翻訳行為と異文化間コミュニケーション

藤濤文子さんという人の『翻訳行為と異文化間コミュニケーション――機能主義的翻訳理論の諸相』(松籟社、2007)という本を読んだ。
非常にかっちりとした、いわゆる学術論文の体裁をしっかりと整えた、地味な研究書なのだが、なかなかいい。
もともと、こういういわゆるコミュニケーション学系の、というか、人文的なものを(疑似)科学的な手続きで語ろうというタイプの文章は、肉のないぎすぎすの骨だけを見せられているような気がして、好きではないのだが(というか、怒られるだろうけど、もっとはっきり言えばちょっと「バカにしている」のだが――だって文学系の人間というのはそういうものなのだ)、この本は、ちょっと違う。
何が違うかはうまく言えないけれど、この人の文章は、読める。基本的には「論文」だけれど、嫌味がなくて、読むことが、苦にならない。
内容を説明しておく必要があるだろう。
この人は、フェアメーアの機能主義的翻訳理論に賛同する立場に立っている。(たぶんフェアメーアの「直弟子」なのではないかと思ったが)
著者によれば、20世紀後半以降の翻訳理論は、「原文志向から訳文志向へ」つまり「等価志向から機能志向へ」という流れを見せているという。
「翻訳は徐々にST〔原文のこと・引用者注〕と言語の束縛から解放される傾向にあると言えよう」と著者は書いている。
要するに、どんな人たちに向けて、どんな翻訳をしようとしているのか、という点が大事だ(翻訳という作業や訳文はそれによって左右される)ということで、これが機能主義的翻訳理論の要点だということだろう。
序論に続く第2章で、機能主義的翻訳理論の展開を簡単に解説し、それを応用する形で、ダウリング『シンデレラ・コンプレックス』の二つの翻訳(木村訳、柳瀬訳)を比較対照してみせている。この分析もわりと興味深いし、前半の理論の流れの解説も、翻訳研究の大まかな潮流がわかって、入門者にはありがたかった。
第3章以降では、固有名詞の翻訳や、単数形・複数形の翻訳の問題(単複の区別のない日本語を、たとえば英語などに翻訳する場合の問題点)などを、著者なりに順次検討している。
こうした各章の考察も、なかなか興味深い問題を、分かりやすい分析を踏まえて、説得的に展開したもので、コミュニケーション学系の大学院生は、こういうのをお手本にしたらいいと思う。
(ただし、残念ながら、あとの章になるにつれて、分析に深みがなくなり、考察がありきたりになってくるような気がした。エネルギー切れ?)
初めはこの著者の博士論文か何かかな、と思ったけれど、違うようだ。むしろ単発的に発表してきた論文をもとに、一冊の本として整合的になるようにまとめたもののような気がする。
いずれにしても、この分野の本として、好著である、と思う。