元会社役員という肩書き

新聞や雑誌の読者投稿欄にはよく職業が書かれているけれど、ここで時々目にする「元会社役員」という肩書きには、個人的に嫌悪感を感じてしまう。自分自身のポジションに関してどのように書こうと個人の勝手とは言え、ここまで過去の栄光に執着するのはいかがなものかと思う。書いている本人は、役員にまで出世した自分を誇らしげに思う気持ちになっているのだろうか?あるいは自分自身の主張に説得力を持たせるために、昔持っていた肩書きを使い続けているのだろうか?例えば、主婦や学生のような自分より弱い立場の人の主張を見下すつもりなのだろうか?直接、本人に理由を聞いた機会が無いので単なる想像に過ぎないけれど、そんなことを考えてしまう。

こんな人が、停滞感漂う日本に向けて何か有意義な行動を起こすとか、提言をしてくれるのならまだ良いけれど、何故か昔の役職にこだわる人に限って、昔の自慢話とか過去の栄光を語ることが多いのは残念なことだ。むしろ、そんな昔の立場にこだわらず、地道な活動をする人の方が「実は現役時代は会社の役員で...」ということが有ったりして、人間的にはこちらの方を見習いたくなる。

厄介なのは、「元会社役員」への道を辿ろうとする予備軍が世の中に散見される点だ。上の世代が手にした美味しい思いに憧れているのか、あるいは自分自身も下手な失敗はせず逃げようとしているのか、少々冷ややかな視線で勘ぐりたくなる。自分から荒波など起こさず、嵐が来たら首を引っ込めて静かにしていることを信条とする人が組織の中には少なからず存在するけれど、そんな人が増え続ける組織の行く末はかなり危ういと思う。

しかし、そんなことをするとハードウェア全盛の時代に働き盛りだった40代50代の人たちは自分たちの居場所がなくなるし、万が一失敗した場合は自分たちの退職金も危うくなるわけで、今の経営陣にこんなことを言っても馬の耳に念仏。彼からからすれば、とにかく自分が円満退職するまで会社が存続してくれることがなによりも大切。余計な冒険などせずに、問題をできるだけ先送りにして、今のままの形で次世代にバトンタッチするのが一番の得策。そんな「逃げ切りメンタリティ」が今の日本をだめにしている。

Life is beautiful: 逃げ切りメンタリティ

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