なぜなのだろうか?・・・2

さて、センスの話しはこれくらいにして、宮崎さんのブログの話しに戻しますと、「学習するクマ学習しないクマ」のなかで、一番最後に・・・・・「黙して語らない自然界」を探るには、とにかくセオリー的な教科書なんてないのだから、アイデアという発想力がもっとも大切でそれに伴う技術力と分析力が求められるからである。・・・・・この【アイデアという発想力】を導き出すのがセンスではなかろうかと思っているのです。残念ながらセンスの無い人からは、そのようなアイデアや発想力は生まれてこないのです

【技術力と分析力】ですが、これも知恵とやはりセンスではないでしょうか。もちろん電子的な知識は必要でしょうが、これはあとから勉強さえすれば身に付く事ですが、どのような方法でクマにシャッターのスイッチを押させようかと、その装置やシステムを考えたり、どのような場所に設置するのが効率的なのかとか、間違いなく自分自身の知恵やセンスであり、分析力はセンスなのです

エコとか野生生物に興味を持っている人はたくさんいますし、その人の持っているスキルみたいなものも大きな幅があり、知識だけは豊富な人もいれば、知識もセンスも豊富な人がいたり、その反対に知識もセンスも少ない人などさまざまです

最後のわずか2行足らずの文章でありますが、ここで彼の書いてある事を実行できる人がどれくらいいるだろうかと冷静に考えてみますと、まずほとんどいないのが残念ながら今の現状でしょう。当たり前の事ですが、宮崎さんと同じだけのセンスを持っている人がたとえ数10人もいるようでしたら、とっくに生物界は変わっているはずです。いないから、常に知識だけの論争みたいになってしまい、何事も進展していないのです

話しを最初の話題に戻しますと、「照葉樹林だからクマが生息していない」のではなく「照葉樹林は温暖な場所だからクマがいないのでは」と瞬時に思えなければ本当は駄目なのです。「照葉樹林帯にはクマの生息が少ない」ということだけを知識として覚えてしまっていると、それが当たり前の事になってしまい、脳がそれ以上(あるいは、それより先)の発想をしなくなってしまうのです。いわゆる思考停止状態となってしまっているのではないでしょうか

物事を体系づけて考える論理的な思考も大事ではありますが、経験値を積み重ねて得られる直感的なものも非常に大事で、特に自然界や野生生物と向き合う時には、圧倒的に後者の直感(センス)が大事で必要だと思っています。知識を習得する事を否定するわけではありませんが、知識の習得だけにとらわれることなく、センスを磨くことにより、一段高みに上がれることだけは間違いありません
ただし、くれぐれもただの「当てずっぽう」を「経験値に裏付けられた直感」と勘違いしませんように


今回の写真は、恐らく親とはぐれてしまった仔クマです。車窓から撮ったものです