Hatena::ブログ(Diary)

Yondaful Days! このページをアンテナに追加 Twitter

2017-03-26 Sun

[]長所短所があまりに明確な小説〜西尾維新『少女不十分』

少女不十分 (講談社文庫)

少女不十分 (講談社文庫)


今回の本は、読んだきっかけが少し変わっている。

まず漫画版の第1巻を読んだ。これは、kindleの無料とか半額セールで評価が高いものに手を出したという程度の理由だったように思う。

漫画版の第1巻はとても面白かった。しかし、漫画版が3巻で終わると知らなかったので、もしかしたら漫画は長く続くのかもしれず、そんなにお金はかけられない…。西尾維新原作ということで、先に原作を読むのが良いだろう。そんな考えから原作の方を読むことにした。


このような読み方をしたと説明すれば、この小説にどのような感想を抱くか、作品を知っている人には想像がつくかもしれない。


とにかく導入部が長過ぎる。


漫画版で、この話がどんな話なのかは分かっている。むしろ続きを読みたいという自分の意図を外れ、とにかく物語が遅々として進まない。

  • 自動車事故の際のUの「行動」を目撃するシーンがp43
  • 自転車で転倒するシーンがp55
  • 少女Uに小刀を向けられるシーンがp87
  • 「一軒の民家」に連行されるシーンがp127
  • 階段脇の物置に閉じ込められるシーンがp143

とにかく、漫画1巻の最後で描かれる場面に辿り着くまでがあまりにも長過ぎる。

繰り返すが、自分は漫画で、この物語が、「大学生男性が小学生女子に監禁される話」だということを知っている。全325頁で終わる文庫小説で、まさか、その導入に140頁使われるとは想像していなかった。勿論、この後も展開の速度は変わらず、それもこれも、主人公のぐるぐる回り続ける思考と独白が、通常の小説の10倍くらいあるからなのだが、普通に考えると、これは「過剰」だ。*1


しかし、この作品が支持される理由もよく分かる。

当時、大学生だった「僕」は、小説家を目指し、物語を作りつづけてきた。

ラスト近くに、それらの物語について語る部分があり、そこに強いメッセージが込められているのだ。

とりとめもなく、ほとんど共通点もないそれらの話だったが、でも、根底に漂うテーマはひとつだった。

道を外れた奴らでも、間違ってしまい、社会から脱落してしまった奴らでも、ちゃんと、いや、ちゃんとではないかもしれないけれど、そこそこ楽しく、面白おかしく生きていくことはできる。

それが、物語に込められたメッセージだった。

僕であろうとUであろうと、誰であろうと彼であろうと、何もできないかもしれないけれど、生きていくことくらいはできるんだと、僕はUに語り続けた。

(略)

大丈夫なんだと。

色々間違って、色々破綻して、色々駄目になって、色々取り返しがつかなくって、もうまともな人生には戻れないかもしれないけれど、それでも大丈夫なんだと、そんなことは平気なんだと、僕はUに語り続けた。

(略)

両親の作ったマニュアルによってがんじがらめに縛られている彼女の心に、僕の作った未熟な物語が、どれほど響くか知れたものではなかった……、だけど未熟であっても稚拙であっても、僕は物語の力を信じていた。疑り深く小心な僕が、それは唯一信じるものだった……、その唯一を、僕はUにすべてあげることにしたのだ。これが無意味で無為で、無駄だと言うなら、僕は黙って切腹しよう。

P311〜314


西尾維新の本を読むのは、これで4冊目だが、この『少女不十分』には、西尾維新の「物語」に対するスタンスが強く表れているように感じた。その意味では、この本を読んで、西尾維新を以前よりも信頼するようになったし、まだ読んでいない小説に、どのようなキャラクターが出てくるのか、もっと読みたくなった。


参考(過去日記)

西尾維新は、これら以外にデスノートの小説版を読んでます。

*1:ちなみに、この話が「大学生男性が小学生女子に監禁される話」であることは、小説版では、Amazon裏表紙のあらすじなどでは伏せられている。コミックス版では、Amazonのあらすじに明記されており、両者で対応が異なる。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20170326

2017-03-25 Sat

[]あまりにも「あの作品」を思い起こさせる傑作ホラー〜『エスター

エスター [DVD]

エスター [DVD]


主役であるエスターと「目が合ってしまう」ジャケ写が前々から気になっていた作品。

今回観るきっかけになったのは、4月に中学生になるよう太にあった。よう太がミステリを本格的に読み出したので、綾辻行人の名前でインターネットで検索したときに出てきた、以下のページでオススメされていたのだ。


文章の中で綾辻行人は、『エスター』について、「アンファンテリブル恐るべき子どもたち)」というジャンルで括って紹介していて、例として『オーメン』の名前も挙げられている。

そういうジャンルがあるのか、と初めて知ったが、今回実際に作品を見た後の自分の感想は少し違っていて、「よそ者に家を乗っ取られ系」という括りの方がの方がしっくりくる。

例を挙げれば、ディオが優等生のふりしてジョジョの大切なものを次々と奪っていく『ジョジョの奇妙な冒険』の第一部なんかもそれに入る。

今回、映画を観始めて、エスターという少女は、主人公夫婦が、孤児院から譲り受ける娘のようだということが分かり、そして、エスター初登場シーンで、大人のように頭が良く、どこか「子どもっぽさ」に欠ける様子を見て、すぐにこれはあの作品に似ているな、と思った。



(以下はネタバレ全開です)

続きを読む

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20170325

2017-03-12 Sun

[]漱石はっぴいえんど論〜清水義範漱石先生大いに悩む』

漱石先生大いに悩む

漱石先生大いに悩む

夏目漱石に関する本だが、1章から5章までのタイトルが「虚の章」「実の章」「虚々の章」「実々の章」「虚実の章」となっている通り、虚実ないまじりの文章、という言い方ができる。

明治三十七年十二月、少壮英文学者・夏目金之助処女小説『吾輩は猫である』を世に問うた。ここに「作家・夏目漱石」誕生。…日本近代文学史上、最も重要な大事件であった。定説では、神経衰弱に悩んでいた漱石に、高浜虚子(正岡子規後継者、「ホトトギス」主宰)が「気晴らしの文章を書くことを勧めた」のが、執筆のきっかけとされる。しかし、今回新発見された漱石書簡によれば、それ以前から小説の構想と新しい文体をめぐって、あるウラ若き女性と意見を交わしていた重大新事実が浮上してきた。手紙には「美禰」という名が記されている。この謎の女性は、漱石作家デビューにどうからんでいたのか?さらに漱石の文豪たるゆえんは、現代日本語表現の基本を創り上げた功績にあるが、そんな大仕事を、なぜいきなり処女作で成し遂げられたのか?謎の書簡と謎の女の真実を求めて…“文学探偵”見参!その推理が冴える。


自分のように、漱石をほとんど読んでいない人間にも、「美禰」という架空の女性との手紙のやり取りを通して、金之助と漱石という名前、全集に収められた「書簡集」の意味、正岡子規高浜虚子と「ホトトギス」との関係など、さまざまなことが「勉強」できる本になっている。

夏目漱石によって「新しい文体」がどのように生み出されたのか、ということが、当時の事を見てきたかのように理解できる。

たとえば森鴎外の『舞姫』は金之助も読んでいて、見事な小説だとは思っている。雅文体の文章には品格があり、物語は香り高くロマンティックだと認める。しかしその小説にはユーモアがなく、そのせいで真実味が感じられないのだ。

ゲラゲラ笑ってしまう滑稽さがユーモアなのではない。人間の愚かしさを知ってそれを許すところにユーモアはおのずと生じる。

おれは小説にユーモアを持ち込んでみたいのだが、はたしてうまくできるのだろうか。p83

ひとつやってみるか、という気がする。おれにしか書けない、ユーモアがあってまったく新しい小説を書いてみるのだ。

ここは、いよいよ漱石を世に送り出す時かもしれない。漱石と言えばあの夏目、夏目と言えば、おおあの漱石かと言われるぐらいに、夏目漱石をデビューさせ、一躍有名になってみる時が来たかもしれん。p93

わかりやすく言文一致にした文章は、そうではない文章より長くなりがちである。その長くなった分だけ、言い切る力強さが失われている。男性的に断定していく文章ではなくなり、女性的に少しぼかして語るような文章になっている。わかりやすく書くというのは、運命的に、力強さを失うということなのである。

言文一致の文章は、必然的に、子供向けや、女性向けに語るような調子になり、力強さを失い、論理的構造を失い。感覚的になるのだ。p119

ところが、この猫論であり、人間論でもある議論を、やっているのが猫だから、言いつのればつのるほど、苦笑して読むしかないのである。そういう構造によって、漱石は論理的文章でもってユーモア小説を書くというはなれ技に成功しているのだ。

そのようにして、漱石は日本で初めて、論理的な文章を用いて小説を書いた。これは新しい文体の発明であり、この発明のおかげで日本人は論文が書けるようになったのだ。p136

つまり、単に言文一致体で書くだけではなく、論理的かつ演説を思い起こさせる「である」調を採用し、さらにはそれを猫に喋らせることでユーモアを生み出したのが、『吾輩は猫である』の発明だというのだ。

物語の内容は勿論だが、それ以上に、その文体に心を砕いた漱石。筆名も、このときから敢えて金之助ではなく、意固地な感じのする漱石を使い、小説そのものよりも、文体装丁、筆名など、それをパッケージとして発表することに意識的だったというのは、他のものを思い起こさせる。


特に、言文一致についての動きは、日本語で、どのようにロックを演奏していくのかという、日本語ロック論争と重なる部分が多いように思う。

つまり、夏目漱石は、とても「はっぴいえんど」的だ。

そう思うと、これまであまり読んでいなかった夏目漱石に、とても興味が湧いてきた。

まずは、ゆでめん聞きながら『吾輩は猫である』を読むことにしようか。

はっぴいえんど

はっぴいえんど


参考(過去日記)

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20170312

2017-03-08 Wed

[]試されるミステリ麻耶雄嵩『貴族探偵』

貴族探偵 (集英社文庫)

貴族探偵 (集英社文庫)

麻耶雄嵩の魅力は、ミステリの縁(ふち)を行くようなギリギリ感だと思う。メタミステリだったりジャンル境界だったり、裏技気味だったり、正当なミステリからはどうしても外れる。

一方で、ミステリ的なトリックを詰めた作品の場合、難し過ぎて自分がついていけない場合がある。読者が試されているのだ。

かつて、麻耶雄嵩作品には、『翼ある闇』のぶっとびぶりに驚いて読んだ次の作品『夏と冬の奏鳴曲』(『鴉』だったかも…)は意味が全く分からずに、苦い思いをした思い出がある。

今回、20年ぶりに、その思いを味わうことになるとは…。


『貴族探偵』は短編集だが、コンセプトが非常に面白く、キャッチ―で、ドラマ化される、というのもよく分かる。*1

主人公自ら「貴族探偵」と名乗る変人っぷりと、すべての捜査を使用人(執事、メイド運転手)に任せる徹底ぶりで既に面白いが…。

それを見て、事件関係者は、「初めて見たが、まさにこれこそが安楽椅子探偵。自分は動かず、聞いてきた情報だけで推理を組み立てるのか!!」と驚く。しかし、関係者全員を集めて、さあ今から真犯人を推理する、という場面で、推理すら使用人に任せてしまう。

「あなたが推理するのではないのですか?!」

場に集まった人々から投げかけられるこのツッコミが、この作品のほぼ全てである。

つまり、全く推理をしない名探偵。それが「貴族探偵」なのだ。


これだけキャッチ―なフックがあるのだから、トリックは、「それなり」で良いと思うのだ。頑張る必要はないはず。

しかし、この短編集はトリックが一癖も二癖もあり、困ってしまう。

収録されている5作「ウイーンの森の物語」「トリッチ・トラッチ・ポルカ」「こうもり」「加速度円舞曲」「春の声」のうち、3作は満足して読んだが、「春の声」については、無理があり過ぎて、これはバカミスなのか?と思ってしまった。

そして問題作の「こうもり」。

これを褒める声も多いようだが、初読時に全く理解できずにポカーンとしてしまった。読み返して、どこが驚くポイントかは理解したが、いまだに腑に落ちない。

ということで、久しぶりに自分の理解力の無さを嘆く読書となった。


しかし、嫌いなシリーズでは全くない。「あなたが推理するのではないのですか?」というツッコミをもう一度聞くために、続編はドラマ開始前に読んでみたい。

貴族探偵対女探偵 (集英社文庫)

貴族探偵対女探偵 (集英社文庫)


参考(過去日記)

*1:主演・相葉雅紀で月9とのこと。連続ドラマには向かない気がするが… →http://www.fujitv.co.jp/kizoku/

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20170308

2017-03-05 Sun

[]登山の魅力とそのリスク〜羽根田治『山岳遭難の教訓 --実例に学ぶ生還の条件--』

装丁も魅力的で、推す人が多いヤマケイ新書の遭難本。

今回、直接的には、(時代劇研究家の)春日太一さんが連続ツイートで、羽根田治『山岳遭難の教訓』を激推ししていたことに背中を押されて、早速手に取ってみた。

この人の本を読むのが初めてだったせいもあり、早速驚いたのは、全11話あるうちの1話目(「高体温疾患の恐怖−沖縄西表島」)が作者本人の体験談だったこと。遭難事故の事例紹介をする本だと思っていたのに、もしかしたら、本人の体験談のみで構成された本なのか…。雪崩にあったり、低体温症になったり、この羽根田治という人は、相当に経験豊富で、危険をくぐりぬけてきた人なのだなあ…と、目次を見ながら大きな勘違いに浸ってしまった。


が、勿論そんなことはなく、残りの10話は、遭難を経験した人の事例紹介となっている。

事例の中では死亡してしまう人もいれば、負傷しながら生きて戻る人もいる。失敗事例の中には、教訓として学ぶべきことが埋もれている、という意図で書かれた本だ。

特に印象に残っているエピソードを挙げてみる。


吹雪にかききえたルート(アルプス白馬乗鞍岳)

吹雪の中でリングワンデルングに陥ってしまったケース。

この話だけではないが、改めて思い知らされたのは、散々迷って体力を消耗した後で雪の中ビバークなどすると、低体温症で死んでしまうこと。

ビバークしたところで「一人冷たくなってしまった」と、動かなくなった人を置いて再出発する。短い言葉で表現されたシーンだが、ひとりの人が亡くなった上で、自分の命のために、遺体を置き去りにしなくてはならない、という判断に悲痛を感じる内容。


スキーツアー中の雪崩事故(八甲田山・前嶽)

雪崩発生後に埋没者を探し出すシーンが出てくるが、そこで強調されるのは「三種の神器」。(ビーコン、シャベル、プローブ)

特に、ビーコンは、、自分の命だけでなく、「救助者を不要なリスクにさらさないため」に必要だという。しかし、「持たない主義」の人がいたりして…というような話があり、リスクに遭うことを想定すること自体が許されない、という日本のかつての原発政策を思い起こさせた。

そういった装備品の指導も含めて(バックカントリーなどの)ツアーガイドの役割の重要性が指摘されている。


冬山登山基地を襲った雪崩(北アルプス・槍平)

雪崩にのみ込まれた二つのテントで死者が大量に発生してしまう。

ここでも埋没者の救出作業が生々しい。何かあったときのために、心肺蘇生法など、まじめに練習しておくべきだなと感じる。


ゴールデンウィークの低体温症(北アルプス白馬岳、爺ヶ岳、穂高岳

山荘に電話をかけてきた女性登山者(62歳)の、危機感が全く感じられないやり取りが怖い。最後まで読むと、亡くなってしまったこの女性は、登山歴15年のベテランでキリマンジャロの登頂経験もあるということで、山を知っているからこそ、甘く見てしまうということがあるのかもしれない。


被雷のち骨折(大峰山系・行者還岳、弥山

二番目にショッキングだったのがこの話。

被雷、骨折しても自力で下山してしまうバイタリティもすごいが、数年前にはひとりでスキーに行き、下りで転倒して岩にぶつかり左肩鎖骨を骨折して、右手だけで車を運転して帰ったことがある、という話もすごい。

トラブル慣れしているのだろうか。「被雷のち骨折」というおおごとに対して、通常業務のように対処している様子に驚いた。


幻覚に翻弄された山中彷徨(大峰山系・釈迦ヶ岳

一番怖かったのがこの話。

ほとんどが本人の手記によって構成されているが、「太字部分は幻覚と思われる記憶」として、加工されている。2泊3日の計画が7泊に長引く中で、「太字部分」が増えたり減ったりする様子が本当に怖い。


明暗を分けた分岐点(奥秩父・和名倉山)

これも遭難女性が助かる話ではあるが、この人も大怪我をしている。

滑落で「膝下から足首の上にかけてが2倍くらいに腫れ上がっており、出血も見られた」というからただ事ではない。さらに携帯も落としてしまって、精神的なダメージは計り知れない。それでも自力で下山してきてしまうのだから、登山に慣れた人たちの生存能力にはただただ驚くばかり。

ちなみに、春日太一さんオススメの最後の急展開もゾッとする。


単独で山中を彷徨した8日間(奥秩父・飛竜山

どの話も、そういう要素はあるが、一番の「サバイバル」話だと思う。

ビバークを繰り返しながら山中を彷徨し、食料がなくなってからは、クマザサの芽の柔らかい部分を齧り、ヤマツツジの花の蜜を吸って飢えをしのいだという。

冷静さを失わないために役立ったものとして、ラジオの存在が挙げられている。


…と、結局、ほとんどの話を読み返してしまったが、助かった人は、リハビリが必要なくらいの状態に陥った人も、登山をやめた人はいないようで、登山の魅力というか魔力はおそろしい。

一方で、救助する側も命がけで遭難者を探す様子が描かれているのを読んで、他人に迷惑をかけないという意味でも、万全なリスク管理が必要だと感じた。つい昨日、訓練中のヘリコプターの墜落事故*1があったように、天候が悪いと、陸からも空からも捜索・救出が難航する。登山の魅力というものが、そういったリスクと表裏一体である、ということが良く伝わる本だった。

ちなみに、つい先日、出張で函館に行ったとき、ちょうどこの本を読んだ直後だったので、過剰に防寒着を用意して行ってしまった。結局現地は暖かく、そんな持ち物は不要だったのだが、万が一のことを考えれば、念には念を入れた準備は誤りではなかった。そう思ってしまうほど影響を受けた。


参考(登山関連の過去日記)

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20170305
0000 | 00 |
1974 | 00 |
1997 | 01 |
2004 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2017 | 01 | 02 | 03 |