「スゲー下手!」「これはひどい」判定こそミクシィでやれ!

ウェブにおける他人からの「スゲー下手!」とか「これはひどい」というコメントへの接し方について、

WWW にリソースを公開するという行為は、パブリッシングと同等であるという考え方に基づくものです。

簡単に言うと、本を出版してるのと同じなんだから、知らないところで、知らないうちに、勝手に読まれたり、勝手に書評(しかもすげぇネガティブなやつ)を書かれたり、そんなことは当たり前、当然の事という解釈が成立する世界であると。

公開する事のリスクと儀礼的無関心 - カナかな団首領の自転車置き場ダイアリー

ここまで敷居が低くなってしまうと、パブリッシングというより、WWW はパブリックな場所という世界観で考えるべきぢゃないのかという話になってきます。つまり、WWW は駅のコンコースや公園みたいなトコロだから、そういう場所で過ごすのと同じようにコミュニケーションを考えてほしいというもの。

ここでは、「儀礼的無関心」が必要とされてきます。つまり、見て見ぬふりです。

公園で、絵を描いてる人に向かって、一般的には「スゲー下手!」とか指差して言わないのと同じように、そういうリソースを見つけたとしても、はてブなどでブクマして、「これはひどい」とか書いてはいけないという倫理観が、WWW においても、支配すべきなのだ、という考え方。

公開する事のリスクと儀礼的無関心 - カナかな団首領の自転車置き場ダイアリー

というモデル化はちょっと古いような気がするのですがどうでしょう。

というか、コメントをする側はもしかしたら前者の立場でしているのかもしれませんけど、コメントをされることを嫌悪している側の人たちについては、後者とは別の形でモデル化することもできるような気がします。

つまり、「判定を頼んでもいないしプロでもない俺(の作品)に対して、万人の前でお前が判定を下すのは納得できない(どうしても判定を下したいなら、床屋やミクシィやメールみたいな閉じた場所でやれや)」という立場です。

この立場を認めたら他人が勝手に公開している作品について何も言及できなくなるのでは?と早とちりする人もいるかもしれませんけど、そんなことはありません。自分はどの点に注目したか(「絵に描かれた人物の腕の関節が人間離れした方向に曲がっている!」など)と、その結果どのような判定を下したか(「スゲー下手!」「これはひどい」など)は別物であって、自分がどの点に注目したかについてはいくらでも述べることができるわけです。

プロスポーツなどでは審判の判定は絶対です。プレイヤーや観客のほとんどがその判定に納得できなかったとしても、その判定を下した審判は、その判定を納得させる理由をプレイヤーや観客に説明する必要はありません。なぜなら、その審判は、その競技において妥当な判定を下すために注目すべき点に正しく注目できることをそれまでの人生を通してアピールしてきたからこそ審判として任命されているからです。そして、プレイヤーや観客もそのことを承知のうえで試合や観戦に臨んでいるわけです。

また、書籍や映画などの誰にでも販売する商用コンテンツについては、お金をもらうことと引き換えに理由不詳の勝手判定もある程度は不問とするという立場とみなせそうな気がします。

これに対して、公園でプロでもない一般の人が趣味で絵を描いたところ他人から(審判としての資格を有することの妥当性を示さないままに)「スゲー下手!」「これはひどい」などと勝手にビラを撒かれたりしたら、それってまさに中傷ビラそのものではないでしょうか。「スゲー下手!」「これはひどい」みたいな勝手判定は床屋みたいな閉じた場所ですればいいのであって、儀礼的無関心とは別次元の問題のような気がします。

ブクマレス

趣味の活動への判定は隠れた場所で行ったほうがいいと考えている説

はてなブックマーク - kanoseのブックマーク / 2008年4月9日

というか、荒唐無稽な児童ポルノ漫画などもそうだけれど、「欲望の垂れ流し」的な要素を含みやすいものを表現したい場合は、閉じた場所でするか、あるいは、「欲望の垂れ流し」的な要素を含まないような表現方法を人類の英知を結集して開発するしか、それを嫌悪する人たちからの反発を免れる方法はないような気がするという説

公開したものに対する批評の受け取り方の問題だろうなぁ。俺はmixiでやられるほうがイヤだな。[これはひどい]であっても、俺の見える場所でやられるほうがいい。

はてなブックマーク - ekkenのブックマーク / 2008年4月9日

もしかしてこれって、他人が脳内でプライベートに自分について何を考え何を思っているかにまで踏み込みたいとか、極論すると、脳内レイプ禁止や脳内侮辱禁止みたいなことを言う人と同じあたりに行き着くような感覚の話でしょうか。

mixiでやる方が酷くないかなあ。特に当人に届いちゃう場合。場所の問題じゃなくて行為の是非の問題だよね、これだと。

はてなブックマーク - NOV1975のブックマーク / 2008年4月9日

当人に届かないように管理できる場所というところが肝なわけで、ミクシィであるかどうかはどうでもいいのですけど。当人に自分の言った悪口を筒抜けにさせてしまうような床屋や井戸端会議では、他人の悪口みたいな話はしないでしょう?

にこにこで「死んでくれ」と言われたおいらが通りますよ、っと。死んでくれと言われたからって死ぬわけもないし死ぬ義務もないよ

はてなブックマーク - ghostbassのブックマーク / 2008年4月9日

言われても平気な人がいないといっているのではなくて、平気ではない人もいるからこそ反発が起こっているのではないかということなのですけど。