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2016-05-21 Sat

[]とっつきにくい世界から救ってくれたあるキーワード清水玲子『月の子』(1)〜(3)

月の子 MOON CHILD 1 (白泉社文庫)

月の子 MOON CHILD 1 (白泉社文庫)

月の子 MOON CHILD 2 (白泉社文庫)

月の子 MOON CHILD 2 (白泉社文庫)

月の子 MOON CHILD 3 (白泉社文庫)

月の子 MOON CHILD 3 (白泉社文庫)

たまたまのタイミングだが、先日読んだヤマシタトモコ『Love,Hate,Love.』も主人公がバレエをやっていたし、この『月の子』でも主要登場人物の一人(アート)がバレエダンサーだ。

バレエは、山岸涼子アラベスク』からの流れなのか、少女マンガでは伝統的に用いられるモチーフなのかもしれないが、少年マンガにはまず出て来ない。

そもそも、こういう部分に少年マンガ少女マンガのスタンスの差が典型的に表れているように思う。

夢や憧れの対象である世界、つまり読者の生活とかけ離れた世界で美男美女が活躍する物語を描くのが伝統的な少女マンガであるのに対して、伝統的な少年マンガは、読者の生活と地続きの場所から始まる。たとえゴールが華やかな舞台であったとしても、「ふりだし」は、読者と同じような「日本」の学校生活だったり、家族との小市民的な生活だったりする。

だから、自分は、先日読んだ萩尾望都ポーの一族』のような世界には、なかなか入り込めない。ログインできずに、外部から物語を眺めている感じになってしまう。そこが、一部の少女マンガに入り込みにくい原因であるように思う。

このような意味で、『月の子』を読み始めてしばらくは「ログイン」できなかった。舞台は外国で、メインキャラクターがバレエダンサー。しかも、バレエダンサーアート)と、いわば恋敵の相手(ショナ)は、顔が似ていて髪形でしか区別ができない。

これはとっつきにくい。引っ掛かるところがなくて、ダメかも…と思っていた。


しかし、意外なところから出てくる言葉が、自分をこの物語世界に繋ぎ止めることになった。

それは「ニガヨモギ」。

第三の御使い ラッパを吹きしに

大いなる星 天より隕(お)ちきたり

川の三分の一と 水の源の上に隕(お)ちきたり

この星の名をニガヨモギという


そう、2巻になってから黙示録の予言の話が出てくる。

つのだじろうをこよなく愛し、中高生の頃に五島勉に夢中になったオカルト大好きな時代のある自分(笑)にとっては、月や人魚、運命の相手みたいな話は全く刺さらないのだが、黙示録の話題は、とてもとっつきやすいモチーフだ。

『月の子』も、つのだじろう先生が描いていると思えば、途端に夢中になって読める話になってくる。(笑)


実際、2巻のその頃になってから話の全貌が分かってきて盛り上がっていき、3巻最後の段階では、様々な設定が絡み合ってこの物語が出来ていることが分かる。




  • 人魚姫の魔女
    • ティルトには実は卵細胞がない。(ティルトだけが知っている)
    • したがって、ベンジャミンが死ねば女性体になるのはセツなのだが、セツは幼い頃にティルトからうつった病で死んでしまう
    • 病で死んでしまったセツを甦らせるために、ティルトは魔女(人魚姫から声を奪った魔女)に、地球を市の惑星にし、体すべてを捧げる契約を結ぶ(引き換えに、セツの復活とショナとの卵を産むことを要求
    • この契約により、ティルトは体を失い、実業家の御曹司ギル・オウエンの体を乗っ取ることになる。

  • 恋愛関係
    • ショナは、小さい頃から夢に出てきた運命の女性ベンジャミン(ジミー)を好き
    • ジミーは、冒頭の交通事故で、自分の命を心配してくれたアートが好き
    • アートは、元カノであるダンス仲間のホリーとよりを戻したが、謎の女性(ジミーの女性体)が気になっている
    • 女性体になったジミーは、人間に向けては声を失っておりアートに喋ることができない
    • ジミーは、ショナが自分を好きなことを知っているが、それは自分が女性体に変化したからだと考えている
    • セツの解説によれば、ベンジャミンアート(人間)との真実の愛を得ることができれば、人間になれる

  • ギル・オウエン
    • ギル・オウエンとなったティルトは、以前よりも「能力」が強くなっている
    • ギル・オウエンにロシア語を教えているリタ(36歳女性、身長190cm)は「幻影」を目にすることができる
    • ギル・オウエンは、この星の未来を決めるため、反原発団体と話をすることになる

特に、3巻最後に話題にされる外見の話は、SF設定なしでも色々なバリエーションが考えられる話で興味深い。つまり、好きな相手は、普段の自分を好きになってくれなくて、特別な状態のときの自分のみを好きだという設定。

これは、普段北島マヤを好きなのが桜小路君で、女優・北島マヤを好きなのが速水真澄という、いわば少女マンガの王道でもある。また、自己認識と、他から求められる外見が整合しないという意味で、トランスジェンダー的な部分と類似する要素があるかもしれない。

ジミーがベンジャミン(女性体)としての自分をどう受け入れていくのか、女性体になったときにアートとの関係性がどうなっていくのか、4巻以降はその部分に注目したい。

やや反原子力という政治的な部分に目が向き過ぎると熱中できなくなる気もするが、これも(萩尾望都山岸涼子など)少女マンガの伝統なのかもしれない。これも、どう物語に絡めていくのだろうか。

4巻以降に期待しながら、まずは途中段階での感想でした。


過去日記

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2016-05-15 Sun

[]全く分かりませんでした〜向田邦子『あ・うん』

あ・うん (文春文庫)

あ・うん (文春文庫)

つましい月給暮らしの水田仙吉と軍需景気で羽振りのいい中小企業の社長門倉修造との間の友情は、まるで神社の鳥居に並んだ一対の狛犬あ、うんのように親密なものであった。太平洋戦争をひかえた世相を背景に男の熱い友情と親友の妻への密かな思慕が織りなす市井の家族の情景を鮮やかに描いた著者唯一の長篇小説。


驚いている。

向田邦子は、中学校の教科書だかテスト勉強だかで『父の詫び状』の一部を少し読んだだけで、本としては未読。

しかし、直木賞作家とはいえ、いわゆる「文学」の人ではなく、テレビの脚本家で「万人受けする面白さ」が強みの人だろう。

それにも関わらず、この読後感。

上に引用したあらすじを検証してみると…。

  • 男の熱い友情 ⇒ これが最大の難関かも。
  • 親友の妻への密かな思慕 ⇒ これは描かれていた。が、「密かな」…なのか?
  • …が織りなす市井の家族の情景 ⇒ この時代の家族の情景は、自分には合わないのかも。

とにかく、作品の意図を受け取るだけのレセプターが自分には無かった。むしろ異物として除去したいくらい。Amazonでも高評価が多いのが本当に不思議だ。

もしかしたら、高倉健主演の映画を先に見れば違う感想になっていたのかもしれない。

今回は、できるだけ具体的に嫌いなシーンを挙げて、仙吉と門倉のどこが嫌なのかを挙げていきたい「。そうすれば、次に映画を見たときに、自分の「基本的な読解力の無さ」「人情の機微への理解の無さ」が浮き彫りになるはずだ。

あ・うん [DVD]

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まず、冒頭の騒動について。

たみの妊娠が判明したあと、門倉と飲んで帰ってきた仙吉が、たみに語りかける言葉を拾う。

「門倉の奴、何て言ったと思う?」

「生れた子が女だったら、くれとさ」

「おれは涙が出たね。本社へもどれたのもうれしいけど、あいつに子供をくれといわれたほうがもっとうれしかったな」

「おれ、約束してきたからな」

「お前はうれしくないのか。あれほどの男が、おれたちの子供を欲しいと言ってるんだよ」

「あいつはなんでも持ってるんだよ。地位もある。金もある。いい親戚もある。弁も立つし友達も多いよ。人にも好かれるよ。背も高いし男っぷりもいい。女にももてる。おれはな、お前だから言うけど、今度うまれたら、ああいう男になりたい。」


子どもが欲しくてもできない親友からお願いされて、それに応えてやりたい気持ちはわかる。

しかし、お酒飲んで帰ってきて楽しそうに言う話ではない。しかも話す相手は、これからその子供を産む奥さんなのだ。たみは「冗談じゃないわよ」「どしてって、そんなこと、聞くほうがどうかしてますよ」「あなた、平気なの」「あたし、嫌だわ」「断ってくださいな」と、断固拒否というしごく真っ当な対応を取るのが救いだが、仙吉の、子供を、男親の所有物として考える、その感覚は、それが時代だからと説明されても、なかなか納得できない。


そして、この騒動についての門倉の対応が、仙吉以上に気持ちが悪い。

門倉の「二号」として、このあとも何度も登場する、カフェ「バタビヤ」の禮子の言葉を拾う。

「水田の細君に子供が出来て、それをもらうことにしたから切れてくれっていうのよ。父親になる男が身持ちが悪くては申しわけがないっていうのよ。ちゃんちゃらおかしいわよ。こんなものじゃ女の気持、けりがつきませんて、奥さんからそう言って返しといて下さいな」

そういって、禮子は、たみ(水田の細君)のところに、門倉に渡された手切れ金を返しに来る。

禮子は明るい女性で、物語の中では、このあと少し幸せになるからいいが、当時の男社会のルールには辟易する。恋愛ではなく「二号」という位置づけや、「父親になる男が身持ちが悪くては申しわけがない」という理屈が、到底理解できない。

こういった冒頭の場面から、既に、仙吉と門倉には全く共感できない。

そして、この物語で、筋が通ったことを言っているのは、大体において女性(特に娘のさと子)である。


その後、たみは流産をしてしまい、今度は禮子が門倉の子を妊娠をする。

そのことを門倉は、たみに報告に来る。

「いいでしょう、奥さん。生んでもいいと言って下さいよ」

「女房をどうこうしようっていうんじゃないんだ。あっちはちゃんと立てた上で血のつながった子供が欲しいんですよ」

まず、門倉が話している相手は、親友の妻、というだけでなく、つい半年程度前に「子供をくれ」という理不尽なお願いをして、その後、流産という辛い経験をした人であるという前提を確認したい。強い信頼感があるからこそ、こういう話ができるのだ、という言い方もできるかもしれないが、全くデリカシーに欠けている。

しかも「あっちはちゃんと立てた上で」という、まさに語るに落ちる本妻の扱い。

2016年の年初からずっとやっているベッキー騒動を、門倉に見せてあげたい。


仙吉の亡父初太郎の一周忌に、水田の家に、禮子と子供の守が訪れる。しかし、その後、遅れて来た本妻の君子と鉢合わせにならないように、禮子と守は二階に上げられる。しかし、子供の泣き声がするから君子は気づいて嫌味をいう。

(「隣の子が泣いている」という門倉に対して「お隣さん、二階家でした?」と言ったあとダメ押しで)

「男の子だわねえ。泣き声に力があるわ」

と感心してみせた。

看護婦上りでよく出来た女だが、こういうところが門倉の気に入らないのである。


君子が知らないふりして通してくれているんだから、むしろ「いい奥さん」に違いないのに「気に入らない」というのもどうかと思うし、「看護婦上りでよく出来た女」という表現すら、扱いの低さが見えるような表現で、それこそ、自分の気に入らない部分だ。


そして、その流れで、仙吉と門倉は、精進落としだとか理由をつけて料亭に行って芸者遊びをする、という展開も、全然納得が行かないが、そこで知り合った、まり奴という芸者に、真面目な水田が入れあげてしまうことになり、その後の展開に大きくかかわる。

ある日、芸者で遊ぶお金を銀行におろしに行こうとするのを、たみに見つかったときの仙吉の言い訳。

「男はここ一番というときがあるんだ。そういうときにケチケチしてたら、ケチケチした人間で終わるんだよ。門倉を見ろよ、門倉を。あいつの器量は遊ぶべきときには豪気に遊ぶというとこから来ているんだ」

ダメ過ぎる…。


そして、その後の展開が衝撃的過ぎた。


ある日、二号の禮子が、「最近門倉が全く家に来なくなった、どうも三号がいるらしい」というのだ。

そして、三軒茶屋の三号の家に、仙吉と禮子と守で押しかけると、門倉と一緒にいたのは、最近芸者を辞めてしまった、まり奴その人だったのだ。

そこでの仙吉の言葉は珍しく正論だ。

「一人の女が、籍入れないで子供を生むってことがどれほど重たいか、考えたことあるのか。日陰者になるってことは、親戚づきあいもあきらめて、世間様に下向いて、普通の女の一生、諦めるってことなんだぞ」

「お前は子供がない。だから二号までは認める。うちの奴も言ってたよ。だけどな、三号は断るね。つき合いきれないよ。第一、不愉快だ。娘の手前もあるよ。教育上よくないよ」

「どっちみち金で、札束で横っ面張って落籍(ひか)したんだろうが、金さえありゃ何でも出来るってやり方は、男としちゃ下の下だよ」

(「落籍す」というのは「芸者・遊女などの 借金を払って、自由な身にしてやる。身受けする。」という意味)

まり奴にあれだけお金をつぎ込んでいてよく言うな、という気持ちもあるが、勿論、自分が惚れていた女だから強い言葉が出たのかもしれない。


しかし、事の真相は、またもや「友情」だった。

芸者に入れあげ過ぎて、このままでは道を過る、と思った門倉が、そんな仙吉を見るに見かねて、仙吉がこれ以上お金を使わないために、まり奴を落籍して囲ってしまったといううのだ。

そんな風にして、いい話っぽく、このエピソードが終わっているが、奇策過ぎて完全に理解を越えている。

ちょっと意味がわからな過ぎる。馬鹿じゃないの、と思ってしまう。


最後の方では、さと子の恋愛に口出しして、殴りつけた挙句、「命がけで戦争してる人間がいるっていうのに、お前は」という仙吉の迷言が出てくる。それだけ遊んでいるお前らが何を言うんだ、という感想しか出て来ず、本当に意味がわからない。

奥さんや二号、三号までダシにして成立する「男の友情ごっこ」のどこに感動すればいいのか理解できない。

『あ・うん』は、テレビドラマが1980年、小説は1981年。ちょうど松田聖子がデビューした頃で、それほど昔ではない気がする。さらに、高倉健の映画は1989年ということで本当に最近じゃないか。当時は、まだ、こんなにも男尊女卑の思想がまかり通っていた。しかも女性脚本家がこれを書いていたのだ、というのが、衝撃的だ。

とはいえ、自分には、家族的な幸せを理解する能力が欠けている、と言う可能性もある。2013年のクローズアップ現代になるが、最近、向田邦子が人気があるなんていう特集もあったようだ*1し、自分の感性が特殊である可能性は結構高いかもしれない。「家族」や「友情」をテーマにした別の作品をもう少し読んでみたい。

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2016-05-14 Sat

[]最終話の「恋文」を読むための壮大な回り道〜森見登美彦『恋文の技術』

恋文の技術 (ポプラ文庫)

恋文の技術 (ポプラ文庫)


久しぶりの森見登美彦作品。

書簡体小説ということで、まずは、その構成の妙を期待していた。

この本は第一話〜第十二話からなり、大学のある京都から、能登半島の研究所に引っ越した修士の学生・守田一郎が誰かにあてた手紙で出来ている。

第一話 外堀を埋める友へ

第二話 私史上最高厄介なお姉様へ

第三話 見どころのある少年へ

第四話 偏屈作家・森見登美彦先生へ

第五話 女性のおっぱいに目のない友へ

第六話 続・私史上最高厄介なお姉様へ

第七話 恋文反面教師森見登美彦先生へ

第八話 我が心やさしき妹へ

第九話 伊吹夏子さんへ 失敗書簡

第十話 続・見どころのある少年へ

第十一話 大文字山への招待状

第十二話 伊吹夏子さんへの手紙

特徴としては、

  • 書簡体小説なので)「手紙」の文章のみで構成されている
  • 一話毎に特定の相手に送った複数の手紙が時系列に並んでいるという形式をとっている
  • その返事に守田一郎宛の返事は含まれない

例えば第一話は、同じ学年の研究室仲間である小松崎に送った手紙で構成されているが、4.9の手紙と4.15の手紙の内容から、その間に小松崎から来た返事の内容を類推できる。

さらに、第二話の文通相手である大塚さん(研究室の先輩)、第三話の間宮少年(かつて家庭教師をした教え子)、第四話の森見登美彦(研究室の先輩・作家)が、いずれも京都にいるので、彼らとの共通の話題から、京都でどのような出来事が起きているのかが立体的に明らかになってくる。(当然、能登で起きたことについても、主人公・守田が手紙の中で書いている)

そういう意味で、同じイベントに対する別人視点の物語をまとめて読むことができるという楽しさがある。

このようにして、第1話〜第4話は4人の相手に対して並行して4月〜8月まで行っていた文通のやり取りで構成される。第5話〜8話までが主に8月〜10月の内容で、同一キャラクターについては2巡目(新キャラについては4〜10月)となる。そして、第9〜12話までがそれらを総括したクライマックスと言ったところ。


書簡体小説は、以前『三島由紀夫レター教室』を読んだことがあり、おそらくそのときもそう思った気がするが、最初が新鮮な分だけ、中盤に飽きが来て急につまらなくなる傾向があるように思う。

しかし今回は、終盤の怒涛の展開が、飽きがくるのを許さない。

第8話で初登場となる妹が登場し、第9話、第11話が、かなりイレギュラーな内容で、第12話に向けて盛り上がりが加速する。


そもそも「恋文の技術」とは何か。

それは、守田一郎が、能登で始めた文通武者修行の末に目標とする「いかなる女性も手紙一本で籠絡できる技術」のことで、そんなものがあるのかどうかはよく分からないままに文通武者修行は進んでいく。守田自身も悩みに悩んでおり、森見登美彦に対する手紙の中では、何度も「そろそろ恋文の技術を教えて欲しい」という話が出てくる。

しかし、守田一郎が想いを伝えたい相手には、ずっと手紙を、「恋文」を書けずにいる。「書けない」という話も何度も登場する。書けないままで、友人に恋愛指南をする。

そこらへんの理屈っぽさ、言葉だけは達者で実行力を伴わない感じが、いかにも森見登美彦風で、特に、書き始めては途中で嫌になって送らず…ということを繰り返す第9話は、まさに以前読んだ『夜は短し歩けよ乙女』を思い出す内容だった。

しかし、その努力と回り道が第12話の「伊吹夏子さんへの手紙」という「恋文」で結晶化するというのが、この本の魅力だと思う。

特別な内容ではない第12話も、それまでの逡巡と堂々巡りをしっているから、読んでいて心を動かされるものがある。また、手紙を書くことの意味、そして意味の無さについて書かれているのもいい。

この本を読んだら誰かに手紙を書きたくなるし、今、自分が書いているように、無駄な文章を書くのも楽しくなってくる。

久しぶりに読んだ森見登美彦は、期待通りに面白かったが、それ以上の「情熱」のようなものを、第12話から感じることができたのが良かった。


名言

この本にも名言は沢山あるが、ひとつあげるとすれば、(これも何度か繰り返されるが)まみや少年に向けて書いた以下の文章だろうか。

この話から何を学ぶべきでしょうか。

べつに何も学ばなくていいのです。

でも世の中には、こういう切ない想い出をもつ人がたくさんいる、ということを知っているだけで何だかホッとしませんか。少なくとも、先生はそういうお話をたくさん知っていて、それは先生の財産です。

p278


あとは短いが、これも第8話あたりで繰り返されるこちら。

ここで逃げると、危険が2倍になる チャーチル


そしてこれなんかも。

書きにくいものを「どうすればかけるだろう?」 とかんがえるのはいいことです。そうやって、いろいろなことが書けるようになるからです。


繰り返しますが、全体を通して、文章を書きたくなる気持ちになる、そういう本でした。



BGM

今回の読書の後半は、久しぶりにBGMを固定していた。歌詞の方はそれほど聞きこんでいないので何とも言えないが、男性から見た恋愛という意味でバッチリ合っていたような気がする。小説と音楽は狙ってマッチングするのは難しい気もするが、時々、こういう風にして結び付けて楽しみたい。

YELLOW DANCER (通常盤)

YELLOW DANCER (通常盤)


過去日記

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2016-05-08 Sun

[]高尚と感じるか苦手と感じるか〜萩尾望都ポーの一族』全3巻

ポーの一族 (1) (小学館文庫)

ポーの一族 (1) (小学館文庫)

ポーの一族 (2) (小学館文庫)

ポーの一族 (2) (小学館文庫)

ポーの一族 (3) (小学館文庫)

ポーの一族 (3) (小学館文庫)


萩尾望都は、『11人いる!』と『トーマの心臓』を読んだことがあったが、印象はそれほど強くなく、それ以上読む機会が無かった。

しかし、たまたま今年の3月に、ポーの一族原案にしたドラマが放映されたということで話題(否定的な意味で話題に…→例えばこちら)になり、今読めば、何が問題にされているのかが分かるのでこのタイミングだ!…というスケベ心から、『ポーの一族』の漫画を読んでみた。


誰が殺したクックロビン

まず、今回、『ポーの一族』を読んで何よりも衝撃だったのは「誰が殺したクックロビン」。

つまり、パタリロの「誰が殺したクックロビン」が『ポーの一族』の一篇のパロディであると知ったこと。

元々、「誰が殺したクックロビン」(クックロビン音頭)については、マザーグースの詩がオリジナルであるということは知っていたので、特にそれ以上を突っ込んで考えなかったが、『ポーの一族』を読んでみれば、一目瞭然。

とてもシリアスなストーリーの中で、「誰が殺したクックロビン」が何度も繰り返されるので、パタリロを先に知っていると違和感がありまくりだが、ストーリーとはとてもマッチしている。

クックロビンが登場する「小鳥の巣」は、全寮制の男子中学高等学校、いわゆるギムナジウムを舞台にした話で、もっともBL的な要素が強い話と言えるかもしれない。学校内で起きた過去の事故(生徒の自殺)と絡めて、エドガーが真相をほのめかすように、何度も「誰が殺したクックロビン」と口ずさむシーンは、むしろ怖い感じだ。

このあとで、魔夜峰央が、このシリアスなフレーズをギャグとして使おうとする気持ちは、それはそれで納得が行く。


なお、これはWikipediaを読むまで気が付かなかったが、「ポー」の一族の主人公がエドガーとアランであるのは、エドガー・アラン・ポーから来ているらしい。これも驚きだ。(なお、Wikipediaの「ポーの一族」の項はとても詳しく、特に年表が整理されているのが分かりやすい)


読むきっかけとなったドラマ『ストレンジャー』については見てもいないし、特に言及はしない。


先進的な「鼻の描き方」

この漫画で、実は物語以上に重要なのがエドガーやアランの「美しさ」。バンパネラの彼ら2人がまさに「この世のものとは思えない美しさ」を備えていることで、その孤独や悲哀がさらに強調される。

漫画で「美しい顔」を表現するのに避けて通れないのが「鼻の描き方」問題で、現代に至るまで様々な漫画家が試行錯誤を繰り返していると思う。

しかし、今回『ポーの一族』を読んで、1970年代の時点で、こんな「鼻の描き方」が既に登場していることに驚いた。

以下に例(エドガーとアランが初めて出会った場面)を示す。(1972年別冊少女コミック』9月号掲載分)

f:id:rararapocari:20160507010217p:image


通常、右向きの顔では鼻の右側の稜線部分を描くことが多いが、そうではなく、鼻の左側の稜線(鼻の影にあたる部分)を描く方法がある。

上の例で言えば左側と右上のアラン(巻き毛でない方)の鼻の描き方がそうだ。

今では、アニメでも漫画でも多い表現方法だと思うが、もっと最近(80年代以降に)生まれた技法だと思い込んでいた。

ところが自分の生まれる前から、このような表現方法が使われているのを見てまず驚いた。しかも、もう少し調べてみると、ゆうきまさみが、この方法は萩尾望都あたりから広まったという話を書いているので、どうも彼女が元祖ということでそんなにおかしくないらしい。


ということで、「誰が殺したクックロビン」だけでなく、萩尾望都の漫画表現はその後の漫画家に強い影響を与えたということを改めて知るのでした。


本題

ここから本題に入る。

今回、『ポーの一族』がいかに傑作かという話を書こうかと思っていた。

いや、実際、この物語は、バンパネラという不死(実際には特定の方法で攻撃されると消えてなくなる)の一族の中でも、エドガーという美少年個人の話であり、その美しさは寂しさ、いわば「永遠の命という孤独」に結び付けられている。それが、通常の人間との比較の中で、また、同じバンパネラの中でもエドガーとアラン、エドガーとメリーベルの人生観の違いの中で浮き上がって見えてくる、とてもよくできた物語だと思う。

エドガーの孤独や悲しみについては、3巻の巻末解説でも有吉玉青さん(有吉佐和子さんの息子)が次のように語る。

人は、一人では生きてゆけない。人は社会の中で、人との係わりあいの中で生きてゆくのだという。そうだろう、そうに違いない。けれど、人は、社会と、また人と、ほんとうに係わってゆけるのだろうか。『ポーの一族』を読むと、そんなことを考えさせられる。

エドガー、アラン、メリーベル。美しい主人公たちは、年をとらない。永遠に十四歳の少年少女のままだ。

(略)

人間社会の中に、彼らのやすらぐところはない。友だちをつくれない。人を愛することもままならない。

(略)

人というのは、自分の想像を越えたところにいる。自分のことを思えばわかるのだが、誰と一緒に何をしたところで、それは出来事として自分だけのものであり、悩みになると、それはもっと自分だけのものである。誰もそれを解決できない。日々複雑になってゆく自分という宇宙。人はそれを知らない。知りようがない。想像する以外になく、そしてそれは想像以上のものではない。

人は、ほんとうにたった一人で、社会の中に、人の中に彷徨っている。だから、係わりを持ちたい。誰かに係わりたいと思う。

(3巻、巻末解説:有吉玉青

つまり、エドガーの孤独は、実は誰もが抱えている、逃れられないものであり、『ポーの一族』を読むことで、自分の中の孤独に向き合うことになるとする解説で、とても共感できる。

また、文庫版全3巻というコンパクトな長さで、余韻を持ちながら上手くまとめてある部分も、とても好きだ。


しかし、難点を言えば、結構、この漫画は難しい。

「難しい」というのは、読み手の能力と関係してくるので、自分の理解力の無さが難しさの原因と言ってしまってもいいのだが、それと合わせて、自分が何となく、いわゆる「少女漫画」に感じていた苦手ポイントが詰まった作品と言える。

ひとことで言えば「読みにくさ」がある。


そこで、自分が、この「読みにくさ」を(意識した上で)乗り越えれば、もっと少女漫画を楽しめるのではないか、という期待をこめて、何が読みにくいと感じるのかを少し考えてみる。


勿論、今から40年前という時代的な部分もあるだろう。

しかし、『ポーの一族』は1972年〜1976年の作品だが、同時期の作品である手塚治虫火の鳥 望郷編』や、楳図かずお漂流教室』『洗礼』は自分の大好きな作品だし、同じ少女漫画でも、1976年から連載開始の美内すずえガラスの仮面』は、自分はとても「読みやすい」と感じていた。

美内すずえの漫画が読みやすい理由を、以前「白黒バランス」(画面の中で白色の占める割合が多い少女漫画に比べて黒が多くバランスがいい)という言葉で説明したことがあったが、どうもそれだけではない。

改めて『ポーの一族』を見返すと、以下の部分が、(少年漫画と異なり)自分が同時期の少女漫画を苦手に感じていた原因のようだ。

  1. コマが多い
  2. 台詞が多い
  3. コマが(途中から点線になるなど)途切れて、閉じていないことが多い(もしくはコマを囲う線が無い)
  4. 吹き出しの線が細い。結果として吹き出し線が閉じていないことが多い
  5. 顔などの輪郭線も細い。そして、輪郭線も閉じていないことが多い

例えば、1や2というのは、最近の『ワンピース』や川原泉作品に感じる読みにくさだが、これらには3〜5が無いので、苦手意識を持たずに読むことができる。勿論、『ガラスの仮面』も台詞が多い部類の漫画に入るかもしれない。

つまり、自分がいわゆる少女漫画っぽい少女漫画に感じる読みにくさの原因は、圧倒的に3〜5だ。線が細くて閉じていないだけで気持ちが落ち着かなくなり、各ページをしっかり読めた気がしなくなってしまうのだ。

1,2と比べると、3〜5は、物語の筋にもほとんど関係ないし、雰囲気だけの話だと考える人もいるだろうが、こういった自分の理想とのズレはボディブローのように地味にダメージを蓄積させ、本を読み進める駆動力を失わせる。この感じは、アメコミの『WATCHMEN』を読んだときの感想に似ている。

内容が面白いことは頭でわかっているのに、同時に違和感からくるストレスブレーキをかけるから、わくわくした読書にならない。


一方で、そのストレスを「高尚なもの」と感じる受け止め方があるのも分かる。

自分が大学生の頃だったら、「漫画自体」ではなく、「高尚な漫画を楽しく読める自分」にわくわくして、無理をしてでも熟読し、周囲の人間に薦めまくっていたかもしれない。そういう魅力に満ちている。

で、今回、41歳の自分が読んでみた当初も「高尚な漫画を楽しく読める自分」にわくわくする気満々だったのだが、怠惰な気持ちがそれを上回ってしまった。

この漫画は、他の人がいくらでも褒めているから、自分は、今日読んで面白かった、えすとえむうどんの女』とかそういうのを褒めたいよ、と思ってしまった。

ただ、萩尾望都先生は、勿論現役でもあるので、最近の作品も読んでみるなど改めてチャレンジし、ゆくゆくは苦手意識を克服した上で、改めて絶賛する文章を書いてみたいと思います。


うどんの女 (Feelコミックス)

うどんの女 (Feelコミックス)


参考(過去日記)

伊藤潤二の短編「記憶」が、萩尾望都の短編「半身」を下敷きにしていることを説明している内容で、2作品が類似していることを見つけたときは感激しました。

kaz_minekaz_mine 2016/05/06 19:58 F先生の絵は線が閉じていて脳に優しく、子供にもオッサンにも読みやすいよ!

rararapocarirararapocari 2016/05/06 20:08 まさにそれを言いたかったのです!笑
でも、本当にそうですよね。自分が最初に読んだ漫画はやっぱりF先生やコロコロコミックだったので、40過ぎても、その頃の読み方が変わらないんです。基本的に少年漫画は描線も吹き出しも線が太いと思います。

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