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くっぱのブログ

2007-09-02

無断リンク禁止はナンセンスではないかも

前回のエントリーでこれまでのエントリーで述べてきたものをいくらか短めにまとめたので、無断リンク禁止宣言は無意味かどうかについて改めて考えてみたいと思います。

前回のまとめの中で注目したい部分は、

  • 無断リンクをするサイトは(検索サイトのようにどのサイトにリンクをするかを明らかにしているサイトを除いて)、無断リンクをした相手サイトに対して、そのサイトを特に差別的に扱って嫌がらせをしているわけではないことを説明していない
  • 無断リンク禁止宣言サイトは、無断リンク禁止の対象となるサイトに対して、そのサイトを特に差別的に扱って嫌がらせをしているわけではないことを説明している
無断リンク禁止論を感情論としないために - くっぱのブログ

です。

もし、これらのことが本当ならば、

  • 無断リンク禁止を宣言することは、自分のことを「他人を一方的に差別的に扱って嫌がらせをしても平気な人である」と思われたくない人にとって、その宣言を無視して無断リンクをするかどうかを決定するのに影響しそう

ということがいえそうです。もしそれが本当ならば「無断リンク禁止宣言は無意味とはいえない」ということになりますので、この主張のどの部分に論理の破綻や飛躍があるのかを指摘するという形で反論をしない限り、「無断リンク禁止宣言は無意味だ」という主張をする人がいたとしても、単に根拠のない主張をしているだけということになりそうな気がします。

ブックマークコメントへのレス

スゲーくだらない気が……。

はてなブックマーク - カナかな団首領のブックマーク - 2007年9月2日

どのような意味でくだらないのかを言わなければ、何もいえていないのでは?

結局くっぱ氏は何が何でも無断リンクを認めたくないだけだったらしい。

はてなブックマーク - 雑記のネタ帳兼メモだった(過去形 - 2007年9月2日

それは単なる憶測かも。

無断リンク禁止宣言は「私は現状の法律及びウェブの慣習を無視します」or「私は現状の法律及び慣習を知りません」という宣言だから無意味ではないかも

はてなブックマーク - tokoroten999のブックマーク - 2007年9月3日

まず「法律」は国家と個人との関係だから今回の話とは関係ないとして、「無断リンク禁止宣言をしないのがウェブの慣習」だったなんて知りませんでした。それを慣習だと思い込んでいる人以外の人にとっても慣習であるといえるのならば、その根拠を教えてください。

リンク張らずに差別的に扱われたらもっと嫌じゃね?そう考えると中々リンクというモノはフェアだな

はてなブックマーク - topotaupeのブックマーク - 2007年9月4日

他人様のことなので嫌かどうかは私にはよく判りません。ただ、無断リンク禁止宣言は、表面的には無断リンクをする人にそこまでの配慮を要求する形にはなっていないと思いますけど。

nonsensenonsense 2007/09/02 12:00 「そのサイトを特に差別的に扱って嫌がらせをしているわけではないことを説明」の下りがまったく意味不明ですね。リンクされる側が無断リンク禁止宣言によって「あなたのサイトだけを差別的に扱ってリンク拒否しているわけではない」と説明していると認めるなら、リンクする側も別のサイトへのリンクをもって「あなたのサイトだけを差別的に扱ってリンクしているわけではない」と説明していることになりますけど。それとも、世界中のすべてのサイトへのリンク集でも用意しないと「差別的」になるのですか? あるいは「当サイトは差別的なリンクはしません」と明記すれば「差別的」ではなくなるのですか?

quppaquppa 2007/09/02 18:06
>リンクする側も別のサイトへのリンクをもって「あなたのサイトだけを差別的に扱ってリンクしているわけではない」と説明していることになりますけど。

リンクをされた別のサイトも差別的に扱われているのであって、早い話、リンクをされたサイトだけが差別的に扱われているという意味では、同じことです。

>それとも、世界中のすべてのサイトへのリンク集でも用意しないと「差別的」になるのですか?

そうとは限りません。どのサイトがリンクされるかについて事前に判断できるような基準をあらかじめ明らかにしておいて、その基準にかなうサイトすべてにリンクをするならば、差別的に扱っているということにはならないのではないでしょうか。

nonsensenonsense 2007/09/02 18:48 >どのサイトがリンクされるかについて事前に判断できるような基準
誰が判断するのですか? また、判断する人が「これは基準にかなっている」と判断すれば差別的ではなくなり、判断する人が「これは基準にかなっていない」と判断すれば差別的になるのですか? 判断する人が複数いた場合、判断が分かれた場合はどうなるのですか? 「判断する人」や「判断結果」が何をもって正当とされるのか、その根拠を示してください。


>その基準にかなうサイトすべてにリンクをするならば
「事前に判断できるような基準をあらかじめ明らかにして」いるのに、わざわざ「基準にかなうサイト【すべて】にリンクをする」必要性は何ですか? その根拠を示してください。

「無断リンク禁止宣言は無意味ではない」という見解自体には強く賛同できるのですが、その根拠とする理屈が感情論(もっと言えば被害妄想)に根ざしている気がして残念です。

quppaquppa 2007/09/02 19:57
>判断する人が複数いた場合、判断が分かれた場合はどうなるのですか?

誰が判断しても判定結果が分かれないくらいに客観的な基準が必要です。

>「事前に判断できるような基準をあらかじめ明らかにして」いるのに、わざわざ「基準にかなうサイト【すべて】にリンクをする」必要性は何ですか?

たぶん何か勘違いをされていると思うのですけれど、ウェブ利用者一般に開示するのは、リンクするサイトの候補の基準ではなく、確実にリンクをするサイトの基準です。

>その根拠とする理屈が感情論(もっと言えば被害妄想)に根ざしている気がして残念です。

それこそ憶測でものを言っていると思うのですけれど、憶測を持ち出したら議論なんて成立しなくなるのではないでしょうか。

zoozoo 2007/09/03 11:24 宣言するのは勝手だけど強制力はゼロだよ
ってだけの話じゃないの
各自で好きにやれよ

quppaquppa 2007/09/03 21:35
>各自で好きにやれよ

そうです。「無断リンク行為は無断リンク禁止宣言と違って、相手を特に差別的に扱って嫌がらせをしているわけではないということを説明していない」という前提のもとで、無断リンク行為も、無断リンク禁止宣言も、各自が好きにやればいいのです。

otsuneotsune 2007/09/04 07:31 >「無断リンク禁止宣言をしないのがウェブの慣習」だったなんて知りませんでした。
それ、どの程度調べました? 日本とアメリカについて。
もちろん「まったく調べませんでした」とか「調べる必要は有りません」という答えでもOkです。
その答えを読んだ閲覧者が「ああ、そういうリサーチに基づくblogなんだなぁ」と判断する材料になれば良いと思います。

私の認識ですが、「無断リンクを禁じるお願い」という慣習は騒動になる程度に珍しい慣習だと観測して居ます。英語圏および日本語圏でどのぐらい観測したのかは、quppaさんの観測範囲を聞いたら改めて提示したいと思っています。

Sig.Sig. 2007/09/04 11:43 この問題、調べれば調べるほど面白いですよ。
Webは用途も利用者層も爆発的な拡大を続けてますから、時期ごとのムーブメントだとか各コミュニティにおける暗黙の了解とか、いろいろ出てくると思います。学術目的、個人用途、著作権あたりがキーワードではないでしょうか。
私見では、この手の話題が盛り上がるのは専ら個人サイトですが、より深刻ななのは新聞社とか著作権絡みでしょう。なにか目的があって「Webを使おう」という人にとっては、気にもしない問題なんでしょうけどね。
「もっと知ってほしい」しかし「不本意な扱い方はされたくない」この辺のコンフリクト。

Pcha00Pcha00 2007/09/04 13:32 >私の認識ですが、「無断リンクを禁じるお願い」という慣習は騒動になる程度に珍しい慣習だと観測して居ます。
サンプルも少なければ観測期間も短すぎですね、とか言ってみる。

ただ、殆ど全ての禁止サイトが潰されている現状では、珍しい部類に入るのでしょうね。私だって、現状の国内Webに無知なのか、よほど勇気があるんだなぁ、って思いますもん。

ekkenekken 2007/09/04 17:57 >殆ど全ての禁止サイトが潰されている現状

この「殆ど全て」が潰されている、という認識の根拠が知りたい。

quppaquppa 2007/09/04 23:35
otsuneさん

>それ、どの程度調べました? 日本とアメリカについて。

調べ方が分かりません。というか、「慣習」かどうかってどうやって調べるのでしょう。まず定義として、この言葉には「これに従わないとみんなに迷惑」というような善悪に関連する意味を内包しているのでしょうか。それとも「これに従わないとみんなに迷惑」という前提から切り離して議論の中で用いることのできるようなものとして客観的に判断できる形で定義するのでしょうか。たぶん前者ならば、「これは慣習だ」「いや、これは慣習ではない」と慣習かどうかの判定はもめるにもめることでしょう。何が「絶対悪」であるかを具体的に定義することになるのだから、各自が自分の価値観にかなうものとしての定義となるようにプライドを懸けて必死になるのは明らかです。

なので、当ブログでは「慣習」や「ウェブ利用者のあるべきウェブ利用目的」「マナー」あるいは「ホームページは家のようなものであるw」のような前提は一切排除したときに、一体何が言えることになるのだろうかということを議論したいと考えています。前提として「慣習」として扱おうとしていたものが必要なら、前提のないところから論理を組み上げて構築すればいいのではないかと考えています。「みんなが」という論拠を誰かが出したとしたら、「それはあなたとあなたの周りにいる人のことですか、それともそれ以外の人とその周りにいる人も含むのですか」と聞き返すことになるでしょう。様々な価値観をもつ人と同じ土俵で議論をするには、このくらいしないと無理なのではないかと考えています。普通のやり方とは違うかもしれませんが、何卒ご理解ください。

otsuneotsune 2007/09/05 14:47 >前提は一切排除したときに、一体何が言えることになるのだろうかということを議論したいと考えています
なるほど。理解しました。

でもだとしたらなぜ
>>
それを慣習だと思い込んでいる人以外の人にとっても慣習であるといえるのならば、その根拠を教えてください。
<<
というご質問をしたのかが良く理解出来なくなってしまいました。慣習という前提はこの議論と無関係に考えたいというのであれば、この質問は視点を慣習のほうに誘導してしまうので良くない展開ですよね。
もちろん「分かりやすく自説を展開して主張したいのではなくて、前提にこだわるこだわらないという自説とは無関係な論点に関しても無意味に反論してみたくなっただけだ」という自由も有ると思うので、こういう風にコメント等でスタンス(この場合で言えば「ネットの慣習は知らん」)が閲覧者に伝わればいいかなぁとは思います。

quppaquppa 2007/09/05 21:23
>というご質問をしたのかが良く理解出来なくなってしまいました。

慣習という言葉を誰がどのような語義のもとで用いているのかは解りません。でも、すべての人が納得せざるを得ないような語義のもとで用いられているのなら、議論の前提として排除するわけには行きません。たとえば、「無視できないくらい多くの人が従っているもので、従っていない人は無視できるくらいしかいないもの」や「無視できなくらい多くの人が従っているのもで、従っていない人も無視できなくらい多くいるもの」などの語義で扱うなら、前提として扱えないことはないのかもしれないと考えています。もちろん、「無視できるくらい」という語義を用いる場合は、そちら側に入る人は納得しないかもしれません。ならば、具体的な閾値を設ける形で定義して、その値には無視できるか否かの意味は含まないという条件で語義とする等、すべての人が納得できる語義として導入しなければ、地に足のついた議論にはならないと思っています。なので、どのような意味で慣習と言っているのか(慣習という言葉の背後にどのような意味を背負わせているのか)を聞いています。もしも、すべての人がその語義では慣習であると認めざるを得ない語義のもとで慣習であると言っているのならば、(各個人の語義のもとで)慣習であると思い込んでいない人にとっても(すべての人が認めざるを得ないとされるその語義のもとでは)慣習であるといえることを説明できるはずです。

コメントの残りの部分は、私のこのお返事とどのようにつながるのかよく解りませんでした。

otsuneotsune 2007/09/06 00:47 >議論の前提として排除するわけには行きません。

おっと。それはまた私が前のコメントの返事を誤解していました。
だとすると「現状のウェブの慣習」というものが、それを慣習だと思い込んでいる人以外の人にとっても慣習であるといえる根拠を指向から排除しないで調査したり議論する事にも、すこしは意味があると言う事ですよね?(「はい」か「いいえ」でお答えくださると理解しやすいです)

>コメントの残りの部分は、私のこのお返事とどのようにつながるのかよく解りませんでした。
「ネットの慣習は無断リンク禁止議論には関係ない」という主張だと解釈したので、慣習(ネットの前提)について質問するのはblogエントリーとしてフォーカスがぼやけて分かりにくいし無意味な反論・質問ですよね。既存のネット慣習に囚われないという主張なのであれば、それをまず提示すれば済むのになぁ。……というような意味です。

>ならば、具体的な閾値を設ける形で定義して、その値には無視できるか否かの意味は含まないという条件で語義とする等
FYIですが、たとえば
http://www.w3.org/Consortium/Legal/IPR-FAQ-20000620#link
のあたりが叩き台となって「(Webの)前提・慣習」が出来ています。これはひとつの「閾値・定義」になるでしょう。(ちなみに私は、無断リンク禁止を主張する人がW3Cに働きかけて、晒し者や悪意の意味でリンク行為をしているかどうかを判別出来る技術的な手法をRFCにすればいいのになぁ。と普段から思っています。そうすれば世界中の人がそれを使えますし)

quppaquppa 2007/09/06 07:50
>調査したり議論する事にも、すこしは意味があると言う事ですよね?

私自身が率先してそれをする必要はないと思うけれど、こちらから反論できる余地のない論を他者が述べた場合に耳を閉ざす必要はないという考えの場合は、「はい」「いいえ」のどちらで答えたらいいのでしょう。

>ちなみに私は、無断リンク禁止を主張する人がW3Cに働きかけて、晒し者や悪意の意味でリンク行為をしているかどうかを判別出来る技術的な手法をRFCにすればいいのになぁ。と普段から思っています。

私は、無断リンク禁止を宣言することで満足している人は、特に何かに働きかける必要はないと普段から思っています。

名無し名無し 2007/09/06 19:48 無断リンクが駄目ならトラックバックすれば良いんだ。

quppaquppa 2007/09/06 23:31 無断リンクを駄目と言われて無断リンクをしたくなくなって、その代わりにトラックバックをしたくなったのなら、トラックバックをすればいいのではないでしょうか。

otsuneotsune 2007/09/09 08:44 >こちらから反論できる余地のない論を他者が述べた場合に耳を閉ざす必要はないという考えの場合は、「はい」「いいえ」のどちらで答えたらいいのでしょう。
すいません。意味が分かりませんでした。質問に質問で返すことで、なにかご不明な点を補足してほしいのかどうかと予想しているのですが……
「議論の前提として排除するわけには行きません」ということなので「ネットの慣習について考慮するのも無意味では無いですよね?」という質問です。「はい」か「いいえ」でお答えくださると分かりやすいです。
もし質問の細部の意味が分からなければ、お聞きください。
たとえば「反論できる余地のない論」とはどんな論を想定していますか?
また「なんであれ耳を閉ざす必要はない」は自明だと思うのですが、どういう場合に耳を閉ざす必要があるとお考えでしたか?

>私は、無断リンク禁止を宣言することで満足している人は、特に何かに働きかける必要はないと普段から思っています。

なるほど。そういう考え方もあるでしょう。たとえば法治国家であれば、立法府に影響するように陳情や選挙などの手段で望むような状態にしてほしいと働きかけて「法」や「条約」として整備する必要が有るでしょう。そこまで行かなくても「電車の中では○○をしては行けません。という考えを広めよう」という活動をしないと、その考えは広まらないでしょう(現実的に)。
もちろん広めるつもりもないし、システムとして整備される必要も無いという自由はあるので、その事の是非を問うている訳では有りません。

quppaquppa 2007/09/09 22:28
>すいません。意味が分かりませんでした。

すみません。私も自分で何が聞きたいのかよく解っていないし、何が言いたいのかもうまく表現できていないのです。私が何となく気になっているのは、「慣習」という言葉を議論に導入するときに、その言葉を割り当てられている概念が「悪い」という概念に関係しているかどうかです。つまり、ある行動様式が慣習であるとの前提を置いたときに、その行動様式に従わないことは悪いことであるということを意味することになるのかどうかです。

もしそうなるのならば、前提として置かずに、それ以外の前提から論理を組み上げることによって、その行動様式に従わないことは悪いことであると導いて欲しいということです。

つまり、悪いという結論を導くことのできる前提の導入には慎重でありたいという感じでしょうか。

なので、otsuneさんからいただいたせっかくの質問にもうまく答えられないのかもしれません。

otsuneotsune 2007/09/12 02:43 >もしそうなるのならば、前提として置かずに、それ以外の前提から論理を組み上げることによって

なるほど。全く同意します。
だとすると私のコメントにあったwww.w3.orgの文章等は「論理」として解説されて提示してあると思います。
どこかの誰かが「リンクにまつわる考え方にはこういうデメリットが有る」と言い出して、現時点でもっともツッコミ&同意で揉まれている主張の一つだと言えると思います。つまり「導くための論理」として採用するのに信頼性が高いと思います。
同じように「無断リンクは悪い事だ」という主張で、たくさんツッコミ&同意で揉まれている論理を導入する事も可能だと思います。
つまり「歴史に学ぶのは有効ですよね?(はい/いいえ)」という一般論の質問だと考えてもらっても良いのかもしれません。

quppaquppa 2007/09/12 06:50
お返事をいただきまして、ありがとうございます。

>つまり「導くための論理」として採用するのに信頼性が高いと思います。

実は、信頼性が高い低いに関係なく、「導くための論理」としての導入は可能だと思っています。ただし、その際に得られる結果というのは、例えば、

「www.w3.orgに書かれていることを軽視したくない人にとっては」

というような条件付のものになるということなのかもしれません。つまり、私がやっている議論の論法は、各自がその論での前提の信頼性の高さを判断したうえで自分を律するための結論は導けるけれど、他人様の行為を悪いと非難できるような形にはなり得ないという感じでしょうか。

>つまり「歴史に学ぶのは有効ですよね?(はい/いいえ)」という一般論の質問だと考えてもらっても良いのかもしれません。

他人様をどうこうではなく、自分を律するために「歴史に学ぶのは有効」だと思います。この意味で、「はい」とお答えしたいと思います。

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