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2018-05-13 Sun

[]少数民族と日本人写真家ヨシダナギ『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』

ヨシダ,裸でアフリカをゆく

ヨシダ,裸でアフリカをゆく

2009年11月、エチオピアを訪ねて以来、アフリカ16か国で少数民族を撮り続けた“裸の美人フォトグラファーヨシダナギの全記録。

「相手と同じ格好をすれば、ぜったい仲良くなれる」とずっと思っていたヨシダナギ。彼女が裸族の前で裸になると、いままでになかった歓迎の舞が始まった――。

そんな彼女が大好きなアフリカとぶつかったり、爆笑したり、泣きわめいたクレイジーな紀行が、豊富なビジュアルとともに描かれた一冊です。

全く知らなかったが、グレートジャーニーなどへのテレビ出演でも有名になった“裸の美人写真家ヨシダナギの初の紀行本。

ヨシダナギは 1986年生まれだというので、ちょうど一回り下になる。

2016年に発売された本だが、この中では、最初の旅として「エチオピア1―2009年11月→」(23歳)が、最後の旅として「タンザニア―2014年4月→」(28歳)が書かれており、エチオピア行きが、最初のアフリカへの旅となる。


後半こそ、彼女の特徴である「少数民族と同じ衣装(ほぼ裸のことが多い)になる」というシチュエーションが増えるが、彼女のやりたいことは恰好というよりは、大好きなアフリカに触れること、そこに住む人たちの笑顔を写真に収めることに向いている。

一方で、コミュニケーションについては、現地ガイドに頼らなければならない場合が多く、ガイドとのやり取りにも多くのページを割かれているが、それが面白い。特にマリとブルキファナソでガイドを務めたシセへの悪態がとても面白く、ここから知れるナギの人柄に引き込まれた。

特に好きなのは、不吉な夢を見て不安に思うナギを見て、シセの薦めで超有名な占い師に相談に行く場面。わざわざ遠いところを訪ねてシセが占い師に聞いたのはナギとの相性占いだったという顛末にナギは激怒。

その他、どの場面でもナギはシセに対して常に苛々しているのに、本として楽しい読み物になっているのは、文才があるからなのだろう。


アフリカ現地でのあれこれについては、トイレネタやゴキブリネタも強烈だが、ウガンダ図書館に行った際の話が興味深い。

その図書館は、日本人女性が貧しい町に住む子どもたちに少しでも学ぶ場を与えられたらとNPO法人を立ち上げ、つくったもので、ヨシダナギ図書館のお手伝いに行ったのだった。

しかし、子どもたちは、7歳くらいの年齢でも本を破る、食べる。

白い紙と色鉛筆を渡すと、破る、折る、持ち帰る。

折り鶴を渡しても破る、グシャグシャにする。

同じウガンダでは、仕事に対して不真面目な態度を取ったり、支援慣れをしている人たちを見て、しんどくなる心情も描かれる。


写真家として活動しているヨシダナギの本としては、写真の点数は少ないが、文章だけの面白さで圧倒的に読ませる本。

西武渋谷店で開催されていたヨシダナギ×NAKED「Sing-Sing!」は、ちょうど開催期間が5/13までということで行き逃してしまったが、写真集や著作を追いかけたい作家に出会えてよかった。そして、アフリカのことについてももっと色々と興味を持って知って行きたいと思った。

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2018-05-12 Sat

[]大好きな装丁、大好きなストーリー〜米代恭あげくの果てのカノン』(1)(2)

あげくの果てのカノン 1 (ビッグコミックス)

あげくの果てのカノン 1 (ビッグコミックス)

あげくの果てのカノン 2 (ビッグコミックス)

あげくの果てのカノン 2 (ビッグコミックス)

定期的に繰り返し読み、そのたびに好きになっていく『あげくの果てのカノン』。

5巻が6月12日に発売予定ということで、改めて読み直してみた。

特殊な装丁ではないが、この本ほど、電子ではなくモノとしての本として所持していることの満足感を覚えるコミックはない。

まずは、外側部分から何故この本がこんなに好きなのかを探っていきたい。


装丁

あげくの果てのカノン 1 (ビッグコミックス)あげくの果てのカノン 2 (ビッグコミックス)あげくの果てのカノン 3 (ビッグコミックス)あげくの果てのカノン(4) (ビッグコミックス)

4巻まで並べた装丁のワクワク感は、ここ数年でベストだと思う。

特に1〜3巻までのタイトル文字(背表紙は全体、表紙は「カノン」のみ)の蛍光色。この蛍光色が、廃墟と化した地上世界の背景に映えて心地よい。

さらに、よく見ると、題字は、一部が、主人公カノンの後ろ(背景と人物の間)に入っており、立体感の出る配置となっている。(さらに言えば、カバーを外した表紙はキャラクター不在の廃墟のみの絵となっている)

裏表紙に書かれたあらすじも、重要箇所はタイトルと同じ蛍光色で強調されており、しかもそこがポイントを外さない。1巻裏表紙の「でも、いけない」。2巻裏表紙の「罰を受けるべきは誰なのか」は作品のキモを抑えている。


調べてみると、装丁を手掛けているのは 川谷康久。

雑誌『MdN2017年12月号』 では、 「恋するブックカバーのつくり手、川谷康久の特集」 という特集記事が組まれているという。アオハライドの手書きロゴの作り込みなどもなかなか面白い。


そして何と言っても「帯」。識者による感想と惹句が洪水のように襲ってくる。

叶わなくても、諦められない。だって先輩「以上」が、この世界にいない。全員を不幸にするかのんの「一途な恋」に激しい共感の嵐。(1巻)

これは「恋」か「信仰」か…。純粋なようで、グロテスク。「一途な想い」の根源を問う、恋愛ピカレスク。(2巻)

世界の緊迫と、個人の「一途な想い」の切実さがはじけ飛ぶ、大注目、不倫SF第三集。(3巻)

強く、深く、重く、あなたへの想いは絶えることなく、世界を滅ぼす。(4巻)


そして、コメントを寄せている識者は以下の通り。

中でも志村貴子のコメントにはとても共感した。

1話目からずっと怖かった。

得体の知れない世界もかのんも先輩も。

頬を赤らめたり大粒の涙をだばだばとこぼしたり、かのんの中で爆発する感情がひたすら怖かった。

怖いと先が気になってしまうのでページを繰る手が止められない。

自分がこの世界の住人だったらどんな立場にいるんだろうと考えてまた怖くなった。

隠しておきたい感情を丸裸にされてしまった感じ...やめてやめてかのんやめてー!

かのんの行く末を指の隙間から覗く気持ちで読んでいます。

志村貴子

あげくの果てのカノン』が面白いのは、その怖さ故だと思う。

勿論、かのんの「爆発する感情」、それによって引き起こされる周囲との軋轢が怖いのはその通りなのだが、それを演出する「謎」の多い世界観も怖さを盛り上げる。

2巻の時点で、SLC(異界生物対策委員会)が相手にしている「ゼリー」が何なのかは、ほとんどスルーされているし、昔起きた「襲来」がどのようなものだったのかについても触れられない。地上世界と地下世界という「日常」についても隠すかのように曖昧にされたままで物語が進んでいく。

降り続く雨も怖さに拍車をかける。


食べ物

1巻の裏表紙で境宗介(先輩)がケーキを食べているが、食べ物描写に特徴がある作品だと思う。

志村貴子が「ずっと怖かった」というように、食べ物描写も怖い。

3話目でアップになる目玉焼きとハンバーガー。特に、かのんが押さえたせいで、口に入れる直前に先輩の手から零れ落ちてしまったハンバーガーの気持ち悪さは印象的だ。

フィッシュサンド(魚)しか食べられなかった先輩が、いつの間にか肉を好きになっていた、という「変化する嗜好」への嫌悪感が、少しリアルな絵の中に現れている。


また、第6話(2巻)のかのんがロッカールームで食べるケーキ。とても不味そうなケーキを口に入れながら、かのんは「罰」を味わっている。


そして、初穂が、「高月かのん」からの着信があった宗介のスマホを、味噌汁にそっと浸してしまう怖いシーン。

…だけどね、

勘違いしないで?

そんな一時の感情より、

「結婚」のほうがね、

ずうっと思いの。

わかってるわよね…?

(2巻p201)

どれをとっても負の感情とセットで登場する食べ物が印象的だ。


ストーリー

最後にストーリーについても触れる。


ストーリについては、読んだ誰もが1巻ラストのシーンについて言いたくなるだろう。

勿論自分もそうだ。

近年のストーリー漫画屈指の名シーンで、これを読まなければ始まらない。

しかし、その少し前のシーンにこそ、この漫画で何度も繰り返される「核」の部分がある。

境先輩の誘いを一度は断るかのん。ここで、自らに語りかける言葉は

「はい」って言ったら罰を受ける

でも、そのことを強く思った直後に、かのんは、自分の強い気持ちを裏切って先輩に告白する。1秒前に自分への説得と真逆の行動をとる、この異常な感じこそが、村田沙耶香が「 『恋』ほど無垢な異常はない」と評する、まさにその部分だと思う。


告白後に衝撃的な「罰」を受けた退院後から始まる2巻。

アルバイト先のケーキ屋に来た奥さん(初穂)から釘を刺された帰り道に先輩と再会し、二人っきりになる。ここでも、かのんの罪悪感⇔幸福感の往復に引き込まれる。

先輩が私を抱きしめている

けれどこの人には奥さんがいて

高校時代では絶対にありえなかった。

こうしていることは異常でおかしくて、

これ以上は許されない。(p41)

でも一歩先に行ってしまう。

神さまに触れるなんてことは、

あっちゃいけない

私はこの恋に「希望」を見てはならない。

なのに…(p59)

でも進んでしまう。

私はずるい。

たとえ今が「修繕」の一時的なものだったとしても、

それを幸運だと思っている。

私の「希望」は、

先輩の苦しみや、彼の妻を、

踏み台にして、

やっと「恋」になる。

こんな時に、

目を血走らせる私のほうが、

よっぽど化け物で、

ずっと望んでいたものは、こんなにも醜い。

(p68)

最後にも引用するが、村田沙耶香が2巻の帯に書いている、かのんの「純粋な発狂」こそが、この物語の最大の魅力だと思う。


そんな風にして、かのんを一人称にして進む物語は、一転して8話からそのほかの登場人物心理描写が増えていく。

  • 8話:ヒロの想い
  • 9話:再びかのん(先輩との喧嘩)
  • 10話:初穂の想い〜壊れた万年筆事件
  • 11話:かのん、初穂、ヒロ&かのん、初穂&宗介

そして、「この世界は残酷だ」で終わる2巻最終話(11話)は、かのん、宗介、初穂、ヒロの4人を映して終わる。「一途な想い」を抱いていたのは、かのんだけではなかった。駆け引きというよりは、「一途さ」ばかりが際立つ四角関係が1巻時点より、さらに物語に厚みを与えている。

ちなみに自分が最も応援したいのはヒロ。

かのんの「純粋な発狂」に始終、心を奪われつつ、4人の中で、最も届かない想いを抱えているヒロにこそ幸せになって欲しいとずっと思っている。

それにしても、村田沙耶香のコメントは素晴らし過ぎる。

読者は「私たち」ではない。「恋をする私たち」であり「発情している私たち」なのだ。

この漫画を読んでいると、「恋」を解剖している気持ちになる。

かのんは変わり続けていく先輩に、変わらない恋をしている。

その純粋な発狂は、恋をする私たちの極限の姿のようにも思える。

発情している私たちが残酷な化け物だとしたら、「恋」の根源には一体何があるのか。

震えながらも、その答えが知りたくて、この物語から目を離すことができない。

村田沙耶香2巻帯コメント)

参考

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2018-05-06 Sun

[]家族愛について考える傑作〜田亀源五郎『弟の夫』全4巻


ゴールデンウィークに都内を中心に「東京レインボープライド(TRP2018)」が開催されていました。これと合わせて、自分も何冊か関連本を読みましたが、中でも最も良かった『弟の夫』について文章を書いてみました。(東京レインボープライドについてはこちら


以前も書いたことなのですが、セクシャル・マイノリテについて、当事者でない自分の立場から考える考える上でいつも思い出すのは、以前読んだ『同性愛異性愛』の次の一節です。

「人の恋愛は自由だから、同性愛であっても認めるべきだと思う」とか、「同性愛者であっても差別されてはならない」という意見が大半を占めるようになってきた(略)

しかし、同性愛異性愛となんら変わらずにとらえようとする、こうしたまなざしや肯定的な見方は、家族における同性愛者の存在の可能性について触れた途端にもろくも崩れ去ってしまうことになる。

つまり、「他人事」として同性愛について優等生的な回答をしていた人たちは、 家族に同性愛者がいたら?という質問に対しては、途端に「同性愛反対派」に回ってしまうという指摘です。

子を持つ親として、子どもからカミングアウトされる可能性があること、また、勿論、知人・友人からカミングアウトされる可能性も考えれば、当事者でないことは、この問題と無関係であることを意味せず、いつだって、「自分が関わる問題」になることに改めて気づかされます。


このように「自分の問題」として、このテーマを考える場合に、知識というよりマインドの問題として、読んでおくべき本としてぴったりなのが『弟の夫』だと思います。(勿論、ゲイやレズビアをはじめとするセクシャルマイノリティに関する知識は蓄えておく必要があると思います)


この漫画は全4巻で、今年NHK-BSでドラマ化され、連休中に地上波で再放送されたことが話題になりました。あらすじは以下の通りです。

同性婚をテーマに、一般社会のなかでのゲイを描いた作品。弥一(やいち)と夏菜(かな)、父娘2人暮らしの家に、マイクと名乗る男がカナダからやって来た。彼は、弥一の双子の弟・涼二(りょうじ)の結婚相手だった。涼二はカナダでマイクと同性婚をし、その後亡くなったのだった。「パパに双子の弟がいたの?」「男同士で結婚ってできるの?」と幼い夏菜は、突如現われたカナダ人の“おじさん”マイクに大興奮、たちまち意気投合し仲良しになる。一方の弥一は、しばらく日本に滞在することになったマイクと一緒に暮らすうちに、自身のなかにあった偏見に気づいていく。そして、成長とともに自然と距離ができてしまった亡き弟・涼二への想いを深めていくことになる。

メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞作の紹介部分より引用)


我が家では、中2の息子と小5の娘に読ませましたが、二人とも面白く感じたようで、特に娘の方は繰り返し読んでいました。その意味で、小学生から大人まで誰にでもおススメできる漫画だと思います。(なお、ドラマ版は、ほぼすべてのキャラクターが原作のイメージを壊さず、オリジナルエピソードもほとんどなく原作に忠実な内容で、漫画版同様、とてもよく出来ている作品です。)


以下に、この漫画の素晴らしい点を4点に分けて考えてみました。


弥一の成長の描き方

繰り返しますが、『弟の夫』は、ストレートである主人公・弥一が、ゲイであるマイクと3週間を過ごしながら、ゲイへの偏見やわだかまりをなくしていく物語です。

おそらく、作者自身の経験上(ゲイの側の視点)から誤解の生まれやすいポイントに絞って物語が構成されているのだと思いますが、それぞれのポイントにおいて、弥一の成長が分かりやすく描かれています。


1巻(1話〜6話)では、「同性愛者に対して、性的の一面を意識し過ぎること」が扱われています。

マイクが初めて家に来た晩に、夏菜(小3の娘)に「毛がモジャモジャ」な上半身を触らせていたことに激怒したこと、また、翌朝に、涼二が子供のころの遊び場の案内をお願いされて断ってしまったこと(二人の性的な関係を想像してしまうからどうしてもマイクと涼二をセットで考えたくなかったため)は、その典型です。

こういった偏見は、夏菜の無邪気な質問に対するマイクの回答を聞いて無くなって行きます。

  • 夏菜「マイクとリョージさん、どっちが旦那さんで、どっちが奥さんだったの?」
  • マイク「私のハズバンドがリョージ、リョージのハズバンドが私」

知識として納得するという以上に、マイクと生活する中で自然と理解して行ったのです。


そして4巻を通じての弥一本人が自覚する一番の変化は、マイクのことを「弟の夫」であると説明できるようになったということです。

1巻で散歩中に会った知人に、マイクのことを「弟の友人」と紹介してしまったことに違和感を覚えた弥一は、カトやんにはちゃんと説明しようとしていたにもかかわらず、「涼くんの…アレでしょ」とカトやんに先に言われてしまいます (3巻) 。が、3度目の正直ということで、夏菜担任の先生との面談の中では、やっと「弟の夫」であることを胸を張って言えるようになります(4巻)。

この部分は、 コラム「マイクのゲイカルチャー講座」も合わせて読むと 、アウティングなど微妙な問題も含んだ部分ですが、弥一のマインドの問題として一歩ハードルを越えたことが明確に分かるエピソードになっています。


そして個人的には何と言ってもマイクと別れるシーン(4巻)で弥一が「さよならのハグ、していいかな」というシーンに大感動でした。

日本ではそんな習慣はないから…と言って、夏菜とでさえも恥ずかしがってしなかったハグを、弥一が自ら言い出したのです。

『弟の夫』は、ゲイだけでなく、外国人と日本というテーマも何度か触れられています。

ほぼ全エピソードを扱っていると思われるドラマ版でカットされていた、夏菜が水泳教室に行くシーン。ここでは、タトゥーを入れている外国人が利用できない施設が日本に多いことを、マイクと弥一は夏菜に説明できずに悩んでしまいますが、これはセクシャリティとは無関係で、日本の特殊な文化の問題です。

その意味で、ラストのハグは、セクシャリティだけでなく、文化的な壁を乗り越えた人と人との触れ合いが描かれており、弥一の人間的成長が、言葉ではなく態度として一番伝わってくる場面だと思います。


説明の仕方が秀逸

この作品は、ストーリーだけではなく、漫画としてもとても優れていると思います。

一番のポイントは、言葉による説明が最小限に抑えられているということです。

作者として伝えたいことが沢山ある漫画のはずですが、登場人物の台詞や言葉による心情描写は最小限に抑えられています。また、以下のシーンでは、そこで「起きたこと」そのものも省略しており、そこを敢えて描いてしまったドラマ版は無粋に見えました。

  • 酔っぱらって帰ってきたマイクが自分に抱きついて悲しむのを見て、涼二の死に初めて涙するシーン。(涙は描かず、月が二重に映ることでそれを示する)(1巻6話)
  • 久しぶりに夫婦が揃った翌日、夏菜を学校に送り出した後、二人で散歩に出たときに「どっかで休憩していこうか」と 夏樹に誘われるシーン。(ドラマ版ではその後のホテルの様子まで描かれたけど不要では…)(2巻9話)

その他、3、4ページくらい平気で台詞なしのコマが続く場面も多々ありますが、そこが無駄な場面というわけでは決してなく、ドラマでもかなり忠実に、その台詞・無言をマンガに寄せていたように思います。


なお、ゲイについての基礎知識については、物語とは切り分けてコラムとして書かれていますが、これが「マイクのゲイカルチャー講座」とされているのもとても良いと思います。

たとえば、『3月のライオン』の将棋コラムは先崎学九段が書かれており、作中には出てこない専門家がコラム作者であるため、作品とは切り離されています。

しかし、『弟の夫』ではマイクが書いていることで、物語と地続きでゲイカルチャーに触れることができます。コラムのタイトルは以下の通りです。物語がクライマックスを迎える4巻では、進行の邪魔になるためなのか存在せず、1〜3巻に収録されています。

  1. 同性婚
  2. ピンク・トライアングル
  3. レインボーフラッグ
  4. その他のプライド・フラッグ
  5. カミングアウト
  6. プライド・パレード
  7. ゲイ・プライド

弥一の獲得する視点(キャラクターの配置)

そして漫画としてのもう一つの上手さは、キャラクターの配置とその意味付けにあると思います。

『弟の夫』では、すべてのキャラクターが基本的には、主人公弥一が色々な視点で物を見る(視野を広げる)ために配置されているように思うのです。

勿論一番大きいのは夏菜です。

最初にマイクを家に泊めることになったのも、夏菜の発案でしたし、4人で温泉旅行に行くことになったのも言い出しっぺは夏菜でした。夏菜の「偏見のない」視線に触れることで、弥一は、自身の「偏見」に気がついて行くという構図です。


中学生の一哉君が、マイクに話をしに来る エピソードは特に好きです。(13話、14話)

この話では、弥一は、色々な立場の人の思考を辿りながら カミングアウトについて考えます。

まず、一哉君から直接聞いた話で、カミングアウトをする側の人の悩みを知ることになります。また、マイクからも同様の話を聞き、弟・涼二が自分にカミングアウトしたときもそうだったであろうことに思い至ります。つまり、一哉君とマイクの視点を得ることで、弥一は涼二の気持ちを初めて想像することができたのです。

一方、カミングアウトされた側についても同様です。まず、カミングアウトを受け入れてくれたマイクの両親だけでなく、受け入れられない人たちについても描かれています。さらに、夏菜(小3の娘)が女性の恋人を連れて来たときのことを夢に見ることによって、弥一は、カミングアウトされた親の気持ちをリアルに想像することになります。ここでは「自分は絶対に受け入れる」と決心するだけにとどまらず、受け入れなかった場合についても、今度はカミングアウトする側にたって想像を巡らせます。

同性愛者が子供に悪影響だと考えるような大人の

その子供が同性愛者だったとしたら

その子が親にカミングアウトしたら

自分にとって最も身近な人が

自分のことを良く思わない

人生で出会う最初の敵になるかもしれない

(3巻15話)

温泉旅行に行ってもこの話題は引きずり、離婚した夏樹(夏菜の母親)とも話をし、「好きになった相手が男の子でも女の子でもいい」という夏樹に対して、こう言います。

そうなんだけどさ…親としてはさァ

子供には出来るだけ苦労して欲しくないじゃない

やっぱ普通に育って欲しい…とか

つい…考えちゃって…

(3巻17話)

この発言は、夏樹に「苦労するかもと思うのは差別ではないか」とたしなめられるのですが、それだけ弥一が、娘からのカミングアウトという架空のシチュエーションに対して真面目に考えていることが分かります。


そんな弥一から「見えない」キャラクターが一人だけいます。

それが3巻で登場する「カトやん」です。

カトやんは、誰に対してもカミングアウトする気はありません。

物語の中では、カミングアウトをする人としない人がいることの事例として出されているカトやんですが、カトやんが弥一の家に来る回(第19話)のタイトルが、(カトやんが手土産に持ってきた)「焼き菓子詰め合わせ」となっているのは、弥一に見せた「よそ行きの顔」を象徴するアイテムだからなのでしょう。

なお、こういったテーマについて、どちらかの立場に与することないのが『弟の夫』の特徴であり、主張の一部だと思うのですが、ここでは珍しくカトやんの生き方に対しては否定的に見えます。マイクの目から見ると、ゲイの人といるときだけ「素の自分」を出せるカトやんは幸せそうに見えないのです。

例えば「オタク趣味」をオープンにするかしないか、という似た状況は誰にでもあり、そこから考えても選択は人それぞれだと思うのですが、出来るだけ「よそ行きの顔」を減らしたい作者の主張が強く表れている部分で気になります。作者の著書『ゲイ・カルチャーの未来へ』で何か書かれていないか読んでみたいところです。


作品のテーマ

全4巻で台詞も少ない漫画ではありますが、扱っているテーマは「同性愛」にとどまらず何本かの柱があるように思います。

それでも、これら全てが「家族」というテーマに収斂するのが素晴らしいです。

うちだけじゃない

世の中には父子家庭母子家庭も幾らでもある

お母さんがいないからかわいそう

片親だけでかわいそう

親がいないからかわいそう

そんな考え方には俺は絶対に与したくない

淋しがらせることはあるかもしれないけど

それでも俺は夏菜を幸せにしてみせるし

これが正しい家族の形だ

それ以外はかわいそうだ

そんなのって差別的だよ

(2巻8話)

同性愛という要素は含まれませんが、弥一が夏樹に向けて言ったこの台詞に作品のテーマすべてが表れているように思います。(なお、弥一が強く主張するもうひとつの場面は、担任との面談部分ですが、そこにも家族の形が表れていると思います)


そしてこの漫画のラストシーン。

リョージとの約束が果たせず、もう誰とも「ゼッタイの約束」は出来ないというマイクの言葉に呼応するように、夏菜と散歩をしながら弥一は語ります。

そうだ

先のことは判らない

いつか俺は夏菜と一緒にカナダへ行くかもしれない

涼二が永住を決意した国 涼二がマイクと共に生きることを選んだ国を見るために

行くかもしれない 行かないかもしれない

先のことは判らない


夏菜が大きくなって好きになる相手は

男の子かも知れない 女の子かも知れない

いつかマイクにも新しく大切な人が出来るかもしれない

俺と夏樹が二人で笑って会えなくなる

そんな日も来るかも知れない

先のことなんて誰にも判りはしない

でもそれでいい


俺はいつまで夏菜と手をつないで歩けるだろう

夏菜はいつまで俺と手をつないでくれるだろう

でもたとえそんな日が来ても今日こうして一緒に歩いたことは変わらない


涼二はもう帰ってこない

でも俺には弟がいた

そしてマイクと一緒にカナダで生きた

マイクがそれを教えてくれた

マイクと過ごした日々のこと

ずっと忘れない


一年後にマイクの両親と姉が弥一の家を訪れ後日談を描くドラマ版とは違って、未来への希望を最小限に抑え、現実に起きたことだけを幸せとして噛みしめる終わり方になっています。

テレビ版の終わり方は、ありきたりという以上に、「家族が増えれば幸せは増える」という価値観を提示するような形になっており、原作は、それを拒否したかったのだと思います。また、原作もドラマも弥一と夏樹の復縁を想像させるようなエピソードが多かったのですが、ラストで二人がよりを戻してしまうと、やはり、物語の提示する「家族」の形から外れてきます。

つまり「 正しい家族 」を主張しない、反対に言えば、どんな形でも受け入れる、そんな価値観が強く出ているラストなのかなと感じました。

ただし、原作者の田亀さんは、テレビ版のラストシーンは好意的に捉えているようです。

あのラストシーンは、有りだというか、希望が未来へ向かって広がっていくような感じがして、良いのではと思いました。

元々、漫画とドラマは言語が違うと言いますか、能動的に自分のペースで読み進められる漫画と、受動的で、ながら見もできるテレビとの違いがあると思います。漫画にある"間"を、説明で埋めたくないとも思っていました。ドラマにはドラマのロジックとかあるでしょうし。そういう意味では、どんな仕上がりになっているのか、楽しみですね。

NHKドラマ『弟の夫』原作・田亀源五郎さんに聞く


まとめ

扱うテーマとは無関係に、全4巻で終わる漫画として、最強レベルの完成度を誇る作品だと思います。そして、出来るだけ若いうちに多くの人が手に取った方がいい本という意味では、道徳の授業にぴったりではないかと思います。

教科化されて話題になることの多い「道徳」が、どのような問題を抱えているのかは不勉強でよく知りませんが、「道徳」が「家族」の問題を扱う科目であれば、必読書としてほしい一冊です。

とはいえ、そうはならないだろうから出来るだけ多くの知り合いに読んでもらうよう布教活動を続けたいと思います!


参考(過去日記)

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2018-03-21 Wed

[]字は人を表す、のか?〜新保信長『字が汚い!』

字が汚い!

字が汚い!


新保信長(南信長)さんは朝日新聞の漫画評で名前だけは知っていました。2年前くらいに、自分の書いた『 レタスバーガープリーズ.OKOK!』の書評Twitterでリンクして頂き(そのときに 松田奈緒子さんの旦那さんであることも知りました)、それ以来、朝日新聞の漫画表も、それまで以上に勝手に親しみを感じて読んでいます。

ただ、この本を選んだ理由はそこではありません。最初はタイトルと、背中の西原理恵子のイラストに惹かれて手に取り、しばらくしてから作者が新保信長=南信長さんであることに気が付いたのでした。


読み終えてみると、自分がこれまで「手書き文字」について真面目に考えてこなかったこともあり、色々な部分で刺激を受けました。

ポイントは大きく2つあります。


表紙には、「汚い」字が沢山書かれていますが、その中に

練習すれば字はうまくなるのか?」

「そうだ、ペン字教室 行こう!」

と書かれている 通りの内容が 、前半は繰り広げられます。


新保さんは、字がうまくなることを目指して、色んな本を試したり、字の上手い人・下手な人にも聞いたりするわけですが、そもそも「目指すところ」は何なのか、という根本的な問いを持ちながらスタートしているところがポイントです。

自分は、書き文字にコンプレックスを持ったりはしていないのですが、漠然と「もっときれいな字を」と常々思っています。新保さんの問いは、自分の「もっときれい」と直結していて、この部分に共感して読むことができました。

(逆に、「目指すところ」を掴んでいる人で、しかも、そこに達しているような人が読んだらちっとも共感できず面白くない本と感じるかもしれません)


そして、もう一つのポイントは、本書の中で色々な人の書き文字を見る機会を得られる、ということです。読者は、この文字はOK、この文字はNGと考えながら字を眺めて行きます。

特に、「これは目指すところじゃない」代表として登場する面々。

このあたりはオーソドックスな「下手」の部類に入ると思います。

しかし、「悪筆という点で右に出る者はいない」と評される石原慎太郎の、一見うまそうに見えて、何を書いているのか全くわからない字は、なかなかの衝撃です。(原稿用紙の右余白にすべての文字に編集者がそこに書かれている字を併記しています)

そして、その直後に紹介される中上健次の字には、「怖さ」を感じます。

(新保さん評は「今田勇子」の字に似ている…。「中上健次 原稿」で検索すると確認できます。)


そんな中で、最終章で、新保さんが辿り着いた「いい感じの字」。

例として挙げられている寄藤文平沢野ひとしヨシタケシンスケの字は確かに魅力的。

しかし、新保さんは、自分の目指すのは「いい感じの字」だけでなく「大人っぽい」ことが重要として、荒木経惟アラーキー)の字を挙げています。自分の理想とする字が見つけられたのは嬉しいことですが、これは自分は同意できませんでした。(笑)

自分自身の力で見つけようということですね。


その他、美文字本で示されるメソッドを一通り知ることが出来たり、パソコンではなく手書きで文字を書く意味を問い直すことが出来たり、そして、綺麗な字を書くためのペン選びなど、実用的な意味でも興味深い内容が沢山ありました。

また、「ゲバ字」や「丸文字」、「変体少女文字」から「長体ヘタウマ文字」への変遷や海外での書き文字の扱いなど、蘊蓄も楽しく、ややまとまらない感もありますが、色んな人にオススメしたい一冊となりました。

と、ともに、自分も「いい感じの字」を見つけて、少し字を書く機会を増やしたいと思いました。


参考

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2018-02-18 Sun

[]映像化を強く希望〜梨木香歩『家守綺譚』

家守綺譚 (新潮文庫)

家守綺譚 (新潮文庫)


これは、意表を突かれた。


そもそも梨木香歩作品に対しては、自分が頭に描く漠然としたイメージがあって、これまで読んできた本には、それが当て嵌まってきた。

さて、以前も同様のことを書いたが、これまで読んだ梨木香歩の作品には共通点がある。

  1. 主人公は、現代的な生活(両親の生活)に違和感や漠然とした不安を持っている少女。
  2. 主人公の両親など現役世代は物語にはほとんど登場しない。むしろ一方的に批判される立場。
  3. 引退世代(おもに祖母)が、これから生きていくことについての重要なアドバイスを授ける。

(略)

というように、部分部分で、ばっちりツボに嵌る作家ではないけれども、「(おばあちゃんの)名言に出会いたかったら梨木香歩」という個人的評価は確立してきた。

人形の使命って何?〜梨木香歩『りかさん』


というように、自分は、説教を聞きたくて梨木香歩を読むようなところがあったのだが、今回、全く説教臭くない。いつも鼻について仕方のなかった「ロハス」的空気も少ない。

それは、舞台が現代でないこととも関係しているのかもしれない。また、連作短編という形式にも由来しているのかもしれない。

『家守綺譚』は、まさに「奇譚」で、明治時代の日本を舞台に、人里離れた湖畔で暮らす主人公が様々な怪異に出逢う話だ。しかし、解説でも書かれているように、登場人物は「怪異」を「悠然と」受け流す。これが、この作品の特徴でもあり、魅力だ。

この文庫解説がとても上手くまとまっているので、一番好きなシーンの紹介も兼ねて吉田伸子さんの文を引用する。

主人公の綿貫征四郎は、大卒学士であり、駆け出しの物書きである。物語はその征四郎が早世した学友・高堂の実家に「家守」(いえもり)として住まうところから始まる。

ある日、その家の床の間の掛け軸の中から、高堂がボートを漕いで此方にやって来る(彼はボート部に所属していた。ある湖でボートを漕いでいる最中に行方不明となったのだ)。不意に表れた高堂に、征四郎は思わず声をかけるのだ。「どうした高堂」と。「逝ってしまったのではなかったのか」と(この「どうした高堂」のくだりは、何度読んでもくすりと可笑しい)。高堂も高堂で「雨に紛れて漕いできたのだ」と泰然と答える。(略)

物語は一事が万事、このような調子で悠然と進んでいく。征四郎が拾った得体の知れないものが、実は陸にあがった河童であったり、その河童を征四郎の飼い犬のゴローが滝壺まで送り届けたり、ゴローはゴローで、それが縁で河童と親しくなったり、と、此方と彼方がある時は重なり、ある時は交差して、たゆたうように流れていく。

四季折々の植物があり、風があり、雨があり、折々にささやかな怪異…白木蓮タツノオトシゴを孕む、信心深い狸の恩返し、小鬼との遭遇、等々…がある。その真ん中に征四郎はいる。「分かっていないことは分かっている」ことを、「理解はできないが受け容れる」ことを、ごく当たり前のことのように身の内に持っている征四郎がいるのだ。


素晴らしい。あらすじの説明として、ほとんど完璧な紹介文だと思う。

四季折々の植物」「ささやかな怪異」、「その真ん中に征四郎はいる」のだ。

時間が止まったような、かといって超然とし過ぎず、生活費のことについても悩み、人間的成長を前向きに望む征四郎は、これまでに読んだ梨木香歩の小説の主人公たちよりも大人なのかもしれない。隣のおかみさんは色々とアドバイスをくれるのだが、征四郎には、梨木小説特有の「おばあちゃん」は不要で、何やら自らジャッジして前に進む。

この小説の中では、歴史や伝統、自然の素晴らしさの「押しつけ」は全くなく、ただひたすらに自然が、景色がそこにあるのだ。

そこが心地よい。


縁側で釣りができる。

わかるようなわからないような、この小説内世界ならではの風景は『崖の上のポニョ』の洪水後の世界に近いのかもしれない。

これこそ、アニメなどの映像作品として観ていたい…と書いていて、この本を読んだきっかけを思い出した。たしか、ビブリオバトルで紹介もしくは、梨木香歩を紹介したバトラー仲間から教えてもらったというのが一つなのだが、直接のきっかけは、サンキュータツオさんがやっているpodcast『熱量と文字数』で、アニメ化して欲しい小説として挙げられていたのだった。聞き返すと、BLの空気のある作品ということでリスナーが挙げたものだったが、このリスナーの目の付け所は素晴らしい。(2017/2/16 回)

調べてみると、NHKラジオの「青春アドベンチャー」枠で、2005年にラジオドラマ化されていることがわかったが、映像化はやはりまだ。

文庫表紙の物言いそうな雀もとても良い味をだしているが、紙芝居的なものでもいいので、やはり映像で観てみたい。

小説の方は、関連作品と続編があるということで、こちらも読んでみよう。

冬虫夏草 (新潮文庫)

冬虫夏草 (新潮文庫)


参考

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