これが私の塵理論

昔のPCの古いデータを整理していたら、イーガンの長編を一通り読み終わったぐらいに書いたテキストが見付かった。
読んでみたら、まあまあ面白かったので、整形追記して貼っておく。
ネタバレ全開なので、順列都市を未読の人は読まない方が吉。未読だと、読んでも面白くないだろうし、理解もしにくいと思う。
あと、ディアスポラにも言及があるので、未読の人は一応注意。




塵理論Q&A


Q:ぶっちゃけ、塵理論よく分からないんだけど。


A:要は、ある一つのデータ(文字列やアイコンや絵などでもok)が、読み方のルールを替える事で、別の意味に読む事ができる、みたいな事です。
「読み方のルールを替える」というのは、例えばこの文章は横書きで書いてありますが、それを敢えて左上から順に縦読みするような事を意味しています。
勿論、文字を桂馬飛びに読んだり、もっと複雑なルールにする事も可能で、ここで恣意的なルールを選択(というか構築)する事で、任意のデータ(ある宇宙全体)から、ルール選択者の希望に近い情報(別の宇宙)を読み取る事ができます。
で、作中のダラムは、現実物理世界もこのようなルールによって多重化されていて、自分はそれらの世界を渡り歩いてきた(と考えていた)、という事です。
この辺については解説を書いてる人が結構いるので、ぐぐった方が分かりやすいでしょう。


Q:そのへんは本編にも大体書いてあったから一応理解してる。
でも、そんな風に世界が構築されてるってのはちょっと有り得ない。
だから、そこでちょっと醒めてしまったんだけど。


A:「中に居る人は、世界がバラバラになっても気付かない」というところがミソです。
例えば、漫画の中の登場人物は、その漫画本のページやコマの順をバラバラにされても、その事を気にせずにストーリーを進めます。
更に極端な例で言うなら、もし仮に私や貴方がテレビドラマの登場人物だったとすると、テレビカメラの向こうのお茶の間でどういう風にして見られているのか知る手段が無い、という事に近いです。
たとえ、途中でCMが挟まったとしても、登場人物を演じている私達には関係ありませんし、それを知る手段もありません。
更に、それがビデオに録画されてCM部分がカットされようが、やっぱりテレビドラマのストーリー自体には何の影響もありません。
それをリモコンでスローかつコマ送り再生されても、やっぱり「テレビの中の私達」には、それを知る手段はありません。
ここまで来れば、動画をPC上にもってきてバラバラに編集しても同じだという事が分かると思います。これが、塵理論の根本的なところでしょう。


Q:いや、「テレビの中の私達」って、それは単なる映像なんだから、そんな事考える訳ないじゃん。


A:確かに、さっきの例ではそうですね。
「登場人物を演じていた私達」ならともかく、ビデオに録画された方は、「私達の写像」に過ぎない訳ですから。
ですが、順列都市の本編に登場した<コピー>の人達ぐらいに、「写像」が物を考えられるならどうですか?


Q:なるほど。
でも<コピー>の人に自由意志って言うか、自意識みたいなのってあるの?
順列都市の中では、あるように描写されてたけど、ちょっと信じられない。
ラストでアレだったし。
これって昔からSFとかのテーマになってたりする重要なところだけど、イーガンって、その辺の説明、ほとんどしてないよね。


A:自由意志と言ってしまうと少し意味が違うのですが、私は、実際の人と同じ程度には、<コピー>の人にも自意識があると考えています。
でも長くなるので、今回は説明をパスします。
とりあえず「ある」という事にしといてください。


Q:了解。
とりあえず、ここまでは理解した、多分。
でも、やっぱ、この世界がバラバラだったりとか、そういうのは考えられないよ。


A:本編中でもマリアが同じような事を言っていましたね。
ところで、「小説としての順列都市」は単なる本であり、文字の羅列に過ぎません。
ですから、マリアの予想に反して、さっき言ったように、ページ交換や文字をバラバラにする事が可能です。
(尚、実際に物理的にバラバラにする必要はないです。先の質問で言ったように「バラバラの順に読むルールをでっちあげて、そのルール通りに読む」だけなので。)
ですが、小説内の存在である限り、それを「何かを証拠として確認する(=証明する)」という事は不可能です。
どうして不可能なのかは説明しだすと長くなるのでしませんが、オートヴァース世界の生物に、マリア達が自分達の存在を説明するのに失敗した辺りが参考になると思います。
どうやれば/言えば、彼らを説得できたと思います?
要は『ある世界の内側に居る人からは、その世界自体がどういう構造になっているのかを直接認識する事は決してできない』という事です。類推ぐらいならできるかもしれませんが。
おそらく、私達の現実世界も例外ではないでしょう。


Q:でも、この世界はフィクションじゃないよ。


A:この世界の内側にいる私達にとっては、この世界こそが唯一の現実です。
ですが、もし、この世界に「外側」があって、「外側」からこの世界を見ている存在がいるとしたなら、その存在からすれば、この世界は確かに存在してはいるかも知れませんが、比較的フィクションに近いでしょう。
具体的には、テレビやネットで得られるニュース情報程度には。
ディアスポラでの「マクロ球の生物から見た、(脱出前の)ヤチマらの立場」に割と近いんじゃないでしょうか。


Q:ディアスポラのヤチマ達は?


A:これは脱線ですが簡単に解説しときます。
ヤチマ達は、トランスミューターの技術によって、「内側の世界から、外側の世界を操作する」手段を得ました。
これにより、「内側の世界内の存在」であるにも関わらず、「外側の世界へのアクセス権」を得たという事、これが違う訳です。
さっき「証明はできない」と言いましたが、ヤチマ達は証明をせずにいきなりアクセス権を得て、それをもって証明とした感があります。
現実問題的には、「内側の世界内の存在」が「外側の世界」にアクセスする為には、「内側の世界に関心を持っている、外側の世界の住人」でもいない限りは不可能なように思えますね。
話を元に戻していいですか?


Q:オーケー、そこまでは理解した。
でもそれだったら、最初から「発進」後の世界は塵宇宙から読み取れる筈なんだから、わざわざ「発進」しなくてもいいんじゃないの?


A:理論的には確かにそうです。
ですが、「こういう世界があるんだよ」と、「塵宇宙を動かしているもの」や「塵宇宙の外で世界を観測しているもの」に示す事で、「発進後の世界」が、他の可能性の世界よりも注目を浴び、優先度を高くしてもらえる効果があるのでは、と考えます。
もっとはっきり言ってしまうと、(小説としての)順列都市の世界は、本を読んでいる私達が「動かし(想像し)」、「観測している」訳です。
つまり、この話に限れば、実際にちょっと演算してみる事ではなく、私達が「発進後の世界、どうなってるんだろう」と思う事こそが、真の「発進」である、という事だと思っています、私は。
(実際には、イーガンがその先を文章として書いているからこそ、発進後の世界を観測できる訳ですが。)
もし、この「真の発進」がない場合は、エリュシオン世界がオートヴァース世界に負けてしまったように、他の、より優先度の高い世界に負けて、塵宇宙のカオスの中に埋もれたままになってる事でしょう。優先度って何でしょうね。


Q:じゃあ、この世界は塵宇宙になってるの?


A:いえ。
さっきも言ったように、内側からは、どういう構造になっているのか確認のしようが無いので、「この世界が塵宇宙構造になってる事は絶対に有り得ない」と言い切る事が出来ないのと同様に、「この世界は絶対に塵宇宙構造になっている」という事も言えません。
が、この順列都市という話はSFなので、「もしこの世界が塵宇宙だったら、こういう事が可能なんじゃないかな」という事で話を進めている訳です。
で、内側から「明確な証拠」を見付ける事はおそらく無理ですが、「こうなんじゃないかな」と推理したり考察する事は可能ですので、私は「本に書かれた順列都市」という形で、再帰的かつメタ的に考えて、「塵宇宙かも」と言っている訳です、か?