共感信仰

emulated mind : キモオタの生きる道
(from児童小銃.456さん)

ネィティブな共感性の欠如を、他人の心をエミュレーションすることで補うということだと思う。キモオタの実態がなんであれ、大人になってから共感性そのものを養うことが困難なら、脱キモオタにはこのやり方しかないのかもしれない。

じゃぁ『普通の人』*1が持っている共感性ってのは何なの?という疑問がむくむく。
共感するってのは例えば『自分が相手と同じ経験をしたならば、同じ様に感じるであろう(その逆も)』と考える事ですよねぇ。それこそがエミュレーションではないですか?共感って精々そんなもんだと思うんですよねぇ。
「相手に共感できない」と言う場合、「経験的に類する物が無くエミュレーション不可の為」なのか、「エミュレーションしたが別の感想を得た為」の2種類な訳ですよねぇ。前者の場合脳の器質的な問題もあって「経験からの帰納的結論を得るのが困難」といったアスペルガー症候群の話なんかも出てくる訳ですが、経験の内容によって論理構成や倫理観が変わってきますからねぇ。殆どの場合後者になると思うんですよ。これは「論理的(倫理的)帰結として別の結論を得た」と言う事で、共感する事が「能力的に出来る・出来ない」の問題では無いと思うんですけどねぇ。(「反社会的倫理観」を持っている場合は、「どこからどこまでが反社会的なのか」も含めて、話が別になるかと)


共感する・されると気持ち良い=自意識が充足される事から、『「共感できる」事は良い事で、「共感できない」事は悪い事』という変な信仰が一人歩きして、マイノリティ叩きに良いように利用されてる気がするんですよ。共感を強制されるなんてご免被りたいですねぇ。

*1:あぁ嫌だ