Hatena::ブログ(Diary)

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2006-02-28 Tue

2月は逃げる。というか逃げた・・・・逃げられた?

[]ミホミホマコト

朝日蓄音によれば、先日、本人名義での活動終了を宣言した川本真琴は、朝日美穂もりばやしみほとのユニット、ミホミホマコトでレコーディング中とのことで、これは期待してます。ミホミホマコトは、だいぶ前からライヴとかで活動していたとのことですが、どんな感じなんだろうか。

[][]NHKスペシャルと田島貴男

既に何を今更感が漂いつつあるが、NHKスペシャル「荒川静香金メダルへの道」を見た。1時間も無い時間で、荒川選手の努力とフィギュアスケートの魅力を紹介するとても実のある番組だった。実際、ルールに合わせて高得点を狙える技の組み合わせの試行錯誤を見たあとで、再度、五輪の演技を見ると(番組内で解説付きで放送されていた)、リアルタイムで見ていたとき以上に、あの滑りの意味が、そして金メダルの価値がわかった。

テレビを含めマスコミは、五輪開催前の「実力に見合わない」煽りについて、非難されることが多かった*1が、やはり、文章などには持ち難いテレビ独特の「力」というものがあるなあ、と感じた。

そして、これこそまさに何を今更なのだが、イナバウアー。初めてその言葉を知ったときから、その魅力に取り付かれ、先週末などは、1時間に一度くらいの頻度で、意味も無く「イナバウアー」と口に出し、その語感を確かめていた。かなりの数の日本人がそういった夢遊病的な病に冒されていたと思うが、どうも、田島貴男もツアー初日のZEPP名古屋で絶叫していたらしいことを知った。

来週は、僕自身もライヴを見にZEPP仙台に行く予定だが、さすがにイナバウアーの旬は過ぎているだろうと思うので、名古屋に行った方々は貴重なパフォーマンスを見ることが出来てうらやましいです。

ちなみに、rockcandyさんのところのブログとかは、エントリ、コメント欄ともに内容が充実しており、異常な盛り上がりを見せており、ライヴ前に満足してしまいそうなので、来週のライヴ当日まで訪れるのを控えようと思います。(笑)

[]五輪ついでに

やはり、ちょっとこういうのは異常だと思い、リンクさせていただきました。

うちでは、NHKを応援しているので、非常に残念です。

木走日記 - 生中継で全く放映されなかった荒川選手ウィニングラン〜NHKはメディアとしては失格だ!

*1:最近では身内からの非難も多い。先日、日経紙面でもライブドアの「掌返し」的な取り上げ方をあわせて、ちくりと刺す文章を見かけた。

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2006-02-24 Fri

ロハスって・・・

ロハスについては、いろいろ言われているし、僕自身も、その言葉を見ると「何だかなあ」的な気分が沸き起こるのですが、Yahooトップページの広告(右)は、ひどい。(笑)

ロハス」をバカにしたいのか、「ロハス」に釣られる人をバカにしたいのかよくわかりませんが悪意を感じます。

[]タニタ「インナースキャンBC-526」来たる

(前回までのあらすじ)順調にダイエットを成功させていた僕は、旅先の温泉で体重を量り、家で量るときよりも1kg程度重い値が出て困惑。痩せたと思っていたのは、体重計が狂っただけだったかもしれないのだ・・・・。

〜〜

「体重問題」は、結局、先週の日曜日にタニタの体重計(体脂肪も計れるもの*1)を購入することで収束に向かった。しかし、結果は想像していたものと少し違った。

結局のところ、予想を外れて、家での測定値はそれなりに正しいことが判明した。何度か量ってみたが、新しい体重計での値は、古い体重計での値よりも200gだけ重かった。これまで「おまけ」されていたのは、たったの200gだけだったのだ。

(つづく)

[](しつこいが)新たな疑問

しかし、タニタの体重計が狂っていないとは決め付けられない。価格ドットコムの掲示板では、「タニタの方がオムロンよりも軽めに出る」*2なんて話が、まことしやかに書かれていたが、新品を使っても測定値にブレが生じるなら何を信じればいいのか。

つまり、どの体重計も信じられないなら「正確な体重はどうすれば量れるか」という問題が発生する。(逆に言えば、足元にある体重計が、正確なのか狂っているのかを見分けるにはどうすればいいのか、という問題)

いや、体重計で量るのは絶対値というよりは「日々の変動量」だ、ということはわかっている。しかし、BMI体脂肪も、その「絶対値」を元に算定するものなので、あまりいい加減な数値では困るのだ。

一応、家にあるものを利用した思いつくものとしては、20リットルの灯油ポリタンクに水を入れ(容器の重さを差し引いた上で)、それが20kgあるかどうか確認する、という方法があるが、20kg前後のレンジで正確な値を出したとしても、50kg以上になるとブレが激しくなるかもしれない。

70kg程度の、ある程度「正確な重さ」がわかるものを量ってやればいいのだが、適当なものを思いつかない。

そこで、「正確な体重」でぐぐってみたが、意に反して、その正確性が担保されないはずの体重計の宣伝がほとんどだ。そもそも、その値が狂っているかどうかも確認できないのに、「50g単位での正確な体重測定が可能」なんていう体重計が売れているのは、何かの冗談みたいだ。

結局、どういう風にすれば、家の体重計が狂っているのか正確なのかを判断する方法はわからなかった。

ただ、一つだけ、問題意識の近いものがあったので導入部分だけ引用する。

哲学思考トレーニング』の伊勢田哲治の文章だ。*3

「体重とは何か」に関する形而上学的考察

伊勢田哲治

体重とは何か?体重の正確な値を量るとはどのようなことなのか? ダイエットなどの理由により日に何度か体重計に乗ったことのある ものならば誰でも、体重計の表示が場合によっては一日1kg近くも 変動することを知っているであろう。はたしてそうした変動は 何を意味するのか?体重そのものが重くなったり軽くなったりして いるのか、それとも、体重そのものは比較的安定しているが体重計に 表示される重さが変動しているだけなのか? 本稿の目的は、以上のような古来からの難問に対し、 実はこれは人間の身体とは何かということにかかわる 抜き差しならない形而上学的問題であると示すことにある。

体重についての考察

ここで述べられているのは、大雑把に言えば、「食べ物」を体重に含めるかどうか、という話である。通常は、胃や腸の内容物の重量も含めて体重と考えるが、それであれば「食べ物」は、いつの時点から「身体」の一部になるのか、というようなことが問題になってくる。

屁理屈のようにも見えるが、誰もが思いつくことで、結論までわかりやすい文章で書かれていて非常に面白かった。物事を批判的に捉えるトレーニングになる。

〜〜〜〜

で、僕自身の問題については結論無しです。

今日もタニタで体重を量ります。

(追記)その後、コメント欄でも書いたとおり「人力検索はてな」で質問してみました。

http://www.hatena.ne.jp/1140878563

*1:体組成計 インナースキャンBC-526W

*2:逆かもしれない。

*3:リンク先で文字化けしないためには、日本語Shift-JIS表示にする必要があるみたい。

originalovebeeroriginalovebeer 2006/02/25 11:06 「体重問題」面白すぎます(不確定性原理にも片足突っ込んでる?)。
「結論無し」は拍子抜けですねえ。もっと続けて(遊んで)ください。

rararapocarirararapocari 2006/02/25 23:48 興味を持って下さりとても嬉しいです。書き進めるうちに、こんなことに執着するのは自分だけでは・・・という気持ちが強くなり、いい加減に終わらせてしまいました。
いい考えを持っている人がいるかもしれないので、初めて「はてな」に投稿してみました。
http://www.hatena.ne.jp/1140878563

azecchiazecchi 2006/02/26 01:14 僕も大変面白く読ませていただきました。僕の場合、最近全く体重計にはのってません。僕にとって重要なのは、体重よりも見た目だということに気付いたからです。つまりおなかの贅肉が取れれば体重は何kgでもかまわないということです。ま、体重も当然絡んでくるんですけどね。

rararapocarirararapocari 2006/02/26 02:03 確かにそうなんです。でも、問題は見た目だ、と思いつつも、「内臓脂肪」だとか「隠れ肥満」だとか、煽られると、少しまじめに体重や体脂肪を見てしまうのです。まあ、自覚的には「いたって健康」なのですが。

ヾ(=ΘΘ=)ノヾ(=ΘΘ=)ノ 2006/02/26 13:26 「体重問題」私も面白く読ませていただいているクチです。体重の絶対性を追究するあたりが不毛な感じですばらしいですね(笑)とはいえ、我が家ではひとまず、体重問題は変動量の方に委ねております。増えてるかどうかの白黒をはっきりさせとかないと、体重コントロール中の我がおっとは、すぐに気を抜いてしまうからです;;;

rararapocarirararapocari 2006/02/27 04:30 ありがとうございます。お久しぶりです。危機感を煽るためには、旦那さんの乗っている体重計に片足かけてあげればよいと思います。
「人力検索はてな」のおかげで、「体重問題」は自分の中でとりあえず解決することができました。のちほど「簡単なまとめ」のエントリを書きます。

2006-02-20 Mon

サンボマスター山口隆福島県出身のはずなのに、ツアーが東北をスルーしてしまうのは何故?

http://www.sambomaster.com/pc/index_live.html

(ARABAKIには来るみたいだけど)

[]順調な経過

肥満の目安となるBMIが25に達してしまった12月頃から、はてなグラフを利用して体重の記録を続けてきた。(計るのは夕食後、風呂に入る前と決めている。平日だと24時頃になる。)

開始当初の目標69kgに向け、なるべく炭水化物を減らす食事を続けたところ、順調な減少を続け、最近では目標に到達し、68kg台を連発するようになった。

体重

これまでのおよその体重でいうと、高校時代が64kg、大学時代が67kg、就職してからが69kg。最近は運動が減ったこと、30歳を越えて代謝量が少なくなっているだろうことから考えて、当初の予想では、69kgの壁は厚く、それを破るには、ある程度、定期的に長時間の有酸素運動を取り入れる必要があるのではないかと思っていた。

ところが、特に運動もせずに、あっさり69kgの壁を突破し、ピーク時と比べれば5kg近くも減少している「この事実」に、自分には、実はダイエットという才能があるのではないか、と自己陶酔におぼれつつも一抹の不安を感じつつあった。(続く)

[]秋保温泉に足を伸ばす

秋保のホテルクレセント*1が良い場所だという情報を妻が仕入れたので、家族3人で日帰り温泉に行った。到着してわかったのだが、日韓ワールドカップのときにアルゼンチンチームが宿泊先に使った場所だという。すぐ脇に切り立った崖に挟まれる名取川が流れ、チャペルも併設されており、なかなかの雰囲気を持ったホテルだった。温泉へは、日頃面倒を見てもらっている分、僕が陽太を引き取り、二人で入ることに。11時頃行ったこともあり、男湯はほとんど二人で独占できたのであった。

湯が少し熱めだったので、陽太はほとんど外にいた。外で、高く積みあがった「たらい」を下ろして並べなおすという作業に熱中していたので、僕が元の場所に積み上げ直す。しかし、ゴンベが種まきゃカラスがほじくる、の要領で、いくらやっても「たらい」はバラバラのまま。面倒くさくなったので放っておくと、陽太も飽きたらしく、たらいで風呂の湯をくみ出す遊びが始まった。

そうやって外で遊びつつも、ときどき風呂に入れながら30分くらいいたかもしれない。そろそろのぼせてきたのか、陽太の方でも外に出たいというので浴室の外に出る。

実は、この場所で、ある一つの重大な疑惑を確かめることができるのだ。

僕は後戻りできない決意を胸に、その場所に向かったのだった。(続く)

[]疑惑

秋保クレセントホテルで、大いなる疑惑を確かめるために覚悟を持って向かったその先にあったのは、体重計。

あまりに順調な体重の減少から、家の体重計が壊れているのではないか、という不安を僕は拭い去れなかったのだった。(特に、2/11頃の2kg近いマイナスは、原因がわからず気持ちが悪かったのだ。)

昨晩の体重と、お腹の空き具合から判断すれば、風呂から出た直後の予想体重は68.5kg。僕は、右足、左足、と恐る恐る体重計に足を乗せる。一旦表示が出るも、計り間違いということもあるかもしれないと思い、再度計測するも、結果は69.5kg。

つまり、家の体重計の値と比べると1kg重い。風呂から上がった妻にも確認してみると、やはり1kg程度差があるというので間違いないだろう。

11月に大学の仲間で集まったとき、月に行けば体重は今の1/6になるよ、というアドバイスをくれた人間がいたが、そうか、地球にいても狂った体重計を使えば思い通りにダイエットすることが可能ではないか、そうも思った。

ただ、アルゼンチン代表が宿泊したホテルだからと言って、体重計が狂っていないとはいえない。このままでは、どちらの体重計が狂っているのかよくわからない。

一応帰宅して夕食後、再度家の体重計で計ってみると、67.8kgという67kg台が出てしまった。ここまでくると、体重計に「開き直られた」感がある。「ばれてしまったら仕方が無い」と観念したのか?

いずれにしても、これまでのモヤモヤを払拭するには、新しい体重計を買って確かるしかない*2と、決心する土曜の夜だった。(つづく)

*1http://h-crescent.co.jp/

*2:とはいえ、その新しい体重計の値が合っていることを、どう確認するのかがよくわからないのだが・・・。

rockcandyrockcandy 2006/02/21 22:11 サンボ>東北は郡山と新潟だけ、ですか!?仙台がないって珍しいですよね。
こんなに全国回るのに・・・・

rararapocarirararapocari 2006/02/23 07:15 ホントだ、郡山(福島県)はあるのですね。見落としていました。
>東北は郡山と新潟だけ、ですか!?
新潟県が東北に入らない件については、また今度書きたいと思います。(笑)

rockcandyrockcandy 2006/02/23 22:27 新潟って東北じゃないんですか・・・
東日本の事はそもそも位置関係もあやふやです・・(汗)

D16D16 2006/02/24 00:55 ううう、うらやましい>ダイエット。こちらはますます減る要因がないのでほぼ横ばいです

rararapocarirararapocari 2006/02/25 00:40 >rockcandyさん
新潟県は非常に微妙な位置にある県なので間違えてもおかしくないですよ。ちなみに僕は鳥取と島根が・・・。
>D16へ。
お婆ちゃんが言ってた。ダイエット不成功の原因を自分の意志以外に求めたらだめだってね。(仮面ライダーカブトの天道総司調)→参考:http://www.tv-asahi.co.jp/kabuto/11_tendo/index.html

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2006-02-16 Thu

かえすがえすも心配なのは、辻ちゃんのこれからだ。美勇伝に混ぜてあげてほしい。というか辻&石川こそ、自分の中での「夢のタッグ」ですよ。

[]あなたの知らない世界

とても信じられない記事があったので、長く引用します。

お葬式:カメラ付き携帯で最期の顔パチリ 困惑派・理解派

 お葬式の際、亡くなった人の顔をカメラ付き携帯電話などで撮影する人が増えている。葬儀関係者には「人の死を悼む気持ちが荒廃している」と感じる人がいる一方で、「時代とともに葬儀も変わる」と受け入れる人もいる。あなたは、最期の顔を撮影されたいですか?

  昨年7月、横浜市内の斎場。出棺前に花を詰め始めると、親族や友人5〜6人がカメラ付き携帯で故人の姿を撮り始めた。同市の葬儀デザイナー、出口明子さんにとっては初めて見る光景だった。故人と生前から付き合い「本人の意思を尊重した葬儀」をサポートしただけに「注意すべきか」と迷ったが、親族が何も言わなかったので黙っていた。翌月、私的に出席した葬儀でも同じ場面を見た。

 全国の葬儀社でつくる全国葬送支援協議会(総本部・東京都千代田区)の斎藤浩司理事長(34)は「月に1度は見ます」と話す。「中学生や高校生は『撮っていいの?』という雰囲気だが、30〜40代の人は当然のように撮影する」と話す。香川県三木町の三木・長尾葬斎組合「しずかの里」職員、長尾鉄夫さん(55)も「20〜30代の若い人が『記録に残す』という感じで撮る」と話す。

お葬式:カメラ付き携帯で最期の顔パチリ 困惑派・理解派??話題:MSN毎日インタラクティブ

見出しを読んだときは「ごくごく少数の人のことを大袈裟に取り上げただけ」と思ったが、葬儀関係者が言う話なんだから、実際に少なくない人数の人がそういうことをするということだろう。

唖然とする。というか、やっぱりこんなのはごく少数の人間で、横浜市で誤って広まってしまった流行みたいなものではないか?こういう人間が増えているとは想像できない。

唖然とする、といえば、ちょっと古いが「いただきます」論争。

考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争

 TBSラジオ永六輔その新世界」(土曜朝8時半??、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。番組でのやり取りを参考に、改めて「いただきます」を考える。【文・遠藤和行、写真・米田堅持】

考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争??家庭:MSN毎日インタラクティブ

合掌に抵抗感があるというならわかるが、こういう理由で「いただきます」と言わせたくない、という母親がいる、というのは、僕には全く理解できない。単なる「釣り」じゃないのか?

ちなみにこれに対する反響として、小学生の意見。

福島県の公立小学校教諭は、6年生の児童35人に、論争の発端となった給食で「いただきます」と言うことについて自由に書かせた。

 子どもたちは「作ってくれるのは給食のおばさんなんだから言わなくてはならない」「食事のマナー」「何かを食べるときの一つのあいさつのようなものだと思う」などと書き、大半が、料理を作ってくれた人や作物を育てた人に対する「感謝」の気持ちとして「『いただきます』を言うほうがいい」と記していた。

 このほか、「マナーよりマネーを優先するのはおかしいと思う」「社会に出たら『いただきます』も言えないなんてはずかしい、今、社会の練習をしたほうがいい」と書いた子どももいた。

考:「いただきます」に多くの意見 「命」と「食」へ、思い670通〓家庭:MSN毎日インタラクティブ

やるじゃん、小学生!

しかし「マナーよりマネーを」というのは出来すぎだ。おやじだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜

両方の記事に登場するような人を見たとき、本当は、お節介でもどんどん指摘してあげた方がいいのだろうが、僕には、彼らを説得する自信はない。そういう諦めのムードが、日本をどんどん悪い方向に持っていってしまうのかなあ。

k.c.e.k.c.e. 2006/02/17 08:51 私も4年ほど前、埼玉の母方の祖母のお葬式に出た時、その葬儀の様子の一部始終をハンディカムで録っている親族らしき人を目撃し、非常にびっくりしました、と同時にどついてやろうかと思いました。40代くらいの方です。家に帰って家族と「どういう神経なんだろうね」と困惑するばかり。どの方が来てくださったかという記録の意味でなのかなと思いましたが、それにしたって。亡くなった方に対しての配慮がなさすぎです。▼「いただきます」については、そんな母親がいるとは..これまたびっくりです。小学生はしっかりしてますな!間違った大人たちを「自分はああはならないぞ」としっかり見つめているんでしょうね。身がひきしまる思いです(苦笑)私もこの言葉が習慣づいてないので、自ら習慣づけるようにしてます。「いただきます」の意味は、私は、「(動物や植物の)命を頂戴します」の意味なのかなと思っていました。

rockcandyrockcandy 2006/02/17 22:48 私もお葬式の記事読んで、自分のブログに書こうかと思ってました〜
最初は“そりゃないだろ!(怒)”と思ったのですが、だんだん“今の風潮から行けば当然の流れ”のように思えてきました。ほら、今、分娩室にビデオカメラやデジカメ持ち込んで撮影する人、わりと普通にいるみたいですし。こうなりゃ生まれた瞬間から死に顔まで記録に残したい・・・って気持ちにもなるのかと。
祖母の葬儀の時、当然のように葬儀場のカメラマンが遺影をバックに集合写真を撮りに来ましたけど、それって普通なのかなー。。早速夫に「私の葬儀は死に顔の撮影は禁止ね」と遺言しておきました。
>「マナーよりマネーを」・・・確かにオヤジ・・しかし今の小学生なら言いそうですね。うちの幼稚園児の会話も女子高生みたいですもん。

rararapocarirararapocari 2006/02/18 06:53 k.c.e.さん>やはり、そういう人がいるのですか・・・。これに対して感じる「気持ち悪さ」というのは、葬儀の重々しさとハンディカムや携帯電話の物理的な「軽さ」がマッチしない、という身体的な意味での気持ち悪さ、というのもある、と思いました。▼「いただきます」については、その通りだと思います。
rockcandyさん>うちは帝王切開だったこともあって、「分娩室にカメラ」という話とは無縁でしたが、違和感はわかります。「立ち会うこと」と「カメラに収める」こととは全く別問題だということでしょう。例えば、椎名林檎の「ギブス」では、「あなたはすぐに写真をとりたがる/あたしはそれを嫌がるの/だって、写真になっちゃえばあたしが古くなるじゃない」という歌詞がありますが、「あたし」と「あたしの写真」とでは、全く意味が違うのと一緒でしょう。
ただ、分娩室の場合と葬儀後の集合写真に対しては、自分は寛容になれます。ある程度、その後、写真を見る自分がイメージできるので。しかし「最期の顔パチリ」の場合は、全くそれがイメージできません。というか・・・書き出したらきりが無いので書きません。
うち幼稚園児の会話が女子高生みたい>いや、子は親の鏡って言いますから、rockcandyさんがそういう風に喋っているんだと思います(笑)

honeybeehoneybee 2006/02/22 00:57 もう20年ほど前の事ですが、当時勤めていた会社にカメラ好きのオジサンがいました。その方のお兄さんが亡くなったときにその葬儀の様子や死に顔を写したものを見せられてギョッ!っとしたのを思い出しました。職場長という立場でしたので誰も面と向かって批判したりする事は出来ませんでしたがカメラ好きも極まったというか、常識にはずれた行為との共通の認識は持っていました。この記事は読んでいませんでしたが、今はケータイなんですね。私はごく近しい者以外には顔も見られたくありません。記録が大事と言うのは、記憶出来なくなっているからなんじゃないかと心配になります。

rararapocarirararapocari 2006/02/23 07:11 honeybeeさん、はじめまして・・・ですよね。最近何でもケータイで撮るのは「くせ」なんでしょうね。問題は「ごく普通の道徳意識」よりも「くせ」が勝ってしまうという、「何も考えない状況」が広まってきているのは怖いことです。

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2006-02-14 Tue

ハイジの3連星

ファミリーマートで、海洋堂の「ハイジボトルキャップキャンペーンを行っていることを知った。早く買わなきゃ無くなるぞ、ということで、3つ買ったらこれですよ。(写真)

・・・・・・・ハイジ3人ですよ。何の嫌がらせ。

[]戸田智弘『元気なNPOの育て方』★★★★

元気なNPOの育て方 (生活人新書)

これはよい。熱い本だ。

昨年、島田恒『NPOという生き方』を読んだ。ミッションから始まって理論的な部分が充実しており、これはこれで面白い本だったのだが、結局、NPOというのは何か、という部分がもやもやしていた。

そういう意味で、本書は、その「もやもや感」を晴らすよい内容だった。

「13の事例紹介+まとめ」という構成は、それこそぼやけた内容になることの方が多いと思うが、作者のNPOへの情熱が勝って、事例紹介も散漫にならずに一本筋が通ったものになっている。

冒頭でも述べられている「日本を覆う閉塞感」を取り除くことができるのは、「元気なNPO」しかないのではないか?そして、読んでいる自分もただちに社会起業家として立ち上がるべきではないか、と思わせてしまうような、作者のNPOに対する熱い思いが満ちている本だ。

 

取り上げられている事例は、

のカテゴリに分けられており、「教育」に関するものとしては、福岡県NPO法人子どもメディア」が取り上げられている。

ノーテレビデーなどの話は、やや食傷気味ではあるが、この団体の主張は、ただ単純に「テレビを見たらだめ!」というよりはよほど説得力のあるものだった。

「この運動の目指すところは、テレビを見ないような習慣をつけましょうということではないんです。テレビを見ない日をつくることで親子の関係を見直すことと、テレビやメディアとの関わりを受け身ではなく主体的にすることです。」

したがって、メディア業界と対立関係にあるわけではなく、むしろ、「良い視聴者」を育てる立場にあるNPOだという。好感を持てるだけでなく、戦略的にも上手だなあ、と思う。そういった理念部分(ミッション)がしっかりしていなければ、人の集まるNPO法人には育たないというひとつの例なのだろう。

「教育」の分野では、ほかにも「志を持って自己実現できる若者を育てたい」という使命を持って。小中学生向け、高校生向け、大学生向けのプログラムを持ってセミナーインターンシップのコーディネート事業を行う大阪のJaeeなどが面白かった。

作者は、公共性について、今田高敏の言葉を引いて「公共性には実践系の公共性と言説系の公共性がある」(P204)とし、縮小していく「実践系の公共性」を広げる役割を果たすのはNPOをおいてほかにない、とする。

言説系の場合、人々は自分とは直接関係の無い「遠くの大きな話」を俎上に載せるから、他人からの攻撃を受けにくい。実践系の場合、自分と直接関係のある「身近な小さな問題」に取り組むことが多いから、絶えず、そういうあなたは何なのよ!」という攻撃に脅かされる危険性を持っている。

そういう困難を認識した上で、先駆的な取り組みに挑戦していくのがNPOだというのだ。

確かに、どの団体も、自分であれば気づかないか、気づいても見過ごしてしまう、あるいは、「言説」のみで満足してしまう問題について、実践的に取り組み、いろいろな工夫をしている。取り上げられたNPOの中には、活動当初は厳密には法律違反で、あとから合法化になったようなものもある。(自家用車を用いた送迎サービスなど)これなどは、理論が先でなく、とにかく実践といういい例だろう。

自分も、ブログで、偉そうなことを書いて悦に浸ることも多いので、反省してもっと身近な問題に熱を入れて実践していけるよう頑張ります。

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2006-02-12 Sun

昨日、陽太と仙台市電保存館*1に行ったら、運転席で「お忘れ物はありませんか〜」「次は〜仙台駅前え〜仙台駅前え〜」とはしゃぐ子どもに「お金を入れてください」と指導された。やっぱりあの口調、子どもにはツボなんだろうなあ。

[]メーテルリンク青い鳥』★★★★

青い鳥 (新潮文庫)

先週の日曜日、陽太と散歩に出かけたら、近くの川岸で「青い鳥」を見つけた。お腹がオレンジ色だったので、素人の僕にも、その鳥がカワセミだということがわかった。

そのとき、ふとメーテルリンクの「青い鳥」は、なんという種類の鳥なのだろう?そもそも、「青い鳥=幸せ」なのは何故?という疑問が生まれ*2、家に帰って妻に質問。

幼い頃に読んだ『青い鳥』のストーリーについて「帽子の正面についているダイヤを回して別の世界に行く」と説明をしていると、それは「ポールのミラクル大作戦だ」とか何とか文句を言われた。そんなことはないだろうと思いつつも、「ダイヤを回す」というのは「ダイヤルを回す」との記述をずっと勘違いして覚えていたのではないか、と別の種類の不安が頭をもたげてきた。

ということで、いろいろな疑問を持って、新潮文庫青い鳥』を読んだ。訳者は堀口大学

読むと、ストーリー自体は自分が覚えていたものと大方変わらなかったが、当時読んだ子供向けにアレンジされていた話に比べ、当然細かい内容が書かれており、これが結構面白い。

戯曲形式で書かれており、冒頭では衣装の説明までついているが、まず、100以上の名前が並ぶ登場人物欄が面白い。

「チルチル、ミチル、かあさんチル、とうさんチル」など、人間のキャラクター数名以外に、「イヌ、ネコ・・・」とここら辺まではまだわかるが、「パン、水、砂糖、牛乳」という料理本と見まがうばかりの言葉にまず驚き、「光、夜、眠り、死、鼻かぜ」という登場人物としては異例の人たちに、何だこれはと衝撃を受ける。さらには「ふとりかえった幸福たち」の一味として

  • お金持ちである幸福
  • 地所持ちである幸福
  • 虚栄に満ち足りた幸福
  • かわかないのに飲む幸福

などの、あまり幸せでなさそうな「幸福たち」がずらりと名前をそろえる。この時点で、物語自体が、完全に子供向けに書かれたものではないことを知った。

ここまで読んで面白そうと感じた人は362円を持って本屋に行った方がいいです。図書館にもきっとあります。

*1仙台市内には昭和51年までチンチン電車が走っていました。http://www.kotsu.city.sendai.jp/shiden/

*2:と同時に、「しめしめ、オリジナルラヴの「青い鳥」に絡めてブログに書こう」という、ネタ探しの浅ましい気持ちが生まれた。

LindaLinda 2006/02/12 15:00 「青い鳥」って子供の頃読んだのかどうか記憶に残っていませんが、チルチルとミチルが青い鳥を探しに行くというお話しだということは知ってます。子供のころ思っていた「幸福」と今思う「幸福」というものは全く違う気がします。というか今、「幸福」という意味がよくわからなくなっています。「幸福」と「不幸」って背中合わせのような。「幸福」という文字を見るとかえって悲しくなってくるようなところがあります。な〜んてちょっと考えすぎかな。rararapocariさんのエントリを読んで、この本に興味がわいてきました。362円なんですか。本屋で探してみようと思います。

rararapocarirararapocari 2006/02/13 02:19 本日中に続きをアップするつもりが、結局できませんでした。ただ、内容に触れずに期待させる書き方で終わった方が、読もうと思ってくださる方が多いかもしれないと思って、このままにしておきます。
「幸福」という言葉は、確かに難しいですね。『青い鳥』は、僕もそれを全肯定するわけではありませんが、幸福についての一つの考え方を提案してくれます。簡単に読めるので、本屋でも図書館でも是非手にとって読んでみてください。

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2006-02-09 Thu

秋田への出張からの帰りの新幹線で「ハタハタ寿司」を食べた。ハタハタって魚偏に「神」と書くので

すね。あまり強くなさそうですが・・・。

http://www.hata-hata.com/w_hatahata.htm雷神の使いとされているようです。

[]【サッカーW杯、「音攻」で相手チームの睡眠を邪魔せよ!(朝鮮日報

記事の中で「敵陣を外から倒すのではなく内から自ら崩れるようにする驚くべき技術。ワールドカップでも「音攻」は有用な戦略だ。」「ファンによる「音功」は開催国が享受する当然の権利として認められている」などがどうなのか?というか韓国の人たちはそれでいいのか?という突っ込みがいろいろなところで見られますが、僕には冒頭の文章の意味がわからないのです。

少林寺拳法は引っかき攻撃を馬鹿にすることはあっても、それよりもっと恐ろしい攻撃法についてはハナから言及しない。それは音を利用した攻撃法、「音攻」だ。

朝鮮日報 Chosunilbo (Japanese Edition)

少林寺拳法は、中国もしくは日本の武道で、韓国は関係ないし、どういう文脈なんでしょうか?

少林寺拳士としては気になるところです。

[]オタク文化の駆動力

僕はプロレスファンではない。そのことをまず断った上で本題に入る。

学生の頃、両国だとか後楽園だとかに連れて行ってくれた友人のatnbが、ブログで、いろいろな場面でプロレスファンによく会うという話を書いていた。

その中の一節に、こういう部分があったのだが、「ちょっと違う」と異議申し立てをしたくなった。

プロレスファンで無い人は、プロレスをどう見ているのか。小川直也、元横綱の曙、和泉元彌長州小力。彼らのマスコミでの取り上げられ方を見ていると、あまりよく思われていないことは推測できる。プロレスファンと同じぐらいの数で、「八百長だ」という人はいるのかもしれない。技の受け、が明らかだから、そう思われるのだろう。プロレスファンの私は、もともと真剣勝負か八百長か、という二元的な見方には興味が無い。受けがあってもなくても、技が美しく正確であってほしい。それは、プロレスでもK-1でも総合格闘技でも同じことである。

easy writing:[雑記

プロレスファンで無い人は、プロレスをどう見ているのか。」結論から言えば、プロレスファンで無い人は、プロレスに対して、良いも悪いもなく、八百長かどうかも含めて、ただ「関心が無い」というのが正しいのではないか、と僕は思う。

また、マスコミでの取り上げられ方を見ての推測は、あまり意味をなさないのではないか。マスコミでは、政治家プロ野球選手も芸能人もIT企業も、たいがい「よく思われていない」。よく思われているのは、タマちゃんど根性大根だけだ。(これはイチャモンだが。)

さらに、「あいのり」とか「ガチンコ」などのバラエティだけでなく、ドキュメントなどにもヤラセが横行している世の中で、普通の人のテレビ番組に対する興味は、「やらせ(八百長)」かどうかと無関係に、ただ、それを見て面白いかどうか、というシンプルなものになっていると思う。

プロレスも、そういった視聴者のニーズがわからなくなって右往左往している一面もあるのだろう。

〜〜〜〜〜

で、ここから少し話を広げる。

そもそも「ファンかどうか」という話すら意味をなさなくなってきているのではないか?というのが世代論好きな、僕の意見。

SFファンの平均年齢は毎年一歳ずつ上がる、といわれているが、若い世代ほど、「ファン」といえるほど、何かに打ち込むことが少なくなっていると感じる。確かに、サッカーなど一部のスポーツではファンが増えているかもしれないが、プロレスサッカーは異なる。

僕の言いたいのは、過去の遺産に対する博識があってこそ楽しめるジャンルの趣味、端的にいえば勉強が必要な趣味は、発展が難しくなってきているのではないか、ということだ。

先人の積み上げたものがあまりに大量だから、というのもあるし、インターネットの存在によって、修行みたいにして知識を詰め込む意味が薄れている、というのもあるだろう。

どこまで本当かわからないが、音楽についても、ルーツミュージックを追っかけるのに熱心だったのは、10年前の渋谷系ブームくらいまでのようだ。

 

話題は変わるが、昨年末、とんねるずの番組で「微妙すぎて伝わらないモノマネ選手権」というのを見た。80年代〜90年代のプロ野球選手やプロレスラー(マイナーな人含む)のモノマネが大半で、番組出演者の間に広がる大爆笑には「わかる人しかわかんないだろうな〜。でも俺はわかる。」という優越感が含まれていた用に思う。しかし、僕を含め多くの視聴者は、元ネタがわからないので「優越感」を感じられない。にもかかわらず、勢いのあるバカなネタを大人が本気でやっているのがおかしいという、別の理由で笑っている。

これは、少し昔では無かった状況のように思う。例えば高校生の頃の自分なら、笑えない自分に「劣等感」を覚えて、必死で元ネタを調べていたかもしれない。勿論、番組でもそんなマニアックなネタをゴールデンで2時間ぶっ通しでやるということは無かった。今は、元ネタに対する知識云々よりも、ただ動物的に笑えるネタが優先されるということなのだろう。

音楽分野で顕著だが、メジャー/マイナーの壁がなくなってきたことにも関係していると思う。10年前にあれだけランキング番組、本、雑誌が流行したのは、皆が「世間」から取り残されないように意識していたからだろうが、今はそういう状況はない。渋谷系ブームも、あのBingに代表されるようなカラオケブームという「表」があったからこその「裏」の文化だったのだと思う。

僕は、音楽でもマンガでも「オタク」文化の駆動力は、「劣等感と表裏一体の優越感」にあると思うが、それは、明確なメインストリームがある土壌でしか成立しないと思う。つまり「何でもあり」の状況では、オタクは育たないし、プロレスファンも減っていく。

だから、オタクは叩かれなくてはならないし、プロレスも「八百長だ」と言われ続けなければ熱心なファンは生まれないのだ。*1

いまのオタクをめぐる狂騒状況は、明らかにその謎を麻痺させる方向に動いている。若い読者は、まんが・アニメリアリズムを所与のものとして出発し、「僕たちにとっては人間よりキャラのほうがリアルだ」とうそぶく。他方、萌えの市場規模がワイドショーで話題になり、メイド喫茶がファッションとして語られ、新人作家の年齢が急速に若返るなかで、「オタクはなぜキャラクターにリアリティを感じるのか」という本質的な問いは社会的にも意識されなくなり、「オタクは何万人いるのか」「彼らの市場規模は何百億円なのか」「若い世代はどんなキャラクターが好きなのか」といった表層的な情報ばかりが流通している。オタクの欲望がいかに異形で不気味なものなのか、みな忘れてしまったかのようだ。

【東浩紀】ライトノベルブームと『ファウスト』の行方〓トレンド-オピニオン:IT-PLUS

SF研に所属していた大学時代の友人が、オタクであることに「後ろめたさ」を感じていない下の世代は自分にとって「新人類」だ、みたいなことを言っていたが、ここで、東浩紀が危惧していることと同じだろう。「後ろめたさ」(劣等感/優越感)にさいなまれて育った人には、劣等感を微塵も感じずにあくまで自分の快・不快原則を優先させるセンスにはついていけないのだ。

元に戻るが、atnbが、「プロレスファンで無い人の見方」と「プロレスファンである自分の見方」を比較して見せたのは、まさに「劣等感と表裏一体の優越感」なのだと僕は思う。(atnbには悪いが、決め付けています。)

しかし、それは「古きよき時代のファン」の考え方で、若い世代を中心に、日本全体が、だんだんそういうことに無頓着になってきているのだと思う。昔の方がよかった、と言うつもりはないが、なんだか寂しいときもある。そう考えると、「微妙すぎて〜」も、「古きよき時代」を懐かしむ番組意図だったのかもしれない。

*1:学生時代に、夢枕獏が、八百長問題も含めてプロレスを熱く語る文章を読み、感動した覚えがあるが、それこそ「バーリ・トゥード」(何でもあり)になってしまった今となっては「古きよき思い出」だ。

azecchiazecchi 2006/02/10 19:12 え、あいのりにもヤラセが横行してるのですか?! 知らなかった…。 まあ、常にできすぎな展開になりますけどねえ。

rararapocarirararapocari 2006/02/10 23:36 大変申し訳ありません。わたくし、「あいのり」という番組を見たことがありません。あと、ガチンコという番組も1回か2回しか見たことがありません。なので、かなりいい加減なことを言っていました。
ただ、ちょっとぐぐると「ヤラセ疑惑」の話はいくらでも出てくるし、火の無いところに煙は立たないので、全部ではないにしろ、ヤラセの部分もある、というところでしょうか。

2006-02-07 Tue

[]小谷野敦『バカのための読書術』★★★★

バカのための読書術 (ちくま新書)

実用性が高い本。

僕はブックガイドの類は大好きなのだが、やはりそこで薦められる本は、著者の衒いがあったりして、やはり基礎よりもワンランク上のものが挙がることが多い。実際その通りであり、結局読みたいなあと思っても、手に取ったら読む気が失せるなどということはよくあること。*1そういう意味で、この本は対象をバカに絞っているということで気が楽だ。

冒頭で結論付けられているが、バカは「歴史」を学べ、と小谷野敦は言う。いろいろと理由は書いてあるが、無駄にならない、という功利的な理由が大きい。

ここら辺は、まさに我が意を得たりの内容で、古典だ歴史だ、と、ここ2年くらい自分に発破をかけながらも、十分に出来ているとは言えない「歴史の勉強」に取り組む気持ちが再び湧いてきた。

本を読まずとも、マンガでも大河ドラマでもいいから、まずはストーリーを追えという話になっているので、『功名が辻』も引き続き見ていこうと思う。(実は、戦国時代ですらよく知らないので、本当に勉強になる)

ブックガイド以外の部分では、呉智英や梅原孟がたびたび登場し、賛美と批判と両方が浴びせられたりするなど、作者の好み(本音)の部分が前面に出ていて、なかなか面白かった。

ただ、章ごとの関連本を整理したリストを巻末に置くなどの工夫があるとなお良かった。それだけが心残り。*2

[]オーストラリア産牛肉の安全性についてメモ

先週号、今週号の『美味しんぼ』では、BSEを扱っていた。あらすじとしては、米国産牛肉の輸入反対運動に熱心な後輩に、国産牛も安全性が確保されているわけではないことを、山岡が説くというもの。*3

両方とも安全でないなら何を食べればいいか?

ここで山岡さんが出した結論は雄山の結論と同じなのだが、

  • オーストラリア産を選ぶ
  • 国産牛のうち、安全な飼育場で管理されている牛を選ぶ

後者の場合、一般消費者は(特に外食時において)直接選べない。したがって、輸入反対運動をするのであれば、外食産業に「安全な飼育場」との契約をさせるよう働きかけをすべき、という結論だったように思う。

そこで疑問なのが、オーストラリア産の牛肉の安全性の根拠。

おそらくBSE騒動の初期の段階で結論がついた話で、僕自身が知らないだけなのかもしれないが、よくわからなかったので、ぐぐってみた。すると、これという決定的なものがなかったのだが、以下のような理由によるらしい。*4

ただ、日米については、リスク評価委員会が結論をくだせなかったほど、リスクの差は小さかった、ということを考えると、豪州産のみ断定的に安全と言われると、突っ込みたくもなるもの。大体、そんなに安全なら、何故、国産牛の管理方法を豪州のものに変えないのか?全頭検査よりもよほど意味のあることだと思うのだが・・・。

*1斎藤孝のものは、そうでもなかった気がするが・・・

*2:例えば、斎藤孝『読書力』や伊勢田哲治哲学思考トレーニング』では巻末にリストがあって使いやすい。

*3:国産牛の安全性については、過去の日記からいろいろリンクしています。→http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20060123#BSE

*4:参考:http://www.coop-nagano.or.jp/abeef/aussiebeef/aussiebeef.htmなど

rockcandyrockcandy 2006/02/09 01:25 私も「最も安全な肉」=オーストラリア産と漠然と思っていたのですが、先日スーパーで小学生『ママ。これにすれば?』母親『ダメよー。オーストラリアの肉なんて今危ないでしょ』という会話を耳にしましたよ。多くの消費者は国産か外国産かでしか区分してないのかも・・・魚も水銀とか心配だし何食べればいいんでしょうね。(といいつつもマクドナルドにも行きますが)

rararapocarirararapocari 2006/02/09 22:53 コメントありがとうございます。納豆やヒジキ、はたまたイソフラボンまで、健康にいいと言われていたものも取り過ぎが逆に悪影響という話もよく聞きます。こういう「何を食べればいいか」論議に関して、よく見ている安井至教授のHPなんかでは、一つの結論として、同じ商品や同じ食材に偏りすぎずに多くの食材を使った食べ物をまんべんなく食べることがリスク回避につながるとされています。マクドナルドといえば、スーパーサイズ・ミーが有名ですが、未見なので見てみたいですね。。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00067HDY8/

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2006-02-06 Mon

久しぶりに図書館行って、ふと目についた雑誌「月刊大相撲」1月号を借りた。力士だけでなく行司や呼び出し一覧のカラー写真が楽しい。

[]くるり『NIKKI』★★★★☆

NIKKI(通常盤)

くるりは『図鑑』『TEAM ROCK』が大好きだったのだが、『THE WORLD IS MINE』が全然よくわからなくて、しばらくお休みしていた。

しかし、かっこいいジャケが気になっていた本作は、kubokeさんのレビューにも後押しされて、聴いてみる*1ことに。

結果、としては大満足!特に、イノトモがコーラスに参加している「Birthday」が、ふとしたときに口ずさみたくなるいい曲。

東京にいたときも、京急電鉄を利用することはあまりなかったんだけど、昨年末にたまたま平和島のボーリング場に行く機会があって、発車時の変な音(歌詞でいう「ファソラシドレミファソ」の部分)も体験していたので、京急電鉄のことを歌った「赤い電車」も心に響く。この曲は久々に「ピコピコ」だし。

その他の曲も断然聴きやすいし、自分の中でのくるりベストアルバムです。

 

ところで、1曲目を聴いて奥田民生を思い出したら、amazonではビートルズっぽいとなっていた。(確かに「Long Tall Sally」なんて曲もあるし、その通りだとは思う。)kubokeさんのレビューでフィル・スペクター調と評されるラストの曲は、聴いてすぐに大瀧詠一を連想して、逆に、これが大瀧詠一フィル・スペクターに影響を受けているという部分なのか、と感心。ちなみに、2曲目「Baby I Love You」はGAOの曲に似てません?

*1:といってもレンタルです。最近は、どうしてもというCD以外は基本的に買わない方針。

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2006-02-04 Sat

四歳の孫が泣いて怖がるくらいだから、カラスよけに使えないか」→リンク先に「怖い」写真あり。

こういう内容が記事になるなんて、宇部日報すごすぎます。1/26の記事なので、すぐにリンク切れになることが予想されます。お早めに。

[]YUKI『メランコリニスタ』★★★★

メランコリニスタ

まずはじめに言っておくと、このメロディー(作曲:蔦谷好位置)はいろんな意味で反則。イントロを聴けばわかるが、この必殺のメロはサンボマスターそのぬくもりに用がある』と同じ。ということは、シカゴ「サタデイインザパーク」のコード進行をそのまま持ってきている。*1また、歌詞(とうぜんYUKI作詞)を聴くと「そのぬくもり〜」のキーワード「さみだれ」をわざわざ使っているので確信犯かもしれない。

歌詞なんだけど、YUKIが自ら語るように、これまでのシングル(『長い夢』『ドラマチック』『歓びの種』)のような重苦しさがなく、今回はあくまで軽くて楽しい歌に仕上がっている。

YUKI:今までの曲は感情的な部分を入れていくことが多かったんですけど、この曲に関してはとにかく踊れるようにしたくて、それを一切なくしたいというのがありました。詞の世界もあまり深読みできないような、語弊があるかもしれないけど、詞の内容に意味があまりないようなものにしたかった。私が好きだった歌謡曲の時代の、口ずさめる、そこに重苦しさのないものをやりたいなって。

Yahoo!ミュージック - ミュージックマガジン - YUKI

〜〜〜

同じインタビューからもうひとつ引用。

■じゃあ詞の書き方も変わってきました?

YUKI:そうですね。ただ、フィクションでもノンフィクションでも、自分が感じてないことを書くということが一番よくないと思うんです。本当にいいメロディーに寄り添う日本語で、自分がちゃんとメロディーから感じていること。そこに忠実でありたいんです。自分自分っていう主張や、自我のために書くっていうことがなくなったから、こういう詞になっているんじゃないかなと思います。

Yahoo!ミュージック - ミュージックマガジン - YUKI

「自分が」どう感じるか、を大切にしている、と言うのは簡単だが、自分が感じたことを言葉にできるのがYUKIの才能なのだろう。「素敵だな」と思った詞をそのまま引用するのと、「素敵だな」と思った心の動きを「自分の言葉」に置き換えるのとでは、全く質が違う。

前回のエントリに繋げて書けば、後者は「主語がない」歌詞、ということになる。

話は飛ぶが「世界に一つだけの花」の話をさせてほしい。

最近、この歌詞については、『ドラゴン桜』の中で「オンリーワン」の認識について批判され、『下流社会』でもそれが引用され、『超バカの壁』でもやっぱり難癖をつけられ、批判され放題である。上に倣えば、「主語のない」口当たりのいい歌詞ということになるかもしれない。

しかし、作詞作曲の槇原敬之自身が歌っている分は、彼自身の実感に基づいた「主語のある」歌詞だったと思うのだ。そもそもがSMAPへの提供曲だったことから始まり、爆発的なヒットを果たす中で「主語」を失い、まやかしのような言葉になってしまった。

ひとことで言えば「消費」されてしまった。賞味期限が切れてしまった。マンネリ的に使われる言葉には、聴いた人に何かを考えさせるほどの力はなくなってしまっている。

そういった「消費」されてしまった言葉を避けて、鮮度の高い歌詞を上手に繋げていくスガシカオなんかの職人技はすごいなあ、と思う一方、リスナー側も「世間」的な感覚に左右されすぎないよう、自分がどう感じるかというアンテナを磨く必要があるのだろう。半ば天邪鬼的に言うのだが「世界に一つだけの花」の歌詞もそんなに悪くないぞ。

〜〜〜〜〜〜

ところで、花と言えば、YUKIのこの前のシングルは『歓びの種』だったのだが、「種」についての説得力のある分析があったのでいつも読んでるところから引用させてもらう。

 花は、美しく咲き誇るけれど、やがては枯れてしまうものです。単純に美しいもののイメージとしてあるいは枯れてしまうはかないものの象徴として、表現に使われます(最近は後者が増えている/好まれているような気がします。顕著な例)しかし、花を「実を実らせるためのもの」としてとらえている歌って、ちょっと出てこないですね。

 この曲が「種」にこだわっているのは、美しさや散ってしまうもののはかなさや切なさとはまるで別種のものを志向しているんだ、ということを、端的に表しています。それは『見逃してしまう』ような、小さいもの。けれど、成長するもの。成果として結実するもの。次につながっていくもの…育てていくもの。

YUKI「歓びの種」:現代ポップス考。〜歌詞を重視した、邦楽(J-POP)の分析・レビュー〜

これは見事な分析だと思う。そして「花」に目が行きがちな現代だからこそ、敢えて「種」にこだわるYUKIの主張がよく出ている。「世界に一つだけの花」も、もともとは「歓びの種」と主張したい部分は変わらない気がするので、その叩かれぶりを可哀相に思ってしまうのだ。

それにしても、このシングルは、「タイトル曲+リミックス2曲+カラオケ」の計4曲で1223円。音楽配信がスタートして、1000円台から買える映画DVDがが多数ある中、こういう値段設定は時代はずれなんじゃないか?

難癖はそのくらいにして、これまでのシングルから大名盤になること必至のYUKIの新アルバムに期待したい。

*1:以下のアドレス、5曲目で視聴可能→http://www.towerrecords.com/product.aspx?pfid=1187742

2006-02-03 Fri

ハルカと正巳が付き合うことになってガッカリした『風のハルカ』だが、最近「ぷくぷく」ぶりに加速度がかかるアスカ*1が妊娠?という怒涛の展開。どの週も、ちょっとした家族の問題などのライトなテーマ設定があり、すごく面白いドラマです。

[]森達也森巣博『ご臨終メディア―質問しないマスコミと一人で考えない日本人』★★★

ご臨終メディア―質問しないマスコミと一人で考えない日本人 (集英社新書)

対談形式をとった本には一長一短がある。

メリットは、突っ込み役がいることによって、要所要所で解説が入り、文章が理解しやすくなるという点が大きいと思う。読書というのは「読み手と書き手の会話(Q&A)」だと考えている自分にとって、対談形式であることが、「会話」の支援をしてくれるようで、はまると非常にわかりやすい本になる。*2

デメリットは、両人の結論部分がよくわからないまま議論が発散してしまう場合で、二人が主・従の関係ではなく、半ば対等な関係であるときに生じやすいと思う。

対談形式をとっているこの本については、まさに議論が発散している部分があり、デメリットの方が大きいように感じられた。特に、二人の意見が大筋では一致しており、ある程度の共通理解のもとで進むため、その共通理解の部分については、読み手に対して説明不足の感がある。実際、ランダムに開いたページの一節を読んでも、どちらの発言か判断しかねるところが多い。具体的には、二人ともが徹底的な反戦主義者で、自衛隊や石原慎太郎についてたびたび飛び出す極論について、説明が少なすぎて納得できない部分がある。

また、両者の認識の微妙なずれの部分については、重要なテーマであるはずだが、本の構成も対談の進行も、それをうまく料理できていない。森達也の方は、なるべく二人の違いをクローズアップしようとしているようだが、それも歯切れが悪く、結局マスコミ批判右傾化批判の「放談」になってしまうパターンが多い。

両者の認識のずれというのは、単純に言えば、諸悪の根源は「社会(国民・民意)」か「メディア」か、という部分で、例えば、以下の部分が典型的である。

森 :視聴者は、形にならないニーズを欲望して、それに対してメディアが形を与えるわけです。

森巣:やはり世論を誘導している。

森 :しかし、世論もメディアを誘導している部分があります。

森巣:「世論」というのは難しい問題だと思います。私は基本的に純粋な「世論」なんてものは存在しないという立場です。「世論」は都合よく操作されている。

森巣が、メディアの責任を強く指摘するのに対し、森は、メディアと社会の共犯関係を問題視する。*3最後でも述べるが、僕の意見は、森達也の意見の方に近い。

森は、メディアと社会が、相互に従属しながら、主体を喪失しているとして、繰り返し「この国の民意には主語がない」ということを主張する。客観報道が求められるメディアには、それが不可欠ながらも「決して中立公正にはなり得ない」ということに対する十分な自覚が必要で、そういった自覚が麻痺してしまうと、JR西日本脱線事故の際の記者の罵声「社長を呼んで来い」「人が死んでんねんで」*4のような現象が生まれてしまう。勿論、これらの報道を受け止める側も、「考える」ことをメディアにまかせっきりにせず、自らの努力が必要ということはいうまでもない。

そういえば、「主語がない」ことについては、かなり昔から村上龍もたびたび発言しており、今週月曜日のJMMでも以下のような記述があった。

違和感を覚えたのは、堀江前社長の衆議院選挙立候補の際に実際に現場で応援したという自民党武部幹事長と竹中総務大臣の「弁解」です。

二人は、「反省すべきは反省する」とインタビューで答え、そこだけがくり返し流れたので、そのあとの記者とのやりとりは不明ですなのですが、非常に奇妙な感じがしました。

「反省すべきは反省する」という弁解には主語がありません。ただ、主語がないから意味がわからないというわけでもありません。反省している主体はきっと本人なんだろうという暗黙の了解があるので、意味は伝わります。たとえばスペイン語も主語を省略しますが、動詞の変化で主体がわかるようになっています。しかし日本語の「反省すべきは反省する」という表現は、主語を省くことによって主体との間に距離が生まれ、ニュアンスを曖昧にすることが可能です。しかも、まるで抽象的な格言のような響きと効果を持つのでたいていそこで話は完結しがちです。「わたしは反省します」というダイレクトな表現と比べるとそのことがはっきりします。「わたしは反省します」と言ってしまうと、霧が晴れるように主体と行為が合致し、ダイアローグは完結せずに続きます。

       JMM [Japan Mail Media]                 No.360 Monday Edition

この指摘は、人によっては「重箱の隅」のように映るかもしれないが、僕にとってはなかなか鋭い指摘だと感じた。発言している当人も気づいていないのかもしれないが、確かにここに書かれているよう「ニュアンスが曖昧に」なっていると思う。

こうやって見てくると、先日自分で書いた文章も、結局この「主語がないこと」に対する苛立ちを述べたかったんだ、と思われてくる。

一つ目は、「自分自身」の興味・関心と「不特定多数」(一般大衆)のそれとの区別が付いていない文章(もしくは前者の分析が無い文章)だからである。僕自身の好みを言えば、ここで例に挙げられている「テツandトモ」と「はなわ」は評価が逆だし、毒舌ネタはあまり好きではないが、長井秀和なんかは、見るたびに、研究熱心な人なんだなあと感心する。「不特定多数」の興味・関心の分析が必要なのはテレビ関係者などの、いわゆるマーケティングの部分であり、それは芸の面白さとは直接的には無関係である。僕が好きな「評論」系の文章は、萩原健太など、自分の好みを前面に出すタイプの人の文章なので、筆者の好みが全く出てこない文章には不信感が湧く。・・・というか、(この文章を書いている人はそうではないと思いますが)「自分が面白いと思えることは何か」よりも「来年、誰が消えているか」に興味が行ってしまう人、というのは可哀想だと思う。

Youtaful Days 〜 「一発屋」という言い方に不信感を覚えるワケ

結局、自分は、ブログを書くことを通じて、何とか「主語のない民意」から抜け出そうとしているのかもしれない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

本書を全部読んでみると、森巣博に比べれば森達也の意見の方が、自分とは親和性があるというか、読みやすい内容である。逆に、森達也が、メディア関係者は当然持つべき、という「後ろめたさや引け目」がなく、ズバズバと批判しまくる森巣の物言いには(ひっくり返したら同じではないかという)危うさを覚える。議論がやや発散してしまっているところも併せて考えると、同じテーマで森達也個人の文章を読んでみたい。また『A』『A2』も当然、早く見たい作品だ。レンタルビデオに出回っているのでしょうか?

 

追伸:昨年の忘年会で、この本をプレゼント?してくれた友人のid:D16に感謝。

*1:黒川芽衣。先日までやっていたNHK教育のCGアニメバーディ」の主題歌を担当していたのだが、作詞:矢野顕子 作曲・編曲:細野晴臣という超豪華スタッフに驚き!

*2:例えば、安井至教授のホームページや、H教授の環境行政時評などは、実際は一人で書いているのだろうが、対話形式をとることで、最新の環境問題をわかりやすく伝えようとしている。H教授の方は、webで読む文章としては長いと思うが。

*3:あとがき部分でも述べられているが、タイトルの「ご臨終メディア」というのは森巣博の案である。副題になっている「質問しないマスコミと一人で考えない日本人」という方が、森達也の意見が反映されている部分なのだろう。

*4:P145。この記者の発言は、小浜逸郎『「責任」はだれにあるのか』でも取り上げられていた。後世に残る名言?である。

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