Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

コメントのルール・新しいルール

ときどき利己的にふるまうことが、ブログを長く続けるコツだと思います。
自分を抑えて、読んでくれる人に追従していくと、次第に書くのがつらくなってきます。書きたければ書くし、休みたければ休む、そして、あくまで自分のためにブログを書いているのだというスタンスを常に保っていくことが、自分の性格には合っています。
また、自分の覚える「違和感」というものは非常に大事にしたいと思っています。
なぜかといえば、そこに「自分」が隠れている可能性が高いから。普段は意識下にあることがふっと顔を出す感じです。そのときは少し立ち止まり、自分の頭を覗き込むチャンスだと思います。
〜〜〜
さて、ちょっと前のコメント欄で、コチタロさんより、あるコメントをいただきました。
ブログを書いていて、やはり嬉しいのはコメントをもらうこと。コチタロさんから貰ったコメントも、もちろん嬉しかったのですが、一方で「あれ?」という気持ちもありました。

まず、そのコメント全文を引用させていただきます。コメント者をKとしています。

K『lightupさん、お疲れ様です。*1
さて、以前ご紹介頂いた2冊の本、さっそく購入しました!うち、1冊が手元に届き、読んでいます。「ホンモノの文章力」の方なんですが、勉強にもなりますし、何よりも純粋な本として面白いですね〜。ご紹介、ありがとうございます。
これで、私の稚拙な小論文が少しでも改善されればよいのですが、、、(笑)
もう1冊も含めて熟読し、もう一度再出発しようと思っています。
これからもアドバイス等、よろしくお願いします。』

以下、なぜ、このコメントに首をひねってしまったのか、ブロガーの視点、読む人の視点の双方から掘り下げてみて、あくまでエゴイスティックに、「自分に優しいコメント」を目指して修正をしていきたいと思います。
(以下、K→K2→K3→K4と修正していきます)

(1)ブロガーの視点

繰り返すと、ブログを書く立場としては、何を書いたとしても、まず読んでもらえれば嬉しいし、コメントを貰うともっと嬉しいわけです。ただ、コメントを貰ってうれしいのは、少なくともコメント対象のエントリを読んでいることが前提です。例えば、先の3/18の日記に対して、こういうコメントはどうでしょうか?

A『奥田民生といえば、矢野顕子とか大貫妙子と一緒に出したCDがありましたよね。タイトル忘れましたけど。』

関連はあるのですが、実は全然内容(冒頭の文章)を読んでいないコメントです。
これでは、「自分の文章は読まれているんだなあ」という満足感は得られません。
次のコメントはどうでしょうか?

B『それはともかく、今週のスピリッツ読みましたか?中退アフロ田中、やっぱり面白いですね。』

内容は読んでいるけれども、あえて違う話題を振っているコメントです。
この種のコメントに対する気持ちを映像で表すと、とろサーモンの「すかし漫才」のときの久保田君(眼鏡の人)の方になります。

該当のエントリでは、僕がかなり幅広いネタ振りをしているのに、それに一つも触れないコチタロさんのコメントは、悪い見方をすれば、これに近いものがあります。
そこで、これを修正したコメントを考えてみました。

K2『僕もトロピカーナを愛飲しているので、1割値上げは痛いです。これからは、カルピスのように水で薄めて飲むようにします。
追伸
以前ご紹介頂いた2冊の本、さっそく購入しました!うち、1冊が手元に届き、読んでいます。「ホンモノの文章力」の方なんですが、勉強にもなりますし、何よりも純粋な本として面白いですね〜。ご紹介、ありがとうございます。
これで、私の稚拙な小論文が少しでも改善されればよいのですが、、、(笑)
もう1冊も含めて熟読し、もう一度再出発しようと思っています。
これからもアドバイス等、よろしくお願いします。』

これであれば、本文を読んで関連する内容をコメントしているので、すごく安心できます。
また、「追伸」とつけてあるので、分量は多いものの、後ろの文は「付け足し」でメインは前半部であることが明快です。
ほとんど違和感もなくなりました。
でも・・・・。

(2)ブログを読む人の視点

他の人のブログを読む場合を考えると、自分が関わらないとしても、やはりコメント欄のやり取り、というのは、ブログを読む場合の楽しみの一つです。
このことは何を意味しているかというと、ブログのコメント欄でのやり取りというのは、衆人環視の中で行われているということで、変なたとえをすれば国会答弁のようなものです。
そういう「見られている」気持ちもあるので、私信のやりとりをコメント欄でやることは、自分はあまり好きではありません。
また、他人のコメントのやり取りを読んだときに、「読んで損したなあ」「なぜそれをコメント欄に書くか」と思うのは、こういう私信のやり取りが延々と交わされる場合です。
さらにいえば自分の知らない秘密を共有されている感覚は、不快とまでは言いませんが、一種の疎外感を覚えます。
たとえば、自分が読み手であった場合、、「私信」の分量が多いコメントのやりとりを見ると、
(何となく輪に入りづらいなあ)
(自分は所詮「外野」なのだろうなあ)
(なんだか、わざわざ自分がコメントするのも恥ずかしいなあ。「外野」だしなあ。)
と、勝手に自分を蚊帳の外に追い込んで、意気消沈したりします。

一方で、趣味のマニアックなネタというのは、追っかける人のモチベーションになるから分かる人が少数でもOKです。
こういう部分は、多くの人の感覚と異なるかもしれない、ということは自覚しています。
ただ、この場合は、プライベートな話題ではない分、知らない人に対して不親切でも多少なら問題ないように思います。自分もむしろそういうのを読むのを好みます。

C『あのアルバムでは、宮沢和史矢野顕子「二人のハーモニー」が大好きですね。このコンビでは「中央線」も思い出しますが、どれもいい曲ばかりですね。

二つの曲を全く知らない人が読んでも、知的好奇心を刺激されるいいコメントだと思います。
また、話題の発展性のポテンシャル(つっこまれ度)が高いコメントかどうか、という見方もできます。

ここで少しまとめると、ブログを読む人の立場からすれば、知的好奇心を刺激されず、それに対するツッコミが全く出来ない「私信」がコメント欄で交わされることは、あまり嬉しいことではないはずです。
先ほどのコメントK2であれば、そういう要素はかなり既に緩和されているのですが、やはり「私信」の割合が大きいので、もう少し減らします。

K3『僕もトロピカーナを愛飲しているので、1割値上げは痛いです。これからは、カルピスのように水で薄めて飲むようにします。
追伸
以前ご紹介頂いた「ホンモノの文章力」ですが、面白いですね〜。ご紹介、ありがとうございます。
これからもアドバイス等、よろしくお願いします。』

これなら、全然OKです。
でも・・・。

(3)再び、ブロガーの視点、読む人の視点

自分がコメントをもらう立場だとしたら、K3でまったく問題ないです。
ただ、自分が書く立場の場合は、あまりこういう書き方はしません。というか、「私信」部分をコメント欄に出さない理由がほかにあるからです。
たとえば、こういうコメントはどうでしょうか。

D子『「ラーメンたべたい」はベストアルバム『ひとつだけ』で聴きましたが、アレンジがドラムンベースでかっこいいですよね。
追伸
先日は素敵な夜をありがとうございました。』

とか

E男『Beautiful Songs』にも入っているけど、矢野顕子「すばらしい日々」は、あのテンポに慣れると心に響くよね。いい曲です。
追伸
例の100万円、ぱっと使っちゃいましょう』

こういうコメントはすごく嫌です。
あまり隠し事はしないタイプですが、「素敵な夜」のことと、「例の100万」のことだけは秘密にしておきたいので、覚えのある人は黙っていてください。(笑)
というのは極端ですが、もしかしたら秘密にしておきたい話題かもしれないということを考えて、メールのやり取りだけに収めることと、コメント欄に書くことは分けています。
あと、繰り返しますが、自分は嫉妬深いのでしょうか?他のブログのコメントのやり取りで、「素敵な夜」とか「例の100万」の話題が出たら、それについて長時間考え込んでしまい、疎外感を深めながら、ブログだなんだっていっても、所詮はネット上のつながりで空しいよね・・・とタバコをふかして、だんだんと気持ちが沈んでいきます。
今回のコチタロさんのコメントは、自分が秘密にしておきたいことにあたるかどうか、というのは企業秘密なので申し上げにくいですが、ボーダーラインです。
ひとつだけ言うと、エントリの内容に無関係の本の具体名が出ていることは、少し気になります。たとえば『人間革命』や『太陽の法』を紹介している場合、ここでその名を出されると完全にアウト(笑)ですが、『水からの伝言』や船井幸雄など、アウトかセーフか微妙なところに位置する本もあり、どこで境界を引くかは人によるので、自分なら書名への言及は控えるところです。*2
また、2冊のうち、1冊と言っておきながら、もう一冊のタイトルが出ていないことも気になります。*3
ということで、具体的な書名等は載せない私信がモアベターです。

K4『僕もトロピカーナを愛飲しているので、1割値上げは痛いです。これからは、カルピスのように水で薄めて飲むようにします。
追伸
以前ご紹介頂いた本、読みましたけど、面白くて気に入りました。』

このように軽い私信であれば、「親しみ」を付加したコメントと見ることができ、他の人のコメント欄で見かけても、嫉妬に狂ったり、疎外感で欝に入ったりしません。

ということで、今回考えてみた結論ですが、lightup/rararapocariに優しいコメントのルールとしては

  • エントリの内容に触れない「すかし」コメントは僕が落ち込むので×。
  • 私信は、僕の秘密にしておきたいことに触れてしまう場合があるので、あまり具体的なものは×。

の二つです。
勿論、コメントを書く人同士のマナーの問題は当然ですが、ここは僕のブログなので、ときどき、上記のルールを思い出してほしいので、お願いします。
とはいっても、ほとんどのコメントは、二つの条件をクリアしていると思いますので、これまで通りたくさんのコメントをお願いします。
ということで、追加ルール

  • ときどきコメントをあげてください。ウサギは寂しいと死んじゃうんです。

*1:lightupは、私rararapocariのもう一つのハンドルネームです。どちらを使っていただいても構いません。

*2:ちなみに、ここで挙げた本は全部読んでいません。興味はあるのですが・・・

*3:こういうの→相武紗季 2007年 カレンダーかもしれないし、フランス書院文庫かもしれません。笑