J2第19節・アビスパ福岡‐徳島ヴォルティス

アビスパ福岡2−1徳島ヴォルティス
得点:羽地(19分)誠史(26分)恭平(78分)
GK 1 神山竜一
DF 2 宮本亨
DF17 川島眞也
DF 5 長野聡
DF20 山形辰徳
MF16 久永辰徳(→田中佑昌62分)
MF 6 布部陽功
MF10 久藤清一
MF14 古賀誠史(→山形恭平73分)
MF 3 アレックス(→鈴木惇87分)
FW 9 リンコン

何よりも結果こそが求められた中で、ようやく掴んだ勝ち点3。この試合が復調のきっかけになってくれればいいと強く思いました。
前半はバックスタンド側のラインマンのジャッジがどうにもおかしなところが多く、DF陣は戸惑っている様子でした。徳島の先制点直前の、相手アタッカーが神山と1対1になった場面は、後から見た映像では川島がオンサイドのようにも見えたのでまあ良いとしても、その前後の場面では戻りオフサイドを見逃されたりして。まあ失点場面はそもそも相手のセットプレーに対して集中が切れていたのがよくないのであり、これは連敗中もしばしばアビスパが見せていた悪い癖なので集中してほしいですが。
先取点は、久々にスタメン復帰した誠史のビューティフルゴール。本人はクロスのつもりでゴール前に上げたところ、ミスって無回転になったボールがちょうどよい弾道でゴールインしたらしいけど、結果オーライでしょう。後半は相手の攻撃をこちらがオフサイドでからめ取るシーンが散見され、またこちらの攻撃もいささか空回り気味で膠着しつつありましたが、途中出場の恭平が佑昌のクロスを見事なボレーでゴールに叩き込み、逆転。最近はスタメンに入っていささか軽いプレーが多いのが批判されることもあった恭平だけど、こういうエレガントなゴールを決めるからファンも多いんだよなあ。
逆転した後は戦いぶりを注目しつつ、みんなベンチワークを気にしていたが、試合終了まであと数分になったところで、待望の鈴木惇が登場。「高校生Jリーガー」というフレーズはメディアやお客さんの注目を集めるのに非常に有益だし、世代別代表も多く経験した惇の実力は、いずれアビスパを支える柱となってくれるはず。地元出身の有望な若手のデビューを勝利で飾れたことは非常に大きな意味を持つ。この日のボールタッチはわずかなものだったが、順調に伸びてくれることを願っています。
この日の勝因の一つとしては、久永を右SHに上げたことで有機的な攻撃シーンが増えたこと、DFラインが本職のDFで構成されて安定したこと、守備意識を高く持って試合に臨んだことで後半でも集中を切らす場面が減ったこと、などがあろうか。もちろん第1クールの好調時とはほど遠い出来ではあるが、とにかく上向くきっかけになれば幸いでしょう。絶望的だった5月の連敗トンネルは早いとこ脱出し、この6月を反転攻勢の時としなくては。今月は残り6試合のうちアウェーが4試合といささかキツくはあるけれど、しっかり前を向いて進みたい。

陰謀論に「反逆する!」

そして、ほとんどの人にとって、世界の真の姿は複雑すぎて、全体像を適切に把握するのはめんどくさいし、時間的にも手間的にも、いちいち自分でしっかり調べるのは現実的ではない。
このため、人々は常に、間違った世界認識をするリスクを抱えている。だから、実際にリスクが現実になってしまって、損害が出たときも、フェイルセーフするような戦略で生きていく必要があるわけだろう。
もちろん、一見、陰謀論を信じた方がフェイルセーフに見えるけど、実際には逆で、陰謀論を信じる方がリスクが高く、損だというケースも多いだろう。
しかし、陰謀論を信じた方がリスクが高くて割に合わないかどうかは、ほとんどの人間にとっては、現実的な手間とコストでの調査の範囲内では判別不可能なのではないか。
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ブックマークコメントにも書いたのだけど、間違った世界観、荒唐無稽で論理的整合性を欠いた世界観が構成員の間に広がると、その世界を管理したり運営したりするコストが大きく上昇するんじゃないかと思う。世界の姿を「完全にきちんと」認識するのは困難だけれど、だからといって正確に把握しようとする努力を怠れば、我々の間で描かれる世界観の齟齬は大きくなり、「リスクが現実になる」機会が増えるのではないか、と。根拠レスの陰謀論が大量に出回るような世の中は、たとえ個々の陰謀論を信じる人の数は少なくとも、全体として「この世界は陰謀が巡らされるような世界である」という世界認識を作り出してしまい、世界をロジカルに運営することを阻害する。言うなれば、陰謀論を信じることは自分が生きる世界の歩留まりを低くする行為ではないか。
自分はそのように考えるので、多少しんどくても自分が構成する世界をできるだけ正確に把握したいと思っているのだけれど、もしかしたら陰謀論に馴染みやすい人っていうのは、「自身が世界の構成員である」という認識が薄いのかもしれないと考えた。自分のふるまいが自分の属する世界に影響を与える可能性を考えたら、むしろ非論理的な陰謀論の流通を押しとどめることが構成員としての責任のような気がするのだけれど。ここでもbewaad氏が言うところの「想像力の欠如」があるのかもしれない。