Hatena::ブログ(Diary)

Yondaful Days! このページをアンテナに追加

2018-08-04 Sat

[][]まさに「今でしょ!」〜梅津有希子『高校野球を100倍楽しむ ブラバン甲子園大研究』&『ブラバン甲子園V』

今回は、高校野球開幕の前日8/4に行われたビブリオバトルの原稿*1をそのままアップします。

本当は色々と追加したい部分もありますが、キリがないので、最小限で…。



発表部分(5分で説明する部分〜無理かな…)

今回、新企画の「【&】ビブリオバトル*2というのを聞いたときにすぐに思いついた本があったので、ずっとそれで行くつもりだったのですが、先日、ビブリオ仲間の方から、「【&】に出るんですか?やっぱり音楽と合わせるんでしょ」と言われて、ああそうか、と。自分には音楽があったじゃないか!と思って、一気に本を変えることにしました。

実は、元々用意していたのは、サッカー本で、ワールドカップ観戦と合わせて紹介しようと思っていたのですが、よく考えたら、もうずいぶん昔にワールドカップは終わっているし、自分は熱心なスポーツファンではないので、変えて良かったと思います。

今回、曲をかけながら本紹介という試してみたかったスタイルに挑戦するいい機会ということで、まずは曲の方をかけます。

(「栄冠は君に輝く」をかける)


さあ、明日から開幕する第100回全国高等学校野球選手権記念大会 いわゆる甲子園に向けて今日紹介する本は先月発売されたばかりのこちらです。


そして、合わせて紹介するCDはこちらです。

ブラバン!甲子園 V

ブラバン!甲子園 V


まず、この本は梅津さんの思いの詰まった序文を読んで欲しいです。

ここには、作者の梅津さんがブラバン応援にハマった理由が説明されています。

梅津さんはスポーツ全般に興味がなかったのですが、中高と吹奏楽部に所属していた経験を生かして、吹奏楽部女子と高校野球選手との恋愛を描いた少女漫画青空エール』の監修を務めます。そこから取材甲子園に行ってみて、意外にも演奏が上手いことやその熱心さに感動し、野球応援にドはまりしたというわけです。


本の中には応援曲の蘊蓄が色々と紹介されているのですが、基本的に、学校名とセットで紹介されているのが大きなポイントです。

(「ファンファーレ天理/速尺版)」をかける)

たとえばこの曲。これは天理高校オリジナル楽曲で「ファンファーレ」と呼ばれているものです。これだけでなく強豪校は、オリジナル曲を持っているところが多く、オリジナルでなくても、カッコいい曲は他校が真似して広まる、という流れがあるようです。

(「アフリカン・シンフォニー」をかける)

この定番曲アフリカンシンフォニーも、元はディスコの曲ですが、智辯和歌山が広めた曲なので「チベン」と呼ばれることも多いとのこと。また地方によって呼び名が異なるということも書かれています。


というように蘊蓄を言いはじめると止まらないので、これくらいにしておきますが、この本は魅力はそこではなりません。

自分の考える、この本の一番の魅力は、読むと吹奏楽部に興味が湧いてくるということです。

というのも、作者は、吹奏楽部甲子園である普門館に何度も出たことのあるような強豪校出身の人で、もともと野球にあまり興味がない。そこが大きな特徴で、高校野球が大好きな人が書いたらこんな風には書けません。


たとえば、試合の流れを変えるような応援曲があります。有名なのが智辯和歌山の「ジョックロック」という曲で「魔曲」と呼ばれています。

これまで智辯和歌山の数々の逆転劇のきっかけを与えているということで、高校野球ファンが紹介しようとすれば、たとえば2006年帝京戦の奇跡の逆転のくだりを詳しく説明するはずなのですが、この本ではそこにはほとんど触れずにサラッと流します。

その分、秋のコンクール予選と野球応援が重なった場合の吹奏楽部の対応とか、野球応援で使われる楽器の説明とか、前日の移動での楽器の運搬や、雨に備えた楽器の扱い、についてページが割かれ、インタビューは吹奏楽部顧問に取るなど徹底しています。

つまり、高校野球というスポーツの添え物としての野球応援ではなくて、吹奏楽部が主人公の高校野球が描かれる。ここが一番面白い部分です。


もう一つ付け加えたいポイントは、情報の新しさです。

(「SHOW TIME」をかける)

まず併せて紹介するCD『ブラバン甲子園5』は梅津さんが監修を務めていて2017年発売で最近の曲を押さえています。

そして何より、Amazonプライム会員は無料で聴けるアルバムであることもオススメする点です。


そしてこの本。

もともと2016年発売の本が文庫化されるにあたって大幅に加筆されていて、2018年春大会の話まで出てくるので、まさに最新の情報です。

本の中で紹介されている最新の流行応援曲も、このアルバムで聴けます。

今かかっているのは、湘南乃風の『SHOW TIME』で最近の曲ですが、自分が気になったのはアゲアゲホイホイです。元は古くからあるサンバ・デ・ジャネイロという曲なんですが、バージョン違いというか掛け声が違う。

アゲアゲホイホイに流されずに、以前からの応援を続ける智辯和歌山のサンバ・デ・ジャネイロと合わせて楽しみたい曲です。

ということで、明日から始まる甲子園が楽しみで仕方なくなるこの本。出来るだけ早くお読みください。



補足(質問で来てほしいネタ)

「〜の文化史」等の歴史を読み解くタイプの本にほとんど興味のない自分も、野球応援黎明期早慶の話にはグッと来ました。まず早稲田1959年作曲の天理ファンファーレをイメージして作った今やド定番曲の「コンバットマーチ」を作り、1965年に発表し優勝。それに対抗して慶応が、翌年に、こちらもド定番曲の「ダッシュKEIO」を作り、勝ち始める。

この流れが、ビートルズの『ラバー・ソウル』に影響を受けて、ビーチ・ボーイズが『ペットサウンズ』を作った流れと重なります。と思って調べると『ラバー・ソウル』が1965年、『ペットサウンズ』が1966年ということで、ちょっと驚きました。

こういう野球応援の歴史の流れとして「アゲアゲホイホイ」や、上では取り上げなかった「ダイナミック琉球」を今自分は見ているのだと思うと、さらに高校野球を見るのが楽しみになります。


関連リンク

100回記念大会の注目応援(だけじゃないですが)について、梅津さんが朝日新聞スポーツ部・山下弘展記者と対談されています。大会の見どころが分かる素晴らしい対談です!

*1ビブリオバトルでは、原稿読み上げタイプの発表は、基本的に推奨されませんがが、話す内容を整理するために原稿を作るタイプの人とそうでないタイプの人がいます。自分は、基本的にはラフ原稿を用意して記憶して臨むタイプです。

*2:ビブリオエイトさん考案の本と「何か」を組み合わせて紹介するビブリオバトル企画

2018-06-09 Sat

[]Q女子高と東電OLとマルチ1人称〜桐野夏生『グロテスク』

グロテスク〈上〉 (文春文庫)

グロテスク〈上〉 (文春文庫)

グロテスク〈下〉 (文春文庫)

グロテスク〈下〉 (文春文庫)

名門女子高に渦巻く女子高生たちの悪意と欺瞞。「ここは嫌らしいほどの階級社会なのよ」。

「わたし」とユリコは日本人の母とスイス人の父の間に生まれた。母に似た凡庸な容姿の「わたし」に比べ、完璧な美少女の妹のユリコ。家族を嫌う「わたし」は受験しQ女子高に入り、そこで佐藤和恵たち級友と、一見平穏な日々を送っていた。ところが両親と共にスイスに行ったユリコが、母の自殺により「帰国子女」として学園に転校してくる。悪魔的な美貌を持つニンフォマニアのユリコ、競争心をむき出しにし、孤立する途中入学組の和恵。「わたし」は二人を激しく憎み、陥れようとする。

圧倒的な筆致で現代女性の生を描ききった、桐野文学金字塔


桐野夏生『柔らかな頬』を読んだ直後にこの本を読んだ。

『柔らかな頬』では、女性主人公の娘(幼児)が行方不明になるが、娘を失った喪失感が書き込まれる一方で、あまり作中には登場しない、行方不明の娘の妹が、愛情を向けられずに、不憫さを感じてしまった。

だからこそ、読み始めたときは、主人公の視点から妹と母親について語られる『グロテスク』では、『柔らかな頬』の「妹」の視点から家族関係が改めて語られているような気がした。


ところで、この小説は、上巻の裏表紙のあらすじ(上述)を見て、女子高生の物語だとばかり思いこんでいたが、実は、東電OL殺人事件を土台に構成された物語だということを後から知った。

読み終えての感想だが、実際の事件だからこそ、桐野夏生の「イタコ文体がとても効果的だと思った。

これまで何作か読んでいた桐野夏生だが、あまり連続で読むことはなかった。

今回連続して読んでみると、この人の特徴が、テーマ選び以上に、その文体にあると感じた。つまり、複数の1人称視点(マルチ1人称)で物語が描かれるということ。

『柔らかな頬』も桐野夏生特有のマルチ1人称視点が有効に機能する物語だった。

あの物語は主人公カスミの視点だけでも成り立つ物語だった。最初に「おっ」と思ったのは、不倫相手である石山の視点が含まれること。しかし1人称だからといって、石山は共感すべき、もしくは同情すべき人間として描かれていない。下巻では、ダンディさがなくなりパンチパーマのヒモと化した石山から興味を失うし、読み手からしても、1人称で描かれていることで、その行動原理は理解できても、別に応援したくなるキャラクターではない。

つまり、 「1人称」 によって、読者はシンパシーを感じるのではなく、テーマパークのライドに乗るような形で、読者は複数の登場人物の中に乗り込むことになるのだ。

男に、女に、少女に、母に、様々なキャラクターの心情をイタコのように書き綴った「マルチ1人称」文体、それが桐野夏生の一番の特徴であるように思う。


今回は、『グロテスク』では、それが「手記」の形を取り、それぞれの中で登場人物同士が互いを蔑んでいることで、通常の「マルチ一人称」のケース以上に、主人公を含む全員に対して「信頼できない語り手」感が強くなる。

このこと、実際の『東電OL殺人事件』を扱っているということと、強くマッチしているように思う。

桐野夏生の事件に対するスタンスは、語り手の「わたし」の冒頭の言葉に現れている。

でも、どうしてなんですか。前にも伺いましたが、あの事件の何がそれだけあなた方の興味を惹くのでしょう、わたしにはわかりかねます。犯人とされる男が密入国者の中国人だからですか。チャンといいましたっけ。チャンが冤罪だという噂があるからですか。

和恵とユリコとあの男の、三者三様の心の闇があるとおっしゃるんですか。あるわけないじゃないですか。わたしは、和恵もユリコもあの仕事を愉しんでいたと確信しています。そして、あの男もね。いいえ、殺人を愉しんだという意味ではございません。だって、あの男が殺人犯かどうかなんて、わたしは知りませんもの。知りたくもありません。

p86

つまり、この小説自体が、事件の加害者・被害者の「心の闇」に迫るために書かれたわけではない。

一方で、事件と無関係な登場人物にも全く共感できない。語り手の「わたし」は明らかに性格に難ありだし、高校時代は学年トップの成績を修めていたもう一人の主要登場人物で、Q女子高出身者のミツルは、ある宗教団体に入信して幹部に登り詰め、その宗教団体がテロを起こして6年間服役していたという波乱の人生で、共感は難しい。

他人の心の奥底は分からない。誰が嘘をついているかも分からない。

しかし、人それぞれに、それぞれの行動原理で行動して、その中で時に犯罪が起きる。


ということで、この物語は、主要登場人物であるQ女子高出身の4人+チャン(5章の語り手)の5人それぞれの「理屈」を知る、そこに面白さを感じるという意味では、未知の動物の生態を知る「わくわく動物ランド」的な物語であるともいえるかもしれない。

しかし、それらが相当特殊であるにもかかわらず、それぞれの登場人物の行動原理の「種」の部分は誰もが持っていると「感じさせる」。

そここそが桐野夏生の「マルチ1人称」の描写がいかに真に迫っているか、実在感で溢れているか、を示す部分だと思う。

ラストで、主要登場人物の中では一番「真っ当」な生き方を辿っていた「わたし」は、ユリコや佐藤和恵と同じく「怪物」の道を選ぶことになる。この部分は、あらすじだけ聞けば、陳腐に思えてしまうが、ここまでの「わたし」の、「ユリコ」の、「チャン」の、そして「佐藤和恵」の1人称の文章を読み進めて来た読み手からすれば、かなり素直に受け止められる終わり方になっている。

文庫解説で斉藤美奈子は、『グロテスク』の魅力として、「容貌や頭脳において逆立ちしても勝てなかったユリコやミツルを凌駕するほどの変貌」を遂げた和恵の「逆転のドラマ」を挙げ、次の部分を引用している。

あたしは復讐してやる。会社の面子を潰し、母親の見栄を嘲笑し、妹の名誉を汚し、あたし自身を損ねてやるのだ。女として生まれてきた自分を。女としてうまく生きられないあたしを。あたしの頂点はQ女子高に入った時だけだった。あとは凋落の一途。あたしは自分が身を売っていることの芯にようやく行き当たった気がして声を出して笑った。

下巻p293

このラストも、佐藤和恵と同様に、社会に対してわだかまりを持ち続けて来た「わたし」による社会への復讐の形なのだろう。

『グロテスク』で、グロテスクな怪物に変貌した人物として描かれているのは、佐藤和恵であり「わたし」だが、そうさせたのは、社会の構造の歪つな部分だ。東電OL殺人事件が興味を惹くのは、もちろん、その関係者の特殊性があってのことだが、その背景になっている部分に、多くの人が関心を持っているから今も語られることの多い事件となっているのだろう。

その意味では、上巻が、それぞれの登場人物というよりはQ女子高の人間関係にスポットライトを当てていたのはとても巧いと思う。(そしてQ女子高のモデルとなった高校の実態が今もこのようなものなのか知りたくなる)


桐野夏生の小説は、代表作『OUT』や、タワーマンションを舞台にした近作『ハピネス』『ロンリネス』も含め、まだまだ読んでいないものが沢山あるので、どんどん読み進めていきたい。


参考(過去日記)

2018-05-27 Sun

[]真相と感想、不倫と不憫〜桐野夏生『柔らかな頬』

柔らかな頬〈上〉 (文春文庫)

柔らかな頬〈上〉 (文春文庫)

柔らかな頬〈下〉 (文春文庫)

柔らかな頬〈下〉 (文春文庫)

『柔らかな頬』は、桐野作品の凄みを、端的に示した、代表作である。幼児失踪という事件にたいして、行方の解明という明快なカタルシスを拒否して、そこから巻き起こる波紋の綾を克明に、容赦なく描いていく。結末にいたった読者は、たちつくすとともに、自らの胸の奥を、深く、深く、覗き込まずにはいられないだろう。

福田和也の巻末解説で書かれるように、この小説には明快なカタルシスがない。

上巻の出だしこそ、主人公の家出や不倫など登場人物同士の人間関係にも触れられ、何らかの「真相」解明の材料は揃っている。しかし、実際に5歳の娘がいなくなり、癌に侵された元刑事・内海が登場してから、物語の向かう方向がわからなくなる。

内海は、事件の真相を求めない。証拠や証言を捜査しない。関係者からひたすら「感想」を求めるのだ。

謎の失踪事件でぽっかりと空いた穴を、母親である主人公は勿論、関係者皆が「何らかの解釈」をして埋めようとする。それが「感想」なのだが、「ありえたかもしれない可能性」というより、それぞれが死ぬ間際に見る「走馬燈」に近い。

この小説の中では、下巻に入ってから、別荘のオーナーである和泉正義が有香を殺したパターン(p95〜)、 カスミの母親 が有香を誘拐したパターン(p188〜)、駐在所に勤める脇田が殺したパターン(p254〜)、そして、有香から見た事件(P278 〜)が語られる。

それらはどれも当事者自身の目から語られるため、真に迫り、まさに真実のように語られるが、実際の出来事と乖離があり、それぞれに嘘っぽさが散りばめられている。

幾つかのパターンの「感想」を見る中で、誰もが真相を求めているのではなく、「解釈」を探したがっていることを知る。それが最後まで続いて終わらないところに、この物語の救いのなさがある。


もう一つ繰り返し語られるキーワードは「捨てる」ということ。

主人公カスミは、高校生の時に故郷を捨てて東京に出てきたが、石山との不倫は、そのときと同様に「脱出」、つまり慣れ親しんだ世界を「捨てること」を意味していた。特に「子を捨てること」が大きな意味を持つ。

すでに破滅は見えていた。破滅から二人だけの新しい世界を作ることができるのだろうか。しかし、ほんの刹那でも、この湿った暗い部屋は確かに二人だけの新しい世界ではある。石山カスミの中に入ってきた時、カスミは高い声を上げ、石山とこのまま生きていけるなら子供を捨ててもいいとまで思ったのだった。(上p103〜)

有香の失踪する前日の深夜の出来事であり、カスミは、ここで「子供を捨ててもいい」と思ったことを失踪と結びつけて考え、何度も繰り返して振り返ることになる。

一番辛い想像は、有香が、まさにこの逢瀬をドアの向こう側で知っていたというもので、小説のラストに描かれる。

お母さんと石山のおじちゃんがいる。

瞬時にして、有香は悟った。二人は今、絶対に見てはいけないことをしている。それもなぜかわかった。母親が今そこで思っていることがドアを隔てて有香に伝わってきた。

お母さんは今こう思っているのだ。石山のおじちゃんのために自分たち子供を捨ててもいい、と。(p284)

そして、さらに、カスミは「子捨て」を繰り返す。失踪から4年が過ぎて訪れた北海道で、もう東京に戻らず、有香を探して生きていけばいいのではないか、と思い立つのだ。

有香の妹である梨紗、彼女の立場を考えると不憫としかいいようがない。

姉妹でありながら、親からの愛情に明らかに差がある、だけでなく、母親がより愛情を注ぐ相手が、今はいなくなってしまった人であるということはとても辛い。

浅沼に「因果は巡る」と言われたことを思い出す。両親は浜の食堂でカツ丼やらラーメンやらを作りながら、家出した一人娘を今の自分のように探し回ったのだろうか。親を捨て、自分の裏切りがもとで子を見失い、更にもう一人の子供と夫を捨てようとする身勝手極まりない女。それが本来の姿だった。自分が自分であろうとすることは、このように周囲の人間を悲しませ続ける。(上p273)


『あげくの果てのカノン』における「不倫」は「恋愛」とニアリーイコールだったが、『柔らかな頬』における「不倫」は、「脱出」であり「逃避」である。今いる場所から抜け出すこと、今いる家族を捨てることが「不倫」なのだ。

かのんも確かに両親と弟を悲しませるし、境先輩も初穂を悲しませるが、そこに子供がいるかどうかは大きい。

しかも有香は、カスミの生き写しで、いわば自身の分身のような存在。

失踪事件がなかったとしても「石山との生活のためなら、子を捨ててもいい」と思った事実は変わらない。それを罰するカスミの気持ち・後悔でこの物語は貫かれている。


最初に書いたように、この物語にはオチがない。

登場人物も、ある時期のカスミにとって非常に重要な人物だが、すぐに物語から姿を消してしまう占い師・緒方先生など、掴みどころがない。

一方で、カスミ石山も内海も、子細なところまで書き込まれていて、物語の力というより、登場人物たちの魅力・人間臭さ(ここまで特に書かなかったが、ヒモになることで自由を得る石山というキャラクターも相当に面白い)で最後まで読ませる小説となっている。

過去の日記をよんでみると、これまでに読んだ桐野夏生の小説にも共通するようだ。


ただし、これまで読んだものに含まれない要素として、舞台である北海道の持つ引力のようなものがあるように感じる。上手く言えないが、桜庭一樹の直木賞作『私の男』やBL漫画『コオリオニ』は、いずれも北海道の持つ暗い一面・不吉な雰囲気が強く出た物語になっており、『柔らかな頬』もそれに連なる作品と言える。

直木賞を受賞している理由も、単にストーリーや人物造形だけでなく、舞台も含めた全体的な雰囲気が評価されているのかもしれないと思った。


参考(過去日記)

⇒芥川賞、直木賞etc の中で読書感想を書いた本をリストアップ。受賞作一覧のページにある選評を読むと、118回で候補作となった前作「OUT」の方が良かったとの声も多い。

2018-05-19 Sat

[]一刻も早く映画を観たくなるジェットコースター小説〜貴志祐介『悪の教典』(上)(下)

悪の教典〈上〉 (文春文庫)

悪の教典〈上〉 (文春文庫)

悪の教典〈下〉 (文春文庫)

悪の教典〈下〉 (文春文庫)

読書に集中できない、そんなモードになっているときは、エンタメに徹した小説を読むことで脳を読書できる流れに慣らしてあげることでスムーズに次の本が読めるようになる…。

どうしても本を読めなかった4月半ばに、そんなライフハックで選んだのは貴志祐介の代表作『悪の教典』。

貴志祐介の本は、これまで、初期作品を中心に抑えていて、評判の良くなかった近作(と言っても2013年)『雀蜂』 も楽しく読んだ気がする。

そこに来て今回、大本命の『悪の教典』(2010年)。これは絶対に間違いないだろう、という確信のもとに読み始めた。


……

面白い。

読み始める時点で、主人公が高校教師で殺人鬼の役回りとなることは知っていたが、その知識がなくても、冒頭から蓮実聖司(ハスミン)は、その危険さを隠そうとしない。

また、映画のキャストも知っていたため、ハスミンのイメージは、最初から伊藤英明だった。それも早く読み進めることが出来た理由かもしれない。


蓮実は、学校のことを「小さな王国」と呼ぶ。

これほどまでにIQが高く、ハーバード大学から一度はアメリカの投資銀行に就職した人間が、なぜ一介の高校教師をしているのか。その理由は下巻で語られるが、蓮実にとって、教師は天職であり生徒は道具。

その王国で築かれた「頭が良く、性格も良く、皆から慕われる先生」という立場をどのような知性を持って守るのか。疑いを持ち始めた何人かの生徒までを騙しきれるのか。

物語前半は、反社会的な犯罪行為を、周囲にいる人たち皆を欺いてやり遂げてきた半生が語られ、漫画『デスノート』のような物語なのかと期待が高まる。


しかし、途中からボロが出始める。

修学旅行中に生徒と密会など、隙のある行動が多過ぎて、とても「緻密なサイコキラー」という感じではなくなる。勿論「殺人鬼」という設定に理想(?)を抱き過ぎなのかもしれないが、ハスミンの超人的な魅力はどんどん薄れていく。

そこに来て、下巻では、美彌の殺人計画があっという間に崩れ去り、目撃者へのフォローも出来ないまま、文化祭準備で多くの人間が深夜まで残る学校が大量殺人の舞台となることが決定する。

…木の葉は森に隠せ。あたりまえのことだが、真理を衝いている。

死体を隠したければ、死体の山を築くしかない。

下巻p189


ハスミンの計画性のなさが招いたトホホな決断ではあるが、正直言って、これ以降の展開はクライマックスが連続して、すごく面白い。

ジェイソンが多くの人間を死に至らしめるスプラッター・ホラーのようで、とても映像的。三池崇史監督がこの小説に惚れ込むのもよく分かる。

勿論、スプラッター・ホラー的に面白いということは逆に、小説としてはチープで「あり得ない」、という印象を与えることになる。

ここまでミスを積み重ねておいて、そのミスを隠すために40人全員殺す結論に至るというのは、恐怖よりもハスミンの無能さをよく表している。

これは、リアリティラインが小説と映画・漫画で異なることも影響していると思う。おそらく、『悪の教典』のストーリーは、漫画や映画では、「全然あり」という類の話だと思う。ただ、小説にしてしまうと、設定が雑に思えて仕方がなくなる。

しかし、その難点に目をつぶれば、ラストまでノンストップで読める面白小説になっていると思う。


ハスミンが、ギリギリ超人的な魅力を保っている早水圭介との対決シーン。

ここでは、彼が何故殺人を続けるのか、その理由が自らの口から語られる。

(略)問題があれば、解決しなければならない。俺は、君たちと比べると、その際の選択肢の幅が、ずっと広いんだよ。(略)

かりに、殺人が一番明快な解決法だと分かっていたとしても、ふつうの人間は躊躇する。もし警察に発覚したらとか、どうしても恐怖が先に立つんだ。しかし、俺はそうじゃない。X-sportsの愛好家と同じで、やれると確信さえできれば、最後までやり切ることができるんだよ。


スリルや快楽を求めて殺人に走るのではなく、問題解決のために、殺人という選択肢を除外しないだけなのだ、というこのスタンスに『悪の教典』のアンチヒーロー蓮実聖司の新奇性を見ることができる。「共感性」がない、というのはサイコパスとしてありきたりな特性だが、自己の利益を極限まで追求するその性格は素直にカッコいいと思える部分もある。(念のために書いておくが、対女性への蓮実の態度は最悪だ)


ただ、高校時代の憂実、そして、美彌に手をかけようとしたときに、蓮実自身も驚いた「戸惑い」や、表紙にもなり、途中何度も幻覚として現れたカラスなど、思わせぶりに登場して回収されなかった伏線がいくつかあること。また、どう考えても存在意義が分からないエンディング後のボーナストラック「秘密」「アクノキョウテン」など、不満もある。

それでもエンタメとしては面白かった。

次は読み損ねていたもう一方の大作、『新世界より』を読んでみたい。

新世界より(上) (講談社文庫)

新世界より(上) (講談社文庫)

新世界より(中) (講談社文庫)

新世界より(中) (講談社文庫)

新世界より(下) (講談社文庫)

新世界より(下) (講談社文庫)


参考(過去日記)

2018-05-13 Sun

[]少数民族と日本人写真家〜ヨシダナギ『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』

ヨシダ,裸でアフリカをゆく

ヨシダ,裸でアフリカをゆく

2009年11月、エチオピアを訪ねて以来、アフリカ16か国で少数民族を撮り続けた“裸の美人フォトグラファー”ヨシダナギの全記録。

「相手と同じ格好をすれば、ぜったい仲良くなれる」とずっと思っていたヨシダナギ。彼女が裸族の前で裸になると、いままでになかった歓迎の舞が始まった――。

そんな彼女が大好きなアフリカとぶつかったり、爆笑したり、泣きわめいたクレイジーな紀行が、豊富なビジュアルとともに描かれた一冊です。

全く知らなかったが、グレートジャーニーなどへのテレビ出演でも有名になった“裸の美人写真家” ヨシダナギの初の紀行本。

ヨシダナギは 1986年生まれだというので、ちょうど一回り下になる。

2016年に発売された本だが、この中では、最初の旅として「エチオピア1―2009年11月→」(23歳)が、最後の旅として「タンザニア―2014年4月→」(28歳)が書かれており、エチオピア行きが、最初のアフリカへの旅となる。


後半こそ、彼女の特徴である「少数民族と同じ衣装(ほぼ裸のことが多い)になる」というシチュエーションが増えるが、彼女のやりたいことは恰好というよりは、大好きなアフリカに触れること、そこに住む人たちの笑顔を写真に収めることに向いている。

一方で、コミュニケーションについては、現地ガイドに頼らなければならない場合が多く、ガイドとのやり取りにも多くのページを割かれているが、それが面白い。特にマリとブルキファナソでガイドを務めたシセへの悪態がとても面白く、ここから知れるナギの人柄に引き込まれた。

特に好きなのは、不吉な夢を見て不安に思うナギを見て、シセの薦めで超有名な占い師に相談に行く場面。わざわざ遠いところを訪ねてシセが占い師に聞いたのはナギとの相性占いだったという顛末にナギは激怒。

その他、どの場面でもナギはシセに対して常に苛々しているのに、本として楽しい読み物になっているのは、文才があるからなのだろう。


アフリカ現地でのあれこれについては、トイレネタやゴキブリネタも強烈だが、ウガンダの図書館に行った際の話が興味深い。

その図書館は、日本人女性が貧しい町に住む子どもたちに少しでも学ぶ場を与えられたらとNPO法人を立ち上げ、つくったもので、ヨシダナギは図書館のお手伝いに行ったのだった。

しかし、子どもたちは、7歳くらいの年齢でも本を破る、食べる。

白い紙と色鉛筆を渡すと、破る、折る、持ち帰る。

折り鶴を渡しても破る、グシャグシャにする。

同じウガンダでは、仕事に対して不真面目な態度を取ったり、支援慣れをしている人たちを見て、しんどくなる心情も描かれる。


写真家として活動しているヨシダナギの本としては、写真の点数は少ないが、文章だけの面白さで圧倒的に読ませる本。

西武渋谷店で開催されていたヨシダナギ×NAKED「Sing-Sing!」は、ちょうど開催期間が5/13までということで行き逃してしまったが、写真集や著作を追いかけたい作家に出会えてよかった。そして、アフリカのことについてももっと色々と興味を持って知って行きたいと思った。

0000 | 00 |
1974 | 00 |
1997 | 01 |
2004 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2017 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 |
2018 | 01 | 02 | 03 | 05 | 06 | 07 | 08 |