ワークフェアにまた一歩

そのうち記事も消えるので全文引用しておきます。

政府・与党は、失業手当の給付期限が切れた失業者に、職業訓練中の生活費を支給する制度の検討を始めた。
昨年から月10万円の貸付制度を始めているが、利用者が少ないため、より使いやすい制度の創設を目指す方針だ。
同制度は長期失業者に対し、国や都道府県が実施する公共職業訓練の受講を条件に、生活費を支援するものだ。不況が長期化する恐れがある中、最長330日の失業手当の給付期間中に仕事が見つからない失業者の生活を、再就職を目指す人に限って支える狙いだ。
職業訓練を条件とした生活支援は、政府が昨年11月に雇用対策の一環として、月10万円の貸付制度を始めている。企業が職業訓練のために支払っている雇用保険の保険料を財源とした3年間の時限措置で、職業訓練を経て就職した場合などは、返還が一部免除される。しかし、「世帯収入200万円以下」など要件が厳しいこともあり、2月24日の時点で利用実績は8件にとどまっている。
新制度について、与党では関係法を整備し、一般会計を財源とした恒久的な制度を創設する案が出ている。欧州では、ドイツなどがこうした制度を設けており、連合(高木剛会長)も制度創設を求めているためだ。
ただ、法案審議に時間がかかることから、政府では当面、現在の貸付制度を変更する形で対応するべきだという声が強い。その場合でも、貸し付けではなく、返済を求めない支給制度とし、倒産した自営業者ら雇用保険に加入していない人も対象とする方向だ。
制度の詳細は今後、与党の「新雇用対策プロジェクトチーム」(座長=川崎二郎・元厚労相)で調整する。
「長期間、生活費が支給されることになれば、結果的に離職者の就労意欲を減退させる可能性もある」(厚労省幹部)という指摘も出ており、支給額や期間は慎重に検討する考えだ。
一方、民主党も、失業手当の受給を終えた失業者に、職業訓練を受けている間、2年間を限度に月10万円程度の手当を支給する「求職者支援法案」を今国会に提出する方針だ。
失業手当終了後も生活費支給検討、職業訓練条件に : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

これはいいですね。以前のエントリで書いたとおり、福祉給付に就労を紐付けるのがワークフェアの骨子なわけですが、ラストリゾートたる生活保護に一気に向かわせないためにも、就労インセンティブを損なわない生活支援策が望まれるところです。記事にもあるように単なる所得給付では就労意欲減退の可能性がついて回りますからね。就労を促し、自立して生活できる人間が増えるほど社会のサステナビリティは高まるわけで、こうして労働政策と社会保障政策が緊密に結ばれるのは大いに歓迎です。
こうして失業者に対するセーフティネットがきちんと準備されればされるほど、労働者が合わない職場にしがみつく必要も少しずつ薄れていくでしょうし、きっといろんな方面に利益があることと思います。むろん、嫌いな人はやっぱり嫌いな政策スキームなんでしょうけど。

スマートな運営

 展示の入れ替え作業などは、お客さんに見せる仕事じゃない。
 できることなら、開館時間外にやりたいのだけど。
 開館前は他の作業で手一杯だし、閉館後は早く帰りたいと急かされるし。
 「この展示は、館内整理日に」と案を出したものを、なぜ開館中に入れ替えようとするか。この展示を入れ替えるには、エントランスの通路を半分も占拠して、いかにも「作業中です」という状態にしないとならないと言うのに。すぐにでもやらないと時期を逃す展示を、準備ができているにもかかわらず、なぜほったらかすか。わからん。
図書館雑記&日記兼用:サービスはできるだけスマートに。 - livedoor Blog(ブログ)

自分も一時期はそのように考えていたけれど、今はそうでもない。
ルーチン化した事務作業なんかはバックヤードでさっさと処理してしまって構わないんだけど、館内での特別展示などのイベントめいたことは、むしろ事前・事後のあれやこれやにも見せられる部分があるのではないか、コンテンツの一環をなすのではないか、とそんなことをぼんやり考えている。
ユーザーは客にあらず、ライブラリアンは主権者にあらず、というスタンスに今の自分は傾いているんだけども、あまりにもスマート過ぎる運営は利用者と図書館の間に隔たりを生み、ユーザーの主体性の芽を摘んでしまうのではないか、という危惧を抱くんだよね。なので、どうにかして利用者自身の参加意識をかきたてられないもんか、そういう方向性でちょっと知恵を絞りたいわけで。
それは言うなれば、「この図書館はワシが育てた」とユーザーに思わせるということなのです。

内定取り消しの顛末

昨年後半に採用予定学生の内定を取り消して話題になった日本綜合地所が、ついに破綻したそうで。

日本綜合地所は93年の設立。主に首都圏で、ファミリー層を狙った「ヴェレーナ」シリーズマンションを分譲。団塊ジュニア世代のマンションブームに乗り、業績を拡大し、01年に東証2部、03年に東証1部上場。08年3月期の連結決算は売上高1189億円、純利益46億円を計上していた。
しかし、一昨年夏のサブプライムローン問題浮上後、拡大路線が裏目に出て、業績が急速に悪化。昨年10月以降は資金繰りが切迫するようになったという。今月3日には、09年3月期の連結業績が305億円の純損失に落ち込むと発表。最後は、今月上旬の建築代金支払いのめどが立たず、行き詰まった。
asahi.com(朝日新聞社):内定取り消しの日本綜合地所が破綻、負債1975億円 - ビジネス

なお内定を取り消された学生については、

マンション分譲などを手がける「日本綜合地所」(本社・東京都港区)が大学生53人の内定を取り消した問題で、学生3人が加入し交渉をしていた全国一般東京東部労組(岸本町雄委員長)は2日、同社と協定書を締結し問題が解決したことを明らかにした。
労組によると、協定書で会社側は「精神的負担を含め多大な迷惑をかけることとなり、誠に申し訳ない」と学生に改めて謝罪した。その上で、補償金100万円と解決金の支払いで合意した。補償金は当初42万円が提示されたが、交渉で100万円まで増額され、組合員以外の学生にも同額が支払われた。
日本綜合地所の広報担当者は「ほとんどの学生さんへの補償金支払いは終えた。ご迷惑をおかけしたので、業績回復に全力をあげたい」と話している。
労組によると、組合員の3人は内定が取り消された後、就職活動を再開、1人は新たな内定が取れたが、2人は就職先が決まらず、留年せざるを得ないという。須田光照書記次長は「内定取り消しや非正規労働者の解雇、雇い止めなど、弱い立場へのしわ寄せを許さず、企業の社会的責任を追及していく」と話している。
日本綜合地所:「内定切り」に補償金100万円で和解 − 毎日jp(毎日新聞)

同社は昨年11月、業績悪化を理由に、学生53人の内定を取り消した。学生3人は労組に入り、12月に会社側と団体交渉をした。補償金は当初の42万円から100万円に増額されたが交渉は決裂。その後も交渉が続いていた。
協定書は1月26日に結ばれ、同労組に支払われた解決金については組合費を除き、3人に分配したという。解決金の額は非公表としている。3人以外の学生らにも昨年12月、100万円の補償金の支払いが提示されており、同社によると全学生が受け入れを決めている。
asahi.com(朝日新聞社):内定取り消し、補償金+労組通じ解決金 日本綜合地所 - 社会

ということのようです。
昨年末のエントリでも書きましたが、潰れそうな会社に入っても将来は暗いし、入る前に潰れてしまっては学生が泣くことになるだけなので、やはり保険等による金銭的解決のスキームを整備しておくべきなんじゃないですかね。景気がよければ別の就職先を見つけることも容易でしょうが、景気がよくないからこそ騒ぎになってしまう。よくない状況を想定してリスクをヘッジしておくのは、ごくごく常識的なことですからね。

仕事に打ち込むという「悪徳」

ワークライフバランスの観点からすると、家庭のために割いてしかるべき時間を、家庭に割かずに自分のキャリアアップのために投入すること自体が、批判の対象となるだろう。もちろんキャリアアップによって当人の収入や待遇が向上する可能性はあるだろうが、それを達成する以前に家庭が不和に陥っては何にもなるまいよ。ま、家事を(ある程度)やっていれば仕事に没入することが許される、という発想を、まず変えたほうがいいんじゃないかな。妻のキャリアアップを妨げておきながら「そんなとき、嫁さんって笑顔で応援してくれるもんじゃないのかなあ。」って、いささか自己中心的に過ぎるのでは。旦那の側は主観的には努力しているつもりなのだろうが、努力する方向が大間違いだね。
とある夫婦の離婚序章

こんな時期に正社員の解雇規制緩和を打ち出したら

消費マインドの冷え込み方は生半可なものじゃないでしょうね。少なくとも消費税の増税と同じくらいには。
かつてマスメディアにおいて「リストラ」という言葉が賑わっていたころ、いったいどのように人員削減が行われていたか、覚えている人は多いでしょう。身内や友人知人が当事者だった人も少なくないはず。景気が沈滞している今般の時勢にあって、さらに解雇へのハードルを下げたら、多くの労働者は職にしがみつこうとしてノイズ混じりのアッピールを繰り返したり、あるいは同僚を蹴落とそうとする可能性もあります。生き残るためにはなりふり構っちゃいられません。もしかしたら家族も派遣切りや無い内定に遭っているかもしれませんしね。こぞって局所最適に走る姿が容易に想像できます。
前のエントリでも触れましたが、解雇規制を緩和するなら、それと同時に(あるいは先立って)、潤沢な失業保険の給付と手厚い就労支援が必要なはずです。太陽が現れる期待が無いのに、北風の只中でコートを脱ぐ馬鹿がいるわけもありません。正規雇用と非正規雇用の間の大きな格差はいずれ均衡に近づけるべきという考えを自分は持っているけれど、それを実行するべき時期は、十分な経済成長と各種社会保障の充実がともに成し遂げられてからの話でしょう。財政再建とか構造改革とか、マクロ経済が健康を取り戻してからの話ですよ。これ以上に消費主体たる労働者に痛みを負わせるって、冗談でもそんなプレイは御免です。「経世済民」って言葉はどこに行ったんですかね。
ついでに言っておくと、政府が積極的雇用政策に乗り出さないと、労働者は雇用の質を問うことが出来ずにとにかく就労せざるを得なくなってしまい、劣悪な労働環境が淘汰されずに延命し続けます。その点からも雇用の流動化それ自体にはメリットがあるわけで、だからやっぱり、一刻も早く景気の回復を促すとともに、フレクシキュリティを盛り込んだ積極的雇用政策なわけですよ。

アビスパ福岡2009年シーズン始動

いよいよ今日から、アビスパ福岡も2009年のシーズンを始動させました。今オフは積極的に補強に動き、ジュビロ磐田からは元日本代表の田中誠ロアッソ熊本からは高橋泰を獲得。またブラジルからはウェリントンを獲得し、退団した北斗の穴を埋めてくれそうです。思えば昨シーズン前は失意の只中にいたような気がしますが、今年はまともにコミュニケーションが取れる監督の下でスタートできますし、ちゃんと昇格争いに絡んでくれるでしょう。
背番号はこんな感じになるみたい。

.1神山竜一   12サポーター  23六反勇治
.2宮本亨    13柳楽智和   24釘崎康臣
.3山形辰徳   14中払大介   25笠川永太
.4田中誠    15アレックス  26岡本英也
.5長野聡    16久永辰徳   27丹羽大輝
.6ウェリントン 17中島崇典   28山口和樹
.7久藤清一   18高橋泰
.8鈴木惇    19大久保哲哉
.9黒部光昭   20宮原裕司
10城後寿    21大山恭平
11田中佑昌   22吉田宗弘

あとニュースもいくつかリンク。
J1目指しアビスパ始動 / 西スポ・西日本新聞スポーツ
J1昇格へ福岡始動、MF宮原ら移籍組も合流 : Jリーグ : サッカー : 九州スポーツ : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
J2福岡が元代表DF田中誠を獲得 - サッカーニュース : nikkansports.com
J's GOAL | フォトニュース
なお聞くところによると、ユースから昇格したGKの笠川永太(えいた)に対して吉田が、「おまえはまだ永太じゃない、B太だ!」というギャグをかましたらしい。アホや(笑)。

労働政策と社会保障政策を接続する3つのキーワード

はてブで何度も「雇用こそ社会の安定」と叫んでいるんだけど、新年一発目にちょっとキーワード解説的なエントリを書いてみます。素人学問なので全部信じちゃダメだよ。

  • フレクシキュリティ

Flexibility(柔軟性)とSecurity(社会保障)を合わせた造語。1990年代から、オランダやデンマークを中心としてヨーロッパで提唱・実施されてきた政策概念。企業にとっては労働市場がフレキシブルであることが望ましいが、ただ単にフレキシブルであるだけでは個々の労働者に不安定さのリスクを押し付けているだけであり、社会の安定は損なわれる。したがって、きちんと労働者を保護する仕組みを合わせて整備しましょうということ。簡単に言うと、「解雇されないから大丈夫」ではなく、「解雇されても大丈夫」という方向で制度設計を行う。デンマークを例に取ると、緩やかな解雇規制・手厚い失業保険・充実した職業訓練の3つを大きな柱としていて、この3つが相互に深く連携しているので「ゴールデン・トライアングル」という別名がついた。これにより、労働者はある企業から解雇されても、失業保険を受けつつ職業訓練に参加することで、生活水準を落とすことなく再就職が可能となる。もちろん、これを実践するのは容易いことではなく、デンマークにおける労働市場プログラムのコストはGDP比で約5%だそうで、国民がこれだけの負担を合意できなければ成り立たないだろう。そういえば3年ほど前に、フランスのドビルパン首相がCPEなんてものを提唱してましたっけ。労働組合の組織率ひとつ取っても、デンマークは90%近くあるはずですが、フランスは確か10%いくかどうかの低水準。CPEはフランス若年層の大反発を喰らって潰れてしまいましたが、ただの規制緩和ではデンマークモデルをなぞることはできないという証左です。(ついでに言うと、デンマークの元首相であるラスムッセンは、CPEはデンマークモデルとは関係ないと言っている。)

  • トランポリン型福祉

簡単に言うと、社会から落ちこぼれてきた人を受け止める「セーフティネット」に対して、貧困から脱出させ生活水準を高めるところまで福祉政策のスキームを広げることを、下に落ちてきた人を上に跳ね返す様子を形容して、そう呼ぶ。具体的には、イギリスのブレア政権下で就職支援と職業訓練をセットにして注力した一連の政策が代表例。落伍者を受け止めるばかりでは福祉給付の受給者が増えるばかりで、いずれ負担が重くなりすぎて支え切れなくなる。したがってセーフティネットにかかる負担を減らすには、落ちてきた労働者を再び支える側に戻してやるのが良い、ということも政策趣旨に含まれている。余談だが、安倍晋三政権の「再チャレンジ」政策の中で「正社員と非正規社員の均衡処遇」や「新卒一括採用を見直して複線型の採用」が提唱されたということを聞いて、「惜しい!もうちょっと踏み込んでくれ。」という感想を抱いたことを思い出した。もはや覚えている人もあまりいないと思うが、具体的な制度に落とし込むことができていれば、評価する向きは増えていただろう。話を戻すと、単純労働は人件費の面からどうしても後進国に奪われやすいので、先進国では単に失業給付を手厚くするよりも、しっかりとトレーニングを施したうえで労働市場に戻してやるのが、いたずらに国民負担を増やさないという観点からも妥当だろう。
参考:低所得者の賃金を改善させた英国式「トランポリン型福祉」(1) | 国際 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

welfare(福祉)とwork(労働)を合わせた言葉で、「勤労福祉」などと訳される。もともとは、アメリカで失業保険などの社会保障給付を受ける際に、一定の労働に就くことを義務とした政策が源流で、1994年にニューヨークでジュリアーニ市長が導入した例が知られている。アメリカにおけるワークフェアは、福祉受給者を就労に追い立てるものという批判があるが、ワークフェアという言葉そのものが現在では多義的に使われるものになってしまっていて、例えばスウェーデンデンマークのように福祉受給者を積極的に労働市場に参加させるような社会政策を大まかにワークフェアと呼ぶことも多い。というか、社会政策を論じる際にはヨーロッパの動向を参照することが多いので、特に「アメリカ型ワークフェア」と前置きするのでなければ、懲罰・制裁的な意味合いを排して理解してしまってもよいかもしれない。とりあえず、ヨーロッパ型のワークフェアはトランポリン型福祉と重なる部分も多いので、初学者はそれで割り切っていいんじゃなかろうか。
福祉受給者を労働市場に参加させるといっても、給付を切り下げて無理やり労働させるというようなハードな政策ではなく、働かずに福祉に頼るよりは働いた方が得になるように制度設計をしようと言うのがヨーロッパ型ワークフェアの趣旨で、ここでも充実した職業訓練がカギになっている。また、単に就労すればいいというものではなく仕事の品質を問いましょうという観点もワークフェアには盛り込まれている。どういうことかと言うと、仕事を得てもワーキングプアのような質の悪い仕事では生活水準は向上しないし、生活保護を受給していたほうが所得は上になるという「福祉の罠」も生じるので、就職しても給付をすぐに止めるのではなく段階的に縮小しましょうとか、母子家庭には潤沢な児童手当を給付しましょう、というような議論がなされている。深く踏み込んで紹介することはしないが、要は、福祉政策に労働インセンティブを組み込みましょうということ。


説明終わり。自分は今のところ労働中心主義者なので、基本的には上に書いたような制度設計を、つまり労働の枠組みにどんどんと人を組み入れて行く方向を支持している。これの対極にあるのが、労働の枠組みから人を切り離そうとする「ベーシック・インカム」ですね。あまり僕の好みではありませんが。なお、過去エントリを一部引用しておきます。

はたらくとははたをらくにすること、という古い言い回しがあるが、肉体労働にせよ頭脳労働にせよ、社会的動物たる人間は少なからず他人に貢献し承認を得たいという欲望がある。はたをらくにすること、すなわち労務の提供によって、労働者は賃金とともに承認を獲得し、充足を得る。働く日常で得られる心の平安はささやかなものだが、世の中は案外、そんなささやかな充足で慰められる人間が多いのではないか。
経済活動は優秀な人間だけでやった方が効率的だ。時間や手間、様々なコストを小さくすればするほど利益は大きい。しかし、優秀な人間に多く稼いでもらってその余剰でもって優秀でない人間を支える、というありかたを自分は支持しない。世の中の大半を占める平凡な人間が、平凡に働き、生活の糧とささやかな喜びを得る。そのささやかな充足が社会を壊乱させるリスクを軽減してきたと自分は考えている。
福祉による給付は、個人が社会と接続する機会を減少させる。社会との接続はもちろんさまざまなストレスを生むが、一方で社会と断絶することによるデメリットも考えておくべきだろう。1993年にECの社会政策グリーンペーパーにおいて「社会的排除」の問題が提起されたが、いわゆる格差社会においてはそれら排除された人々をどのように社会に包含していくかが論点となっている。はてな界隈では、2007年末のNHKスペシャルワーキングプア3」を思い出す向きも多いだろうか。(参考:NHKスペシャル「ワーキングプアIII 解決への道」の感想
当ダイアリでは労働問題を重ねて取り上げてきたが、ここであらためて表明しておく。自分は、労働を通じて社会の安定を達成すべきと考えている。福祉による救済は限定的なもので、就労へのディスインセンティブとして機能してしまうため、サステナブルな社会を構築する際には、むしろ阻害要因となってしまう。それよりも、日々の生活の基盤となる労働という行為を社会政策の中心に据え、もって人間の尊厳と社会的紐帯を回復し、各人がより能動的に社会に参画する機運を育むこと。現代においては、そのような政策的枠組みが求められているのではないだろうか。
ソーシャルスタビライザとしての「労働」 - The best is yet to be.

現在でもおおむね当時と同じ見解を保持していて、要するに社会政策の趣旨が「社会的排除から社会的包含への移行」を目指しているのであるから、労働分野においても積極的にインクルージョンしていくのが道理、というスタンスです。共同体において連帯を形成するのに、(アンペイドワークも含めて)労働者という属性によって社会に参画していることをコアとするのか、それとも何か別の属性に立脚して連帯を形成しうるのか。容易に解が出せる問いではありませんが、今のところは実効性あるアイデアは持ち合わせていません。