態と自ら墓穴を掘る

積読はいいことなのでしょうか?
最近、何にお金を使っているかと聞かれたら、間違いなく本だと即答するでしょう
昔から本は好きだったので、ちょっと最近読み始めたら再びぶり返してしまったらしく、あれやこれやと面白そうな本を買いあさっているうちに、積読本が40冊くらいになってしまいました
普通の文芸書がほとんどですが、中にはC言語の入門書やライトノベル、数学心理学哲学社会学の本が積まれているのですから困ったものです
背表紙が見える状態でおいておくだけでもいいと言いますが、本棚もいっぱいいっぱいなので、ベッドのしたの隙間にぎっちり詰め込んでいます
しかし、人間は寝ている間にコップ一杯分の汗をかくことを考えると、湿気的な意味でいい場所とは言いません
そもそも屈まないと背表紙なんて見えません
新しい本棚でも買いたいなぁと思ったのですが、部屋が狭い(一般的な狭い部屋と比べると広いかも知れないが、見渡す限り本棚をおけるスペースは無い)ので置く場所がありません
実家暮らしなので、別に自分の部屋に置く必要も無いので、ちょっと家族と相談してみようかと検討中です
家族が代わりに読んでくれたら本も喜ぶでしょう


それはさておき、今日買ってきた本は「掟上今日子の推薦文」です
西尾維新の今日子さんシリーズ二作目ですね
ついこの間一作目が出たと思うのですが、執筆ペース早すぎです
まぁ、西尾維新本人もそれを売りにしているようですが
最近は西尾維新にハマってみようと考え、西尾維新の本を片っ端から買っています
ハマったから買っているのではなく、あくまで逆であるところが、なかなか私のひねくれているところだと思います


ところで最近ブログの書き方が変わってきているのは、どうにも本を多く読んでいることに起因している気がします
言い回しがどうも回りくどくなっているのは、もう直せないのかな
まぁ、レポートを書くときはどうしても文章が長くなってしまうことを考えると、そこまで悪いことではないのかもしれませんが、読む人のことを考えているとは思えませんね
うーん、最近になって変わった悩みが増えてきたしのぶでした

掟上今日子の備忘録

掟上今日子の備忘録

掟上今日子の推薦文 (講談社BOX)

掟上今日子の推薦文 (講談社BOX)

ようこそ、わが家へ

全国のドーナツが大好きな皆さんコンバーター
どうもどうもしのぶです
お久しぶりです
最近はボキャブラリーが貧困でブログひと記事書くのにも一苦労です


さて、大学三年生にもなると職業がどうとか、就活がどうとか、就職がどうとかいろいろなところで話が上がるわけですけれど、どうにも実感が湧かないと言うか、どうにも私にはやりたいことがこれと言って無いのです
このまま私はどうなるのでしょうか
自分が思った通りの職業に就けると思っているほど傲慢ではないですが、それでもやりたいことが特に見つかっていないのは、いささか今まで隠してきた不安をかき立てる要因となっているようで、どうにもここ最近何もしていない自分に不安を隠しきれず、本を読んでないと落ち着きません


ここ最近はやるべきことをしっかりとこなせばそれなりの評価を得ることができることに気が付きました
しかし、それでも頭のいい人には、できること意外はできないということをしっかり見抜かれているのですから話になりません
やっぱり何もできないね、とがっかりされる未来はいつ来るのでしょうか
信頼ほど怖い物はありません
何もできないじゃないかと、気付かれたが最後です
だとすると信頼なんて最初から得ないほうがいいのかもしれません
無理して勝ち取った信頼に押しつぶされるのが怖いのです
ここまで来たら止まる方が危ないので、行けるところまで行ってみるしかないですね
目の前に壁が立ちはだかったら、穴を掘って向こう側に行くまでです
壁を壊したり、壁を登る勇気はありませんから

この記事には嘘の記述しかない

どうもこんにちは
ゲゲゲの鬼太郎です
うそです
しのぶです


エイプリルフールはこれと言って嘘をつく暇もなく終了しました
なのでちょっとこの記事のタイトルにパラドックスを仕掛けました
有名なエピメニデスのパラドックスです
クレタ人は嘘つきだと、クレタ人は言った」という自己言及のパラドックスです
この問題は解決しようとすると無限に思考することになってしまいます
考えるだけ無駄なので、先に進みましょう
エイプリルフールという嘘をついていい日からは、いくつか面白い考察ができます
ひねくれ者の私はこんなことを考えたりしていました


「エイプリルフールでついた嘘は一年間実現しない」というジンクスがあります
たとえばTwitterかなにかで、「彼女(彼氏)ができました!」とつぶやいたとします
それが嘘であった場合、この一年間(来年の3月31日まで?)は彼女(彼氏)ができることはないということです
しかしエイプリルフールであることを利用すればそんなジンクスもひっくり返すことができます
「エイプリルフールでついた嘘は一年間実現しない」というものが嘘であった場合、一年間実現しないというのは嘘であるから、エイプリルフールでついた嘘は一年間のうちに実現する可能性を再び見いだすことができます
要するに「エイプリルフールでついた嘘は一年間実現しない」という嘘を事前についておけば、エイプリルフールでついた嘘はこの一年のうちに実現できるということになるわけです
実際はこんな単純な話ではなく、論理的に間違った解釈もありますが、意図的ですし、そもそも「エイプリルフールでついた嘘は一年間実現しない」というジンクス自体論理的ではないので、この話はここまでにしましょう。


たとえば、フォロワーさんがこんなことをつぶやいていたとします
「さっき百億万兆円拾った!!!」
明らかに嘘であると皆さんは気付くことができます
そもそもそんな単位存在しませんし、存在していたとしても、そんな金額を一生のうちに、しかも言うなればエイプリルフール当日に拾う確率なんて、隕石にあたって死んでしまう確率よりも低く、信用することはできません
では、「さっき十円拾った!」とつぶやいている人がいたとします
これを嘘かどうか判断するのはさっきよりも難しいはずなのです
そもそも嘘を本当だと認識する人がいた場合、嘘をついた人は何かしらの利益を得ることができます
じゃなきゃ嘘をつく理由がありません
エイプリルフールに嘘をつく理由は、だまされたという気持ちを相手に抱かせて、あざ笑うというところにあるでしょう
十円という現実的で、なおかつどうでも良い情報、ようするに本当だとしても嘘だとしてもどうでも良い場合、嘘をついて得るメリットはほぼないと言っていいでしょう
だとするとこの情報は本当だと考えることができます
とまぁ、ここまで考えさせて嘘でした、という場合のメリットはそこそこ存在しているわけですが、こんな考えを十円拾ったという一文から巡らす馬鹿は私以外にはなかなか存在しないことを考えると、その可能性は低いと言っていいと思います
利益不利益で物事を考える、いわゆる経済学のゲーム理論に近いような考え方ですが、あくまでエイプリルフールのつぶやきのお話です
エイプリルフール以外でのつぶやきに関しては知ったことではありません


エイプリルフールとは真実さえも嘘になりがちです
本当に千円拾った人、本当に実家が火事になった人、本当に恋人ができた人は、どんな風に伝えれば嘘でないと信じてもらえるでしょうか?
そもそもその認識自体が間違っていることもあるでしょう
嘘を信じることで幸せになれることもあるのだとすると、嘘をつくことはあながち悪いこととは言えないかもしれません
私は今日、自転車を新しく買い替えました
信じるか信じないかはあなた次第です

目に見えない魔法のような存在

みなさんこんにちわ
しのぶです
3月になりましたね
もう春です
花粉が飛び交っていますね
くたばれ


私は花粉症ですが今年はそこまでひどくないですね
ときどき鼻水が出たりしますが鼻が常時詰まっているわけでもないです
ただ目は痒かったりしますね
花粉にはアセロラが効きます
めちゃくちゃ効きます
即効性はありませんが年が明ける前から長い期間にわたってアセロラドリンクを飲んでいた年は、かなり楽だったと記憶しています
ただあまり好きな味ではないです
全然嫌いじゃないし、普通にジュースを飲む感じで飲めますがそれでもすごくおいしいと思ったことはありません
他にも花粉症に効く食べ物とかありませんかね
毎年毎年勘弁してほしいです


今日はたくさんの人の前でマジックをする機会がありました
マジックと言ってもステージマジックではなくトランプを使ったクロースアップマジックです
飲み会をしている時に先輩にマジックを見せていたのですが、気がついたら結構な人数が集まってきてしまいました
ふと後ろを見たら店員さんまでいました
勘弁してくれ
マジックをやったことがある人ならわかると思いますが、友達に見せるのとは違って、大勢の人や大の大人にちゃんとマジックをする時って手が震えるんですよ
そして結構いつもより失敗したりする
これは場数をこなすしかありませんね
なかなか反響は良かったようですが個人的には満足のいくパフォーマンスはできませんでした
練習量よりも本番をこなした方が練習になったりする物ですね
これはいろいろなことに言えると思います
受験の模試なんかもそうですよね
勉強するだけじゃなくてちゃんと本番を想定しての予行練習ですから
普段気が付けないことに気が付けました
それだけでも有意義な一日でした
飲み会は楽しかったです

反省

いや、昨日の記事は失礼しました
正直リポグラムという言葉を知って
調子に乗って書いてみた文章なのでどうしようもないくらい出来が悪いです
そもそも受け身の文章が書けないのにですます調で書き始めてしまった時点で失敗です
二度と挑戦したくないと書きましたが、(「挑戦」は使えなかったが)今度はもっとしっかりと時間をかけて納得のいく物を作りたいです
言い訳タイム終わり


実は本を買ったんですよ
それくらいは昨日の記事から読み取れると思いますが
小林賢太郎さん目当てで西尾維新との対談本「本題」を買いました
西尾維新は知ってる人は多いでしょうが、「化物語」などのシリーズを手がけている速筆が売りの小説家です
日本語に対して非常に面白い感性を持っているようで、リポグラムで小説を書いた「りぽぐら!」という本を出していることが対談本の中で言及されていました
それを読んだので是非と思い買ってきたのです
どのようなリポグラムで小説を書いているかはここではあまり説明はしませんが、それに影響を受けての昨日の記事でした
これから読みます
積み上がらないように祈るばかりです


その他にも西尾維新のファンになってやろうかと思い、いくつか小説を買いました
掟上今日子の備忘録」と「悲鳴伝」という本です
前者はあまり評判がよろしくないようですが、小説が面白いかなんて読む人が決めることなので、あまり気にせずに買ってきました
後者は517ページのかるい辞書レベルはある面白いくらい分厚い本です
難しいのは読破することよりもその本を読み始めることであると買ってから気がつきました
この記事は本の紹介だと思ってください
一つも感想が書いてありませんが、こんな面白そうな本があるのかと思ってくれればおっけーです

西尾維新対談集 本題

西尾維新対談集 本題

りぽぐら! (講談社ノベルス)

りぽぐら! (講談社ノベルス)

掟上今日子の備忘録

掟上今日子の備忘録

悲鳴伝 (講談社ノベルス)

悲鳴伝 (講談社ノベルス)

リポグラムをかじる

こんにちは
しのぶだよ


今日は本屋さんに行きました
思ったより久しぶりに本を沢山買いました
最近は表紙買いというものをよくします
あたりを引いたときはガッツポーズ
あと、中古の本をアマゾンから買うようになりました
時代は変わるものだと渋々感じます
昔はそんなことはなく、中古といったらブックオフ
今は我が家にいる状態のまま購入することが可能となりました
いやぁ技術の進歩は恐ろしい
時代は変わりゆくものだと感じます


しかし、最近は本を読まずに積むことが多くなりました
もったいないんだよなぁ
時間がないとかそういう本を読む気分じゃないとか
買ったのにいろんな理由から読まないことが多くなりました
年を取ったのかも
今年二十歳になりましたが、こういう形の認識の仕方は辛くなります
ああ、ついにこの時が来たのか、と、


冒頭から違和感を感じた方もいらっしゃるかと思いますが
実はこの記事はとあるルールに従い書いた文章になります
この記事は五十音の第4段を全く使用しないという試みのもと
そこそこ時間を費やし書いたものになります
「リポグラム」という名がありますが、あまり知る人は少ないと思います
まだまだ修行が足りないと感じましたが、そんなことより二度とやりたくない