経団連の変貌

経済同友会には、財界の首脳が千二百人ほど個人として参加し、政策集団の看板を掲げている。この数年は、年末恒例の予算編成を前にした自民党政調会による陳情の受付に出席しなくなっている。それまでは、いわゆる経済四団体(経済団体連合会経団連日本経営者団体連盟=日経連、日本商工会議所経済同友会)の事務方のトップが、そろって陳情書を持参していた。以前であれば、このセミナーも、財界理論派を自認する同友会の内輪の論議とかたづけられたかもしれない。だが、軽井沢の議論は、そういわせない危機感にあふれていた。

そして、いつもこうした陳情の先頭に立って旗を振ってきた経団連さえ、肥大化をつづける公共事業に懐疑と警戒を抱き始めたのである。一九九六年十月の小選挙区制を中心とした初めての総選挙で、自民党がいつにもまして新幹線から村の橋まで公共事業のバラマキを公約して少数政権をつくると、党内や自治体なとがら公約の実現をめざしてまたぞろ補正予算を求める大合唱が沸き起こった。しかし、記者だちから感想を求められた経団連会長の豊田章一郎トヨタ自動車会長は、「いまは必要ないのではないか」と答えた。そして経団連は、これまでなら自民党が動き出す前に出していた補正予算の個別陳情を控えたのだ。

これは大きな変化だった。建設業をはじめあらゆる経済団体の連合体である経団連はこれまで財政支出を要求し、不況になると、公共事業を中心とした膨大な補正予算を声高に叫びつづけてきたからだ。

なにが起きたのか。この発言に先立つこと約一年、豊田は蔵相の諮問機関である財政制度審議会(財政審)の会長として一九九五年十二月十二日、「財政の基本問題に関する報告会という文書を武村正義蔵相に手渡していた。これは石弘光一橋大教授を委員長とする基本問題小委員会がまとめたもので、財政赤字の現状と将来に及ぼす深刻な影響を分析したものだった。その背景には、当時編成作業の大詰めを迎えていた一九九六年度予算で、七年ぶりに一般会計予算の一割に近い七兆円もの赤字国債を盛り込まざるをえないほど、国の財政が危機を迎えていたことがある。