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2010-03-13

[]チャイテンからラフンタへ 04:02

10日

朝8時過ぎに起きた。船内のシートは余裕で空席があった。ということは、やはり適当ということである。シート以外にも座る場所はあるので仮に席が満席と言われても交渉次第でOKだろう。その時にうまく事情説明をすることが出来れば。日が昇ってきてたのでデッキに出てみるとけっこう寒い。

しかし、船の上から見るパタゴニアの景色は素晴らしい。2時間以上飽きもせずに音楽を聞きながら写真を撮り、景色を楽しんでいた。一緒に乗船してたごついカメラを持った二名はカメラマンな感じがした。すでに服装とか金かかってるし、並の奴ではなさそうだった。(どうやらプロらしい。レンタカー4WDで火山方面へ向かって行ったみたいだった。ネイチャー系なんだろうなぁ。)

昼前にチャイテンに船は無事に到着し、バックパックを受け取ろうと荷物のある場所へ行くも、肝心の荷物がない…。多少なりとも嫌な予感はしていた。出航前の荷物を預ける時にかなり早い時間に預けておいたので、もしかして別便で先に行ってるのでは?とか考えてたのもある。結果的に予想通りだった。

問題は、うまく荷物が届いてないということをスペイン語で伝えることができなかったのだが、mi equipaje no ha llegadoとかなんとか必死に伝えて係員もわかってくれたらしい。船着場の隣の別の船が係留してあったので、そこに行くとわっしのバックパックがあった。無事に荷物を回収し、船着場でバスでも拾おうかと思ったけど、今回のフェリーはメンテナンス関係のトラブルで時間が大幅に遅れてたらしく、目的地へのバスはすでに出てた模様。3時間ほど遅かったようだ。まぁ、しょうがないのでタクシーかバスでセントロまで行けるか捜すも、見つからず。

それなりに船着場から町へは近いほうなので、重い荷物とサブバッグ2個を抱えて歩くことにした。しかし、地図も全くない状況で無駄に荷物抱えて歩き回るのは得策ではないので、まずは水を確保すべく、そばにあった商店へ。そこで水を買い店のおばちゃんに近くのバスターミナルはどこだ?と聞いてみると船着場のが一つ、ここからもう少し行ったところにも一つあるというので向かうことにした。まぁ、この途方に暮れるという状況は嫌いじゃないんだけど。

んで、バスターミナルには見えない小さな窓口の店を発見し、中の様子を伺うも誰もいない。ほとんど全てスペイン語で書かれてる張り紙を見ながらラフンタ行きを発見。しかし9時半出発と書いている。コイアケ便がラフンタを経由するらしいので、それ狙いで明日出直すかと、バックパックを店の前の柱にくくりつけて、とりあえず宿探しをすることに。

しかし、このチャイテンという町は2008年の火山の噴火のせいで町がほぼ壊滅してる状態なわけだけど、それでも人々はここで暮らしているみたいだった。海沿いに歩いていると、車に乗ったチリ人が声をかけてきた。なにやら、店の前にバックパックがあるのを見たので、誰か旅行者がきてると思ってわっしに声をかけたとのこと。彼の名前はニコラス、そしてさっきの旅行会社?の人だった。ちょうどガソリンを補給しに行くので、ついでに乗っていけと言ってくれたので乗ることにした。この町のガソリンスタンドは一軒だけ、そして昼1時には閉店してしまうとのことだった。

ニコラスの店に着いて、まずはラフンタ行きのバスチケットを購入。明日の10時発らしかった。ニコラスは英語が話せるので(わっしより全然話せる)本当に助かった。そしてラフンタは旅行で行っても、とくにめぼしいものはないはずだけど、なぜそこに向かうの?という話になって、そこに日本人の友達がいて旦那さんと一緒に家作りをしてるんだけど、そこでしばらくの間、ボランティア活動をするんだよと彼に話すと、名前はよく覚えてないけど、そこに日本人と英語を話すカップルがいて、なにか興味深いことをしているのは知ってるとのことだった。2回ぐらい面識もあるらしい。

そんなかんなで彼と色々なことをしばらく話していた。彼は語学とかにすごく興味があるみたいで、日本語を教えて欲しいというので、色々と時間の限り教えてあげた。彼が言うには、このチャイテンは政府にとっては存在もしてないも同然の町らしい。常時、店にいるわけじゃない彼はこの町に住んでる人の手伝いをしてるとも言っていた。昼からは知人の家作りの手伝いに行くから、良かったらおいでよと誘われるも、昼飯を食べたあとに疲労と眠気で宿に荷物を置いたら、気づけば夕方だった。本当はそこに行ってなにか手伝ったり、写真を撮ったり話したりしたかったんだけど。申し訳ないニコラス!

ニコラスがレストランやら宿の世話をしてくれて本当に助かった。ちなみに一番安く泊まれる所は一泊2500ペソらしい。いまは一泊7000ペソの海沿いのエスメラルダばーちゃんの宿にいる。部屋は狭いけど、中は良い感じ。向かいのレストランはアンナがやっている。

18時過ぎに起きた。まだ日が高かったので辺りを歩いてみることにした。川の方へ行くと火山灰とか大量の土砂が流れた跡、そしてそれによって大量の物、家や木、すべてが土砂で流されたままになっていた。ニコラスはinterestingだと言ってたけど、見てて感じたのは色々と複雑なものだった。そんな災害が1年半前に起きたということが、なにかいまだに信じれないそんな感じだった。それでも、ここではまだ生活している人たちがいる。お互いの手を取り合って助け合いながら、ここでしっかりと生きている。

そして一人旅中の今でも、やはり周りの人たちに助けてもらってるそんなことを改めて感じた日だった。明日は目的地のラフンタへ!

23時前にして電気が落ちた。どうやらインフラがほぼ機能してないので各家庭で自家発電してる模様。お湯も出なかったので、ボイラーをつけて少し時間をおかないとお湯も満足に使えない有様だった。まぁ、ここはそういうところだから仕方の無いこと。

あとで聞いた話ではチャイテンは公式には人が住んではいけない場所になってるらしい。

あいかわらず、今回も日記が長い。とくにやることもないと日記が長くなる。毎日が実に刺激的そして、新しい発見に満ち溢れている。そして、色々なことを考える。

[]プエルトモンからチャイテンへ 11:09

3/9

朝の9時半にプエルト・モンへ到着。昨晩は、地震の影響で何度も迂回ルートを通ったりしてたのは、なんとなく覚えている。しかし、バスの快適さが圧倒的に良い。寝る前に流れてた映画を見てたわけだけど、(ニコラス・ケイジバンコクで殺し屋をやってるやつ)音声は英語で字幕はスペイン語だったので、何個かのスペイン語のフレーズも覚えれて良かった。字幕無しでも今回は7割ぐらいは理解できてた。

とりあえず、バスから降りてバスターミナルの中で、しばし休憩することに。どうやら近くに小さなインフォメーションがあるらしいので、そこへ向かうことにした。そこには、少しだけ英語の出来るおっちゃんがいて、ここらへんの安宿情報、南下するためのフェリーの時間とかそのへんを彼に聞いた。

個人的には今晩中にすぐに船に乗って行けるんだろうなと思ってて、運行情報を見て、今晩はここに泊まらないけど荷物を置かせてくれないか?聞いてみると、ここなら1泊5000ペソだとのこと。US10ドルである。んじゃ、船が出るころまでステイしたいんだけど、安くしてくんねーか?聞いてみたら、2000ペソでいいというのでステイすることに。外見はどうみても掘っ立て小屋にしか見えないけれど、なぜか居心地は良い。(笑)

そこから、今度は徒歩でフェリー会社に向かった。んでそのフェリー会社の人が言うには本日の空きはもうないとのこと。空いてる日を聞いたら日曜の夜24時だという。ちなみにここからチャイテンまでは船で12時間かかるらしい。チャイテンは2007年に火山の噴火で街の機能はほとんどしてないらしく、そこからバスで目的地へ向かうわけだが。しょうがないので、日曜のチケットをとりあえず確保しておいた。

んで、宿に戻ってみると親父がなにかわっしを呼んでるので、行ってみると”チケット取れたか?””取れたけど、日曜のだからここで待たないといけないんだよ。”とわっし。たまたまそこに居合わせたドイツ人のウリが、さっき今晩のチャイテン行きのチケットをキャンセルしたばかりだから、多分変わりに乗れるはずだよと教えてくれた。

しかし、問題が…スペイン語でそのことをうまく説明できることが出来ないわっしは、スペイン語が話せて英語もできる人を探さないといけない。ウリ(彼はドイツ語、英語、フランス語スペイン語ができる)がコーヒーでも飲もうよと誘ってきたので、ついて行って話をしていると、

もし電話があれば俺が変わりに話をしてあげるよとのありがたい申し出を頂いて、電話してもらうことに。彼がフェリー会社にわっしのことを説明して変わりの席にねじこんでくれないかと頼んでくれて、まだ確証はないが、夜の7時にフェリー会社にいってそこで乗れるかどうかがわかるからとのこと。多分、大丈夫らしい。

実は、日曜まで待たないといけないことが分かった時に、他にフェリー会社があるはずだし、何軒か当たればどっか空きがあるんじゃねーか?仮に席がフルだったとしても、船室の床でもいいから、料金安くして乗っけてくれないかとか色々と考えていたわけだけど。4日もあるならチロエの方に行くのもいいよなーとかも考えてた矢先に、ウリと出会った次第。君の目的はなに?と聞いてきたので、南のほうにボランティアでしばらく行くのさと話したら、俺も3年間フランスボランティア組織にいて、キャンプ関係とかに携わってたんだよと教えてくれた。

なんでも、そこには日本人や韓国人もけっこうきたりしてて、すごく良い人たちばかりだったらしい。久しぶりに流れに身を任せた時に起こる偶然の一致を感じた瞬間だった。やはり、言葉は大事だ。仮に英語すら出来ない状況で、この状況を打開出来たかと考えると無理だろうなと思った。成り行きでうまく行く時もあるだろうけど、意志をうまく伝えるためには、やはり言葉が必要な気がする。

ま、すでにいくつかの情報を手に入れて今後の移動経路のことを考えてたわけだけど。それはプエルトモンから南にバスで3時間の所にある町までバスで行って、そこから船でチャイテンの方へ行けるらしかった。が、後で何人かに聞いてみると、そこからは週1便(月曜日?)だったみたいで、仮に行ってしまうと余計待つことになりそうだったので、結果的にはOKだった。ま、そうなったらそうなったでヒッチハイクなり、漁船の親父とかに体当たりで交渉していくだけの話。

とりあえず、モールでアルミマットと冬用寝袋を購入。なんか安くてびびった。日本で買ったら数万コースなのに冬用寝袋で70ドルしないとか…ありえない。昼飯は適当に入った地元のレストランの定食を食べた。注文するのに一苦労だったけど、値段は2500ペソぐらいで十分美味しかった。マックより全然良い。日本だと1000円から1500円クラスの内容だと思う。

これにミニサラダ、デザート、パンがついてた。

まだ今晩、船に乗れるかどうかわからないけれど、19時前に船会社に荷物抱えて行こうと思う。駄目だったら駄目だった時に考えればいいだけの話だし。そういえば、フェリーの代金が事前情報よりかなり高い。ちなみにサンチャゴは割と夏だったが、プエルトモンは冬でした…。ラフンタはさらに寒いんかな。

19時半追記

フェリー乗り場に行って、交渉したら割りとあっさり今晩発の便に変えてくれた。担当の人が変わってたけど、カタコトのスペイン語で必死に交渉したおかげか。21時出発で12時間ほど南下する。お腹の調子がひさしぶりに芳しくない状態だっが、名物料理のCurantoを気合で食ったが、体調不良により完食出来ず。パンも先に食ってたしなぁ。いやはや、シーフード天国過ぎる。日本で食べたら、すげえ高そうだったのは確かかも。

9日20時半追記

結局、出航まで18時から24時前後まで待合室で待っていた。19時ぐらいから、屋内にも関わらず、かなり寒くなってきて参った。寝袋とかメインの荷物はすでに預けていたので、今着てるもので凌ぐしかない状況だった。途中、船会社の親父がテレビのスイッチを入れたりしてたが、肝心のストーブには火をつけていかなかったという事実。しょうがないので、音楽を聴きながらテンションを上げてひたすら4,5時間ほど耐えた。

船に乗り込んだのは、24時半過ぎで、船内のシートはなんだかんだで快適だった。シートを4つ程使って横になって8時過ぎまで、しっかり睡眠。前日はいまいち体調が芳しくない状態だったが、よく寝れたのでかなり回復した気がする。しかし、シートとか余裕で余ってんじゃねえかよ。(苦笑)言葉の壁の問題も大きいが、チリ人もなんだかんだで適当なんじゃねえの?みたいな。

[]サンチャゴからプエルトモンへ 11:07

3/8

昼の3時過ぎまで時間を潰して、宿に預けておいた荷物を回収しに向かう。昼飯は朝、宿の同じ部屋で知り合ったタニ君と中央市場のレストランで食べることに。とりあえずシーフードにしようかということで、カニとウニの料理を頼むことに。最初に出てきたウニ…正直うまいのかどうかわからん。

日本で食べてたものとなんか違うような…タニ君はこれは駄目だったらしく、全てわっしが平らげることに。なんか水に入ったまま出てきたので微妙な感じだったんだよなぁ。呼び込みにやられてしまったか。あとから出てきたカニ料理はまぁまぁ美味いけど、値段からするともう少し美味くていいんではないかと疑問が残ったわけだが。

荷物を回収し、宿の前でタクシーを拾うことに。地下鉄でも近くまでいけるけど荷物の量が多いので、贅沢にタクシーを…。(お サンチャゴバスターミナルに無事に到着し、プエルト・モンへのチケットも確保完了。出発まで4時間以上待っていた。夕方の日差しが強くてまいった。バックパックは柱にワイヤー錠でくくって放置して、適当に辺りをうろついていた。あとは音楽を聞きながら寝たり、そんな感じ。旅をしているなという実感を感じていた。

19時半にバスに乗り込み、14時間かけて目的地へ向かった。バスの移動中に、夕焼けに染まるアンデスをまったり見れるかなと思いきや、サンチャゴの空はスモッグに覆われていて、ただかだ数十キロ先のアンデスも霞んで見えた。