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2018-01-28 Sun

[]人が人を殺すということ〜中村文則『悪意の手記』

悪意の手記 (新潮文庫)

悪意の手記 (新潮文庫)


初・中村文則作品。

中村文則は、年末にpodcastで聞いた、西加奈子小林エリカとの鼎談が良かった。

勿論、他の2人も根っこは同じだが、中村文則は、社会の中で作家が果たすべき役割について真剣に考え、社会に問いかけようとする姿勢が強いと感じた。

『悪意の手記』は、殺人をテーマにした本ということで、podcastで聞いた中村文則の心意気が実際の作品にどれだけ反映されているのか確かめてみたいと手にとってみた。


この作品の中では、殺人を犯した人、最愛の人を殺された人、そして殺した相手に復讐する人、様々な立場の登場人物が複数登場する。

  • 殺人を犯した人:主人公、武彦
  • 最愛の人を殺された人:Kの母親、リツ子、Jさん
  • 殺人犯に復讐しようとする人:上記の3人

また、「当事者」ではないが、リツ子から依頼された探偵も、殺人事件の加害者・被害者についてある程度通じている。これらの登場人物が語る言葉の中から、殺す人の気持ち、殺された側の気持ちを、できるだけ多くの方向から掘り下げることを試みている。

そんな中で、物語の主題は、「殺人」の背景にある「絶望」であり、「悪意」なのだが、これは当然のことながら重い内容で、まとめるのは一苦労なので、今回は省略。

サブの主題として、殺人犯へ復讐することについては、この本のメッセージが最終盤のリツ子の台詞に現れているので、ここを抜粋する。リツ子は、少年に復讐したいと強く思っていたが、実際に復讐を果たしたJさんの表情をテレビで見て、このように感じたという。

「私は、ずっと、考えていたことがあった。でもそれは、上手く言えないけど、何なのか、わからないことだったのよ。何なのかわからないことを、私はずっと、頭の片隅で考えていたの。でも、今、少年が死んで、そしてそれに自分がとても動揺していることを知って、わかったような気がする。それは、自分の子供を殺された私には、その殺す、という行為自体を、憎み続ける責任があるんじゃないか、ということよ。(略)

夫は…、今になって思うと、私を、この頃されて殺し返すという、この場所から、私を、遠ざけたかったのだと思う。この場所から、遠くへ行きたかったのだと思う。


正直に言えば、被害者側が何かの「責任」を負うことは不公平だと感じるし、殺すという行為を憎み続ける、ということは、理想論であると思ってしまう。それでも、物語の中でのリツ子は、ここで、偽りのない自分の気持ちを語っているように感じる。

殺された少年は、出院してすぐに犯罪を犯してしまうような、ほとんど共感できない卑劣な人間だが、それでもなお、リツ子が反省の弁を述べることで、人が人を殺す、ということについて改めて考えさせられた。

この台詞だけでも、この本を読んだ甲斐はあった。

短いので何度も読み直したい作品です。


次は芥川賞受賞作か...。

土の中の子供 (新潮文庫)

土の中の子供 (新潮文庫)

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2018-01-21 Sun

[]メタミステリgrooveが重要!〜『コミケ殺人事件』VS『ウルチモ・トルッコ犯人はあなただ!』

特に新本格と括られるような作品が典型だと思うが、ミステリの中でも好きなのは、過去作品のミステリやトリックについての言及が多い作品。つまり、作中の人物が作品内でミステリというジャンルの批評をしてみせるようなメタ要素の強い作品で、それがあることで、連綿と続いてきた、伝統芸能としてのミステリを楽しむことができる。


そんなメタ的視点を持った2冊について対決形式で感想を。

コミケ殺人事件についてはネタバレあり)


小森健太朗コミケ殺人事件』

コミケ殺人事件 (ハルキ文庫)

コミケ殺人事件 (ハルキ文庫)

この本は1994年の作品で、ちょうどミステリばかり読んでいた大学生の頃に、「特殊なミステリ」らしいと評判を聞いて、読みたいリストにずっと上がっていた作品。最近Twitterなどで、この人の『大相撲殺人事件』が話題になったこともあり、今しかない!と読んでみた。


「この本に書いている連中はミナゴロシ」―刷り上がったばかりの同人詩「月に願いを」に何者かによって挿入された殺人予告状!そしてその言葉通り切って落とされる連続殺人の幕―人気SFミステリ『ルナティック・ドリーム』の結末の予想篇を掲載したその同人詩の中に事件を解く鍵があるのか?小説の中に同人詩を取り込んだ、虚実交錯する構成で紡ぎ出されるメタ・ミステリーの傑作。

同人誌が登場するから作中作が鍵を握るのだろうとは思っていたが、面白いのは、その同人誌SFミステリの結末予想となっている点。読者は「犯人は誰だ」という話を、同人誌内部と外部(リアル)の両方で並行して読ませられることになる。

ただし、同人誌で扱う『ルナティック・ドリーム』は、美少女ヒーローものということで、コミケ会場で起きた実際の事件と混同させるようなトリックは難しい…。これは、どのようにしてまとめるのだろうか…と思ったら、ラストは畳みかけるようにして見事に着地。


キャラクター愛ゆえに殺人を犯し自殺した和樹の手記(?)、それを覆し、妬みや恨みから郁子が殺人を犯したとする明美の推理(?)、自ら手を下したのではなく『ルナティック・ドリーム』の作者の犯行を庇ったとする郁子の独白(?)。そして、その後の赤沢郁子⇔高沢のりこの往復書簡で、それら全てを包含して、殺人事件はフィクション同人誌内のリレー小説で書かれたこととしてしまうまとめ方。

前半は行く先がわからず困惑したが、ここまでの終盤70頁があっという間で、よく考えればツッコミどころも多数あるのかもしれないが、一気にラストまで読まされた。

映画『君の名は』にも言えることだが、面白いミステリはストーリーやトリック(ロジック)よりも乗せ方(音楽の言葉で言えばgroove)だと痛感した一冊だった。



深水黎一郎『ウルチモ・トルッコ犯人はあなただ!』

『虹色の歯ブラシ』の解説で早坂吝を激賞していた作家・深水黎一郎の2007年のメフィスト賞受賞作。

新聞に連載小説を発表している私のもとに1通の手紙が届く。その手紙には、ミステリー界最後の不可能トリックを用いた<意外な犯人>モノの小説案を高値で買ってくれと書かれていた。差出人が「命と引き換えにしても惜しくない」と切実に訴える、究極のトリックとは? 「あなたが犯人!」を見事に成立させた、衝撃の書。読後に驚愕必至の第36回メフィスト賞受賞作! 


コミケ殺人事件』も確かにメタミステリで、作中作のトリックについて作品内で議論が交わされたりもする。しかし、自分が本当に好きなのは、この『ウルチモ・トルッコ』のように、ミステリの歴史を俯瞰する作品。

この作品は序盤からミステリの歴史をエドガー・アラン・ポオから新本格まで辿ってみせ、本格ミステリ衰退の原因を次のように看破する。

要するにそれは、「本格物」をミステリーの王道たらしめていた「意外な犯人」のパターンが、いい加減出尽くしてしまったということです。探偵が犯人、被害者が犯人、死人が犯人、動物が犯人、事件の記述者が犯人、自然現象が犯人、物心つかないような子どもが犯人、さらにはその場にいた全員が犯人、事件を担当した法医学者が犯人などなど…いままでそれこそ星の数ほどの人間が犯人役をつとめて来ましたが、それがとうとう出尽くしてしまったのです。p12

そんな中で、誰も実現させていない最後の不可能トリック(タイトルのウルチモ・トルッコは究極のトリックの意)として「読者が犯人」というトリックを成立させる、と(実質的に)宣言するのが冒頭の手紙になっている。

さらには、主人公と友人との会話の中で、過去に書かれた「読者が犯人」トリックの作品について(作品名を挙げずに)論評し、そのトリックは成立していないということを指摘する。つまり、わざわざハードルを上げてみせる。

その心意気だけで、自分はこの作品を評価したい。

仮に読者が犯人というトリックが可能としても、それがある特定の読者にだけ当て嵌まるのではダメで、その小説を読んだ読者全員が、読み終わって本を閉じた時に「犯人は俺だ」と思うのではなくては、そのトリックが成立したことにはならない。p51


確かに、この小説については、友人の有馬が言うとおりの形でトリックは成立していないかもしれない。しかし、かなり「良い線」は行っていると思うし、これ以上の「読者が犯人」トリックはないのではないか?

さらに、『コミケ殺人事件』との比較で言えば、『コミケ…』のような後半にエンジンがかかるタイプの作品とは違って、冒頭から話の道筋が分かりやすく、ほぼ「ダレる」ことなく読み切ることができたのは大きい。その意味でいえば、やはりトリックよりも「乗せ方」が重要で、そこに成功している作品ということで、(Amazon評は賛否両論のようだが)自分にとっては、とても大好きな一冊となった。


ということで、乗せ方(groove)という観点では『ウルチモ・トルッコ』に軍配が上がるが、出版年に10年以上の開きがあることもあり、ここ数十年のミステリジャンルの深化も考慮して、今回は「引き分け」。

次回は、深水黎一郎自身が『虹色の歯ブラシ』の解説でも言及していた「多重解決」作品として『ミステリー・アリーナ』を読んでみたい。


参考

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2018-01-14 Sun

[]官能小説×ミステリ〜花房観音『女の庭』

女の庭 (幻冬舎文庫)

女の庭 (幻冬舎文庫)

恩師の葬式で再会した五人の女。近況を報告しあううちに、教室で見たビデオの記憶が蘇り――。先生と濃厚なセックスをしていた、あの女は誰だったのか。互いに互いを疑いながら、女たちは今日も淫らな秘め事を繰り返す。不倫、密会、出会い系……。秘密を抱える腹黒い女たちと、それを監視する街、京都。重ねた噓が崩壊する時、女の本性が放たれる。


花房観音にどのようにして辿り着いたのかは忘れてしまったが、団鬼六賞受賞作家で、何よりも女性の描く官能小説ということで気になり、代表作を読んでみることにした。

しかし、実際に読んでみると、予想を裏切り、その「エロ」は非常に男性的で驚いた。

まず、分量が多い。体感では文章の3割くらいを性描写が占める。しかも、内容がAVのよう、つまり、特殊な設定や台詞などが劇場的。冒頭に登場する絵奈子は京都弁で喋ることもあって、その台詞には笑いが漏れてしまうほどだ。

  • もう…あかん…あかん…
  • 吸うて…かんにん…もうたまらへん…
  • 入れてぇな…入れてぇ…もう、うち、たまらん…

だから、エロシーンだけ読んでいると、「自分は何を読んでいるんだろうか?」という気持ちがムクムクと湧いてきてしまうのだが、全体を通して読むと、非常に上手い小説になっている。


解説で唯川恵は、花房観音の小説を次のように評価する。

もし、誰に対しても嫉妬なんかしません、人と比較するなんて無駄なこと、などという女がいたら、逆に信用できない。

自身の在り方を測れるのは、負の感情との向き合い方にある。相手に意地悪な視線を向ける時こそ、自分の本性が見える。負の感情がないということは、自分が見えていないからであり、もっと言えば、見ようとしない、目を逸らしている、と同じなのではないかと思ってしまう。

嫉妬の字の両方に「女へん」が付いているように、きっとそれらの感情を持ち続けている間を、女と呼ぶに違いない。

花房さんは、そんな女たちを痛いくらいにリアルに表現し、女同士の危うい均衡を巧みに描ける作家である。

実際、作中で登場する5人の女性それぞれの視点から描かれる5章の短編は、(セックスシーン以外では)お互いを蔑み、羨み、5人の中での自分のポジションを確認する心理描写が多く、(正直に言って感情移入しにくいキャラクターばかりなのだが)そこだけで惹きつけられる。

物語を駆動するのは「ビデオの中で大学のゼミの教授と一緒に映っていた女性は一体だれだったのか」という謎だが、それがまさに性行為を撮影したものであることで、官能小説というフォーマット、女性グループの中での疑心暗鬼という題材が一体的に小説の中で機能している。

しかも、その謎に対して、なかなか「意外な犯人」が判明する終章では、その他にもいくつかの新事実が明らかになり、ミステリとしても質が高いと感じた。


同時期に、やはり女性作家が性を題材に描いた漫画である鳥飼茜『先生の白い嘘』を読んだが、手法が全然違うのも面白い。『先生の白い嘘』は強いメッセージがあって描かれた漫画だからということもあるのだろうが、女性→男性の視点と、男性→女性の視点のバランスを取ってあるように思う。

一方『女の庭』は、男性登場人物は無個性で取り換え可能なため、女性→男性の視点も女性→男性の視点も、非常に少なく、女性→女性という妬み嫉みの感情が非常に多い。

唯川恵が解説で、この作品のセックスシーンの魅力を「どんな官能的な記述も、男を発情させるためでない」と書き、「女にとってセックスは、男性の肉体を使ったマスターベーションである」という箴言まで引用している。確かにそう言われてみれば「AV的」と感じた数々のシーンも違うものに見えてくるのかもしれない。


ダ・ヴィンチのインタビュー記事なども読むと、官能小説のイメージと同じくらいホラー小説のイメージも強い作家のようなので、次はホラー小説にもチャレンジしてみたい。

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2018-01-07 Sun

[]何を知っていれば他者を傷つけないで済むのだろうか〜森山至貴『LGBTを読みとく』


あまりミステリばかり読むのもどうか、ということで、年末から年始にかけては、この本を読んでいました。

全ての新書がこうあって欲しいと思いますが、とても丁寧で整理された本。作者があとがきでも強調されているように、読みやすさ(議論の構造の理解しやすさ)をかなり意識して書かれているということが、端々から伝わってきました。

以下の引用先から「はじめに」が読めますが、ここで語られている「何を知っていれば他者を傷つけないで済むのだろうか」という問いを大切にしようとする作者の姿勢だけで、自分は、この本に惹かれていました。未読の方は、この部分だけでも是非お読みください。

意外かもしれませんが、セクシュアルマイノリティを見下す心が見え隠れする人がよく使う枕詞は「私はセクシュアルマイノリティに対する偏見を持っていませんが……」です。

曲者なのは最後の「(逆接の)が」で、当然ながらその後に続くのは質問や疑問の体をとったセクシュアルマイノリティへの否定的な言葉です。それが否定的なニュアンスを持つものだからこそ「偏見ではない」と前置きで宣言するわけですが、宣言すれば「偏見」でなくなるわけでは当然ありません。文句は言いたいが自分が「善人」であることは手放したくないという本音が透けて見えている辺り、むしろ痛々しくすらあります。

「偏見がない」では差別はなくならない理由|ちくま新書|webちくま


目次は以下の通り。

  • 第1章 良心ではなく知識が必要な理由
  • 第2章 「LGBT」とは何を、誰を指しているのか
  • 第3章 レズビアンゲイの歴史
  • 第4章 トランスジェンダーの誤解をとく
  • 第5章 クィア・スタディーズの誕生
  • 第6章 五つの基本概念
  • 第7章 日本社会をクィアに読みとく
  • 第8章 「入門編」の先へ

特に、2章までの「基礎の基礎」と、歴史を読み解く3章、4章は、これまで何冊か読んだセクシュアルマイノリティ関連の本ではピンと来なかったLGBTのT(トランスジェンダー)について、もう少し掘り下げて理解出来たように思います。

ただし、ポスト構造主義と結びつけてクィア・スタディーズという学問を説明する5章後半から6章にかけては、やや概念的で理解しづらく、意識が飛んでしまいました。他の本を読んでから改めて読み直したいと思います。


トランスジェンダーについては、以前から疑問に思っていたことが、「LGBT」という言葉から抜け落ちてしまうセクシュアルマイノリティについて例示される中(2章の最後)に取り上げられていました。*1

ここでは、性愛の対象となる性別のない人(アセクシュアル)、女性でも男性でもない性別を生きる人(Xジェンダー)も挙げられていますが、性的指向性自認の組み合わせとして、当然想定されるべき「トランスジェンダー同性愛者」について書かれていました。

セックスは女性であるが性自認が男性であるトランスセクシュアルの人が存在し、その性愛の対象が男性であった場合、その人はトランスセクシュアルでありかつ男性同性愛者です。(p55)

生物学的に言えば、女性→男性という性的指向同性愛とはなりません(ストレート)が、当然、このような例もセクシュアルマイノリティの一例となります。


このように、すぐに理解しにくいトランスジェンダーについて、この本では、取りこぼしのないように、特に丁寧に触れられているように感じました。特に、トランスジェンダーを3つに分けて考えることができるという話は今回理解が進んだ部分になりますが、それを含め、重要な点を抜き出します。

ジェンダーとは、私の側の事情と欲求にかかわらず、他者から男か女かを割り当てられ、それにふさわしい態度や行動をとるよう強制される、その現象のことを指すのです。

トランスジェンダーは、このように社会が手を変え品を変え割り当てようとする「性別」とは異なる性別を生きる現象、またはそのように生きる人々を指します。(p49)

身体的な特徴をもとに割り当てられる性別とは異なる性自認を生きるトランスジェンダーの人々を、特にトランスセクシュアルと呼びます。セックスが性自認と一致しない、と説明してもよいでしょう。(略)場合によっては自身の性自認に沿う形に身体を(例えば医学的な手段で)変化させていくことを、トランスセクシュアルの人々は望んでいます。(p50-51)

また、他者からの性別の割り当てと異なる性自認を生きるトランスジェンダーの人々を(ややこしい言い方ですが)狭義のトランスジェンダー、と呼ぶことがあります。(略)トランスジェンダーの女性/男性にとって、自身の身体が生物学的には男性/女性であることは必ずしも問題ではなく(医学的な手段などによる身体の改変を必ずしも望むものではなく、性自認と異なる望まない「性別」を他者が押しつけてしまうことが問題だ、と言えます。(p51)

容姿(服装や化粧など)に関する「女らしさ」「男らしさ」の割り当てに抵抗する人々をトランスヴェスタイトと呼びます。(略)ここで二点補足しておきましょう。第一に、トランスゲスタイトの人々の性自認はここでは必ずしも問題ではありません。(略)第二に、すべてのトランスヴェスタイトの人々が常に異性装をして生活しているとは限りません。(p52)

トランスジェンダーという概念は、異性の服装をすること自体に重きをおくトランスヴェスタイトではないが、医学的な処置を望むトランスセクシュアルでもなく、自らの性自認にしたがって生きる経験やそのような人々のことを指すものです。(p98)



このようなトランスジェンダーの細分については、その歴史について扱った4章を読むと理解が深まります。

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この一連の流れを見ても分かる通り、LGBTと大きく括ってはいるものの、ここまでくる歴史の中では、お互いへの差別意識など(例えばTGからTS、SGへの差別、G、BからTへの差別)も問題となりながらことがよく分かります。

これに加えて1980年代に世界各国のゲイコミュニティが向き合うことを余儀なくされたHIVAIDSの問題もありますが、これについて書かれている5章以降が自分には少し難しかったので、次の宿題としておきたいと思います。


なお、最終章に読書案内もありました。

同じ趣旨の『同性愛異性愛』の巻末読書案内ではフィクションが多く取り上げられていましたが、今回は研究書が多く、なかなか自分が手を出しにくいものばかりでしたが、何冊か読みやすそうなものもあったので、チャレンジしてみたいです。

女装と日本人 (講談社現代新書)

女装と日本人 (講談社現代新書)

カミングアウト・レターズ

カミングアウト・レターズ

性的なことば (講談社現代新書 2034)

性的なことば (講談社現代新書 2034)


参考

*1:なお、この種の議論で必ず出てくる「LGBTQ」という言葉がここでは使われない。Qという「当てはめ」をするよりも、分類できないセクシュアリティがある言葉の使い方の方が状況を上手く表していると考えているのかもしれない。

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