戦略なき開発を憂う読書「日本の技術経営に異議あり」

技術経営といっても教科書的な内容ではなく、サブタイトルに出ているように「現場からの告発」がメインの話題だ。半導体や携帯電話など、日本のメーカーが競争力を失ってしまった分野を題材に、当事者から問題の状況やその原因などが詳しく説明されている。各章の記述はメーカーやSlerに勤務する方々が分担して行っているので、よくありがちな「きれい事だけが載っているMOTの解説書」とは一線を画す内容であり、開発現場からの鋭い指摘が数多く載っている。

取りまとめ役の伊丹敬之氏は、米国とは異なる日本型のMOT(技術経営)の特徴として、もちろん良い面もある(あった)のだが、同時に影の部分が多いと指摘する。例えば、その一例として挙げられている「戦略なきチマチマ開発」では、全体としての方向性が明確に示されないまま、従来の技術蓄積を広げる形で行われている開発の状況をこのように表現している。

たとえば、蓄積型MOTを志向するから、従来の技術蓄積の周辺へと滲み出すように技術開発努力の範囲が広がっていく傾向がどうしても生まれる。その上、分散型MOTなのだから、現場がある意味で「勝手に」開発範囲を広げていってしまう。それは、一つの事業を成立させるための技術システムはじつは多様な要素からなり、その多くに周辺への発展可能性があるのだから、仕方がないことでもある。現場の声としては「これもやる必要がある」とあちこちから提案が生まれ、その多くが生き残ってしまうのである。

まさに、成果主義がもたらす部分最適化の世界だが、これが日本企業の開発の実状だろう。当然のことながら、そんなに多くの開発に割り当てるだけのリソースは限られているので「個々の開発努力はチマチマとしたもの」となってしまい、結果として出てくる成果も今までの枠組みを大きく超えられないものになってしまう。もちろん、個々の当事者たちは自分なりに全力を尽くしているのだろうが、その努力の方向性は会社全体としてまとまっていないし、まとめ役の役割も権限も不足しているので何でもアリの世界となってしまう。

しかも、現場からの発案は企業全体のあるべき姿を考えてというより、自分たちの守備範囲の中での部分最適になりがちであるこうして拡散していく開発努力をどこかで刈り込み、選択と集中を行う必要が出てくるのだが、分散型MOTゆえにそれも思うに任せない。ましてや、CTO的機能が小さいのだから、企業全体としてのMOTの戦略性も生みだすこともできない。だから、戦略なきチマチマ開発となるのである。

そのような体制で進む製品開発は「コンセプト無き足し算型開発」と表現されており、ユーザーよりも競合他社を強く意識した「横並び研究開発」の結果として生みだされる製品は、突出した特徴を持つわけでもなくドングリの背比べのような競争に巻き込まれている。例として挙げられている携帯電話やデジタルカメラのように、販売されている製品の数はやたらと多いのにその差違は実は微々たるものなので普通の消費者には理解できず、結果的に製品の差別化に失敗していることも少なくない。

しかし、企業の製品開発は、製品の全体性を確保するためのコンセプトを明確に持たないまま、個々の技術の開発からのボトムアップで最終的に足し算として製品全体の技術の組み合わせが決まる、ということになりがちである。それをコンセプト無き足し算型の製品開発と呼べば、そのような状況が横並びを引き起こすことが多い。個々の技術開発を技術者たちがそれなりにきちんとしていて、しかも競合とのベンチマーキングをしたがるので、その足し算の結果が似たような製品になってしまうのである。

iPhoneのような特徴ある端末はどのようなコンセプトで開発されたのか、日本の携帯電話開発とはどのように異なっているのか解説もあり、目指すべき方向性も示唆されている点は興味深い。木村鋳造所や林原などの成功事例も合わせて紹介されており、中核技術を認識してそれを生かす技術経営の必要性が強く示されている。不況の中、勝ち残っていけるのは、たぶんこのような本質的な技術経営を行う企業だけではないだろうか。

日本の技術経営に異議あり

日本の技術経営に異議あり