめようとした場合にすることは両者を想像力で重ね合わせるか、それとも各パーツを対応付けるということではないでしょうか。

例えば鞄に注目して鞄の位置を合わせるとします。それには平行移動すればよいわけで、そのようにして重ね合わせると、両者ともに鞄は人物像の左右軸では同じ方向にあり、両者で左右軸は逆転していないことになり、上下だけが逆転していることに気づいて形状の上下逆転が認知されることになります。しかし、このような平行移動による重ね合わせを行うケースはむしろ少ないのではないかと思われます。人物の顔や身体を基準に重ね合わせるにしても、鞄を基準に重ね合わせるにしても、一方を、(この場合はどちらかといえば下の鏡像の方を)回転させて両者を重ね合わせることが多いのではないでしょうか。そうすると上下の逆転は解消しますが、上の人物像では左の肩に鞄を掛けているのに、回転した鏡像の方は右肩に鞄を掛けていることが判り、左右軸の逆転が認知され、結局、形状の左右逆転が認知されることになります。

あるいは観察者が自分自身と各人物像とを対応付ける可能性もあります。たとえば逆さまに映っている鏡像の方を自分自身に引き寄せて考えると、鏡像の人物は右側に鞄を掛けていることに気づきますが、鏡像ではない上の方の人物像は彼自身の左肩に鞄を掛けていることに気づき、結果的に左右の形状逆転に気づくに至るという可能性があります。

さらにもう一つの可能性として、足の下の横軸を中心にして鏡像の方を手前に起こして裏返すように回転させて両者を重ね合わせるという発想もあり得ます。この場合は裏返った鏡像君は観察者に背中を向けているはずで、その場合は前後の軸だけが逆転することになり、形状の前後逆転が認知されることになります。

このように形状の逆転が認知されるには相当な想像力と思考を動員する必要があることがわかり、その思考経路によって、形状の逆転が認知される方向軸は異なってくるものです。従って少なくとも上の絵のような場合、どの方向で形状の逆転が認知されるかはそのときそのときの観察者の心の中に踏み込まない限り、特定は不可能と言うほかはないと思います。ただし一定の傾向性は間違いなくあるでしょう。


ここでの結論

以上は鏡の床の上で二人の人物像がこちら向きに正立している状態ですが、当然鏡像はいろいろな条件で出現します。上の場合は上下・前後・左右のどの方向での形状の逆転も認知される可能性があることが示されたといえますが、どのような場合でも、それが言えるでしょうか?結局のところ、どのような状況下であっても上下・前後・左右のうちでどの方向でも逆転が認知される場合があるのではないか?言いかえると、ある場合には必ず左右での逆転しか認知されえないといった条件は限りなく観察者の心理の内部に踏み込まない限り、存在しないのではないか? もしもそういうことが言えるとすればそれは同語反復に過ぎないのではないか、という推測が成り立ちます。

そこで改めて対掌体の性質による説明を振り返ってみたいと思います。前回の記事で紹介したように、鏡像と直接の像の対は幾何学的に互いに対掌体であり、任意の一軸で互いに逆転した形状になっていると説明されています。*

*この点について、および前回から言及している吉村氏の説については多幡先生のサイトhttp://www.geocities.jp/tttabata/mirrorcom.html に詳しい論説があります。

この対掌体の定義、すなわち任意の一軸で互いに逆転した形状になっているという説明それ自体をそのまま受け止めれば、逆転が認知される方向軸が任意であり、どのような方向軸で形状が逆転していると見ようとそれは観察者次第ということになるはずです。ところが現実には少なくとも上図のように人物の場合上下か前後か左右のたった三つの方向軸であり、さらに、多くの場合には左右になるというのはなぜかという点に問題が絞られてきたように思われます。

ここで注目すべきことは上述の対掌体の定義は幾何学的な定義であるということです。幾何学には本来上下・前後・左右の概念はなく、方向は相対的にのみ定義されることに注目する必要があります。幾何学的図形はそれがヒトの形であるとか、場所が地上であるとか、そのような意味を持ちません。上下・前後・左右もそれぞれ幾何学が持たない意味であることに気づく必要があります。

ここから、上下・前後・左右の何れかでの形状逆転は幾何学空間と人間の認知空間の差異に起因しているという説明が成り立ちます。しかし多くの場合に共通する傾向として、ある場合には殆ど必ずといって良いほどの割合で左右の逆転が認知される状況というのはあり得るし、左右以外の逆転が認知される傾向が大きいといえる別の状況はあるでしょう。そのような傾向性がなぜ生じるのか、具体的にそのような傾向がどのようなメカニズムで生じるかが、これからの鏡像問題の課題と言えます。

そのような傾向性が生じる根源はマッハによって最初に主張され、カッシーラーによってさらに重要な意味が付与されたと考えられる「幾何学的な思考空間の等方性と知覚空間の異方性」にあるということが鏡像問題の基礎となり得ると考えるものです。

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