そして、日本へ。
一週間の、島生活。
マナド沖に浮かぶブナケン島は、ダイビングのメッカだ。
島の周囲には、色とりどりのサンゴ礁があり、そこには多くの魚が棲んでいる。
ここで、ダイビングのライセンスを取得した。
4日間にわたり、海に潜って魚と戯れながらの授業。
こんな環境でライセンスが取得できたことがうれしい。
ライセンス取得後は、タンココ自然保護区へ。
世界最小のメガネザル、タルシウスが栖む。
そして、日本へのフライト。ジャカルタ乗り継ぎだが、ジャカルタまでとジャカルタから、共に経由便なので、4回離着陸を繰り返した。
目が覚めると、そこはもう日本。
5年間の学生生活が、終わった。
東京・日本(Tokyo,Japan)
総走行距離1968km
自転車旅の終わり。
ミナハサ半島を東進。
次第に、教会が多くなってくる。
ミナハサ人は、ほとんどがキリスト教徒。
そんな中、宿がない町に一泊せざるをえなくなってしまった。
例によって、警察署に野宿させてもらう。
「お前は、ミナハサ人か?」
警官に言われた。
ここらへんの人たちは、日本人に似た顔立ちの人も多いのだ。
そんなこともあって、グレートジャーニーの関野吉晴氏が日本までの船旅の出発点に選んだのだろうか。
その船旅の始まるまで、ムサビの学生と関野氏が鉄を砂鉄から作り、木を切り出して船をつくるまでのドキュメンタリー映画『僕らのカヌーができるまで』は4月17日からポレポレ東中野にてレイトショー。
さて、ミナハサ半島の先端に、マナドの町はある。
ここで、僕の自転車旅はひとまず終了。
これから一週間、ダイビングをしよう。
マナド・インドネシア(Manado,Indonesia)
総走行距離1938km
北半球へ。
ポソの町をはさんで、モスクが多くなってきた。南側は教会が多かったのと対照的だ。
ヒンドゥー教徒はどちらにもぽつぽつといるようだ。
ポソからは、トミニ湾沿いをずっと北上。気持ちいい海沿いの道には、ところどころ静かなリゾートホテルがある。
リゾートホテルといっても、夜しか電気の通らないような現地人向けの安宿。
そんなところを走っていたら、ふと泊まりたくなってしまう。
ほぼプライベートなビーチで、宿の子供たちと遊ぶ。
翌日、赤道を越える。静かな村に佇むモニュメント。
まったく観光地化されていない。バスもバイクタクシーも、みな通り過ぎていく。
そして北上から東進へと向きを変え、ミナハサ半島へ。目的地のマナドまでは、あと600km。
暑い日々にもだいぶ慣れてきたので、宿は自発的にエアコンなしを選ぶようになってきた。
マリサ・インドネシア(Marisa,Indonesia)
総走行距離1408km
毎日の水浴び。
走り出したはいいもののとても暑いので、初日は昼過ぎには走りやめて川で子供たちと水浴びをしていた。
二日目、三日目は宿がなく、警察署に泊めてもらった。
四日目は、暑さに耐えかねてモスクで水浴びをさせてもらった。
そして、スラウェシ随一の観光地、タナ・トラジャにたどりついた。
標高800mほどの、高原地帯。三期作をする棚田では、水牛が水浴びをしている。
独特のトンコナン・ハウスが並ぶ。
人が死ぬと、一度この家に安置されたあと、農閑期にとても盛大な葬式をするのだそうな。
いまは、雨期なので繁忙期。今日もスコールが、地を穿つ。
ランテパオ・インドネシア(Ramtepao,Indonesia)
総走行距離400km
最終決断。
春休みの行き先、決まりました。
スラウェシ一ヶ月。
結局、パプアニューギニアは治安状況を考慮して、諦めることに。
さらに、ボルネオ〜スラウェシとハシゴしようとしたのも、飛行機のチケットが希望日に取れなかったのと、船のスケジュールが希薄だったために断念。
なので、消去法的に、スラウェシ縦断。
マカッサル(ウジュンパンダン)〜マナドまで。
とくに見どころがないのですが、赤道を挟み、マナドでダイビングでもしようかと思ってます。
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