変な発言には変な発言認定

ネットにおいて匿名の人に変なことを言われて嫌な気持ちにさせられるケースがあるという問題に関して、生身の人間へのお仕置きをちらつかせることもって抑止する実名論と、変なことは変なことなのだから嫌な気持ちになる必要なんてないし相手にすることなく放置すればいいというスルー対処法が主流のようですが、

に書いたように個人的にはどちらにも不備があるように感じます。さらにいえば、どちらの方法もあまり直接的ではないような気もします。

誰かに変なことを言われて嫌な気持ちにさせられた人というのは、変なことを言った人がきついお仕置きをされることを本当に望んでいるものなのでしょうか。もしもそのように望んでいる人ばかりではなかったとしたら、ネット利用における実名論はちょっとやりすぎでしょう。

そもそも、誰かに変なことを言われたときに嫌な気持ちになるのはなぜなのでしょう。その理由が見えなければ、直接的な対象法など出てくるはずもありません。それで理由を考えてみたのですが、ずばり、変なことを変なことと理解しない人がいるかもしれないということが理由なのではないでしょうか。つまり、すべての人が変なことを変なことであると理解していたならば、変なことを言われたとしても気にしないで済むわけです。

もしそれが本当ならば、変なことを言われたときに相手にすることなく放置するスルー対処法は、変なことを変なことであると理解するのは自分と自分を理解してくれる人のみで十分としている点で、ピントのずれた対処法といえる気がします。自分と自分を理解してくれる人たちの殻の中に引き篭もればいいという対処法では、すべての人が納得できる対処法とはなり得ないでしょう。

では、変なことを言われたときにすべての人にその発言が変であることを理解してもらうには、どのようにしたらいいのでしょう。あるいは一歩譲歩して、誰かがその変な発言を無条件に真っ当な発言であると認めてしまうという状況を回避するには、どのようにしたらいいのでしょうか。

その発言が真っ当であるためには何の説明が不足しているのかを明確にして、現状では変な発言にしかなり得ていないと認定すればいいのです。なぜなら、その不足している部分の真っ当な説明が誰かから出されない限りは、その変な発言を根拠にして導かれる自分にとっての不名誉な結論はすべての人にとって成立しなくなるからです。

変な発言への対処はこれで十分。また、変なことを言った相手に対してこれ以上の追い込みをかけるのはやりすぎです。その理由についてはまたいつか書いてみたいと思います。

追記

当エントリーに対するブックマークコメントとして

「その発言が真っ当であるためには何の説明が不足しているのかを明確にして、現状では変な発言にしかなり得ていないと認定」/当然その主張はコメントの相手から変な発言扱いされるのでは。そして泥沼へ。

はてなブックマーク - sshiのブックマーク / 2007年8月17日

という意見をいただきました。泥沼化させない方法もあるのではないかと思うので、そのことについて、

に書いてみました。