液体か、涙は または水とゆめ

2019-01-28 Monday

終わりのダイアリー。18の頃から、32まで。たいした量も書かず、ろくでなしなことしか書かれなかったけど、いつだってダイアリーがあればこその私のこの人生なんて言うほどのものはないこの、なまみ。いつだってダイアリー。これからも。てわけでブログという名のもとへついに私も行き着く来る日がくるなんてなあ。こんなページを見てる人はもうほんとさらさらいないだろう。昔はまだどこかの誰かが読んでいるのかもしれないと気配を感じていた頃もあったけれど、それはそれの良き時代だったなあなんて懐かしむこともできるけど、そんな風になつかしむことができるということ自体、そんなことができるようになる程生きているなんて呆気にとられる思いだけど、もう誰もいなくなっただろうと思いながら、自分もすっかりこの世界に溶け込んだつまらない人間になったものだと思う。私は敵があるくらいの方がいいのかもしれないなとふと昨日思った。偏見を持ってして、こんなやつらあんなやつらになんか負けたくない、そう思ってる時点で負けているんだけど、それでも負けたくないんだといったもの。怒りか?なんでもいい。でもきっとそうゆうエネルギーが私を前進させただろう。今、私は、まるでもう全て何も失って、喪失しか無いのだとしか言えなくて、なんてつまらないのだろうと思う。それはなに、優しさか?偽善か?許しか?諦めなのだろうか。変わらなければいけない。https://qyu.hatenablog.jp

2019-01-08 Tuesday

あれ、そういえば、そろそろダイアリーっておわってしまうんだっけ。ブログに移行するのか。しなきゃな。もはやなんのこだわりがあるわけでもないっちゃないし、でも、自分はずっと日記を書いているんだ、という気持ちでいたからなあ。でももう今はまたブログという言葉場所意味するところも以前、昔ともまた違うのかなとも思うし。


こないだの年末はまた友達が岐阜から泊まりにきた。すんなりとそれを受け入れるわたし、って、一体、何。2泊して、また、東京駅で見送ってバイバイした。さあもう一体これ何度目?新幹線の改札手前でさよならをして、改札に入った向こうで最後のバイバイとして手をふるのは、一体何度目だ。いつからこんなことを繰り返すようになったんだっけ。いつからこれが定番で、いつもその度同じだ。私たちはいつも人として、友達として、あっさりと、まるで何もなかったみたいに新幹線の改札でさよならをしている。感傷はない。なくなったのはいつからだ、あったのはいつのことだったっけ。

なにも期待してはいけない。思いをよせてはいけない。それはもう学習してしまった。してもいいのだけど、自然としなくなったというところも十分にある。もうやめようと思っていたのにな。もう少なくともよほどのれっきとした用事が無い限りわたしからは連絡しないと、思っていた。忘れるというほどのことでは無い。ただ、もうほぼほぼ絶対的にこの人はわたしを好きになりはしないと前からわかっていたし、知っていたことについて、自分でも時間をかけてよく咀嚼できるようになってきていたのだった。それをあえてするための時間が去年だった。恵比寿で偶然再会して、わたしはやっぱりこの人が好ましく思うと思った。それは懐かしさでもあり、旧知の仲としての心地良さであり、愛ででいたいものだった。1年前に電話で変な、というか断ち切るような終わり方をしてしまった。そのあと一度メールがあったが、それ以上したいとは思えなかった。でも再会して、やっぱりこの縁は簡単に無くしてしまっていいものじゃないと思えた。だからもっとっちゃんと受け入れたかった。私が彼から好かれないということを?

その上で、それでも人としての付き合いは続けていけるでしょ?そんな簡単に失ってしまう関係じゃないでしょ?ってことを示したかった。見せてやりたかった。もし付き合って別れたりしたら今までの全てがなくなってしまう、失われてしまうのが怖いとか嫌だとか、なにふざけたこと言ってんだ、そんなただの言い訳みたいなこと、保身みたいなこと、そんなのを隠れ蓑にしている人が、ずるかった。もっとちゃんと向き合いなさいよと思った。自分が言ってることのうさんくささ、不誠実さをわきまえろと言いたかった。もっとちゃんと正直なことを言って欲しかった。

東京駅まで一緒に電車に乗って、降りる時になって、彼は私に上野で降りても良かったんじゃないの?と言った。私もそのまま実家に帰る予定で、上野駅は東京駅の手前で今しがた通り過ぎてきていたわけだが。私は東京駅からも一本で帰れるから平気、と答えたが、え?なにこれ?と内心思った。彼は一体何のつもりでそんなことを言ったか。なに、優しさ?親切さ?お前、私の気持ち知っててよくそんなこと言うな、とおもう。知ってるからこそそんなこと言うのは、ただの腹黒い意地悪じゃないか。ずるいじゃないか。それで私がそうだね、上野で降りれば良かったと言うと思ってるのか、思ってないはずだ、ただ、私があなたを好きだと言う事実を消すために、そんなもの俺らの間にはそもそも存在してないよね、そうゆう関係じゃないよね、ただの友達だからそれぞれ必要な駅で降りてさよならをすればいいだけの存在だよねとでも言いたいんだろうと思えた。ほんと、そうゆうところがクソだよなっと思う。ひどいと思う。そうゆう言葉の数々がいつも私を冷たくする。

それで私は傷ついているのだろうか、それがいつもよくわからない。もはや、それで彼を嫌いになることなどなくなってしまっているのだ。だって彼は私を好きじゃないし、好きにならないし、そのことについて私はよくわかってしまっている。私は少なからず彼の人となりを知っている。なぜって、学生時代を見てるから。でもそれはほんの些細な時間のはずだ。それでなにを知ってると言えるんだとも思う。でも、それでもやはり知っているのだ。知っているらしいのだ。見てれば、聞いてれば、わかってしまうのだ。彼は私のなにも知らないだろう。

学生の頃はぐずぐずとして甘えられるのがすごく嫌だった。ずるいと思ってた。だからこの人には絶対弱いところも隙も見せたくなかった。でも今はそうゆうのももうないらしい。一方的に都合よく甘えられて利用されて、それならそれでって感じに思ってる。都合よく、と言うなら私だってそうなのかもしれない。お互いただの性欲の捌け口にしてるならそれはまた学生時代から何も変わってないとも言える。ずっとそんなものだな。何も変われてない。彼が私を好きだったことなんて少しもなかった。いつも他の誰かを好きで、私は彼の中のきれいやかわいいと言う領域に入ることはない。憐れまれてるだけなのかもしれない、とふいに思う。もしくは嫌われてるのかもしれない。うとましく。

愛されない私は、いったいどのような態度を持っていればいいのかわからないままだ。

2018-12-12 Wednesday

ドラマの獣になれない私たちを見てた。夢中になるというか、関心するように、ドラマの世界の隔絶された世界の話なんかじゃなくてすぐそばの物語のようにして見入って感じてた。最終話においても、その場の勢いだか流れだかでお互い後悔を隠せない体の関係を持った夜のことについて、あんな風に面と向かって話し合うなんて、ああいいなあと思った。どうなんだろ、普通、そんなのするかな。しなくて、まるで何もなかったみたいな挨拶を会話を交わしてまうんじゃないの?だから、あそこでどうしょうもなくむきあって話をせずにいられなかったふたりがとんでもなくかわいかったな。お互いにこんなの良くなかった、お互いにもっとちゃんと大事にしたい相手、関係だったからこそなぜどうしてを突き詰めたくなる。でもその態度はなんて誠実なことか。そこまでできるなんて、ないよな、少なくとも自分には、と思ってしまう。良い作品だった。


新しいラグが来た。部屋が明るくなった。実家からデロンギを運んできた。やはり私はデロンギのオイルヒーターがないと生きていけないのだった。本をもっと読める人になりたい。全然読めてないけど。毎日時間はどこへいってるんだ。ドブに捨ててるのだっけ?空気公団ライブは週末だ。オウガのライブと被った。自分の実体永遠にわからないな。わたし馬鹿になりたくない。馬鹿だと知っている。何度も夢見て何度も夢破れているのにそれでもまた夢を見ようだなんて馬鹿げてる。馬鹿になりたくない。私は賢く高らかに大らかで微笑む人で、なんて、そんなの無理すぎるけど。馬鹿からとにかく遠ざかりたい。馬鹿になって泣きたくなんてない。最初から何でもわかってる。何も覆ったりしない。それを何度も何度も摘んでは飲んでいる。