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2018-05-06 Sun

[]家族愛について考える傑作〜田亀源五郎『弟の夫』全4巻


ゴールデンウィークに都内を中心に「東京レインボープライド(TRP2018)」が開催されていました。これと合わせて、自分も何冊か関連本を読みましたが、中でも最も良かった『弟の夫』について文章を書いてみました。(東京レインボープライドについてはこちら


以前も書いたことなのですが、セクシャル・マイノリテについて、当事者でない自分の立場から考える考える上でいつも思い出すのは、以前読んだ『同性愛異性愛』の次の一節です。

「人の恋愛は自由だから、同性愛であっても認めるべきだと思う」とか、「同性愛者であっても差別されてはならない」という意見が大半を占めるようになってきた(略)

しかし、同性愛異性愛となんら変わらずにとらえようとする、こうしたまなざしや肯定的な見方は、家族における同性愛者の存在の可能性について触れた途端にもろくも崩れ去ってしまうことになる。

つまり、「他人事」として同性愛について優等生的な回答をしていた人たちは、 家族に同性愛者がいたら?という質問に対しては、途端に「同性愛反対派」に回ってしまうという指摘です。

子を持つ親として、子どもからカミングアウトされる可能性があること、また、勿論、知人・友人からカミングアウトされる可能性も考えれば、当事者でないことは、この問題と無関係であることを意味せず、いつだって、「自分が関わる問題」になることに改めて気づかされます。


このように「自分の問題」として、このテーマを考える場合に、知識というよりマインドの問題として、読んでおくべき本としてぴったりなのが『弟の夫』だと思います。(勿論、ゲイやレズビアをはじめとするセクシャルマイノリティに関する知識は蓄えておく必要があると思います)


この漫画は全4巻で、今年NHK-BSでドラマ化され、連休中に地上波で再放送されたことが話題になりました。あらすじは以下の通りです。

同性婚をテーマに、一般社会のなかでのゲイを描いた作品。弥一(やいち)と夏菜(かな)、父娘2人暮らしの家に、マイクと名乗る男がカナダからやって来た。彼は、弥一の双子の弟・涼二(りょうじ)の結婚相手だった。涼二はカナダでマイクと同性婚をし、その後亡くなったのだった。「パパに双子の弟がいたの?」「男同士で結婚ってできるの?」と幼い夏菜は、突如現われたカナダ人の“おじさん”マイクに大興奮、たちまち意気投合し仲良しになる。一方の弥一は、しばらく日本に滞在することになったマイクと一緒に暮らすうちに、自身のなかにあった偏見に気づいていく。そして、成長とともに自然と距離ができてしまった亡き弟・涼二への想いを深めていくことになる。

メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞作の紹介部分より引用)


我が家では、中2の息子と小5の娘に読ませましたが、二人とも面白く感じたようで、特に娘の方は繰り返し読んでいました。その意味で、小学生から大人まで誰にでもおススメできる漫画だと思います。(なお、ドラマ版は、ほぼすべてのキャラクターが原作のイメージを壊さず、オリジナルエピソードもほとんどなく原作に忠実な内容で、漫画版同様、とてもよく出来ている作品です。)


以下に、この漫画の素晴らしい点を4点に分けて考えてみました。


弥一の成長の描き方

繰り返しますが、『弟の夫』は、ストレートである主人公・弥一が、ゲイであるマイクと3週間を過ごしながら、ゲイへの偏見やわだかまりをなくしていく物語です。

おそらく、作者自身の経験上(ゲイの側の視点)から誤解の生まれやすいポイントに絞って物語が構成されているのだと思いますが、それぞれのポイントにおいて、弥一の成長が分かりやすく描かれています。


1巻(1話〜6話)では、「同性愛者に対して、性的の一面を意識し過ぎること」が扱われています。

マイクが初めて家に来た晩に、夏菜(小3の娘)に「毛がモジャモジャ」な上半身を触らせていたことに激怒したこと、また、翌朝に、涼二が子供のころの遊び場の案内をお願いされて断ってしまったこと(二人の性的な関係を想像してしまうからどうしてもマイクと涼二をセットで考えたくなかったため)は、その典型です。

こういった偏見は、夏菜の無邪気な質問に対するマイクの回答を聞いて無くなって行きます。

  • 夏菜「マイクとリョージさん、どっちが旦那さんで、どっちが奥さんだったの?」
  • マイク「私のハズバンドがリョージ、リョージのハズバンドが私」

知識として納得するという以上に、マイクと生活する中で自然と理解して行ったのです。


そして4巻を通じての弥一本人が自覚する一番の変化は、マイクのことを「弟の夫」であると説明できるようになったということです。

1巻で散歩中に会った知人に、マイクのことを「弟の友人」と紹介してしまったことに違和感を覚えた弥一は、カトやんにはちゃんと説明しようとしていたにもかかわらず、「涼くんの…アレでしょ」とカトやんに先に言われてしまいます (3巻) 。が、3度目の正直ということで、夏菜担任の先生との面談の中では、やっと「弟の夫」であることを胸を張って言えるようになります(4巻)。

この部分は、 コラム「マイクのゲイカルチャー講座」も合わせて読むと 、アウティングなど微妙な問題も含んだ部分ですが、弥一のマインドの問題として一歩ハードルを越えたことが明確に分かるエピソードになっています。


そして個人的には何と言ってもマイクと別れるシーン(4巻)で弥一が「さよならのハグ、していいかな」というシーンに大感動でした。

日本ではそんな習慣はないから…と言って、夏菜とでさえも恥ずかしがってしなかったハグを、弥一が自ら言い出したのです。

『弟の夫』は、ゲイだけでなく、外国人と日本というテーマも何度か触れられています。

ほぼ全エピソードを扱っていると思われるドラマ版でカットされていた、夏菜が水泳教室に行くシーン。ここでは、タトゥーを入れている外国人が利用できない施設が日本に多いことを、マイクと弥一は夏菜に説明できずに悩んでしまいますが、これはセクシャリティとは無関係で、日本の特殊な文化の問題です。

その意味で、ラストのハグは、セクシャリティだけでなく、文化的な壁を乗り越えた人と人との触れ合いが描かれており、弥一の人間的成長が、言葉ではなく態度として一番伝わってくる場面だと思います。


説明の仕方が秀逸

この作品は、ストーリーだけではなく、漫画としてもとても優れていると思います。

一番のポイントは、言葉による説明が最小限に抑えられているということです。

作者として伝えたいことが沢山ある漫画のはずですが、登場人物の台詞や言葉による心情描写は最小限に抑えられています。また、以下のシーンでは、そこで「起きたこと」そのものも省略しており、そこを敢えて描いてしまったドラマ版は無粋に見えました。

  • 酔っぱらって帰ってきたマイクが自分に抱きついて悲しむのを見て、涼二の死に初めて涙するシーン。(涙は描かず、月が二重に映ることでそれを示する)(1巻6話)
  • 久しぶりに夫婦が揃った翌日、夏菜を学校に送り出した後、二人で散歩に出たときに「どっかで休憩していこうか」と 夏樹に誘われるシーン。(ドラマ版ではその後のホテルの様子まで描かれたけど不要では…)(2巻9話)

その他、3、4ページくらい平気で台詞なしのコマが続く場面も多々ありますが、そこが無駄な場面というわけでは決してなく、ドラマでもかなり忠実に、その台詞・無言をマンガに寄せていたように思います。


なお、ゲイについての基礎知識については、物語とは切り分けてコラムとして書かれていますが、これが「マイクのゲイカルチャー講座」とされているのもとても良いと思います。

たとえば、『3月のライオン』の将棋コラムは先崎学九段が書かれており、作中には出てこない専門家がコラム作者であるため、作品とは切り離されています。

しかし、『弟の夫』ではマイクが書いていることで、物語と地続きでゲイカルチャーに触れることができます。コラムのタイトルは以下の通りです。物語がクライマックスを迎える4巻では、進行の邪魔になるためなのか存在せず、1〜3巻に収録されています。

  1. 同性婚
  2. ピンク・トライアングル
  3. レインボーフラッグ
  4. その他のプライド・フラッグ
  5. カミングアウト
  6. プライド・パレード
  7. ゲイ・プライド

弥一の獲得する視点(キャラクターの配置)

そして漫画としてのもう一つの上手さは、キャラクターの配置とその意味付けにあると思います。

『弟の夫』では、すべてのキャラクターが基本的には、主人公弥一が色々な視点で物を見る(視野を広げる)ために配置されているように思うのです。

勿論一番大きいのは夏菜です。

最初にマイクを家に泊めることになったのも、夏菜の発案でしたし、4人で温泉旅行に行くことになったのも言い出しっぺは夏菜でした。夏菜の「偏見のない」視線に触れることで、弥一は、自身の「偏見」に気がついて行くという構図です。


中学生の一哉君が、マイクに話をしに来る エピソードは特に好きです。(13話、14話)

この話では、弥一は、色々な立場の人の思考を辿りながら カミングアウトについて考えます。

まず、一哉君から直接聞いた話で、カミングアウトをする側の人の悩みを知ることになります。また、マイクからも同様の話を聞き、弟・涼二が自分にカミングアウトしたときもそうだったであろうことに思い至ります。つまり、一哉君とマイクの視点を得ることで、弥一は涼二の気持ちを初めて想像することができたのです。

一方、カミングアウトされた側についても同様です。まず、カミングアウトを受け入れてくれたマイクの両親だけでなく、受け入れられない人たちについても描かれています。さらに、夏菜(小3の娘)が女性の恋人を連れて来たときのことを夢に見ることによって、弥一は、カミングアウトされた親の気持ちをリアルに想像することになります。ここでは「自分は絶対に受け入れる」と決心するだけにとどまらず、受け入れなかった場合についても、今度はカミングアウトする側にたって想像を巡らせます。

同性愛者が子供に悪影響だと考えるような大人の

その子供が同性愛者だったとしたら

その子が親にカミングアウトしたら

自分にとって最も身近な人が

自分のことを良く思わない

人生で出会う最初の敵になるかもしれない

(3巻15話)

温泉旅行に行ってもこの話題は引きずり、離婚した夏樹(夏菜の母親)とも話をし、「好きになった相手が男の子でも女の子でもいい」という夏樹に対して、こう言います。

そうなんだけどさ…親としてはさァ

子供には出来るだけ苦労して欲しくないじゃない

やっぱ普通に育って欲しい…とか

つい…考えちゃって…

(3巻17話)

この発言は、夏樹に「苦労するかもと思うのは差別ではないか」とたしなめられるのですが、それだけ弥一が、娘からのカミングアウトという架空のシチュエーションに対して真面目に考えていることが分かります。


そんな弥一から「見えない」キャラクターが一人だけいます。

それが3巻で登場する「カトやん」です。

カトやんは、誰に対してもカミングアウトする気はありません。

物語の中では、カミングアウトをする人としない人がいることの事例として出されているカトやんですが、カトやんが弥一の家に来る回(第19話)のタイトルが、(カトやんが手土産に持ってきた)「焼き菓子詰め合わせ」となっているのは、弥一に見せた「よそ行きの顔」を象徴するアイテムだからなのでしょう。

なお、こういったテーマについて、どちらかの立場に与することないのが『弟の夫』の特徴であり、主張の一部だと思うのですが、ここでは珍しくカトやんの生き方に対しては否定的に見えます。マイクの目から見ると、ゲイの人といるときだけ「素の自分」を出せるカトやんは幸せそうに見えないのです。

例えば「オタク趣味」をオープンにするかしないか、という似た状況は誰にでもあり、そこから考えても選択は人それぞれだと思うのですが、出来るだけ「よそ行きの顔」を減らしたい作者の主張が強く表れている部分で気になります。作者の著書『ゲイ・カルチャーの未来へ』で何か書かれていないか読んでみたいところです。


作品のテーマ

全4巻で台詞も少ない漫画ではありますが、扱っているテーマは「同性愛」にとどまらず何本かの柱があるように思います。

それでも、これら全てが「家族」というテーマに収斂するのが素晴らしいです。

うちだけじゃない

世の中には父子家庭母子家庭も幾らでもある

お母さんがいないからかわいそう

片親だけでかわいそう

親がいないからかわいそう

そんな考え方には俺は絶対に与したくない

淋しがらせることはあるかもしれないけど

それでも俺は夏菜を幸せにしてみせるし

これが正しい家族の形だ

それ以外はかわいそうだ

そんなのって差別的だよ

(2巻8話)

同性愛という要素は含まれませんが、弥一が夏樹に向けて言ったこの台詞に作品のテーマすべてが表れているように思います。(なお、弥一が強く主張するもうひとつの場面は、担任との面談部分ですが、そこにも家族の形が表れていると思います)


そしてこの漫画のラストシーン。

リョージとの約束が果たせず、もう誰とも「ゼッタイの約束」は出来ないというマイクの言葉に呼応するように、夏菜と散歩をしながら弥一は語ります。

そうだ

先のことは判らない

いつか俺は夏菜と一緒にカナダへ行くかもしれない

涼二が永住を決意した国 涼二がマイクと共に生きることを選んだ国を見るために

行くかもしれない 行かないかもしれない

先のことは判らない


夏菜が大きくなって好きになる相手は

男の子かも知れない 女の子かも知れない

いつかマイクにも新しく大切な人が出来るかもしれない

俺と夏樹が二人で笑って会えなくなる

そんな日も来るかも知れない

先のことなんて誰にも判りはしない

でもそれでいい


俺はいつまで夏菜と手をつないで歩けるだろう

夏菜はいつまで俺と手をつないでくれるだろう

でもたとえそんな日が来ても今日こうして一緒に歩いたことは変わらない


涼二はもう帰ってこない

でも俺には弟がいた

そしてマイクと一緒にカナダで生きた

マイクがそれを教えてくれた

マイクと過ごした日々のこと

ずっと忘れない


一年後にマイクの両親と姉が弥一の家を訪れ後日談を描くドラマ版とは違って、未来への希望を最小限に抑え、現実に起きたことだけを幸せとして噛みしめる終わり方になっています。

テレビ版の終わり方は、ありきたりという以上に、「家族が増えれば幸せは増える」という価値観を提示するような形になっており、原作は、それを拒否したかったのだと思います。また、原作もドラマも弥一と夏樹の復縁を想像させるようなエピソードが多かったのですが、ラストで二人がよりを戻してしまうと、やはり、物語の提示する「家族」の形から外れてきます。

つまり「 正しい家族 」を主張しない、反対に言えば、どんな形でも受け入れる、そんな価値観が強く出ているラストなのかなと感じました。

ただし、原作者の田亀さんは、テレビ版のラストシーンは好意的に捉えているようです。

あのラストシーンは、有りだというか、希望が未来へ向かって広がっていくような感じがして、良いのではと思いました。

元々、漫画とドラマは言語が違うと言いますか、能動的に自分のペースで読み進められる漫画と、受動的で、ながら見もできるテレビとの違いがあると思います。漫画にある"間"を、説明で埋めたくないとも思っていました。ドラマにはドラマのロジックとかあるでしょうし。そういう意味では、どんな仕上がりになっているのか、楽しみですね。

NHKドラマ『弟の夫』原作・田亀源五郎さんに聞く


まとめ

扱うテーマとは無関係に、全4巻で終わる漫画として、最強レベルの完成度を誇る作品だと思います。そして、出来るだけ若いうちに多くの人が手に取った方がいい本という意味では、道徳の授業にぴったりではないかと思います。

教科化されて話題になることの多い「道徳」が、どのような問題を抱えているのかは不勉強でよく知りませんが、「道徳」が「家族」の問題を扱う科目であれば、必読書としてほしい一冊です。

とはいえ、そうはならないだろうから出来るだけ多くの知り合いに読んでもらうよう布教活動を続けたいと思います!


参考(過去日記)

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