The best is yet to be.

Good Bye 川淵さん

2007-06-21

親学」を求めたのは誰?

先日のエントリでazumyさんにTBを送ったら、長文の返信エントリをいただいた。以下、ざっくりと感想などをしたためておく。

まず、「親学」提言に対して若い世代が比較的支持率が高いことについての、

そこで20代の、まだ子育てしていない、かつ将来子育てしようと思っている人について言えば、そういった育児書的な何かは、あってくれればありがたいものである。昔は「スポック博士育児書」という定番の書があり、猫も杓子もスポック博士だった。しかしその後さまざまな育児に関する知見が出てきて、これも決して正しくはない、ということになっている。その他、育児書というものも多数あるが、どれが正しく、どれか誤っている、という基準はない。さらに、ネットなども含めると、新しいけれど混沌とした育児情報が処理しきれないほど存在している。結果、どの育児書を読めばいいのか、なにを参考にすればいいのか、判断する手がかりを手に入れることすら困難、ということになってしまっている。実はその判断が可能なのは、既に育児を経験した者だけであるから。

という分析は大いに腑に落ちる。確かに、僕の周囲を見渡しても、スポック本や松田道雄本やシアーズ本を読み込んでいる人間は見当たらない。というか存在を知らない人も多そう。未知の事柄に挑むときは誰でも不安になるものだし、何がしかの指針というか知見を求めようとするのは自然な気持ちだ。若い世代からすれば、たまごクラブやひよこクラブを購読するように、あの提言を受け止めたのかもしれない。

一方で、引っかかるところもある。

ところが、こういったことが、政府の提言として出された途端に、別の意味を持つ。実は政府は何も押しつけてはいない。しかし、政府の提言という後ろ楯を得た別の者が、こういった些細なことに圧力をかけ、「お前は政府の提言すら守ろうとしない悪い親だ」と非難する力をもつのだ。こういった圧力は表立っては行われない、大抵は身内やごく親しい間の話だ。「悪い親だ」という言い方すらされない場合も多い。「政府もこう言ってるんだから、こうやったほうがいいんじゃない?」と圧力をかけてくる。あげくに、提言どおりにしていないことを「子どもへの愛情が足りない」と勘違いし非難する輩すら出てきかねない。現に、プロポーションを維持するために人工乳育児している母親への視線は、そういうものとしてある。

私は、そのことが怖いのだ。政府が何を言っても私は怖くはない。所詮はマクロな、概観的な話にすぎない。しかし、マクロミクロ投影される。

これは、当事者の親戚とか世間などが、当事者プレッシャーをかけることを危惧したものと読んだ。もちろんそういう心配はあるのだが、マクロミクロ投影されるのはこの提言に限ったことではないだろう。今回の親学提言については、結局は伊吹文部科学大臣など自民党内からも多くの批判を浴び、教育再生会議は提言を引っ込めてしまった。けれども、「オーラの泉でこう言っていた」とか「細木数子がこう書いていた」というような形で、余計なメッセージは恒常的に発信されている。そういった雑音をことごとく封じることはできないわけで、メッセージの受け手の側もスルー力を鍛えた方が良いのかもしれない。大体において身内ほど余計なことも言うものだ。

もうひとつ。Azumyさんは「内容は妥当な部分もないことはないが、政府が出したことが良くない」という形で批判しておられる。

私は、例の「親学」提言の中身については、自分自身は、はいはいなーに言ってんだか、と話半分に聞くだけである。一理あるな、と思う部分もある。賛同できない部分もある。

しかし、政府が「親学」提言なるものを出すという行為自体に対しては、反対だ。そこに国が口を出してはいけないのじゃないか、と思っている。もし出すのなら「子どもを大切にしましょう」「子どもの権利を尊重しましょう」くらいしか言えないと思う。それですら「でも私は子どもをかわいく思えない」と苦悩する人も出てくるだろう。それはそれでいいのだ、かわいくなくても大切にはしなくてはならない。政府は、最低限親として求められることだけ述べればいいし、それ以上言ってはいけない。

この点については、むしろ、なぜ子育てについての知見がこれほどに断片化、あるいは混沌とした状況にあるのか、という疑問を持つ。なぜなら、育児についての妥当な考え方というものが世間に流通していたら、わざわざ政府が出すまでもないし、出しても支持はされませんよね。「過去ログ読め」という感覚で、「スポック本読め」といえば事足りる。でも実際には、若い世代はそういう知見を求めているのに得られず、「親学」提言を支持しているわけです。

上で、「実はその判断が可能なのは、既に育児を経験した者だけであるから。」と引用したけれど、いくら少子化といっても親の数は子供の数より多いだろう。というか親の方が少なければ少子化とは言わんか。まあともかく、育児経験のある人間は相当数いるはずで、にもかかわらず育児に関する知見が収斂されていないからこそ、あの提言が登場する余地が生まれたとも言えるんじゃないでしょうか。

前のエントリで書いたように、僕もあの提言を見て違和を感じた。けれども、そういう指針や知見を欲する声、もっと言えばマニュアルを得て安心したいというニーズがあることは理解できるわけで、そういう求めに世の中は応えてきたのかなという点では、あんまり厳しく非難する気にもなれないのです。政府が出す前に、社会の側で先に提示しておけばよかったんだからね。

・・・なんて事をホットドッグプレスを参考に初めてを乗り越えて失敗した僕は思う次第であります。

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つまり、親学なるものは政府ホットドッグプレスを出すようなものであったと。言いえて妙なたとえですな。

azumyazumy 2007/06/22 10:01 ご返答ありがとうございます。
一記事としてあげる分量にならないので、こちらへコメントさせていただきます。
まず、育児者への周囲からのプレッシャーについてですが、rajendraさんの解釈のとおりです。もっと具体的に言うと、比較的高齢層、実親や舅姑からのプレッシャーを主に想定しています。これは現実に向かい合うと難しい問題です。彼らは善意からアドバイスしていることが多く、しかし同時に嫁や娘の育児に不満を持ってもいる(だから口を出す)からです。ここが単なるスルー力の問題では済まないところで、実親や舅姑との直接的人間関係が同時に存在し、それを良好に保つことも必要だからです。
スピリチュアルや根拠のない信条程度であれば、言われた側は「私は信者じゃないので」で済むのですが、国の方針となると、日本国民という属性を自分自身ももつ以上、よりスルー力を発揮しにくくなる心情はやはりあるでしょう。平気な人もいるが平気でない人もいるだろう、ということです。

子育ての知見の多様性については、私自身は、本質的に子育てとはそういうものだと思っています。正しい子育て、これをしておけば間違いない子育てというものは存在しないと。ですから、ある親が、私はこうして子育てした、というのをそのままなぞったとしても、次にうまくいくとは限りません。
しかし、一方では、これは知っておくべし、守るべし、ということも存在します。赤ん坊の生理的・保健的特性と関係すること(食や発達と関わることなど)や、事故を防止するための手だてなどです。
今回の「親学」提言とそれを巡る意見には、このあたりが混同されているきらいがあると感じます。前者はマニュアル化できないし、仮にマニュアル化しても成功しない。後者はマニュアル化して広く広報すべきである。
「親学」提言に期待する若年者層の中には、前者のマニュアル化を期待している人も含まれるように思います。なぜなら、実際に提示された「親学」提言にそれが含まれていたからです。

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