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2017-07-23 Sun

[]もはや神々しささえ漂う傑作〜沼田まほかる『猫鳴り』

猫鳴り (双葉文庫)

猫鳴り (双葉文庫)

猫は鳴くもので、鳴るものではない。それなのに猫鳴り。

海鳴りのイメージなのだろうか。

そのタイトルだけで、色々な想像が広がる。


ただ、これまで自分の読んだ沼田まほかるは、すべて「イヤミス」という括りに入る。

覚悟して読み出すと、やはりというか、主人公の信枝の猫に対する言動が怖い。

家の近くで鳴く毛の生えそろったばかりの仔猫に対して「早くカラスにでもさらわれてくれればいいのに」と考える女性が冒頭で出てくる話は、なかなか読んだことがない。


第一

信枝は、猫を何度も捨てようと試みる。霧雨の降る森の中で、仔猫を胸に抱えながら、つい先日、流産してしまった子どものことを重ねて考え、猫を捨てる行為に「弔いなおす」という意味を持たせようとする。

ときどき、目の眩むほど恐ろしいことに思える。死なせてしまった者の姿かたちも顔も、なにひとつ思い浮かべられないことが。あとに残されたのが、ただ空っぽの暗闇でしかないことが。生まれる前に死ぬ、まだ生まれてもいないのにすでに死んでいる、それがどういうことなのか、自分はたぶん一生理解できないだろう。p29

信枝が主人公の第一部は、生まれたての猫は「命」の象徴として登場するが、ここでの命は、「生まれてもいないのにすでに死んでいる」ものだったり、罪悪感とともにあったりする。(流産してしまった信枝の子どもは夫の子ではない)

通常とは違って、多方面から否定的にとらえられる「命」の象徴である、その猫に対して、信枝が愛着を持って育て始めるところまでで第一部は終わる。

その猫の名前が、夫婦でつけた名(チビ)ではなく、猫を捨てた女の子(アヤメ)によって、無理矢理「モン」と決まってしまうあたりも面白い。


第二部

そして5年ほど経過した第二部。

主人公は、父親と二人暮らしの中学生・行雄。

学校へも行かず、公園をたむろし、楽しそうに遊ぶ子どもたちに苛々を募らせながら過ごす行雄は、ついには犯罪すれすれの行為に及んでしまう。

滑り台の階段に肩をもたせて、後ろ手でナイフを開いた。近づいてくるチビを横目でうかがいながら、行雄は約束された開放を先取りしているような幸福感を味わった。自分が生まれ変わって神と融合するために、今このチビを生贄として捧げなければならない。それはその瞬間の行雄には、疑ってみることもできないほど自然な法則だった。p94

行雄を狂気から救ったのは、父親が連れ帰った「ペンギン」という名前の仔猫だった。

ここからは、正直振り回されっぱなしだった。

下痢を繰り返すペンギンに対して、行雄は丁寧に世話をし、父親とも協力体制が取れ、さあ今から、というところで、呆気なくペンギンは死んでしまう。

さらに衝撃的なのはそのあとだ。

土に埋めて弔ってあげようと向かった公園。同級生アヤメに、ペンギンの亡骸を見せようと、タッパーのふたを開けると、モンちゃんが、ペンギンをくわえて走り去ってしまうのだ。

ここでのアヤメの台詞は異常だ。

「あんた、あの子この公園に埋めたるつもりやったん?せやけどあの子かてきっと、土の下に埋められるぐらいやったら、モンちゃんに食べられる方が幸せやわ。そやろ。なあ、そんなに泣かんと」

第二部でのアヤメとモンちゃんは、「災害」のようだ。

突然の不幸と、理不尽な慰め。

読者は、モンちゃんはアヤメや信枝らに支えられて立派に育っているのだな、と感じるが、モンちゃんがたくましく育つ裏には、行雄のように、モンちゃんに傷つけられる人もいる。

信枝・藤治夫妻の話の間に挟まれた第二部の存在理由を考えてしまうが、「生」と「死」を扱った第一部と第三部の間で、「成長」すら、周囲にマイナスを与えることがある、という話を入れたかったのかもしれない。つまり、「生」が、それだけで無条件に賞賛されるべきものではない、ということを釘を刺しておきたかったのではないか。


第三部

第三部は、一言で言えば、20歳となったモンちゃんの死を、独り身になった藤治(第一部の主人公・信枝の夫)が看取る話ということになる。

同種の本には谷口ジロー『犬を飼う』などの傑作もあるが、それよりももっと心の奥深くまで入り込んだ内容になっており、自らの老いも感じながら、老いていくモンを眺める藤治の気持ちの変化が、ゆっくりと時間をかけて描写される。

向かい合ってしゃがんだまま、頭を撫で、首を撫で全身をさすっていると、モンの体から無数の毛が抜けて

西日にきらめきながら風に飛ばされていった。

モンはいつまでも腑抜けた様子でいたが、そのうちに半眼になってグルグルと喉を鳴らしはじめた。猫のこういうのを何と言うのか知らないが、藤治は勝手に<猫鳴り>と呼んでいる。最初は小さかった猫鳴りは徐々に大きくなって、やがて小型の雑種犬ほどもある体全体に共鳴し、ヒゲの先が小刻みに震えた。モンがゆっくりと気持ちをほどいていくのがわかった。p140

そうか、タイトルの「猫鳴り」というのは、藤治とモンのスキンシップを意味していたのか。

以降、モンに死が近づくにつれ、藤治の中での「猫鳴り」の位置づけが変化してくるのが興味深い。

特に理由はないが、猫鳴りが来るうちはモンは死なない、という思い込みが藤治にはあった。日に何度もモンに触れ、肩の骨や腰の骨が、割れものの破片のように飛び出た体を、力をかけすぎないように注意しながらさすった。なんとしてでも猫鳴りを呼び込まなければならない。p184

さすってやれば今でも鳴るのはわかっていた。だが落ち着き払った猫を見ていると、もうわざわざ猫鳴りをさせることもないような気がしてくる。鳴っていないときにも、藤治に聞こえないだけでほんとうは鳴っているのだ。いつもそうだった。そういう鳴りっぱなしの猫なのだ。p196


とにかく、この章は、この物語の一番の核の部分に当たり、静かながら熱量が溢れている。つい先日亡くなってしまった日野原重明先生のこと、また、若くして乳がんで亡くなってしまった小林麻央さんのこと、テレビで取り扱っていた「遺族外来」のこと、上野で生まれてすくすく育つパンダのこと、そして「安楽死」についてなど、色々なことを考えさせる内容だった。

全体を通して振り返ると、第2部では「絶望」を、ブラックホールという比喩で扱っていたのに対して、第3部では「希望」について触れられる。

しかし、それは、全てを解決するオールマイティなアイテムとしての「希望」ではない。

藤治もモンも、もはや「希望」に対して無頓着になっている。それは「絶望」しているのではなく、もはや悟りを開いてしまっている状態に近い。

余分な、役にも立たない、たくさんの美しいもの。

若くて、そういうものが周囲にひしめいていて、同時に欲望の作りだす黒々とした影もたち込めていた頃には、たとえ実態は狐火であるとしても<希望>の明かりがどうしても必要だった。そんなときもあった。

だが今は希望もなく欲望もなく闇もない。ただ見通しのよい平坦な道が、最後の地点に向かってなだらかに伸びているだけだった。それもまた悪い気分ではない。p170

ラスト直前の多幸感いっぱいのシーンが印象的だが、モンの病状が悪化する中での藤治のジタバタする様子から、最後、十分に納得する時間を経て、ついに死を受け入れる境地に至るまでの流れは、どこか宗教的とすら言え、神々しく映る。花に囲まれながら、ぼやけた輪郭でこちらを見つめるモンの表紙は、この本に合っている。

解説の豊崎社長の絶賛も納得の、すごい本でした。

その時々のモンの命の在りようを通して、登場人物たちの心と生の襞に分け入っていく作者の丁寧で容赦がない筆致と、でも、だからこそ生じる公平で優しい気配が胸にしみる。第一部のつらいつらい描写を乗り越えて読む甲斐と価値が十二分にある。これは、わたし書評家として自信をもっておすすめできる、生と死の際を描いて素晴らしい傑作文芸作品です。


参考(過去日記)

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2017-07-17 Mon

[]1917年オリジナル・ラブ木下直之『股間若衆―男の裸は芸術か』

股間若衆―男の裸は芸術か

股間若衆―男の裸は芸術か

この本は、赤羽駅前に立つふたりの青年の股間から始まります。

彼らは全裸です。

全裸の彫刻です。

しかし、よく見ると、何かおかしなところがあります。

本当に全裸なのか、それともパンツだけ穿いているのか、はたまたパンツが身体と混然一体と化してしまったのか判然としない。いかにもしれは「曖昧模っ糊り」としたままである。

おそらく、これは長い歳月をかけて、日本の彫刻家が身につけた表現であり、智慧であった。美術品であることは、実は「錦の御旗」にならない。「第25回日展 内閣総理大臣賞受賞作品」という金属で出来た台座プレートも、水戸黄門の印籠のようなわけにはいかない。いくら美術品であることを主張したところで、いつ官憲の基準が変わるかわからないからだ。

p7

つまり、この本は、芸術と猥褻の線引きをどう考えるか、についての水際の争いを明治時代から戦後にかけて追いかけた本です。


このテーマに関して最も有名なのは、明治34(1901)年の、俗にいう「腰巻き事件」です。白馬会展で展示された黒田清輝絵画『裸体婦人像』が警察によって咎められ、絵の下半分が布で覆われたというもので、これ以降しばらくの間、黒田清輝は、(あえて確信犯的に)腰布を巻いた裸体婦人像を描くようになったといいます。

絵画だけでなく彫刻も同様で、明治41(1908)年の第二回文展で二等賞に輝いた朝倉文夫の『闇』という男性裸体彫刻は、展示に先立って、官憲により、股間表現の「修正」を求められたそうです。

その後、彫刻の世界でも、布を巻いたり、木の葉をつけたり、対応に工夫を重ねることになります。

なお、彫刻では無理ですが、絵画や写真では「偶然隠れる」という手法が可能です。「とにかく明るい安村」的手法とも言えますが、フィギュアスケートを題材にした名作アニメユーリ!!! on ICE』の第一回でも、角度的にちょうど隠れているからOKという「全裸」直立シーンがありました。


本書3章では、法的に問題となる「風俗壊乱」について、明治22年以降の変遷が辿られています。

  • 明治20年代前半。印刷物としての女性裸体像が問題になり、発売頒布を禁じられる。
  • 同じ時期、印刷物ではない裸体画について論争が起きる
  • 明治34年の「腰巻き事件」と同時期(明治30年)に「陰部」を公衆に見せないことが道徳風俗にかなうという流れが始まり、「陰部」を隠す表現が広がる。
  • 大正7年の大審院判決で、「藝術製品の陰部にあたる部分は何も隠す必要はないが、特殊感情を集中させるような技巧をこらしてはならないという鉄則」が打ち立てられる。具体的には、これ以降、陰毛の有無が問題視された。

その後、この基準は、1990年代に「ヘアヌード」が事実上解禁されるまで、日本に根強く残っていたのでした。


なお、ここでは、美術だけでなく文芸の世界でも問題視された表現として「接吻」という言葉が挙げられています。

実際に、以下の4冊は「接吻」を題名にしたがゆえに、それだけで風俗壊乱の恐れありとして発禁処分を受けたと言います。

  • 明治45年 伊藤孝『接吻』
  • 大正4年 紅雨女史『接吻の後』
  • 大正10年 つゆ香『処女と接吻』
  • 大正14年 菊池寛『第二の接吻』

菊池寛の小説は、映画化の際に『京子と倭文子』と名を変えさせられたほか、彫刻では「接吻」を「習作」と改題し黙認された事例もあったと言うので、内容ではなく、あくまで題名のみでの判断ということなのでしょう。つまり、先の陰毛の有無の話も同じですが、警視庁の判断のしやすい基準が設けられたということになります。


ところで、オリジナル・ラブの代表曲『接吻』は、この時代(今から100年前)であれば、当然のことながら、発禁処分とならざるを得ないわけですが、改題するとしたら何になるのでしょうか。歌詞から引くとすれば、やはり「色の無い夢」*1推します。

本の中では、裸体彫刻は、何らかの物語を表現することが難しいため、思わせぶりだがよくわからない題名をつけることで、芸術作品として成立していたという話が出てきますが、このタイトルも芸術作品っぽくていいと思います(笑)。

それだけでなく、本ブログで主張する、「接吻」の裏テーマ*2を直接的に表現したタイトルでもあり、ポップ・ミュージックではなく、アートとして考えた時、このタイトルの方が完成度がむしろ増すとすら言えます(笑)。

接吻 kiss

接吻 kiss


その他、本の中では、裸体写真や、野外彫刻についても色々な点から触れられており、興味深いところは沢山あるのですが、最後に、タイトルの「若衆」の由来ともなっている「群像」の表現について触れます。

第4章では、男性向け同性愛専門雑誌(『薔薇族』『ADONIS』における写真表現について触れられていますが、こういった雑誌では、裸体を見せているのが複数であることに意味があったようです。したがって、同じ男性裸体彫刻でも「単体」ではなく「群像」であることは非常に重要だったのです。

実は『ADONIS』でも『薔薇族』でも、読者欄の一番の話題、最大の関心事は、そうした「友」に出会えないこと、だからこそ雑誌を介して出会おうとすることなのである。したがって、彫刻となり、公衆の面前に立っても何ひとつとがめられることのない<友>(朝倉文夫の男性裸体彫刻で、二人が全裸で肩を組む)は理想の姿であったに違いない。p161


また、裸の男の群像表現については、「夏祭り」と切り離せないようで、矢頭保*3の写真集『裸祭り』の序文で三島由紀夫はこのように書いています。

日本の男たちは、この一冊の写真集のなかでは、かれらもその一員に他ならぬ近代的工業社会の桎梏から、祭りの一日だけは抜け出して、日常は大工場のブルーカラーであり、あるひは大銀行の窓口掛であり、あるひは大建設会社の下請労務者であるものが、日本の古い民衆の風俗に守られて、褌一本の雄々しい裸になり、生命にあふれた男性そのものに立ち還り、歓喜と精悍さとユーモアと悲壮と、あらゆるプリミティヴな男の特性を取り戻している、そして何よりも、それらを一日でも取り戻せるといふことは、その若い健康な肉体の特権に他ならない

ここでは、日本人の生活に根付いていることが重要視されており、日本における男性裸体が、西洋におけるそれとは別の意味づけがされていることが示唆されています。

裸体表現を辿ることは、それぞれの国の文化や国民性を考えることにもつながるということが分かり、こういった表現についてもっと知ってみたくなりました。

なお、ちょうど先日見た、「ユーリ!!! on Festival」の朗読劇は、世界各国のフィギュアスケーターたちが、長谷津くんちという祭に「褌(ふんどし)」姿で集まり、語り、戦い、協力する内容だった(笑)のですが、まさに、この『股間若衆』で書かれている股間表現の最新型が現れているように見えて驚きました。

まず、アニメの朗読劇という形態は、(見せるわけではないので)視覚的には何でもOKなはずですが、そこに「褌」という、守るべき一線を持ち込むことによって「公式」としての作品世界の風紀が保たれているバランス感覚は、まさに、このアニメの特徴をよく表していると思いました。

そして、それが「褌」であることで、三島由紀夫が言うように「日本の古い民衆の風俗に守られて、褌一本の雄々しい裸になり、生命にあふれた男性そのものに立ち還り、歓喜と精悍さとユーモアと悲壮と、あらゆるプリミティヴな男の特性を取り戻している」ということが強く感じられたのでした。(半分冗談、半分本気)


ということで、色々なことを考えさせてくれた一冊でした。

速やかに今年4月に発売されたばかりの『新股間若衆』にも手を伸ばしたいです。(ろくでなし子事件についても触れられているようで、そちらも気になります)

せいきの大問題: 新股間若衆

せいきの大問題: 新股間若衆


参考(過去日記)

 →自分は本当にこのアニメが大好きで、ねんどろいどとかまで買ってしまいそうで怖いです。家族の存在が防波堤になってくれていますが…。

 →二冊の本の紹介と「聞かれたくなかった質問」の内容が書かれていますが、オリジナル・ラブ『接吻』が登場するのは、「聞かれたくなかった質問」の部分です。かなり本質的な部分を突いた内容になっているような気がしています(笑)


*1:最初、あまり吟味せずに「痩せた色の無い夢」としていたところ、読んでくださった方より意見があり、修正しました!「色の無い夢」の方がシンプルで良いです!

*2:こちらの記事を参照のこと。中盤以降に出てきます。→聞かれたくなかった質問〜森岡正博『感じない男』×サンキュータツオ・春日太一『俺たちのBL論』

*3三島由紀夫の「切腹写真」を撮影したことでも有名な写真家

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2017-07-02 Sun

[]SFこども図書館シリーズの魅力〜ウェルズ『月世界探検』、R/ジョーンズ『合成怪物

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先日のビブリオバトルで『合成怪物』を紹介した人がいた。

紹介自体、とても良かったのだが、紹介の最後で、「子どもの頃に読んでいたバージョン」として紹介した表紙デザインに「おぉ!!」と声が出てしまった。

それは、自分が小学校の頃に読んで印象に残っていた本『月世界探検』と同シリーズの本だったからだ。子どもが大きくなってから、自分が子ども時代に読んでいたあの本をもう一度読んでみたいと思ったが、Amazonで検索してもよくわからない。そもそもタイトルが月世界探検だったか、月世界旅行だったか曖昧で、また、キノコを食べるシーンがあることと、ラストが寂しいということくらいしか内容を覚えていなかったので、調べようがないと諦めていた。ウェルズに同名の本があることは知っていたが、自分の読んだのはもっと子ども向けの本だったのだろう、と思い込んでいた。


しかし、実際に表紙デザインを見ると、すぐに「これだ」と分かった。

SFこども図書館」シリーズは、かつて図書館(小学校の図書室)には揃っていることが多かったというレーベルで、表紙デザインを見ているだけでドキドキする。読んだ記憶としては『月世界探検』しかなかったが、ラインナップを見ると、どの表紙も馴染みがあるような気になって来る。

最近は、著作権の関係もあり、子ども向けリライトということはあまり行われていないようだが、『合成怪物』は、子ども向けでしか読めないなど、余計な部分を削ぎ落したからこそ、その本の良さが浮き上がる部分もあるだろう。新作を作るのは難しいのかもしれないが、切らすことなく小学校の図書室においてほしいシリーズ。

それにしても、内容以上に、装丁とイラストが素晴らしい。『エッケ探偵教室』や星新一の一連の著作(イラストは真鍋博)などと同様に、イラスト抜きでは語れない。今回は、そんな「SFこども図書館」シリーズの2冊を調布市の中央図書館から取り寄せて読んでみた。


『月世界探検』のイラストは井上洋介。くまの子ウーフが有名な人だが、同じシリーズでは『合成人間ビルケ』も担当しているようだ。

小学校1,2年で仲の良かった友達が描くキャラクターは、目が縦線で表現されることが多かったが、月世界探検のイラストは、まさにその方式で親しみやすかったのかもしれない。

基本的には、主人公のベッドフォード(事業家)と科学者ケイバ―の2人が、引力を断ち切る新たな材料「ケイバ―リット」を使って月に行くという話。

表紙にもあるガラス張りの宇宙船はケイバ―リットを塗ったブラインドに覆われており、ブラインドを開けると、そちらの方に引力が発生し、引き寄せられて宇宙を移動するというもの。

この小説の中の月には、水も空気もあり、気温の変化が少ない地下には知的生命体も暮らしている。2人は、一度、「月人」に捕らえられるが、逃げる途中にはぐれて、結局ベッドフォードのみが地球に戻る。月に残ったケイバ―からは、その後、月世界の支配者と出会った話などが通信で送られてくるが、どうも非業の死を遂げたらしい、ということが分かり、唐突のラストを迎える。


読み返してみると、自分が感じた面白さの核は、月世界の景色や、月人、月の生物の造形など、井上洋介のイラストによるところが大きいかもしれない、という気がする。そして、当時、あまり読んだことのなかった、アンハッピーな終わり方が、強く印象に残っていたのかもしれない。


合成怪物 (SFこども図書館25)

合成怪物 (SFこども図書館25)

『合成怪物』のイラストは三輪しげる。同じシリーズでは『逃げたロボット』も担当。

まず表紙のインパクトが凄い。

後述はするが、タイトル的にも内容的にも最も重要な「ゴセシケ」は、一番下にひっそりと配置され、ピストルを持って倒れ込むような人物*1に囲まれるようにして、折れた高層ビルブルーバックの遠景に見える。(ラストまで読むと、本の内容にマッチしているのだが)本の内容よりも、不穏な感じ、奇妙な感じから来るワクワク感を優先したこの表紙は、本の魅力を増していると思う。


そして、ゴセシケ

この本の主人公ジョンは冒頭から死んでいる。体も失っている。

しかし、その脳だけは実験室で生きている。

この世界では、政治家官僚に成り代わってアメリカの中枢に「人工頭脳」が食い込んでいる。かつては電子頭脳がその場所にいたが、死んだばかりの人間から取り出した脳を「人工頭脳センター」で統括管理して利用するようになったのだ。

しかし、体が死んでしまっても脳は生きていて、人工頭脳センターでは「脳」が奴隷のように扱われている。だけでなく、ジョンを含めて多くの科学者は、政府によって殺されたということが次第に分かってくる。

そこで、ジョンを含めた何人かの「脳」が政府に逆襲する、という話。

身体を持たないジョンは、人工頭脳が出す電波で操縦できるロボットを使って合成生物を造らせる。それが、合成神経細胞、略してゴセシケ

ゴセシケは複数存在し、ジョン達は、別の場所にいるゴセシケに意識を移すことによって、テレポーテーションも出来るなど、弱い力ながら知恵の力で巨大権力に打ち勝とうというストーリーになっている。

しかし、この作品も素直にハッピーエンドとは言い切れないラストを迎える。小学生向け作品ではありながら、そういうリアルな部分があるから多くの人の印象に残る傑作となっているのだろう。


2000年代に入って復刊された両作品の表紙は、個人的にはやはり違和感が残る。

しかし、多くの人が読めるように、色々な形で、こういった本が残っていくといいなあと思う。

*1:この人物の爪が、服装と同じく灰色に塗られているのも上手いと思う。死んでいるように見える人間とビルがあるから、「合成怪物」であるゴセシケに目が行くようになっている。

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2017-06-24 Sat

[][]改札素早く通り抜けろ2人のルールで〜熊倉献『春と盆暗』

まばたき(初回生産限定盤)(DVD付)

まばたき(初回生産限定盤)(DVD付)

改札 素早く通り抜けろ2人のルールで

また ふざけてるんだろう?

雨でまつげが濡れてる

失くしたもの ここじゃないどこかで見つかるから

2人だけの世界 誰にも触らせない

『まばたき』は、ここに来て、自分にとってYUKIのベストアルバムという感じになって来たが、その中でも大好きな「2人だけの世界」。

どうして改札を素早く通り抜けなくてはいけないのかは、歌詞だけからは分からないが、そういう、秘密のルールや、行きつけのレンタルCD屋*1の話が2人の繋がりを強くする。

しかし、だからと言って2人が「お互いを全て分かり合える」のではない、ということを、ブリッジ部分(↓)で言っているのが面白い。*2

その瞳に映ってた 私は私も知らない

あなただけが知ってくれている

それは必然で 何もこわくはない

「2人だけの世界」は、あくまでも2人の人間それぞれの中にある別個なものだ。ある意味で冷めた視点で2人の関係を分析しつつ、信頼関係があるから、その世界が強固なものだと言ってのける強さが感じられる曲。


春と盆暗 (アフタヌーンコミックス)

春と盆暗 (アフタヌーンコミックス)

『春と盆暗』は、短編集だが、YUKIの歌う「2人だけの世界」のうち、「2人のルール」に特化した内容が全ての話に含まれる。2人の間には、まだまだ強固な信頼関係はないけれど、「2人のルール」が盛り上がっていくところに、これからの恋の進展を予感させる。

漫画としての魅力は、そのルール自体が、どの程度、魅力的かどうか、というところにかかっているが、自分は面白く読んだ。


帯に「ぼんくら男子と不思議女子の片思い連作集」とある通り、短編は4つとも、不思議ちゃん的性格のヒロインが、世界の捉え方に対する個人的なルールを披露して、そのに主人公男性が惹きつけられるという展開。

似た話ではあるが、4編でキャラクターの描き分けを意識的に行っていることもあって、それぞれ飽きずに読める。

特に自分が好きなのは、定番の「水中都市」ネタを含む、そのままのタイトル「水中都市と中央線」。

カラオケ店でアルバイトする男性主人公は、援助交際的な動きを見せる制服女子(実は21歳)に惹かれる。話してみると「街が水中に沈んだら背が高い方が助かるからいいですね」という謎コメントをもらい、水中に沈んだ中央線の風景が頭をよぎる。自分は、都市が水中に沈んでしまうという妄想は大好き過ぎるので、無条件に高評価になってしまうが、ラストでヒロインが主人公にストローを咥えさせるシーンは最高だ。


また、高尾山布田駅井の頭公園など、京王線ユーザーには馴染みの場所が多く出てくるのも嬉しい。

絵柄はとても好きだが、やっぱり似た話が偏っている気がするので、次の作品は、ボーイミーツガールに重点を置いた話ではなくて、人間同士の関係性に目を向けた話を読んでみたい。

「水中都市と中央線」がまさにそうだが、不思議女子のイメージは、アジアンカンフージェネレーションのジャケの女の子のイメージなのかな。

或る街の群青

或る街の群青


参考(過去日記)

⇒水中都市ネタとして、ポニョのほか、星新一『午後の恐竜』、絵本『東京は海のそこ』について取り上げています。

*1:歌詞に出てくる「友&愛」は自分の住んでいる最寄り駅にもありました…

*2:歌詞に使われている言葉を見ると、ブリッジ部分以降は女性の立場、それより前は男性の立場で書かれているように思う。それも含めて面白い。

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2017-05-27 Sat

[]寄り道してこそキマイラ〜『キマイラ3 餓狼変』

キマイラ    3 餓狼変 (角川文庫)

キマイラ 3 餓狼変 (角川文庫)


3巻では、このシリーズ最大の特徴がいかんなく発揮される。

それは「寄り道」だ!


まず、主人公の大鳳と久鬼の出番はほぼない。

最初に出てくるのが菊地。1巻の冒頭で共に大鳳を襲った灰島が「あの日から菊地は変わった」と印象を語る場面からスタートする。菊地ファンの自分にとって 猛烈にドキドキするオープニングだ。その後すぐに倒されるというのも菊地らしい。


そして、この巻では、様々なバックボーンを持っていると考えられる新キャラクターが登場する。(どのキャラクターも名前がカッコいい!)

  • フリードリッヒ・ボック
  • 巫炎(ふえん)
  • 猩々(しょうじょう)
  • 斑孟 (はんもう)
  • 脇田涼子

このように、主要キャラを差し置いて新キャラクターが続々と登場するだけでなく、3巻の時点で巻の1/3は台湾を舞台にしていることからも、夢枕獏の壮大な構想が垣間見えてくる。それは一方で、壮大な構想ゆえの大きな回り道の癖がよく出ているともいえる。


なお、キマイラが「伝奇」小説たる所以は、この巻で登場する「鬼骨」にあると思う。

キマイラ化」という超常的な現象を、実感を持って説明する言葉として使われるのが「鬼骨」。通常7つと考えられるうち最も下にあるムーラダーラ≒「尾閭」のさらに下に位置する8番目のチャクラ「気骨」を回すという「八位の外法」が、キマイラ化するための方法ではないかと語られるのだ。

この巻で登場するフリードリッヒ・ボックの位置づけは、その点で重要だ。既に「八位の外法」を知り、雲斎や猩々と同等に気功を操るボックは、物語の登場人物の中で、もっとも真相に近づいているかもしれない。

鍛錬の途中で誤って「鬼骨」を回してしまうということはあり得ない中で、何故、二人の少年が同時期にキマイラしたのか、そういった謎がメインストーリーの牽引力になる。しかし、謎解きの鍵を握るのは、久鬼や大鳳ではなく、雲斎やボックであるから、どうしても物語は寄り道してしまうことになるが、それが読者をヤキモキさせる原因でもある。


3巻の話

  • 空手部の夏期合宿の最終日、鬼道館に、金髪、長身、鷲鼻(異相)の外国人が現れた。大鳳の居場所を聞くボックに、九十九のいる円空山を教える阿久津だが、帰ろうとしたボックに菊地が突っかかる。しかし、ボックは特殊な技を使って菊地の前歯を二本折り、気絶させる。
  • 旧知の猩々のもとを訪れるために台湾の山中を行く雲斎。途中、ブヌン族の青年・斑孟(猩々の弟子)に襲われながらも、無事、猩々に会う。
  • 雲斎の目的は、「八位の外法」(7つあるチャクラのさらに下のチャクラを回す外法のこと)について知り、特に「八位の外法」のために獣と化した巫炎の姿を目にすることだった。
  • 10年前にブヌン族を襲った巫炎を捕らえたのは、猩々と乱蔵。斑孟は、両親を巫炎に喰われたのだという。
  • なお、雲斎よりも前に、ボックが、台北道場で、猩々に八位の外法について尋ねていたことが分かった。
  • 舞台は再び小田原に戻る。さまざまな迷いを絶つため。久鬼玄造の屋敷に行く九十九。そこで「君は何のために生きておる?」と問われて、答えられなかったことは、その後、しばらく九十九自身を苦しめることになる。
  • 久鬼玄造からの屋敷の帰り道、坂口の見舞いに行き、夜遅くに円空山に来た九十九。そこには、別れの言葉を告げに来た大鳳がいた。
  • さらに遅れて来たボックだが、大鳳はすでに闇の中に姿を消し、残った九十九とボックの戦いが始まる。しかし、呆気なく九十九は発勁の技で倒されてしまう。
  • 四章からの「九十九彷徨編」は小田原繁華街のスナックでウイスキーのストレートを飲む九十九から始まる。大鳳、久鬼、そして、ボックにも「置き去り」にされた自分はこれからどうすればいいのだ。
  • そんな九十九を見つけた菊水組の連中は、九十九を泥酔させ、神社で大人数で襲う。しかし、その程度の相手に対しては十分強く、破壊する暴力に酔いしれる九十九。
  • 相模湾を望む早川の河口で、電話で呼び出した深雪を「酔った勢い」で抱きしめる九十九。それを止めたのは坂口。波打ち際で、二人は互角の戦いを繰り広げるが、結局その場を収めたのは台湾から帰って来たばかりの雲斎。雲斎の目の前で九十九は泣きじゃくるのだった。
  • 一晩明け、まだ迷いを見せる九十九に、雲斎は「自然石割り」をやって見せ、ボックの技は鬼勁という、これよりももっと恐ろしい技だという。
  • 六章「修羅の男」は龍王院弘の話。大鳳に恐怖した自分を許せない龍王院弘は、歌舞伎町を歩いていて、大鳳を見つけるも見失う。
  • 二日後、円空山に電話をかけ、九十九を新宿に呼び出す。結局闘うことになる二人だが、九十九はいまだ本調子ではなく、劣勢になる。「警察が来る」と声を出してその場を救ったのは、その日に九十九が掏摸から助けた女性・脇田涼子だった。
  • 涼子のマンションで食事をご馳走になったあと、涼子に誘惑される九十九だが、その涼子が龍王院弘に攫われてしまう。しかし、公園で龍王院弘と戦う中で、少しずつ九十九に実践のカンが戻り、今回は、龍王院弘を倒すことが出来たのだった。
  • この巻ラストの9章「月に哭える」では、1で大鳳、2で久鬼(と由魅)、そして3で、十年ぶりに自由の身になった巫炎が映し出される。

参考

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