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2018-08-19

Vlado Škafar&"Mama"/母と娘は自然に抱かれて

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さてスロヴェニアである。この国は……といつものように続けようとしたが、このブログにおいては既にスロヴェニア映画を紹介してきた。ふう。実際レビューを書く時に一番苦労するのがこの序文なのである。レビューの幕開けとして、これから続く文章を包括的に纏めた文を書くのが苦手な訳である、という愚痴で以て字数を稼いでしまったが、まあたまには良いだろう。はい、という訳で今回は母と娘の関係性を詩的に描き出した、Vlado Škafar監督によるスロヴェニア映画“Mama”を紹介していこう。

この物語の主人公は名もなき母(Natasa Tic Ralijan)と、やはり名もなき娘(Vida Rucli)の2人だ。彼女たちはイタリアスロヴェニアの国境付近に位置する、山奥の小さな家屋へとやってきた。だが自殺願望を持つ娘は破滅的な行為に走り、母は彼女を部屋に閉じ込めておかざるを得ない。

今作はまずそんな苦境にある母の姿を静かに見据えていく。蝋燭の灯りを頼りにして彼女は家屋の中を歩き回る。揺れる灯火は、額縁に飾られた昔の写真や埃臭い部屋の装いを浮かび上がらせていく。そして彼女が向ける眼差しは暖かな郷愁に満ちながらも、それはもう戻ってこないことをも知る悲哀をもそこには兆している。

監督はそんな彼女の姿に柔らかな身体性というべきものを宿していく。例えば彼女が家屋の壁を撫でる手つき、スッと指を伸ばしてから愛おしげに手を添える時の優しさは静かな感動を呼ぶ。そしてこの優しさは監督が世界に向けるそれと同じだ。彼はゆっくりと世界の中を進んでいく彼女を眺めながら、そこに優しさを見出だすうち、全てがまるで日常という名の舞踏と化し始める。壁を手で撫でる、蝋燭に火を灯す、埃臭い部屋でヨガを行う……

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だが監督はそんな物語にツイストを施す。母と娘が向かう先はとあるコミューンだ。カトリック教会の手で経営されているこの場所には、自らの病を治すために十数人の若者たちが集まっていた。ここから本作はドキュメンタリー的な転調を果たすのだ。例えば若者たちバレーボールを楽しむ、音楽療法を受ける、そういった姿がある種の親密さと共に綴られていく。そしてそこには彼らの証言もまた織り合わされていく。親との関係性、ここに来た理由、決意の固さ……

このフィクションドキュメンタリーが重なりあう、いわゆるドキュドラマ的な形式は最近の映画作家たち、例えばこのブログでも紹介したロベルト・ミネルヴィーニなどが好んで使う手法だ。異なる形式が混ざりあうように綴られるうち、フィクション的な語りの中にドキュメンタリー的な親密さが宿り始め、その繋がりが今作の物語世界を豊穣なるものとしていくのだ。

そうして物語が展開するにつれて、母と娘の心の彷徨いが色濃く浮かびあがっていく。母は娘の身を案じながら庭に種を植えていく、そこに希望の芽が出ることを願うように。彼女の行動に共鳴するように、娘は緑豊かな森のうちへと分け行っていくこととなる。そこに希望を探し求めて。そんな彼女たちを取り囲む自然の美しさは、正に崇高の一言で言い表すべきものだ。教会に広がる花の園、世界を塗りつぶす鮮やかな緑の色彩、撮影監督の○はそういった自然を息遣いまで捉えるように深くレンズに焼きつけていく。

だがもう1つ重要なのはこの世界に満ちる音の豊穣さだ。例えば母が物を持ったり床の上を歩いたりする時に聞こえてくる日常の音、例えば森を分け入る娘が枝を掻き分ける時に響く弾けるような音や彼女の周りを囲む鳥たちの囀りなどの自然の音、そういった物が細心の注意と共に繊細に捉えられていくのだ。中でも印象的なのは終盤に響き渡る川の流れの音だ。清洌な音の連なりの中で娘は癒されていくと共に、それを聞く私たちの心をも洗われていく、そんな力が宿っているのだ。“Mama”はそうした豊穣たる日常と自然の交わりを背景として綴られる、母と娘との複雑な関係性についての洞察だ。ラストの息を呑むほどに美しい風景は、彼女たちの未来を感じさせると共に、観る者自身の母親との関係性を振り返させるような美しさに満ち溢れている。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&”Lamb”/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&”A batalha de Tabatô”/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&”Woman Undressed”/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&”Ninah’s Dowry”/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&”Aloys”/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&”Já, Olga Hepnarová”/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&”Córki dancingu”/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&”Girl Asleep”/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&”Hooligan Sparrow”/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&”Yek khanévadéh-e mohtaram”/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&”Pharmakon”/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&”Centaur”/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&”Montanha”/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&”Mister Universo”/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&”Park”/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&”Le Parc”/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&”How Heavy This Hammer”/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&”Adiós entusiasmo”/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&”O lună în Thailandă”/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&”Ce lume minunată”/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&”Autumn, Autumn”/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&”Jours de France”/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&”Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&”Ejercicios de memoria”/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&”Prevenge”/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&”Dearest Sister”/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&”Orly”/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&”One Week and a Day”/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&”A blast”/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&”Boy eating the bird’s food”/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&”Ingen ko på isen”/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&”Makala”/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&”La idea de un lago”/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&”Teesklejad”/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&”Shelly”/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&”Hristo”/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&”Amnestia”/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&”Hotel Dallas”/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&”El auge del humano”/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&”Godless”/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&”Hounds of Love”/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&”Hunting Flies”/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&”Scary Mother”/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&”3/4”/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&”Dene wos guet geit”/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&”Strange Colours”/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&”Hello Destroyer”/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&”Szatan kazał tańczyć”/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&”Mochila de plomo”/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&”Sophia Antipolis”/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&”Temporada”/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&”Trote”/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&”Siyabonga”/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&”Dubina dva”/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&”Cocote”/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&”Antes Que Cante El Gallo”/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&”Gaze”/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&”Los Versos del Olvido”/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&”打烊時間”/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&”Werewolf”/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&”Ranenyy angel”/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&”De witte waan”/オランダ映画界、悲運の異端児
その271 ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー
その272 Liryc Paolo Dela Cruz&”Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot”/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも
その273 ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母という名の影

ソフィア・タカール&「ブラック・ビューティ」/あなたが憎い、あなたになりたい

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ソフィア・タカール&”Green”/男たちを求め、男たちから逃れ難く
ソフィア・タカールの略歴、および第1長編"Green"についてはこちら参照。


さて、ソフィア・タカール監督である。マンブルコアに参加することで演技力や演出力を養い、2013年には初の監督作“Green”を手掛け高い評価を獲得することとなった。その後彼女は恋人であったローレンス・マイケル・レヴィーンと結婚、彼の監督作“Wild Canaries”で主役を演じるなど公私ともに順風満帆生活を送っていたが、監督としては4年もの間沈黙を続けていた。そんな彼女が2017年に完成させた待望の第2長編Always Shine”(邦題は「ブラック・ビューティ」だが、本編を観れば分かる通り意味が分からない)は彼女にとって新境地を開拓する一作であった。

ベスとアナ(マンハッタンロマンス」ケイトリン・フィッツジェラルド&「オデッセイ」マッケンジー・デイヴィス)は無二の友人で、女優として日々競いあう仲でもある。最近はお互いの予定が合わず疎遠な状況が続いていたのだが、彼女たちは久しぶりにアナの叔母が所有する別荘で週末を共に過ごすこととなる。しかしそれが二人の人生を劇的なまでに変えてしまうとは誰も予想していなかった。

タカールは前作に続いて今作においても、2人の女性の濃密な関係性を描き出そうとする。ベスはとある雑誌で今後期待の女優として特集されるなど前途洋々なキャリアを送っているのだが、逆にアナは全く芽が出ず鬱屈した日々が続く。旅の道中でもレストランに入ると、ベスは客からサインを求められるのだが、アナは見向きもされない。挙げ句の果てに写真係までやらされ、アナの心には濁った澱ばかり募っていく。

しかし実際にはベスの方も余り良い状況にあるとは言い難い。物語の序盤において映し出されるのはとあるオーディション風景、カメラはベスの表情を真正面からのクロースアップで捉える。内容は男性に襲われ女性が助けを求めるというものだ。台詞の数々は吐き気を催すものばかりだが、一通りオーディションが終わった後、監督たちは彼女に語る。“この映画はいわゆるヴェリテ・スタイルだ、撮影の時は裸になってもらいたい” ベスは話が違うと困惑した表情を見せるが、監督はそこである言葉を付け加える。“君は美しいんだから大丈夫だろ……”

“女性にとって美しく魅力的であることは権利であり、ある意味では義務でもあるのです。女性とはテーブルに飾られた花のような存在なのです” 冒頭に現れるこの言葉は今現在女性の置いやられている立場を端的に示しているだろう。女性に人格は存在せず、何もせず美しい花でいればそれでいいのだ。それはとても侮辱的な響きを持つが、題名のAlways Shine”は正にそれを象徴する言葉であり、日本で言えば安倍首相が提唱する女性活躍Shine!とかいう奴に重なると言えるだろう。

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さて、今作において特徴的なのは2人の間において男性関連の話題が異様なほど頻出することだ。“あの男はクソ野郎!”だとか“あの男のチョビ髭、全然似合ってないし”だとか、主に男性への罵詈雑言の数々が、圧倒されるほど多く放たれる。まるでベクデルテストに対して確信犯的に逆行するような会話だが、それはタカール監督による意図的な演出だろう。これは“女性たちの中心は男だ”という思い上がりに対して、そしてそんな考えを醸造する男性中心社会へと唾を吐きかけ、中指を突き立てる反逆でもあるのである。

ではその反逆によって女性同士は仲良く連帯できるのかと言えば、タカール監督のヴィジョンはその理想を映し出すことはない。前作“Green”で描き出した通り、男を忌み嫌いながらもそんな男たちを求め女同士で対立してしまうという地獄絵図、ヘテロ女性たちの憂鬱への洞察を、彼女は今作において更に深めようとする。その嫉妬の数々を濃密に描き出そうとするのだ。同じような題材の作品に、私が最も偏愛する映画作家ブライアン・デ・パルマによるパッションがある。しかしAlways Shine”はそれを観たタカール監督が“本物の女同士の愛憎劇って奴を見せてやりますよ!”と腰を上げた結果生まれた作品という印象を受けるのだ。

似ているのは題材だけではない。そのマンブルコアの影響下から完全に脱した演出法もデ・パルマ・スタイルを越えんとするほどの野心に満ちている。随時挿入されるフラッシュフォワードは禍々しく、時の流れを克明に捉えるための長回しのギミックも冴え渡っている。更に最も印象的なのはズームの手捌きだ。撮影監督Mark Schwartzbardのカメラは彼女たちを見つめる時、ゆっくりとゆっくりと、まるで拳を壁へと押しつけるような早さと力で2人に迫っていくのだ。そして私たちはベスとアナの心の内奥へと潜行していくこととなる。

その意味において緊張が頂点に達する場面こそが、女優2人がSF映画の脚本を読み合わせるシークエンスだ。男役と女役に分かれて最初は普通に台詞を言い合うのだが、だんだんと言葉に熱気が籠ってくる。その中でアナはベスへと詰めより、熱は不穏なまでに肉薄していく。そして台詞が交わされる中で、彼女たちの心が音もなく激突し鍔迫り合いを繰り広げるのだ。ベスとアナ、ケイトリン・フィッツジェラルドマッケンジー・デイヴィスという二重に螺旋を描いた女優たちの魂がここで凄まじい炸裂を遂げるのだ。きっと今後この場面は、彼女たちの映画史においてターニングポイントだと言われるだろう。それほど濃密なのだ。

だがしかし、惜しいのである。余り作品を下げることは言いたくないのだがしょうがない。今作の、ある事件によって完全にトーンが変わってしまう後半は、前半において何が魅力的だったのかを監督自身理解してなかったのでは?と思うほどに、先が予想できる凡作に堕してしまうのである。故に、この記事は1回途中まで書いて、いやでも凡作だから紹介しなくていいかと放置していたのだ。だがこれ自体その影響下からは抜け出ているが、マンブルコア作家の作品はやっぱり紹介すべきと新たに書き直した次第である。とはいえタカールの監督としての手腕は疑いないものなので、今後の作品に期待したい所だ。

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結局マンブルコアって何だったんだ?
その1 アーロン・カッツ&”Dance Party, USA”/レイプカルチャー、USA
その2 ライ・ルッソ=ヤング&”You Wont Miss Me”/23歳の記憶は万華鏡のように
その3 アーロン・カッツ&”Quiet City”/つかの間、オレンジ色のときめきを
その4 ジョー・スワンバーグ&”Silver Bullets”/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
その5 ケイト・リン・シャイル&”Empire Builder”/米インディー界、後ろ向きの女王
その6 ジョー・スワンバーグ&”Kissing on the Mouth”/私たちの若さはどこへ行くのだろう
その7 ジョー・スワンバーグ&”Marriage Material”/誰かと共に生きていくことのままならさ
その8 ジョー・スワンバーグ&”Nights and Weekends”/さよなら、さよならグレタ・ガーウィグ
その9 ジョー・スワンバーグ&”Alexander the Last”/誰かと生きるのは辛いけど、でも……
その10 ジョー・スワンバーグ&”The Zone”/マンブルコア界の変態王頂上決戦
その11 ジョー・スワンバーグ&”Private Settings”/変態ボーイ meets ド変態ガール
その12 アンドリュー・ブジャルスキー&”Funny Ha Ha”/マンブルコアって、まあ……何かこんなん、うん、だよね
その13 アンドリュー・ブジャルスキー&”Mutual Appreciation”/そしてマンブルコアが幕を開ける
その14 ケンタッカー・オードリー&”Team Picture”/口ごもる若き世代の逃避と不安
その15 アンドリュー・ブジャルスキー&”Beeswax”/次に俺の作品をマンブルコアって言ったらブチ殺すぞ
その16 エイミー・サイメッツ&”Sun Don’t Shine”/私はただ人魚のように泳いでいたいだけ
その17 ケンタッカー・オードリー&”Open Five”/メンフィス、アイ・ラブ・ユー
その18 ケンタッカー・オードリー&”Open Five 2”/才能のない奴はインディー映画作るの止めろ!
その19 デュプラス兄弟&”The Puffy Chair”/ボロボロのソファー、ボロボロの3人
その20 マーサ・スティーブンス&”Pilgrim Song”/中年ダメ男は自分探しに山を行く
その21 デュプラス兄弟&”Baghead”/山小屋ホラーで愛憎すったもんだ
その22 ジョー・スワンバーグ&”24 Exposures”/テン年代に蘇る90’s底抜け猟奇殺人映画
その23 マンブルコアの黎明に消えた幻 ”Four Eyed Monsters”
その24 リチャード・リンクレイター&”ROS”/米インディー界の巨人、マンブルコアに(ちょっと)接近!
その25 リチャード・リンクレイター&”Slacker”/90年代の幕開け、怠け者たちの黙示録
その26 リチャード・リンクレイター&”It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books”/本を読むより映画を1本完成させよう
その27 ネイサン・シルヴァー&「エレナ出口」/善意の居たたまれない行く末
その28 ネイサン・シルヴァー&”Soft in the Head”/食卓は言葉の弾丸飛び交う戦場
その29 ネイサン・シルヴァー&”Uncertain Terms”/アメリカに広がる”水面下の不穏”
その30 ネイサン・シルヴァー&”Stinking Heaven”/90年代の粒子に浮かび上がるカオス
その31 ジョセフィン・デッカー&”Art History”/セックス、繋がりであり断絶であり
その32 ジョセフィン・デッカー&”Butter on the Latch”/森に潜む混沌の夢々
その33 ケント・オズボーン&”Uncle Kent”/友達っていうのは、恋人っていうのは
その34 ジョー・スワンバーグ&”LOL”/繋がり続ける世代を苛む”男らしさ”
その35 リン・シェルトン&”We Go Way Back”/23歳の私、あなたは今どうしてる?
その36 ジョー・スワンバーグ&「ハッピー・クリスマス」/スワンバーグ、新たな可能性に試行錯誤の巻
その37 タイ・ウェスト&”The Roost”/恐怖!コウモリゾンビ、闇からの襲撃!
その38 タイ・ウェスト&”Trigger Man”/狩人たちは暴力の引鉄を引く
その39 アダム・ウィンガード&”Home Sick”/初期衝動、血飛沫と共に大爆裂!
その40 タイ・ウェスト&”The House of the Devil”/再現される80年代、幕を開けるテン年代
その41 ジョー・スワンバーグ&”Caitlin Plays Herself”/私を演じる、抽象画を描く
その42 タイ・ウェスト&「インキーパーズ」/ミレニアル世代の幽霊屋敷探検
その43 アダム・ウィンガード&”Pop Skull”/ポケモンショック、待望の映画化
その44 リン・シェルトン&”My Effortless Brilliance”/2人の男、曖昧な感情の中で
その45 ジョー・スワンバーグ&”Autoerotic”/オナニーにまつわる4つの変態小噺
その46 ジョー・スワンバーグ&”All the Light in the Sky”/過ぎゆく時間の愛おしさについて
その47 ジョー・スワンバーグ&「ドリンキング・バディーズ」/友情と愛情の狭間、曖昧な何か
その48 タイ・ウェスト&「サクラメント 死の楽園」/泡を吹け!マンブルコア大遠足会!
その49 タイ・ウェスト&”In a Valley of Violence”/暴力の谷、蘇る西部
その50 ジョー・スワンバーグ&「ハンナだけど、生きていく!」/マンブルコア、ここに極まれり!
その51 ジョー・スワンバーグ&「新しい夫婦の見つけ方」/人生、そう単純なものなんかじゃない
その52 ソフィア・タカール&”Green”/男たちを求め、男たちから逃れ難く
その53 ローレンス・マイケル・レヴィーン&”Wild Canaries”/ヒップスターのブルックリン探偵物語!
その54 ジョー・スワンバーグ&「ギャンブラー」/欲に負かされ それでも一歩一歩進んで
その55 フランク・V・ロス&”Quietly on By”/ニートと出口の見えない狂気
その56 フランク・V・ロス&”Hohokam”/愛してるから、傷つけあって
その57 フランク・V・ロス&”Present Company”/離れられないまま、傷つけあって
その58 フランク・V・ロス&”Audrey the Trainwreck”/最後にはいつもクソみたいな気分
その59 フランク・V・ロス&”Tiger Tail in Blue”/幻のほどける時、やってくる愛は……
その60 フランク・V・ロス&”Bloomin Mud Shuffle”/愛してるから、分かり合えない
その61 E.L.カッツ&「スモール・クライム」/惨めにチンケに墜ちてくヤツら
その62 サフディ兄弟&”The Ralph Handel Story”/ニューヨーク、根無し草たちの孤独
その63 サフディ兄弟&”The Pleasure of Being Robbed”/ニューヨーク、路傍を駆け抜ける詩
その64 サフディ兄弟&”Daddy Longlegs”/この映画を僕たちの父さんに捧ぐ
その65 サフディ兄弟&”The Black Baloon”/ニューヨーク、光と闇と黒い風船と
その66 サフディ兄弟&「神様なんかくそくらえ」/ニューヨーク、這いずり生きる奴ら
その67 ライ・ルッソ=ヤング&”Nobody Walks”/誰もが変わる、色とりどりの響きと共に

ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母という名の影

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さて、イラン=イラク戦争の勃発はイランという国に大いなる傷を刻むことになる。ミサイルの応酬によって互いの都市は破壊され、崩壊し、多大な被害を被ってしまう。そしてそこで生まれた傷は今にもまだ続いているのだ。ということで今回はそんな状況を背景として描かれるイラン産ホラー映画、ババク・アンバリ監督の初長編「アンダー・ザ・シャドウ(Netflixで配信中)を紹介していこう。

舞台は先述の通り1980年代、戦争が激化する最中のテヘラン、今作の主人公シーデ(ナーゲス・ラシディ)は夫のイラジャ(ボビー・ナデリ)や娘のドーサ(アヴィン・マンシャディ)と共にアパートの一室で身を寄せ合いながら暮らしていた。しかしイラクミサイル攻撃を仕掛けてくるという噂が流れる頃、仕事の都合でイラジャが彼女たちの元から去り、二人だけで生活せざるを得なくなってしまう。戦争の恐怖、子育ての疲労感、シーデの神経は否応なしに磨り減っていく。

今作はまずシーデという人物のパーソナリティを通じて、80年代のイランという時代背景を描き出していく。シーデは元々医師になるため大学に通っていたが、イラン革命時に反体制派の団体に参加していた事から大学を辞めさせられ、同時期にドーサが産まれたことから子育てに専念せざるを得なくなる。そんな自分とは打って変わり、イラジャは仕事と勉学を両立しながら自由に生きている。そこには性差別的な社会構造も関わっているのだろう。彼女は家に閉じ込められ、息苦しい日々を送り続ける。戦争が終れば全て変わるかもしれないと思いながら、逆に激化の一途を辿っていた。

そんな中、いつもと同じように空襲警報が発令され、いつもと同じように地下のシェルターに向かおうとするシーデたちだったが、この日は様子が違った。轟音と共にマンションへと墜落したのは不発弾だ。弾はちょうどシーデの真上の部屋に突っ込み、この部屋の天井にも不気味な亀裂が入る。その日を境に、ドーサはある物を見たとシーデに話し始める。あの亀裂から精霊ジンが部屋にやってきて、自分を脅かすのだと。最初はその話を信じられないシーデだったが、ドーサの宝物である人形が消えた時から、何かが崩れ始める。

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Kit Fraserによる撮影は終始陰鬱なトーンを保ち続ける。舞台の殆どは薄暗いアパートの一室であり、最初の頃はシーデによって手入れが行き届いていながら、空襲が激化するごとに部屋は陰影に染め上げられ、息苦しさを増す。そして部屋は埃臭い茶の色彩に満たされ始め、閉所恐怖症的な感触が世界に宿ることにもなる。つまりこの狭い部屋がシーデたちにとっての監獄となるのだ。しかしそれは肉体的という以上に、精神的な圧力を以て彼女たちに迫ってくる。

興味深いのはこの圧力の中にイランの文化的コンテクストが巧みに折り込まれている点だ。外出時、シーデは他の女性たちと同じように黒いチャドルを身に纏う。劇中そうしていない登場人物が警察によって一時拘留される場面も存在し、革命以後に服装の締め付けがキツくなった当時の状況(今もその状況は続いている)が反映されている訳だが、シーデは家に帰ると即それを脱ぎ捨て、キャミソールとズボンというかなりラフな格好になり、更にはジェーン・フォンダエアロビビデオで汗を流す姿が描かれるのだ。

ここには二つの対立が見られる。まずは革命以前のイランと革命以後における文化の対立だ。白色革命の後はしばらく欧米文化を熱心に取り入れる体制を保っていたが、それに対する反動で1980年の革命が勃発、一転して保守体制が現在に至るまで続くこととなる。そしてもう1つがシーデという個人の価値観と当時のイランが宿す価値観の対立だ。大学で培われた知識や文化はシーデの中に国への懐疑を生み、逆に国は彼女を反体制的と見なして抑圧しようとする。シーデの服装に対する意識はこの対立を端的に指し示すものであり、ジェーン・フォンダを真似てエアロビに明け暮れることはガス抜きである同時に、抑圧への抵抗でもあるのだ。

そういったコンテクストが取り入れられながら、いつしか物語はホラー的な様相を呈することとなる。ジンに人形を奪われたというドーサは泣き叫び、いつまでも治ることのない高熱に冒されることとなる。彼女を看護しながら、ジンについては信じられないでいるシーデを、しかし不気味な超常現象が襲う。その度に親子間の確執は鬱々たるまでに深まっていくのだ。そういった意味で同じテーマを扱った豪産ホラー「ババドック」がレファレンスとして挙げられるのは当然と言えるが、監督の手捌きはまた異なる。前者は物語が進むにつれ恐怖と不安が爆発的に広がっていく姿が印象的だったが、今作はシーデの抱える負の感情が弾けることを許さない。とことん陰鬱に、まるで脳髄をゆっくりと万力で締めていくような筆致でシーデたちを追い詰めていく。

この展開の中、恐怖によってイランと母という2つの要素が繋がる瞬間がある。怪異であるジンの姿はそれを象徴していると言えるだろう。その姿はシーデや私たちにこう語りかける、イランという国に身を委ねなければ、個の価値観を捨てこの社会に身を捧げなければ、お前は母親失格だと。だからこそ「アンダー・ザ・シャドウはこういった社会的な圧力に対する抵抗の詩として機能する。シーデは埃臭い監獄の中でドーサを、そして他ならぬ自分を救うために命を懸ける。様々な対立を乗り越えようとする力強い意思が、そこには宿っている。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&”Lamb”/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&”A batalha de Tabatô”/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&”Woman Undressed”/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&”Ninah’s Dowry”/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&”Aloys”/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&”Já, Olga Hepnarová”/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&”Córki dancingu”/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&”Girl Asleep”/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&”Hooligan Sparrow”/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&”Yek khanévadéh-e mohtaram”/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&”Pharmakon”/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&”Centaur”/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&”Montanha”/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&”Mister Universo”/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&”Park”/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&”Le Parc”/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&”How Heavy This Hammer”/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&”Adiós entusiasmo”/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&”O lună în Thailandă”/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&”Ce lume minunată”/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&”Autumn, Autumn”/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&”Jours de France”/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&”Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&”Ejercicios de memoria”/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&”Prevenge”/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&”Dearest Sister”/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&”Orly”/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&”One Week and a Day”/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&”A blast”/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&”Boy eating the bird’s food”/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&”Ingen ko på isen”/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&”Makala”/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&”La idea de un lago”/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&”Teesklejad”/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&”Shelly”/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&”Hristo”/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&”Amnestia”/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&”Hotel Dallas”/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&”El auge del humano”/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&”Godless”/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&”Hounds of Love”/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&”Hunting Flies”/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&”Scary Mother”/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&”3/4”/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&”Dene wos guet geit”/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&”Strange Colours”/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&”Hello Destroyer”/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&”Szatan kazał tańczyć”/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&”Mochila de plomo”/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&”Sophia Antipolis”/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&”Temporada”/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&”Trote”/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&”Siyabonga”/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&”Dubina dva”/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&”Cocote”/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&”Antes Que Cante El Gallo”/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&”Gaze”/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&”Los Versos del Olvido”/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&”打烊時間”/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&”Werewolf”/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&”Ranenyy angel”/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&”De witte waan”/オランダ映画界、悲運の異端児
その271 ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー
その272 Liryc Paolo Dela Cruz&”Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot”/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも

Liryc Paolo Dela Cruz&"Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot"/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも

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Liryc Dela Cruzフィリピンミンダナオ島南コタバト州に生まれた。小さな頃から映画監督を志し、高校時代は学校のパソコンでYoutubeにアップされた映画の予告やクリップ動画を観て、想像を働かせる日々を送っていたのだという。2008年には大学に通うためダヴァオに移住、そこでキドラット・タヒミックら著名な映画監督と出会い、彼らのワークショップに通いながら映画製作を学ぶ。この時に彼は"Tundong"(2009)や"Philippine Press"(2010)など自身でも短編作品を監督し始める。

だがCruzの人生を変えたのはある1人の女性との出会いだった。2010年に彼はクリスティン・キンターナという女性と出会うのだが、彼女はあのフィリピン映画界の巨人であるラヴ・ディアスの作品に俳優、プロダクション・マネージャー、英語字幕製作者として携わっている人物だった。キンターナの後押しもありCruzは大学を中退しマニラに移住、映画やTVを問わず脚本家プロデューサーとしての経験を積んでいく。2013年にはディアスの「北(ノルテ)―歴史の終り」に参加、ここでの経験は彼に多大なる影響を与えたという。そしてCruzは故郷のミンダナオ島に戻り、2015年には短編"Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot"を完成させる。

白と黒の世界にまず浮かび上がるのは荒れ果てた広野だ。疎らに生える貧相な草々以外には、生命の息吹をも少しも感じさせることのない荒れ野。これがフィリピンのどこかに広がる風景と聞いたなら、あなたは驚くかもしれない。命の緑に溢れる鬱蒼たる森、喧騒が渦巻く街並み、だがそういった物はここには全く存在していない。荒野、果てしない荒野だけが存在している。

そして私たちはこの大地を彷徨する少女の姿を目撃する。痩身の植物たちを薙ぎ倒すようにフラフラと、彼女は野をさ迷っている。スサンどこなの、ある時少女の声が響き渡る、スサンどこなの、聞く者の臓腑をズンと震わせるような響き。彼女はスサンという名を持つ者を探す、不毛なる大地に濁った足跡を刻みつける、灰色に染まった嘆きの舞踏を踊り続ける。最愛の人はもうこの世には居ないと知りながら。

だがそんな悲愴なる大地の真上には、大いなる空が広がっている。透明な無音を伴いながらうねる雲の群れ、陽光がもたらすさざ波のような濃淡、人間という存在などちっぽけに思えるほど広大な空が。そんな中で私たちはそれを飛行機の窓から眺めている少女の姿を見ることになる。ガラスに顔を近づけたかと思うと少し遠ざけ、躊躇いの震えを伴いながら微妙な距離感を保ち続ける。そして少女の囁きが聞こえてくる、あなたとの思い出が消えていくのを待っている、そんな静かな囁きが。

この謎めいた少女たちの姿を読み解くキーワードは“記憶”だ。もしあなたが最愛の人を失った時、その人についての記憶とあなたはどう対峙するだろうか。忘却に抗いながらその記憶にすがりつき続けるだろうか、その記憶が時間の中に掻き消えていくことを望むだろうか。つまりは“Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot”とはこの懊悩を映像詩によって描き出そうとする試みを持った作品なのだ。

さて、最後に監督の記憶についての考察を以て、この記事を終えることとしよう。

"今のフィリピンにおいて、歴史修正主義が猛威を振るっています。最近、最高裁独裁者であったマルコス元大統領を"英雄墓地"に埋葬することを認めました。そして彼の娘であるアイミー・マルコスは国営テレビのインタビューで、戒厳令の時代に自分の家族が暴力行為や人権侵害を行ったなんて思い出せないと白を切りさえする(中略)ドゥテルテ大統領など記者会見時に、暴力行為を証明する映画や小説は一つも存在していないと主張しました。今フィリピン歴史修正主義的な動きが強い勢力を持っているのを恥ずかしく思っています。彼らはソーシャルメディアを使い、戒厳令という暗黒時代から人々の眼を背けさせようとしているんです。戒厳令フィリピンの歴史でも最も暗い時代の1つであり消し去ることなど出来ないのに"

"数か月前、2016年の夏頃に映画祭のためマドリードに滞在していた。そこでフィリピンスペイン植民地であった時代を描く映画を紹介したのだが、驚いたことに多くの人々がその300年にも渡る歴史を知らなかった。もっと驚いたのは――映画祭で出会ったアーティストたちが話してくれたんですが――特に若い人々たちはフランコ将軍の独裁すら忘れ去っているというんです(中略)だから映画の力が必要なんです。映画は忘れ去られようと/修正されようとしている記憶を捉え保護し、私が覚えていられるよう助けてくれる力があるんです。いつか世界が私たちを忘れ去ろうとも、映画は記憶の中に在り続けてくれるでしょう"

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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2018-08-18

Russell Harbaugh&"Love after Love"/止められない時の中、愛を探し続けて

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死は誰の元にも平等にやってくる。あなたの元にも、そして信じたくはないだろうが、あなたの大切な人の元にも。あなた自身の後にあなたの人生は続くことはないが、しかしあなたの大切な人の死の後にはあなたの人生は否応なく続いていく。その時、あなたはその事実にどう対峙するだろうか。泣きわめく、ただただ眠り続ける、死んでないかのように陽気に振る舞う、自分自身の人生をも終わらせる……あなたはどれを選び、どれを選ばないだろうか。さて、今回紹介するのはそんな大切な人の後にも続く人生を描き出していく、Russell Harbaugh監督によるデビュー長編“Love after Love”を紹介していこう。

この物語の中心となるある平凡な1つの家族、父グレン(「ボルケーノ」ギャレス・ウィリアムズ)に母スザンヌ(「グレイストーク -類人猿の王者- ターザンの伝説」アンディ・マクダウェル)、兄ニコラス(「ある神父の希望と絶望の7日間」クリス・オダウド)に弟クリス(James Adomian)の4人家族だ。ある日彼らは友人たちを招待してパーティーを開催する。皆が楽しそうに冗談を語り、美味しい料理に舌鼓を打つ中、グレンの様子が少しおかしい。声が掠れ、心なしか動きもぎこちない。そう彼は重篤な病に冒され、もう長くはないという状況にあったのだ。

次の瞬間、カメラには呻き声を上げるグレンの姿が映る。もはや介護されなければ身体すら動かせない状態にまで悪化してしまったのだ。スザンヌがベッドで横たわるグレンを献身的に介護し、ニコラスはその様子を心配げに眺める。しかし彼女たちの努力も空しく、グレンは家族を置いてこの世から去ってしまう。

この“Love after Love”はここからこそ始まると言っていいだろう。今作は夫であり父であった最愛の人の死の後に広がる家族の風景を描き出す作品なのだから。彼を見送ったのち、スザンヌは喪失の悲しみに暮れながら、日々を陰鬱に過ごしていく。動揺を隠せないニコラスは恋人であるレベッカ(“The Knick” ジュリア・ライラン)との関係に安らぎを見出だせず、2人の間には深い溝が横たわり始める。そしてクリスは悲しみの余り、思いも寄らぬ行動に打って出ることになる。

この物語のトーンは驚くほど淡々としたものだ。監督のHarbaughと編集のMatthew C. Hart&John Magary(後者は映画監督としても活躍、デビュー長編"The Mend"についてはレビュー執筆済み)は1つの出来事に拘泥することなく、線ではなく点として日常を次々と並べていく。繋がりが意図的に希薄化された物語には、時の過ぎ去る感覚、いうなれば諸行無常の感覚が濃厚だ。日々はあれよあれよと進んでいく。母は孤独から逃れるため新しい愛に身を重ね、ニコラスはレベッカと別れてエミリー(チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密」ドリー・ヘミングウェイ)という名の若い女性と婚約することとなる。その出来事1つ1つはいともあっさりと過ぎ去っていき、人生は変化していく。

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今作の特筆すべき要素としてChris Teagueによる撮影の美しさがある。16mmフィルムで撮られた故、常時枯れ葉色の粒子が画面を覆っている。まるで秋の日に漂うほのかな暖かさとその中にふと兆す侘しさが画面内に同居しているようで、物語には深い情感が宿っていく。

だがそれ以上に感動的なのは傷ついた登場人物たちを演じる俳優陣、特にアンディ・マクダウェルクリス・オダウドだ。表向き冷静に最愛の夫の死に対処しながらも、時には感情を爆発させたり、自身を苛む孤独から目を背けるため新たな愛を探していく複雑な中年女性を、マクダウェルは温もりある共感と共に演じていく。その一方でニコラスは愛に不誠実でありそれ故に不安定な生活を送る人物であり、子供っぽい性格を露にしながら父の死を何とか受け入れようと足掻く。オダウドは全てをさらけ出しながら、そんな彼を体現していく。2人を含め俳優たちの皆が、日常に根差した感情のうねりを劇的にではなく、これでもかと繊細に捉えていくのだ。それがまた新たな感動を生み出していく。

そして誰が望もうと望むまいと、時は流れていく。一応の決着がつく事象があれば、そのままうやむやになる事象もある。全ては平等に流れていきながらも、それぞれが平凡な日々の中にそれぞれの救いを見つけていく。それを象徴するのがクリスのスタンダップコメディだ。彼は舞台に立ち、死んだ父親についてのネタを連発していく。観客たちは笑う時もあれば笑わない時もある。しかしクリスの表情は晴れ晴れとしている。カメラを彼の顔の前に据えた数分にも渡る長回しによって、監督は確かな救いの存在を明らかにする。

“Love after Love”は最愛の人の死の後にも塞き止められない時の流れの中で、それでも愛や生きる意味を探し求める家族の物語だ。この物語は死によって幕を開け、死によって幕を閉じる。それなのに何故こんなにも生きることの喜びや愛おしさに満ち溢れているのだろうか?その答えはこれを観る人々それぞれの心の中に、言葉を越えた美しさとして宿っていくのだろう。

ちなみに後日談。“Love after Love”の感想をTwitterで呟いたら監督がその呟きをお気に入りに入れてくれた。なのでTwitter上で“本当に、本当にこんなにも美しい映画を作ってくれてどうもありがとう!この映画は今年観た中でもベストの1本だよ。これからも頑張って!”と感謝したら、“優しい言葉をありがとう!観てくれたことに感謝”と秒速で返信が来た。映画が良ければ人柄もいい、最高か。ということでHarbaugh監督の今後に超超超期待。

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ポスト・マンブルコア世代の作家たちシリーズ
その1 Benjamin Dickinson &”Super Sleuths”/ヒップ!ヒップ!ヒップスター!
その2 Scott Cohen& ”Red Knot”/ 彼の眼が写/映す愛の風景
その3 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
その4 Riley Stearns &”Faults”/ Let’s 脱洗脳!
その5 Gillian Robespierre &”Obvious Child”/中絶について肩の力を抜いて考えてみる
その6 ジェームズ・ポンソルト&「スマッシュド〜ケイトのアルコールライフ〜」/酒が飲みたい酒が飲みたい酒が飲みたい酒が飲みたい…
その7 ジェームズ・ポンソルト&”The Spectacular Now”/酒さえ飲めばなんとかなる!……のか?
その8 Nikki Braendlin &”As high as the sky”/完璧な人間なんていないのだから
その9 ハンナ・フィデル&「女教師」/愛が彼女を追い詰める
その10 ハンナ・フィデル&”6 Years”/この6年間いったい何だったの?
その11 サラ=ヴァイオレット・ブリス&”Fort Tilden”/ぶらりクズ女子2人旅、思えば遠くへ来たもので
その12 ジョン・ワッツ&”Cop Car”/なに、次のスパイダーマンの監督これ誰、どんな映画つくってんの?
その13 アナ・ローズ・ホルマー&”The Fits”/世界に、私に、何かが起こり始めている
その14 ジェイク・マハフィー&”Free in Deed”/信仰こそが彼を殺すとするならば
その15 Rick Alverson &”The Comedy”/ヒップスターは精神の荒野を行く
その16 Leah Meyerhoff &”I Believe in Unicorns”/ここではないどこかへ、ハリウッドではないどこかで
その17 Mona Fastvold &”The Sleepwalker”/耳に届くのは過去が燃え盛る響き
その18 ネイサン・シルヴァー&”Uncertain Terms”/アメリカに広がる”水面下の不穏”
その19 Anja Marquardt& ”She’s Lost Control”/セックス、悪意、相互不理解
その20 Rick Alverson&”Entertainment”/アメリカ、その深淵への遥かな旅路
その21 Whitney Horn&”L for Leisure”/あの圧倒的にノーテンキだった時代
その22 Meera Menon &”Farah Goes Bang”/オクテな私とブッシュをブッ飛ばしに
その23 Marya Cohn & ”The Girl in The Book”/奪われた過去、綴られる未来
その24 John Magary & ”The Mend”/遅れてきたジョシュ・ルーカスの復活宣言
その25 レスリー・ヘッドランド&”Sleeping with Other People”/ヤリたくて!ヤリたくて!ヤリたくて!
その26 S. クレイグ・ザラー&”Bone Tomahawk”/アメリカ西部、食人族の住む処
その27 Zia Anger&”I Remember Nothing”/私のことを思い出せないでいる私
その28 Benjamin Crotty&”Fort Buchnan”/全く新しいメロドラマ、全く新しい映画
その29 Perry Blackshear&”They Look Like People”/お前のことだけは、信じていたいんだ
その30 Gabriel Abrantes&”Dreams, Drones and Dactyls”/エロス+オバマ+アンコウ=映画の未来
その31 ジョシュ・モンド&”James White”/母さん、俺を産んでくれてありがとう
その32 Charles Poekel&”Christmas, Again”/クリスマスがやってくる、クリスマスがまた……
その33 ロベルト・ミネルヴィーニ&”The Passage”/テキサスに生き、テキサスを旅する
その34 ロベルト・ミネルヴィーニ&”Low Tide”/テキサス、子供は生まれてくる場所を選べない
その35 Stephen Cone&”Henry Gamble’s Birthday Party”/午前10時02分、ヘンリーは17歳になる
その36 ネイサン・シルヴァー&「エレナ出口」/善意の居たたまれない行く末
その37 ネイサン・シルヴァー&”Soft in the Head”/食卓は言葉の弾丸飛び交う戦場
その38 ネイサン・シルヴァー&”Stinking Heaven”/90年代の粒子に浮かび上がるカオス
その39 Felix Thompson&”King Jack”/少年たちと”男らしさ”という名の呪い
その40 ジョセフィン・デッカー&”Art History”/セックス、繋がりであり断絶であり
その41 Chloé Zhao&”Songs My Brothers Taught Me”/私たちも、この国に生きている
その42 ジョセフィン・デッカー&”Butter on the Latch”/森に潜む混沌の夢々
その43 Cameron Warden&”The Idiot Faces Tomorrow”/働きたくない働きたくない働きたくない働きたくない
その44 Khalik Allah&”Field Niggas”/”Black Lives Matter”という叫び
その45 Kris Avedisian&”Donald Cried”/お前めちゃ怒ってない?人1人ブチ殺しそうな顔してない?
その46 Trey Edwards Shults&”Krisha”/アンタは私の腹から生まれて来たのに!
その47 アレックス・ロス・ペリー&”Impolex”/目的もなく、不発弾の人生
その48 Zachary Treitz&”Men Go to Battle”/虚無はどこへも行き着くことはない
その50 Joel Potrykus&”Coyote”/ゾンビは雪の街へと、コヨーテは月の夜へと
その51 Joel Potrykus&”Ape”/社会に一発、中指ブチ立てろ!
その52 Joshua Burge&”Buzzard”/資本主義にもう一発、中指ブチ立てろ!
その53 Joel Potrykus&”The Alchemist Cookbook”/山奥に潜む錬金術師の孤独
その54 Justin Tipping&”Kicks”/男になれ、男としての責任を果たせ
その55 ジェニファー・キム&”Female Pervert”/ヒップスターの変態ぶらり旅
その56 Adam Pinney&”The Arbalest”/愛と復讐、そしてアメリカ
その57 Keith Maitland&”Tower”/SFのような 西部劇のような 現実じゃないような
その58 アントニオ・カンポス&”Christine”/さて、今回テレビで初公開となりますのは……
その59 Daniel Martinico&”OK, Good”/叫び 怒り 絶望 破壊
その60 Joshua Locy&”Hunter Gatherer”/日常の少し不思議な 大いなる変化
その61 オーレン・ウジエル&「美しい湖の底」/やっぱり惨めにチンケに墜ちてくヤツら
その62 S.クレイグ・ザラー&”Brawl in Cell Block”/蒼い掃き溜め、拳の叙事詩
その63 パトリック・ブライス&”Creep 2”/殺しが大好きだった筈なのに……
その64 ネイサン・シルヴァー&”Thirst Street”/パリ、極彩色の愛の妄執
その65 M.P. Cunningham&”Ford Clitaurus”/ソルトレーク・シティでコメdっjdjdjcjkwjdjdkwjxjヴ
その66 Patrick Wang&”In the Family”/僕を愛してくれた、僕が愛し続けると誓った大切な家族

Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える

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今現在、世界から求められているルーマニア映画とは一体何か。チャウシェスク政権が現代に残した傷を見据える作品、もしくはチャウシェスク政権における抑圧を鋭く描き出した作品の数々と言える。そんな中でユニバーサルな感覚を持つルーマニア映画は国際映画祭で無視されがちな傾向であった。ジャンル映画も同様であり、例えばルーマニアラブコメ“Selfie””Love Building”などは国内のみで観られ、世界にはほとんど見向きもされない。自国でもそういう映画は作られているのだから、別に必要はないという感じだろう。

しかしそんな状況が最近変わってきた。タランティーノ的な時間交錯で恋人たちの愛を描くカリン・ペーター・ネッツァー監督によるロマンス作品“Ana, Mon Amour”や、身体と世界の抜き差しならぬ関係性を描き出したAdina Pintilieによるベルリン金熊賞受賞作“Nu mă atinge-mă”(しかも使用されている言語は英語とドイツ語だ)など、そういった普遍的感情に訴える作品が正当に評価されるようになってきたのだ。そしてその風穴を開けただろう作品は1作のノワール映画であったと言える。その映画こそがBogdan Mirică監督によるデビュー長編“Câini”だ。

ルーマニアのとある田舎町、ロマン(毎度お馴染みドラゴシュ・ブクル)はある目的のためにブカレストからこの地へとやってきた。彼の祖父であるアレクが亡くなったことで、彼の所有していた広大な土地を受け継ぐことになったのだ。土地などには余り興味のないロマンはそれらを売り払い全て清算しようと思っていたのだが、そう簡単に事態に収拾はつけられないことを知る羽目になる。

物語展開に共鳴するようにMiricăの演出もまた頗る不穏なものだ。まず特徴的なのは冒頭だ。カメラは踏みしだかれた草地をゆっくりと這いずるように捉えていき、とある湖へと至る。そこへと遅々としたズームを遂げるうち、水面に不気味な水泡が浮かび出す。そして鼓膜に泥つく響きと共に、切断された足が現れる。ブルーベルベットの冒頭をも思わすこの異様な場面は、先に広がる暗澹として危険な先行きを私たちに語っていく。

次に観客の目を惹くのは、ロマンの周囲に広がる荒れ果てた世界だろう。生気を根こそぎ刈り取られ、後には生の残骸のみが広がるといった荒野の光景はぞっとしない感覚を越えて、もはや聖的なまでに崇高なものだ。そしてその中にポツンと佇む家屋の姿は終末世界のそれを思わせるほど侘しいものだ。撮影監督Andrei Buticăはそんな光景の数々をワイドスクリーンで捉えることによって、神が死んだ後の世界を私たちに幻視させる、この世界こそ犬ども(“Câini”という言葉が意味するのは正にその"犬ども"である)が這いずる相応しい場所なのだと。

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そして物語は不穏な何かの片鱗を浮かび上がらせていく。ある時ロマンの元に訪れるのは警察署の署長であるホガス(“Terminas Paradis” Gheorghe Visu)だ。彼はアレクがこの町を牛耳る存在であったことを聞き、それが原因で土地を容易には売買できないと伝えてくる。このことを証明するように、ロマンの周りに正体不明な男たちが忍び寄り始める。

今作を一言で現すとするならやはり“ノワール”という言葉が相応しいだろう。特に顕著なのはアメリカの南部ノワール「プロポジション-血の盟約」などのオージーノワールからの影響だ。全てが無機質な荒野に包まれた世界、男たちの緊密な関係性とその不気味な余波、そういった要素が今作には詰め込まれている。だが何よりこの映画が影響されている作品といえばノーカントリーを措いて他に存在しないだろう。老いた警察官ホガスの存在、町や国の未来を憂いながらも自分に出来ることはないと絶望するしかないという、彼の抱く強烈な虚無感。それはトミー・リー・ジョーンズ演じる保安官のそれと軌を一にするもの言えるだろう。

つまりこの映画は先述したノワール作品を、ルーマニアにおいて再解釈した作品と言えるのだが、それ故に上述した作品とは一線を画した感触を伴っている。ルーマニア映画の演出法の特徴として1つ挙げられるのが徹底した長回しだ。この作品においてそれが顕著に現れるのが会話場面である。Buticăは会話する主体を真正面から捉える、まるで切り返しという概念がないかのように捉え続ける。だが切り返しの代わりに、彼は頗る遅々としたズームを行う。まるで粘ついた泥が地面に広がるようなズームで彼は、会話する主体を見据えながら、その実彼らの奥に広がる禍々しい何かの存在を見据えているのだ。そうして登場人物がいつ惨たらしく殺害されようともおかしくない、不穏な雰囲気が醸造される。

更にコルネリュ・ポルンボユクリスティ・プイウといったルーマニアの作家たちが長回しをするのはある大きな理由がある。現実を可能な限り純粋な現実として捉えるやり方として連続性を重視するゆえ、長回しという手法を必然的に選択することとなるのだ。それ故ルーマニア映画には他の映画とは異なる時間感覚が共有されているが、今作にも正にそれが継承されている。例えばホガスが切断された足の先端を家に持ち帰る場面、彼は上半身裸で夕食を食べながら、その人肉から靴や靴下を取り除いていくのだが、カメラは先程のスローズームを以てその光景を描き出す。塊を見つめる、夕食を食べるのを止める、フォークで靴下を剥ぎ取る、露になった足の爪を眺める、そういった行為の数々が一切の省略もなく描かれるのだ。この徹底的な連続性は過ぎ去る時間それ自体を捉え、禅的なまでに研ぎ澄まされていくが、このノワール的要素と禅的な要素とがこの“Câini”では奇妙な融合を遂げているという訳だ。

そして演出が後者の要素を担うならば、前者の要素を担うのが俳優たちの存在感だ。ロマンが事態を何とかしようとする中で現れるサミールという人物、彼を演じるルーマニアの名優ヴラド・イヴァノフはその筆頭と言えるだろう。アレクの元部下役として登場した彼は、最初気さくな一面を以てロマンへと近づいていくが、徐々にその邪悪な一面を露にしていく。彼の存在感は物語に通低する禍々しい何かを象徴しているのだ。“Câini”は未来なきルーマニアに広がる、果ての光景を映し出した陰鬱なノワール作品と言えるだろう。だが良い意味で皮肉的なことに、ルーマニア映画多様性を世界に認めさせた偉大なる作品としても今作はルーマニア映画史に残ることとなるだろう。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & ”A fost sau n-a fost?”/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & ”Aferim!”/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & ”Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism”/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &”Comoara”/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&”Autobiografia lui Nicolae Ceausescu”/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&”Marfa şi Banii”/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&”Hîrtia va fi albastrã”/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&”Boogie”/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&”Aurora”/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&”Toată lumea din familia noastră”/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&”O lună în Thailandă”/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&”Două lozuri”/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&”Duminică la ora 6”/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&”Croaziera”/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&”Reconstituirea”/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&”De ce trag clopotele, Mitică?”/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&”Balanța”/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&”S-a furat o bombă”/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&”O vară de neuitat”/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&”Prea târziu”/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&”Terminus paradis”/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&”Dupa-amiaza unui torţionar”/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&”Niki Ardelean, colonel în rezelva”/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&”Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&”Cursa”/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&”Cea mai fericită fată din ume”/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&”Autoportretul unei fete cuminţi”/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&”Inimi cicatrizate”/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&”Hotel Dallas”/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&”Pescuit sportiv”/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&”Un etaj mai jos”/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&”Meandre”/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&”Din dragoste cu cele mai bune intentii”/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&”Domestic”/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&”Plimbare”/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&”Duhul aurului”/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる

Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる

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(注:これ結構前に書いた記事の練り直しなので、冒頭の文は結構の前の出来事です)ブログでも映画配信サイトMUBIの名は何度も出してきたが、このサイトは映画のデータベースという側面も持っており、それぞれのページにはユーザーの感想が記載されるなどしている。自分も英語で感想を書いているのだが、他のユーザーがそれにコメントしてくる時がある。例えばタイの天才作家アノーチャ・スイッチャーゴーンポンについて感想を書いた後、英国人ユーザーからコメントが来て、アピチャッポンより全然良いよね、そっち「ありふれた話」のDVD出てんじゃん羨ましいわ〜など話して友達になったりした。

そんな中、これもブログに何度も書いているが、私はルーマニア映画好きが高じて実際にルーマニア語を勉強し始め、英語の合間にルーマニア語でも感想を記したりしている。ある時、そこに“The Glaceful Blute”(つまりは「しとやかな獣」である)という名前のユーザーが“何でルーマニア語で書いてるの?”なんてコメントを書いてきた。彼女はルーマニア人らしい。私はルーマニア文化、特に映画への愛や、他のヨーロッパ諸国の言語よりもルーマニア語が何でだかしっくりくる、みたいな事を書いて送ったのだが、内心めちゃ興奮していた。ルーマニアの人と友達になりたいという思いはあったが、東京国際映画祭アドリアン・シタル監督に拙いルーマニア語で喋った以外そんな機会はなかった。というか日本に生きていてルーマニアに触れる機会はそうない。突如訪れたこのチャンスに、図々しくもルーマニアの映画や文学で何かチェックすべきって作品ある?と聞いてみたりすると、そこで彼女がこんな作品を教えてくれた。

エミール・チョラン(or シオラン)はもはや説明不要な絶望の反哲学者ミルチャ・カルタレスクルーマニアノーベル文学賞を獲得するなら彼しか居ないと言われる作家なのだが、日本で唯一邦訳されている「僕たちが女性を好きな理由」は正直何か女性観がキモいだけの一作で(そういう意味で彼はルーマニア村上春樹と言えるかもしれない)彼女にこれクソじゃない?と聞いたら、それはクソだから他のを読めと釘を刺された。映画についてはAlexandru Tatosは自分も知っていて、勧められた作品もなかなか面白かったりした。だが他の作家は知らず、私はまずDan PițaMircea Veroiuという2人のルーマニア映画作家が監督した“Nunta de piatr㔓Duhul aurului”を観てみたのだが、これが素晴らしい一作だった訳だ。ということで今回はルーマニア映画史に燦然と輝く2作の至宝を紹介していこう。

まずは1971年製作の“Nunta de piatră”から行こう。19世紀はアプセニ山脈地方に位置する小さなモツ人の町、この町を舞台に2つの物語が紡がれていく。まずVeroiuが監督する1話目の主人公はとある中年女性(Leopoldina Balanuța)だ。夫や息子たちに先立たれ、もはや彼女にはたった1人の年若い娘しか残されていないが、その娘も精神に病を患っていた。女性はそんな彼女が美しい花嫁衣装を着て婚礼を上げる日を夢見て、必死に働き続ける。

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1話において、監督は女性が過ごす日々を淡々と描き出していく。朝早くから愛馬を連れて、身体を引き摺りながら町外れの鉱山へと赴く。シャベルを抱えて乾いた土を掘り起こし、そしてまた土を掘り起こしという厳しい肉体労働を女性は娘のために延々と続けるのだ。仕事が終わって雇い主に給料を催促するも、来週には払うからと門前払いを喰らい、女性は家へと帰る。娘の世話をして眠りにつき、翌日起きたとなると彼女は愛馬を連れて、身体を引き摺りながら鉱山へと赴き……

この悲惨な日々には悲壮なまでの崇高さが宿っている。ルーマニアの豊かな緑は不気味な影のごとく女性を取り囲み、今か今かとその命を腹に呑み込もうと彼女を見据える。その一方鉱山には白く染まり濃淡すらほぼ存在していない。人々は黄金など夢のまた夢と思えるそんな砂と石の世界へと黙々とスコップを突き刺していく。その時私たちは底冷えするほど虚ろな響きを耳にするだろう。砕かれる石の響き、傷ついた足が砂利を踏みしめる響き、そしてその響きは女性に幸せを与えることはないとも私たちは知っている。

対してPițaが監督した2話はもっとストーリーを重視した作品となっている。1人のチター弾きが広い野原を歩く姿から物語は幕を開ける。彼は婚礼に向かう途中だったのだが、そこで脱走兵と知り合い友人関係になる。そして2人で会場へと赴き、婚礼は始まるのだったが……

ここにおいて力強く浮かび上がるのが登場人物たちの表情だ。Pițaと撮影監督Iosif Demianは極度のクロースアップで彼らの顔を真正面から見据えていく。そして花嫁とチター弾きの視線が交錯する瞬間、私たちはある予感に襲われると共に、その未来をも幻視するはずだ。その意味では、ルーマニア映画史において裁かるるジャンヌ「処刑の丘」に匹敵する“顔”はここにこそ存在するのだと断言していいだろう。

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さて、監督であるDan PițaMircea Veroiuは70年代においては新世代に属する作家たちであった。時はチャウシェスク台頭の時、社会主義の更なる進展は歴史を背景としたプロパガンダ映画かもしくは薬にも毒にもならないコメディ映画(とは言え面白いことは面白い。"Nea Marin miliardar"とかは傑作だ)が量産される時期に来ていた。そんな中で彼らはこのブログでも監督全作品を紹介したLucian Pintilieや惜しくも早世した先述の映画作家Alexandru Tatosらと共にルーマニア映画界を引っ張っていったのである。そんな2人はVeroiuが90年代に早すぎる死を遂げるまで映画製作を共に続けたのだったが、先述した“”と並んで2人の代表作ろ言えるのが今から紹介する“Duhul aurului”なのである。

“Nunta de piatră”と同じ体裁を取っている本作、Veroiuが監督した第1話の主人公はムルザ(Liviu Rozorea)という若者だ。彼は黄金を強奪した後に、パブへと逃げ込むことになる。そしてそこの主人の厚意で宿に泊まることとなるのだったが……Pițaが監督した2話目もまた黄金を中心とした物語である。町ではクレメンテ(Ernest Maftei)という老人が大量の金を隠し持っているともっぱらの噂だった。それに釣られある若い女(Lucia Boga)が彼と結婚し、老い先短いだろうクレメンテの死に乗じて金を奪い取るという計画を立てる。

さてここで少し“Nunta de piatră”の話題に戻るが、この作品において重要だったのは婚礼/生だった。無心で働き続ける女が追い求める娘の花嫁衣装、チター弾きたちの登場により事件の巻き起こる結婚式、これらが正にそれを象徴している。逆に“Duhul aurului”において重要なのは葬式/死である。冒頭で淡々と銃殺刑に処される罪人たちを映し出す一連の場面、ある者の死によって町で繰り広げられる盛大な葬式、“Nunta de piatră”と逆転したような出来事が今作では起こることとなるのだ。

そんな鏡合わせのような2作品を繋げるのがルーマニア伝統文化である。19世紀、この国においては未婚の若い女性が亡くなってしまった時、彼女は花嫁として大地に葬られるというしきたりが存在していた。つまり彼女の葬式は同時に結婚式でもあるのだ。ならば逆に彼女の結婚式は同時に葬式でもあり得るということだ。このどこか不気味な伝統が2つをおぞましくも美しく共鳴させるのである。“Duhul aurului”2話の最後、隠されていた黄金が全部石だと知った若い女は絶望に狂った末に死んでしまう。そうして開かれる葬式の中でクレメンテはまた黄金に魂を見入られた女を見つけ出し、婚礼を上げることになる。この終わりなき循環によって、“Nunta de piatr㔓Duhul aurului”ルーマニア映画史において永遠の輝きを放つこととなったのだ。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & ”A fost sau n-a fost?”/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & ”Aferim!”/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & ”Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism”/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &”Comoara”/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&”Autobiografia lui Nicolae Ceausescu”/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&”Marfa şi Banii”/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&”Hîrtia va fi albastrã”/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&”Boogie”/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&”Aurora”/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&”Toată lumea din familia noastră”/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&”O lună în Thailandă”/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&”Două lozuri”/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&”Duminică la ora 6”/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&”Croaziera”/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&”Reconstituirea”/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&”De ce trag clopotele, Mitică?”/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&”Balanța”/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&”S-a furat o bombă”/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&”O vară de neuitat”/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&”Prea târziu”/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&”Terminus paradis”/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&”Dupa-amiaza unui torţionar”/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&”Niki Ardelean, colonel în rezelva”/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&”Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&”Cursa”/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&”Cea mai fericită fată din ume”/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&”Autoportretul unei fete cuminţi”/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&”Inimi cicatrizate”/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&”Hotel Dallas”/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&”Pescuit sportiv”/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&”Un etaj mai jos”/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&”Meandre”/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&”Din dragoste cu cele mai bune intentii”/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&”Domestic”/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&”Plimbare”/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&”Duhul aurului”/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる

ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー

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あなたはズジスワフ・ベクシンスキーという画家を知っているだろうか。名前は知らないかもしれないが、この絵を見たならば“ああ!”と恐怖と共に思い出すかもしれない。そう彼は3回見たら死ぬと言われる絵画など、おぞましい作品を多く描いてきた画家なのである。さて、今回はそんな異形の作家を主人公とした伝記映画である、 ヤン・P・マトゥシンスキ監督作最後の家族(原題:Ostatnia rodzina)を紹介していこう。

ヤン・P・マトゥシンスキ Jan P. Matuszynski1984年ポーランドの都市カトヴィツェに生まれた。シレジア大学カトヴィツェ校映像学部クシュトフ・キェシロフスキ映画学校では監督業について、アンジェイ・ワイダ学校ではドキュメンタリーについて学んでいた。在学中から映画製作を始め"Razem"(2006)、"Myjnia"(2007)、"Wiem kto to zrobil"(2008)、"Afterparty"(2009)、"Niebo"(2011)、"Offline"(2012)などなど短編を精力的に手掛ける。

そんな彼にとって初の長編となったのが2013年製作のドキュメンタリー"Deep Love"だ。60歳のダイバーであるヤヌスは脳卒中によって身体の自由を失ってしまう。パートナーであるアーシアの助けを借りて、彼は再びダイバーとして海に潜ろうとリハビリを重ねるが……という作品でクラクフ映画祭とモスクワ国際映画祭において最優秀ドキュメンタリー賞を獲得するなど大いに話題になる。そして彼は2016年に初の劇長編である最後の家族を完成させる。

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まず最後の家族を一言で表すならば、ベクシンスキー家の家族史を30年というスパンで描き出す伝記映画というべきだろう。物語の始まりは70年代後半、50代に差し掛かった画家ズジスワフ・ベクシンスキー(Andrzej Seweryn)は妻のゾシア(Aleksandra Konieczna)や2人の年老いた母親と共に、ワルシャワ郊外にある団地の一室に暮らしていた。書斎に籠りクラシック音楽をかけながら作品を制作する以外は、彼は基本的に没交渉であり、芸術家として世界を旅することがないのは勿論、団地の敷地内からすら殆ど出ない生活を送っている。

そんなズドジラフは自分について語る時に“恒常性(ホメオスタシス)”という言葉を使う。爬虫類が自分の体温を一定に保ち続けることを意味するこの言葉は、住む場所を数十年変えることなく、自分の生活リズムを執拗なまでに同質に保とうとする彼の姿勢に当てはまる所がある。献身的なゾシアらを取り込んで作り上げた世界=アパートの一室は、独立した有機的システムとして駆動するのだ。

しかし彼にとって悩みの種であったのが、一人息子であるトマシュ(Dawid Ogrodnik)の存在だ。トマシュは精神的に不安定で、定職にもつかず日々を浪費している。自分の部屋に家族がやってくると鬱憤晴らしに喚き散らすばかりか物を破壊し、自殺を試みてガス爆発を起こした挙げ句、精神病院にブチ込まれるなど騒動にも事欠かない。彼は父とは真逆の存在、つまりは自分の意思に関わらず変化から逃れられない運命を背負った存在という訳だ。

今作のリズムは、むしろそんなトマシュの変化に共鳴するような速度を誇っている。マトゥシンスキ監督と編集のPrzemyslaw Chruscielewskiは1つの出来事にこだわることはなく、出来事出来事を繋げていくという意識も希薄だ。トマシュが家族に当たり散らす、ズドジラフとゾシアが死についての会話を繰り広げる、トマシュが自殺を試みて病院に運ばれる、そういった出来事の数々が断絶的な感覚を伴いながら淡々と綴られていく。驚くべきはそんな移り変わりの中で、1日1週間どころか数年が一気に過ぎ去っていくことだ。1977, 1980, 1984, 1986.....そういった無機質な4つの数字が画面の端に現れ、時間の経過が語られる。この不可解なほどの淡白さは、時の過ぎ去る速度がいかに早すぎるかを言外に語るようだ。

そしてこの奇妙な作風に欠かせないもう1つの存在が、脚本を執筆するRobert Bolestoだ。彼がこのブログに出てくるのは実は3度目だ。以前紹介したテン年代ポーランド映画の異形たちアニエスカ・スモチンスカ監督作「ゆれる人魚」Krzysztof Skonieczny監督作”Hardkor Disko”を執筆した人物が、他ならぬBolestoであったという訳である。今作の脚本構成はミア=ハンセン・ラブ「EDEN/エデン」ディアステムの「フレンチ・ブラッド」と似た部分が多くある。この3本は20, 30年スパンで個人史/文化史を描き出す作品であり、それを描くにあたり物事の過程はことごとく省略され、無数の点ばかりが繋ぎ合わされていく。ゆえに物語的な起伏が排される代わりに、時が過ぎ去る感覚、言い換えれば諸行無常の感覚が残酷なまでの濃厚さで観る者に迫ってくることとなるのだ。

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だが2作と今作に決定的な違いがあるとするならば、ここには諦念や虚無感だけではなくスペクタクルと見紛う高揚感すら宿っている点だろう。劇中において描かれる出来事はいわば衝撃的な事件の導入部ばかりだ。観客の脳髄を一発ブン殴るような事件が発生し、これからどうなる?という観客の期待をまるっきり無視した上で、脳髄をブン殴る事件がまた勃発する、この繰り返しだ。その手捌きたるや、事件に次ぐ事件で観客の興味を引こうとするハリウッド産ブロックバスターもかくやだが、そういった意味で今作はハリウッド産文芸映画という語義矛盾的な映画として無類の輝きを誇る。暴力あり、華麗なる成り上がりあり、セックスあり、往年の名曲あり、死体あり、爆発あり、墜落まであり、ある意味で同じハリウッド×文芸映画という場を志向していると言える007シリーズへの目配せもこれを考えれば確信犯的だ。私がここ数年観てきた作品でもテーマパーク性は随一で、まるでユニバーサル・スタジオワルシャワでワールド・オブ・ハリーポッターならぬワールド・オブ・ベクシンスキーを体感するような素晴らしさだった。“自分が思うに、素晴らしい映画とは素晴らしいスペクタクルなんです”という監督の言葉には納得しかない。

そして物語はジェットコースターのような凄まじい勢いを保ちながら、深遠なる死へと突っ込んでいく。容赦なく過ぎゆく時の中では、人々の間にいとも容易く死が訪れる。それに対してベクシンスキーはビデオカメラを持って死を撮影することで対峙しようとする、恒常性という観点からすれば生にとって死とは最悪の変化だろう。だがカメラで撮影するという行為は映し出される風景にある程度の恒常性を宿すこととなる。それでもカメラを通じて死を見つめるにあたって気づかされるのは、死の後に広がる無とはある意味で究極的な恒常性でもあるということだ。ベクシンスキーは死を拒みながらその実死に見入られている。故に生活態度とは全く矛盾した、死と破滅に彩られた作品を作っていたのかもしれない。

だがベクシンスキーの姿勢とは違い、監督はもっと死に対して楽観的な態度すら見せる。劇中においてトマシュは父に対して英国バンドであるジェネシスの名前を挙げながら、死は家族からの“脱退”だと嘯くのだ。この一種の軽さは映画それ自体にも適用できるだろう。アトラクションさながらに破滅と死が訪れるうち、それ自体は深刻も深刻な状況ながら、こういう風に死という奴は訪れるんだから抵抗も何も意味ねーよ、人間死ぬ時は死ぬんだからまあ好きにやろーぜという、投げやりな楽観主義が力強く現れる。劇中である人物が死んだ時、その人物には“おめでとう”なんて言葉が投げ掛けられる。もちろんそれは皮肉でありながら、字義通りに受けとるというのも本当なのだ。そして最後の家族のラストもそんな形で幕を閉じてしまう。観客はおそらくどう反応していいか解らないだろうが、まあ多分“おめでとう!”と言ってあげるべきなのだろう。時間なんて恐ろしいほど早く過ぎ去るし、何だかんだ言って人は死ぬ時は死ぬのだ、まあそういうものなんだろう。ハハハハハハハ…………

最後の家族2016年ポーランド映画界を席巻、ポーランド映画作家批評家賞組合で作品賞ポーランド映画賞では脚本・女優・男優・新人賞を獲得する。その他にシカゴロカルノヴィルニュスソフィアリスボンなどなど欧米中の映画祭で話題となった。その後の監督はドラマ界を中心に活躍している。TVプロデューサーであるカリスマ女性の姿を描いた"Druga szansa"国境警備隊が仲間の死の謎を追跡するクライムドラマ"Wataha"などのエピソード監督を担当していた。しかし現在彼は新作長編"Leave No Traces"(原題は不明)を製作中、1983年のポーランドを舞台にとある犯罪を目撃した若者が直面する悲劇を描いた作品なのだそう。ということでマトゥシンスキ監督の今後に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&”Lamb”/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&”A batalha de Tabatô”/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&”Woman Undressed”/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&”Ninah’s Dowry”/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&”Aloys”/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&”Já, Olga Hepnarová”/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&”Córki dancingu”/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&”Girl Asleep”/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&”Hooligan Sparrow”/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&”Yek khanévadéh-e mohtaram”/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&”Pharmakon”/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&”Centaur”/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&”Montanha”/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&”Mister Universo”/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&”Park”/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&”Le Parc”/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&”How Heavy This Hammer”/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&”Adiós entusiasmo”/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&”O lună în Thailandă”/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&”Ce lume minunată”/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&”Autumn, Autumn”/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&”Jours de France”/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&”Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&”Ejercicios de memoria”/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&”Prevenge”/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&”Dearest Sister”/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&”Orly”/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&”One Week and a Day”/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&”A blast”/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&”Boy eating the bird’s food”/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&”Ingen ko på isen”/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&”Makala”/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&”La idea de un lago”/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&”Teesklejad”/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&”Shelly”/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&”Hristo”/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&”Amnestia”/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&”Hotel Dallas”/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&”El auge del humano”/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&”Godless”/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&”Hounds of Love”/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&”Hunting Flies”/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&”Scary Mother”/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&”3/4”/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&”Dene wos guet geit”/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&”Strange Colours”/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&”Hello Destroyer”/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&”Szatan kazał tańczyć”/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&”Mochila de plomo”/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&”Sophia Antipolis”/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&”Temporada”/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&”Trote”/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&”Siyabonga”/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&”Dubina dva”/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&”Cocote”/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&”Antes Que Cante El Gallo”/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&”Gaze”/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&”Los Versos del Olvido”/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&”打烊時間”/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&”Werewolf”/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&”Ranenyy angel”/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&”De witte waan”/オランダ映画界、悲運の異端児

2018-08-17

Adriaan Ditvoorst&"De witte waan"/オランダ映画界、悲運の異端児

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世界的に見ると、オランダ映画界の存在感はあまり大きくないのかもしれない。というかこの国が産み出した残虐変態大将軍ポール・ヴァーホーヴェンの威光が鮮烈すぎて、他の作家たちがほぼ知られていないという状況にあるというのが正確かもしれない。最近の作家だと「ボーグマン」アレックス・ファン・ファーメルダム「裸の診察室」のナヌーク・レオポルド、日本でも劇場公開された「素敵なサプライズ ブリュッセルの奇妙な代理店」マイク・ファン・ディムなど名前が上がるかもしれない。

だが昔の作家ならどうだろう。かろうじてB級ホラーファンなら「ザンガディクス/鮮血の悪夢」ルドルフ・ヴァン・デン・ベルフやエレベーターが人を襲う怪作ホラー「悪魔の密室」の監督ディック・マースの名前が思い浮かぶ人も居るかもしれない。だが当然、私たちが知らないだけでオランダ国内では有名な作家たちは多くいる。その中でも一人、ヴァーホーヴェンと同時代に生きながらも不遇の内に世を去った、偉大なる映画作家が存在する。彼の名前はAdriaan Ditvoorst、今回は彼が残した数本の長編作を通じてその人生を巡っていきたいと思う。

Adriaan Ditvoorst(日本語表記はアドリアン・ディットボーストらしい)は1940年1月23日にオランダのベルヘン・オプ・ゾームに生まれる。厳格なカトリック教徒の家族の中で育つが、彼が10歳の頃に父が交通事故で他界する。この環境が彼の作品に大きな影響を与えることとなる。ギムナジウムや兵役を経て、アムステルダム映画学校に入学、そこで映画製作を学ぶ。

そんな彼が卒業製作として、1965年に製作したデビュー短編が“Ik kom wat later naar Madra”だった。主人公は名もなき青年(Hans Oosterhuis)、オランダ軍に徴兵された彼は訓練に明け暮れる日々を送っていた。しかし突如彼の元に恋人が交通事故に遭ったという報せが届く。彼は急いで外出の許可を取ろうとするが、上官に受理されない。業を煮やした彼は基地から脱走を図る。

自身の兵役経験を元にした物語自体はシリアスなものだが、Ditvoorstの演出は頗る生き生きとしている。撮影監督のデ・ポンは青年が基地を抜け出し、駅へと駆け込み、ヒッチハイクのため道路を行く姿を躍動感と共に捉えていく。ロケ撮影によって切り取られる、当時のオランダに広がっていた長閑な田園風景も魅力的だ。それでいて躍動感の裏には深い憂鬱も存在している。オランダの行く末を見つめる朴訥な言葉の数々、何とか病院に辿り着いた彼を呑み込むような迷宮的な回廊。1人の青年の若さや人生がグラつく姿を目撃するような、居心地の悪さすら物語には宿っているのだ。

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唐突に追憶や想像が挿入される自由な語りやロケ撮影が生むドキュメンタリー的な感触など、つまりヌーヴェルヴァーグに多大なる影響を受けた今作の形式は今までのオランダ映画界にはほとんど存在していなかった。その革新性は本国を越えて世界中の映画祭で評判となり、Ditvoorstは運命の出会いを果たすこととなる。彼はベルナルド・ベルトルッチジャン=リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォーなど時代の最先端を行く監督たちと交流する機会に恵まれ、更には“Ik kom wat later naar Madra”の登場を“オランダにおける映画作家の誕生”と激賞されたのだ。彼はこの賛辞を胸にして、1968年には彼にとっての初長編であるParanoiaを完成させる。

この物語の主人公はアーノル(Kees van Eyck)という青年だ。“Ik kom wat later naar Madra”の主人公と同じくアーノルもまた兵士であり、第2次世界大戦の勃発時にはナチスドイツと闘うため戦場に赴く……はずだった。しかしオランダロッテルダム空爆から数日経たないうちに降伏、彼は敵と戦わずして敗北を喫することとなった。数年後、彼は恋人のアナ(Pamela Koevoets)と共にロッテルダムで平穏な暮らしを送っていたが、戦わなかった罪悪感が彼に戦場を幻視させる。

Paranoiaでは前述の出来事が原因か、ヌーヴェルヴァーグの手法が更に濃厚なものとなっている。新しき波におけるパリとしての役割を果たすロッテルダムの冬を、Ditvoorstたちは端正に映し取っていく。落書きの綴られた裏路地や黒と白がたゆたうように混じりあう川面は寒々しさの中でも生き生きとし、その川沿いに聳え立つ屋敷は豪奢かつ瀟洒な佇まいを誇っている。アーノルたちが住む屋根裏部屋の風景からも、私たちの身近にも存在していそうな親密な息遣いが今にも聞こえてきそうなほどだ。

だがアーノルの置かれた立場はそう楽観できるものではない。この頃大家が屋敷の住民たちを追い出そうと嫌がらせを始め、実際彼の友人もここから出ざるを得なくなったのだ。アーノルは叔母の夫に援助を求めるのだが、法がお前を守ってくれるさと聞く耳を持たない。焦燥感が募る中、彼はとある新聞記事を読む。第2次大戦中にナチに協力したという兵士が指名手配という内容だったが、彼はそこに載っている写真が自分のものだとそんな妄想に囚われ、常軌を逸した行動を見せ始める。

この作品には相反する2つの空気が交錯している。まずは先述したヌーヴェルヴァーグを源とした自由の気風だ。しかし物語が進むにつれてそこに不穏な気配が立ち現れることになる。それはアーノルの不安定な心を反映したものと言えるだろう。妄想によって心が歪められるうち、世界も歪み荒涼たるものに変わっていく。車が立ち並ぶ路地からは人の影が消え去り、屋敷の異様もどこか空虚なものに堕していく。まるでロッテルダムの街並みが亡霊になったようなのだ。そして何かの影がアーノルを追跡するようなパラノイアなる空気が醸造される。

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Ditvoorstは本作においてオランダという国を未だ苛み続ける戦争の傷を描き出そうとしているが、その志は前作から地続きのものだ。前作“Ik kom wat later naar Madra”の冒頭、軍の教官は戦場で撮影された映像を使い、新兵たちに戦い方を教えようとする。“映像によってこそ、私たちはどう戦えばいいか容易に分かるのである”と解説する教官の声に重なり、銃を乱射し爆破から逃れようとする兵士たちの姿が流れるのは酷くグロテスクだ。主人公はそんな軍から逃げ出して(結果的に)一泡吹かせるということになる訳である。だがそれと比べるとParanoiaは遥かに陰鬱な物語だ。妄想が加速していくアーノルは拳銃を盗み出して、埃臭い屋根裏部屋に籠って犯罪者ごっこに明け暮れるようになる。そして行動がエスカレートしていくごとに、戦争の忌まわしき傷が水面下で膿み続けている現状が浮かびあがってくる。狂気は気まぐれにアムステルダムへと満ち渡り、それは何にも止めることは出来ないのだ。

さてここからDitvoorstは幾つかのドキュメンタリー作品を経て、ジャンル映画へと接近していく。1973年に製作された中編映画"De blinde fotograaf"はホラー作品であり、盲目の写真家をめぐる恐怖を描き出した作品だ。そしてその後に彼は第2長編として1975年“Flanagan”を監督することとなる。8年の収監の後、ポール・フラナガンは刑務所から釈放されることとなる。自由の身となったフラナガンの目的は2つ、逮捕の原因となった強奪事件で盗んだ大金の奪還、そして自分を裏切った犯罪仲間への復讐だ。そして彼は怒りを胸にアムステルダムへと向かう……と、つまりは娯楽映画としてのクライム・サスペンスの完成を彼は目指したのだった。しかし今作は興行的に失敗してしまったのだという。

こういった紆余曲折を経て、1978年に完成させた第3長編が“De mantel der Liefde”(英題:The mantle of love)だった。今作はオムニバス形式のブラックコメディとなっている。まず1話は狭苦しい部屋が舞台だ。ある夫婦がソファーに座ってテレビを眺めている。夫はそれに対して文句をつけ、妻が今から見よう番組にもケチをつける。妻はそんな態度に業を煮やし、工場をクビになり無職になった彼をネチネチと追い詰めていくのだが、その果てにとうとうブチ切れた夫はテレビを抱えて、それを……

様々なジャンルを経てきたDitvoorstがここで挑戦するのがブラックコメディである。どんなジャンルでも平均以上の成果を上げてきた監督だが、今作の黒い笑いはかなり強烈で脳髄が揺さぶられる。日常にくすぶる不満や焦燥感をネチネチ描き出していたかと思えばそれが突発的な暴力として激発したり、どこで笑っていいのか全く分からないシュールなネタの数々が投げつけられ、いきなり物語の首がすげ変わるソクーロフ的転回がブチ込まれるなどその黒さは多彩だ。

そしてこの笑いはオランダの現在を容赦なくブチ抜いていく。テレビなどのテクノロジーが発達することでこの国にどういった暴力と退化が巻き起こることとなったか、資本主義の流入によってこの国でいかなる混乱が巻き起こっているのか。ある短編では死にかけた父親がいる寝室の隣で、葬式と遺産についてベラベラ喋りまくり面倒事を押しつけあう家族の姿が描かれる。Ditvoorstはそんな醜い諍いに対して文字通り鼻くそを投げまくる訳である。

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そんな中で最も印象的なのはキリスト教関連の描写の数々だ。まず冒頭からしてモーゼキリストの対話という挿話で幕を開くのだが、ここから人々のミサ離れを嘆く司祭の発狂沙汰、当事者不在で中絶について議論を戦わせる司祭と政治家たちの姿が描かれることとなる。どれもキリスト教の自己矛盾や弱者を踏みにじる実態が痛烈なまでに描かれており、キリスト教について万事分からない人間でもネタの強烈さはこれでもかと血肉に迫ってくる。

“De mantel der Liefde”は実験的な作風の作品が多いDitvoorstの中でもとりわけふざけた作品だ。理知的な批判精神とドラッグやってる感じの脳髄爆裂的シュールさが観客の頬を交互にブン殴りまくってくる。そしてそれをあのブレードランナーでお馴染みなヴァンゲリスがその崇高な音楽で以て纏めあげる訳で、本当に得も言われぬ狂気の世界がここに誕生することとなるのである。こうしてカメレオンのように姿を変えながらDitvoorstは作品を製作してきたのだが、そんな彼が最後に残した第4長編が"De witte waan"(英題:White Madness)だった。

今作には2人の主人公がいる。まず1人が名もなき中年女性(Pim Lambeau)だ。彼女は豪奢な邸宅に住んでいるが他には誰もいない。それ故に孤独を深めながら、彼女だけに見える幻との会話で時をやり過ごしている。そしてもう1人の主人公はラーズロー(4番目の男」トム・ホフマン)という若者だ。打ち捨てられた工場を根城として、彼は町を彷徨い続ける。やることと言えばコカインを吸うか、レコーダーで何かの音を録音することだけだ。

Ditvoorstはオランダ映画界における実験映画製作のはしりと言われる人物だが、今作においてはその本領が遺憾なく発揮されている。2人の主人公の彷徨の合間に挿入されるのは子アザラシの無惨な虐殺場面、沈黙を御すると宣言するマッドサイエンティストの狂態、空を駆ける鷲の悠然たる飛翔。そういった一見何の繋がりも伺いしれない断片的な映像の数々が結びあわされていき、有機的に作品を謎めいたものに変えていく。

しかしある時、物語は変化を迎える。ラーズローが暮らす廃工場にある女性が訪ねてくる。彼女はラーズローの叔母らしいのだが、あなたの母親が交通事故に遭って緊急の状態にあると伝えてくる。最初は会うのを拒絶するラーズローだったが、いつしか心変わりをして病院へと赴くと、ベッドで横たわっている女性こそあの中年女性なのだ。ここで10年ぶりの再会を果たす2人だったが、ラーズローは彼女が渡してきた手紙を読んだ途端、血相を変えて病室を出ていってしまう。

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そして物語は蛇行に蛇行を重ねるが、ここにおいて核となるのはラーズローを演じるトム・ホフマンの存在感だ。黒々しい髭を蓄えて男らしい佇まいのラーズローだが、表面上冷静を装えど彼の行動は困惑するほど予期でないものばかりだ。最初は母親を拒絶しながら、邸宅へ叔母と戻ってきた彼女を暖かく迎え、驚くほどの献身的な介護を行う。それでも時には母親に対して暴力的な反応を返して、彼女や観客を困惑に至らせる。それでもホフマンの、男性的でありながらどこか繊細で張り詰めた糸の震えを体現したような佇まいはその行動の支離滅裂さに説得力を与えていく。

こうして2人の同居生活が始まるのだが、むしろその生活の実態よりも今作に頻出する鳥のイメージの方が彼らの心情を雄弁に伝えてくれる。先述の飛翔する鷲を筆頭として、拾ったバイオリンケースから這い出てくる鳩の群れの羽ばたき、ラーズローが描く血にまみれた鳥の絵、彼が時おり立ち寄る屋上に立っている巨大な鳥の像、邸宅の夜へ何処からともなく聞こえてくる囀りの数々。一体これらは何なのだろう?そう疑問に思う私たちは、不随になった身体を引きずる女性と彼女を介護するラーズローの姿を見ながら、これらは自由の象徴なのかもしれないと思うだろう。肉体に囚われ大地を這いずり続ける女性にとって、彼らは大いなる希望であり得るのだ。

その中において最後の鍵となるのが母と子の関係性のダイナミクスである。最初はラーズローの拒絶により全き絶縁状態が続きながら、再会によってその嫌悪感は少しずつ緩んでいき、介護の最中に2人の関係は親愛と嫌悪の間を劇的なまでに行き来する。しかしその繰り返しの内に確かに家族の絆が再び生まれ始め、とうとう恋人同士のような関係にまで2人は辿り着いていく。そしてそのダイナミクスの中で、彼らはとうとう鳥たちが謳歌するのと同じ自由へとも到達するのだ。つまりは"De witte waan"という作品はそんな究極の自由についての物語だったのだと、私たちは最後に悟ることとなるだろう。

Yvonne Keulsという戯曲家の作品"De moeder van David S."を原作とした本作は、しかし彼の他の作品と同様に評判は悉く悪く、今ならば得られて当然の栄光を得ることは叶わなかった。彼の作品の全ては一般の大衆から見捨てられ続けたのである。そしてその絶望からか彼は1987年10月18日、故郷のベルヘン・オプ・ゾームで自殺を遂げ、47歳の若さでこの世からも、オランダ映画界からも立ち去ってしまったのだった。そして彼の存在は忘れ去られることとなる……はずだった。

だが彼の遺志を継ぐ者がいた。彼こそ"De witte waan"で主演のラーズローを演じたトム・ホフマンである。4番目の男ブラックブックなどのヴァーホーヴェン作品を含むオランダ映画には勿論、サリー・ポッター監督のオーランドー」にも出演しているオランダを代表する俳優である彼だが、今作の撮影を経てDitvoorst監督とは特別な絆で結ばれることとなった。Ditvoorst自殺の1ヵ月前には共に新作を作ろうと構想も練っていたそうだ。Ditvoorstの自殺により計画は頓挫(それでもこの計画は後に、ホフマンの友人である映画監督イアン・ケルコフによって1999年にシャボン玉エレジーとして映画化される)したが、ホフマンはその友情を忘れることなく、1992年にドキュメンタリー映画"De domeinen Ditvoorst"を監督する。今作はDitvoorst監督の作品と生涯をインタビューや再現ドラマ、彼の作品の舞台化作品など様々な形式で描き出した作品だった。そこにはオランダ映画界の俊英として称えられながら、大衆やプロデューサーには作品を受け入れてもらえず、それでも映画への信仰は捨てられないままに、最後には自殺という道を選んでしまった彼の姿が描かれている。それによってDitvoorstもまた究極の自由を得たのだろうか。

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参考文献
https://www.1101.com/holland/1999-09-13.html(トム・ホフマンへのインタビュー)

エミール・バイガジン&"Ranenyy angel"/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える

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さて、カザフスタンである。中央アジアに位置するこの国の有名人と言えば誰だろう。例えば今年急逝したフィギュアスケート選手デニス・タンや映画界においては去年ベン・ハーリメイクという映画史の神に悖る行為をやらかしたティムール・ベクマンベトフが有名だろう。では、そんなカザフスタンの映画はどうなっているのだろう、そんな好奇心を持って観たらこれが絶望感と虚無感を同時にブチ込んでくる恐ろしい作品だった。ということで今回はカザフスタンの新星エミール・バイガジンと彼の第2長編“Thw Wounded Angel”について紹介していこう。

エミール・バイガジン Emir Baigazin1984年カザフスタンのアルガ地区に生まれた。カザフスタン国際芸術学校とアジアの新進映画作家支援プログラムであるアジア映画学校(AFA)で映画について学ぶ。在学中から短編を幾つも監督した後、2013年に初の長編作品である「ハーモニー・レッスン」を手掛ける。学校内におけるいじめや暴力の問題を描き出した本作はベルリン国際映画祭でプレミア上映後に撮影銀熊賞を獲得、サンパウロ国際映画祭では作品賞、東京フィルメックスでは審査員特別賞を獲得するなど世界を股にかけて話題になる。そして2016年には第2長編である"Ranenyy angel"を完成させる。

舞台は90年代初頭のカザフスタンソビエト連邦崩壊によってこの国は未曾有の経済危機に見舞われ、電気の配給すら滞る状況が続いていた。本作はそんな過酷さの中で生きる少年たちの姿を素描していく。ジャリルは仕事をクビにされ無職になった父の代わりに、学校にも行かず働く日々を送っている。コソコソ隠れて煙草を吸う時間だけが、彼にとって気の休まる時だった。そしてチックという少年は有望な歌い手として、その美しい歌声で人々を魅了している。しかしある日を境に声の調子が悪くなっていき、彼は自分の将来に絶望を抱き始める。

まず私たちが目を引かれるのは、撮影監督イヴ・ケープ(ホーリー・モーターズ)が切り取るカザフスタンの荒涼たる風景の数々だろう。乾いた草原には残骸の群れと化した廃墟が連なり、そこでは塵埃にも似た虫たちだけが狂ったように飛び回っている。そして少年たちが住む家もまた殺伐たるものだ。灰色の石が剥き出しになった壁に、必要最低限の家具すら存在しないゆえの虚ろな空間性、夜には電気も点かないゆえに濃厚な影が全てを覆い尽くす。それでも少年たちが灯す蝋燭の火が闇を薄い橙に染める様には、微かな希望もまた灯っている。

だがジャリルたちを取り巻く状況は日に日に過酷さを増していく。例え仕事があっても賃金は雀の涙ほどしかない故に、ジャリルは仕事場で盗みを働き、それを売って家計の足しにしている。さらに村には様々な理由で学校に行けない/行かない子供たちがおり、彼らは徒党を組んで犯罪を犯していく。そこには当然凄惨な暴力も存在している。1話においてもジャリルが父と共に人を殴る練習をするというシーンがあるが、2話において監督はチックの行く末それ自体を暴力の道行きと重ね合わされる。人を殴れないゆえに臆病者と見なされているチックは、声を失う恐怖に怯えながら身体を鍛え始める。1話の反復としての鍛練は切実さを増し、寒々しい現実の中で拳は堅く、赤くなっていく。

1話2話はそうして息詰まるような現実を描き出す作品だったが、3話4話で監督は別の方向へと舵を切り始める。3話の主人公はトードという孤独な少年だ。彼は学校に行くこともなく、廃墟を彷徨い歩きながらお金になりそうな廃材を探す日々を送る。唯一の楽しみといえば廃材から抽出した金属で指輪を作ることだけだ。そして孤独な誕生日を迎えたトードは、廃墟で奇妙な少年たちと出会い……4話は医学学校の受験を控えたアシュランが主人公だ。自分を律し勉強だけにのめり込んでいたアシュランだったが、恋人が妊娠したのを知った時から、自分の腹で何かが蠢く妄想に取りつかれるようになる。

この2つの話はカザフスタンの現実と残酷なるお伽噺が混ざりあったような感触を宿している。奇妙な少年たちはまるで時計を持った兎さながらに、トードを不気味な世界へと誘い、異形の世界へと引き込んでいく。そしてアシュランは蠢く何かに苛まれて、人生から転落していくのだ。ファンタジー的味つけと言えど、監督は容赦することがない。

この寒々しい4つの話に共通するのは、少年たちがまるでキリストの如く責め苦を受ける姿だ。それはおぞましいほどの淡々さで以て描かれていき、他者には気にもされず孤独に風化していく。その中でも特に残酷なのは、彼らが輝かしい若さの時代にあることだ。それが消え去り諦めという感情が根づく前に、老いることすらも許されぬまま、美しい声も希望ある未来も全ては潰える運命を彼らは受け入れなくてはならないのだ。

バイガジン監督、2018年には2作の新作が控えている。まず1本が"Would You Like to Stargaze"で内容はオムニバス短編集だそう。2作目は長編映画"The River"で内容の詳細は不明であるが、ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門でプレミア上映予定である。ということでバイガジン監督の今後に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&”Lamb”/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&”A batalha de Tabatô”/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&”Woman Undressed”/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&”Ninah’s Dowry”/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&”Aloys”/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&”Já, Olga Hepnarová”/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&”Córki dancingu”/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&”Girl Asleep”/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&”Hooligan Sparrow”/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&”Yek khanévadéh-e mohtaram”/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&”Pharmakon”/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&”Centaur”/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&”Montanha”/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&”Mister Universo”/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&”Park”/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&”Le Parc”/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&”How Heavy This Hammer”/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&”Adiós entusiasmo”/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&”O lună în Thailandă”/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&”Ce lume minunată”/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&”Autumn, Autumn”/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&”Jours de France”/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&”Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&”Ejercicios de memoria”/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&”Prevenge”/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&”Dearest Sister”/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&”Orly”/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&”One Week and a Day”/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&”A blast”/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&”Boy eating the bird’s food”/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&”Ingen ko på isen”/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&”Makala”/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&”La idea de un lago”/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&”Teesklejad”/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&”Shelly”/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&”Hristo”/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&”Amnestia”/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&”Hotel Dallas”/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&”El auge del humano”/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&”Godless”/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&”Hounds of Love”/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&”Hunting Flies”/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&”Scary Mother”/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&”3/4”/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&”Dene wos guet geit”/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&”Strange Colours”/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&”Hello Destroyer”/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&”Szatan kazał tańczyć”/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&”Mochila de plomo”/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&”Sophia Antipolis”/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&”Temporada”/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&”Trote”/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&”Siyabonga”/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&”Dubina dva”/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&”Cocote”/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&”Antes Que Cante El Gallo”/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&”Gaze”/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&”Los Versos del Olvido”/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&”打烊時間”/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&”Werewolf”/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&”Ranenyy angel”/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える

Patrick Wang&"In the Family"/僕を愛してくれた、僕が愛し続けると誓った大切な家族

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さて皆さん、アメリカアジア映画作家と言われて誰が思いつくだろうか。例えば「ドゥーム・ジェネレーション」の鬼才グレッグ・アラキ「SAW」シリーズに「死霊館」シリーズをブームに押し上げたホラー映画界の立役者ジェームズ・ワン、最新映画「クレイジー・リッチ・アジアンズ」が超話題のジョン・M・チュウ「トルク」「ブラッディ・スクール」など振り切れた作品ばかり作る異才ジョセフ・カーンなどの名前があるだろう。それでもアメリカ映画界にはアジアの血を受け継ぐ映画作家がとても少ない。そんな中で今回は、軒並み外れた才能を発揮するアジア映画作家Patrick Wangと彼の長編デビュー作にして大いなる叙事詩“In the Family”を紹介していこう。

今作の主人公であるジョーイ(Wang監督が兼任)は数学教師のコディ(Trevor St. John)や彼の連れ子である6歳の少年チップ(Sebastian Banes)と共に、幸せを絵に描いたような生活を送っていた。私たちはまず彼らの幸福な日常の素描を眺めることとなる。ジョーイが朝起きると、チップが彼の胸に飛び込んできて、最近ご執心なドラゴンについてあれこれ質問してくる。そんな光景にコディは微笑みを隠せない。朝食を終えてチップを学校へ送った後、2人はそれぞれの職場へと向かい仕事に励む。この日はチップの友人の誕生会があったが、ジョーイは残念ながら仕事が忙しくて向かうことが出来ない。それでも夜には3人が揃い一家団欒、眠たくないとグズるチップをコディはベッドに連れていき、そうしていつものように1日が終わっていく。

しかし翌日の朝、ジョーイの元にある電話がかかってくる。通勤途中にコディが事故を起こし病院に運ばれたというのだ。彼は急いでコディの元に向かうのだが、容態がどうなのか全くハッキリしない。看護師に尋ねようとも、まともに取り合ってくれないのだ。更に彼の妹であるエリン(Juliette Angelo)と共に面会に赴こうとすると“家族”以外の方には面会を許可できませんと拒まれてしまう。病院の対応に打ちひしがれるジョーイの元に、そして最悪の報が伝えられることとなる。

“In the Family”は最愛の家族を失った男の姿を描き出す、168分にも渡る喪失についてのエピックだ。しかしインディーズ映画としては規格外のランタイムはこの映画に必要不可欠だ。コディの葬式が終わり、家へと帰ってきたジョーイは食卓の椅子に腰を据え、不在中に届けられた手紙を機械的に確認していく。その時私たちはチップが台所で何かしようとしている姿を目撃するだろう。コーラのボトルを担いでコップに注ぎ、そしてジョーイがいつも飲んでいるビールを持っていき、慣れない閂を使って蓋を何とか開く。差し出されたビールをジョーイは無言のままで飲み、チップもまたコーラを口に注ぎ込む。この5分間、カメラはただ淡々と目の前の光景を写し取っていく、そこに誰かの声も介在することはない。それでも彼らが抱く喪失の痛みは静かに、だからこそ痛烈な密度を以て迫ってくる。もうコディは居ない、もうコディがここに戻ることはない。

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しかし世界はジョーイたちが喪失と対面する時間すらも与えようとしない。彼はアイリーンと再会した際、驚くべき事実を聞かされる。コディは遺書を残しており、そこには家の名義や愛息子であるチップの養育権をアイリーンに一任すると記されていたのだ。だがこの遺書が執筆されたのは彼の妻が亡くなった直後であり、自分とパートナーになる前に書かれた物であると知ったジョーイは彼女に反論するのだが、遺書が存在する限り法はアイリーンたちに味方する。そして彼は成す術もなく愛するチップを奪われてしまう。

物語はそうしてジョーイが直面する苦境を描き出していく。同性のパートナーを持つ人々に対して、異性愛を前提にして作られた規則や法律は残酷な形で作用していく。例えば病院において家族と認められなかった状況(今作の製作は同性婚が認められる以前の2011年で、今現在はその状況がある程度改善されていると信じたい)や、弁護士に対しパートナーが同性だと告げた瞬間に対応がおざなりになるなど露骨に作用するのだ。更にジョーイがアジア系であること、孤児院で育ったことなども絡み合うことで、事態は複雑なものになる。

そうして社会の袋小路へと追いやられていく様を、撮影監督Frank Barreraは余計な感傷を排しながらじっくりと描き出す。彼のカメラは被写体から幾分距離を取りながら、彼らの行動の1つ1つを静かに観察していく。それ故に例えばジョーイたちが共に生きてきた証の刻まれた邸宅、ある男性が所有する本の装丁を修理するためジョーイが赴く広々とした書斎など登場人物の背景に見えてくる空間もまた、そこに満ちる複雑な感情を私たちに語ってくれる。だがその撮影の中で特に印象的なのは、ジョーイの後頭部を映し出すショットだ。ぼうっと椅子に座っている、仕事に勤しんでいる、そんな何気ない時間に浸るジョーイをカメラは後ろから捉え続けるのだ。その時私たちは、表面上は常に冷静さを保ち続けるジョーイの黒々とした髪に闇を見出だす。逃れられない悲しみへと彼は徐々に引きずり込まれているような不吉な予感。それは眼差す私たちに対しても作用し、否応なしに愛する者の喪失を内省させる。

それでも濃密な息苦しさに、ふと何かが現れる瞬間がある。ジョーイは色褪せた日常の中でコディとの日々を思い出す。仕事を通じてコディと初めて会ったあの時、妻を失い酒に溺れていた彼に寄り添っていたあの時、そして互いの中に深い愛を見出だし唇を重ねあったあの時。その1つ1つの思い出には暖かさが染み渡っている。そしてこの温もりはジョーイに確かな力を与え、彼の周りには助けになってくれる誰かが集まるようになる。今作には胸を掻き毟るような痛み、社会がもたらす不条理、日常に根づいた差別や悪意など人が生きるにおいて避けられない負の側面が多く綴られながら、Wang監督はそんな世界で人々が持つ良心を愚直なまでに、どこまでも信じていこうとする意志があるのだ。

そして彼の意志が、ジョーイと私たちを家族という言葉に宿る輝きへと導く。ある時、ジョーイは自分の今まで生きてきた軌跡について語る。自分を残してこの世を去った生みの親たち、自分を引き取りジョーイという言葉と誇りを授けてくれた育ての親たち、自分を深く深く愛してくれた唯一無二の存在であるコディ。彼らの愛によって生かされていたジョーイは、そして家族の思いを背負いながら息子であるチップを生涯懸けて愛していきたいと語る。“In the Family”は類い稀な愛の物語だ、家族という言葉は今作によって新たな豊かさと温もりを獲得することになった。

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ポスト・マンブルコア世代の作家たちシリーズ
その1 Benjamin Dickinson &”Super Sleuths”/ヒップ!ヒップ!ヒップスター!
その2 Scott Cohen& ”Red Knot”/ 彼の眼が写/映す愛の風景
その3 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
その4 Riley Stearns &”Faults”/ Let’s 脱洗脳!
その5 Gillian Robespierre &”Obvious Child”/中絶について肩の力を抜いて考えてみる
その6 ジェームズ・ポンソルト&「スマッシュド〜ケイトのアルコールライフ〜」/酒が飲みたい酒が飲みたい酒が飲みたい酒が飲みたい…
その7 ジェームズ・ポンソルト&”The Spectacular Now”/酒さえ飲めばなんとかなる!……のか?
その8 Nikki Braendlin &”As high as the sky”/完璧な人間なんていないのだから
その9 ハンナ・フィデル&「女教師」/愛が彼女を追い詰める
その10 ハンナ・フィデル&”6 Years”/この6年間いったい何だったの?
その11 サラ=ヴァイオレット・ブリス&”Fort Tilden”/ぶらりクズ女子2人旅、思えば遠くへ来たもので
その12 ジョン・ワッツ&”Cop Car”/なに、次のスパイダーマンの監督これ誰、どんな映画つくってんの?
その13 アナ・ローズ・ホルマー&”The Fits”/世界に、私に、何かが起こり始めている
その14 ジェイク・マハフィー&”Free in Deed”/信仰こそが彼を殺すとするならば
その15 Rick Alverson &”The Comedy”/ヒップスターは精神の荒野を行く
その16 Leah Meyerhoff &”I Believe in Unicorns”/ここではないどこかへ、ハリウッドではないどこかで
その17 Mona Fastvold &”The Sleepwalker”/耳に届くのは過去が燃え盛る響き
その18 ネイサン・シルヴァー&”Uncertain Terms”/アメリカに広がる”水面下の不穏”
その19 Anja Marquardt& ”She’s Lost Control”/セックス、悪意、相互不理解
その20 Rick Alverson&”Entertainment”/アメリカ、その深淵への遥かな旅路
その21 Whitney Horn&”L for Leisure”/あの圧倒的にノーテンキだった時代
その22 Meera Menon &”Farah Goes Bang”/オクテな私とブッシュをブッ飛ばしに
その23 Marya Cohn & ”The Girl in The Book”/奪われた過去、綴られる未来
その24 John Magary & ”The Mend”/遅れてきたジョシュ・ルーカスの復活宣言
その25 レスリー・ヘッドランド&”Sleeping with Other People”/ヤリたくて!ヤリたくて!ヤリたくて!
その26 S. クレイグ・ザラー&”Bone Tomahawk”/アメリカ西部、食人族の住む処
その27 Zia Anger&”I Remember Nothing”/私のことを思い出せないでいる私
その28 Benjamin Crotty&”Fort Buchnan”/全く新しいメロドラマ、全く新しい映画
その29 Perry Blackshear&”They Look Like People”/お前のことだけは、信じていたいんだ
その30 Gabriel Abrantes&”Dreams, Drones and Dactyls”/エロス+オバマ+アンコウ=映画の未来
その31 ジョシュ・モンド&”James White”/母さん、俺を産んでくれてありがとう
その32 Charles Poekel&”Christmas, Again”/クリスマスがやってくる、クリスマスがまた……
その33 ロベルト・ミネルヴィーニ&”The Passage”/テキサスに生き、テキサスを旅する
その34 ロベルト・ミネルヴィーニ&”Low Tide”/テキサス、子供は生まれてくる場所を選べない
その35 Stephen Cone&”Henry Gamble’s Birthday Party”/午前10時02分、ヘンリーは17歳になる
その36 ネイサン・シルヴァー&「エレナ出口」/善意の居たたまれない行く末
その37 ネイサン・シルヴァー&”Soft in the Head”/食卓は言葉の弾丸飛び交う戦場
その38 ネイサン・シルヴァー&”Stinking Heaven”/90年代の粒子に浮かび上がるカオス
その39 Felix Thompson&”King Jack”/少年たちと”男らしさ”という名の呪い
その40 ジョセフィン・デッカー&”Art History”/セックス、繋がりであり断絶であり
その41 Chloé Zhao&”Songs My Brothers Taught Me”/私たちも、この国に生きている
その42 ジョセフィン・デッカー&”Butter on the Latch”/森に潜む混沌の夢々
その43 Cameron Warden&”The Idiot Faces Tomorrow”/働きたくない働きたくない働きたくない働きたくない
その44 Khalik Allah&”Field Niggas”/”Black Lives Matter”という叫び
その45 Kris Avedisian&”Donald Cried”/お前めちゃ怒ってない?人1人ブチ殺しそうな顔してない?
その46 Trey Edwards Shults&”Krisha”/アンタは私の腹から生まれて来たのに!
その47 アレックス・ロス・ペリー&”Impolex”/目的もなく、不発弾の人生
その48 Zachary Treitz&”Men Go to Battle”/虚無はどこへも行き着くことはない
その50 Joel Potrykus&”Coyote”/ゾンビは雪の街へと、コヨーテは月の夜へと
その51 Joel Potrykus&”Ape”/社会に一発、中指ブチ立てろ!
その52 Joshua Burge&”Buzzard”/資本主義にもう一発、中指ブチ立てろ!
その53 Joel Potrykus&”The Alchemist Cookbook”/山奥に潜む錬金術師の孤独
その54 Justin Tipping&”Kicks”/男になれ、男としての責任を果たせ
その55 ジェニファー・キム&”Female Pervert”/ヒップスターの変態ぶらり旅
その56 Adam Pinney&”The Arbalest”/愛と復讐、そしてアメリカ
その57 Keith Maitland&”Tower”/SFのような 西部劇のような 現実じゃないような
その58 アントニオ・カンポス&”Christine”/さて、今回テレビで初公開となりますのは……
その59 Daniel Martinico&”OK, Good”/叫び 怒り 絶望 破壊
その60 Joshua Locy&”Hunter Gatherer”/日常の少し不思議な 大いなる変化
その61 オーレン・ウジエル&「美しい湖の底」/やっぱり惨めにチンケに墜ちてくヤツら
その62 S.クレイグ・ザラー&”Brawl in Cell Block”/蒼い掃き溜め、拳の叙事詩
その63 パトリック・ブライス&”Creep 2”/殺しが大好きだった筈なのに……
その64 ネイサン・シルヴァー&”Thirst Street”/パリ、極彩色の愛の妄執
その65 M.P. Cunningham&”Ford Clitaurus”/ソルトレーク・シティでコメdっjdjdjcjkwjdjdkwjxjヴ

Ashley McKenzie&"Werewolf"/あなたしかいないから、彷徨い続けて

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このブログにおいておそらくカナダ映画は結構多く紹介してきた。おそらくアメリカルーマニアメキシコの次に多いのではないだろうか。そんな中で私が贔屓にしてブログでも多く話題にしている映画配信サイトMUBIで次世代のカナダ映画作家大特集が始まった。カナダの新人作家たちを世界へと大々的に紹介する画期的試みである。であるならばである、なかなかにカナダびいきだった私がこの特集を追わない理由があるだろうか。ということで今回から断続的にカナダ映画界大特集を行っていきたいと思う。では最初の1本として2016年最高のカナダ映画と呼ばれた作品である、Ashley McKenzie監督作“Werewolf”を紹介していくことにしよう。

Ashley McKenzie1984年、ケープ・ブリトン島に生まれた。ノヴァスコシアで映画に対する興味を育みながら成長する。彼女が本格的に映画製作を始めたのは2010年の短編"Rhonda's Party"からだった。老人ホームに住むロンダという女性が100歳になる友人のために誕生会を開こうとするが……という作品で、NSIオンライン短編映画祭で作品賞と女性監督賞を獲得することとなった。更に彼女は2012年に若いカップルの姿を描いた短編"When You Sleep"を、2013年には孤独な少女を主人公とした短編"Stray"を、2015年にはとある大学生と薬物中毒の友人との交流を描き出す"4 Quarters"を製作、どれも数々の賞を獲得するなど話題になった。そして2016年には初の長編監督作"Werewolf"を完成させる。

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この作品の主人公となる存在はブレイスとネッサ(Andrew Gillis&Bhreagh MacNeil)という若いカップルだ。両者ともメタドン中毒でかつホームレス、余り良い状況に置かれているとは言い難い。彼らはケープ・ブレトン島の小さな町ををあてどもなく彷徨い続けながら、持っている草刈り機で邸宅の庭を綺麗にしてお金を稼ぐ日々を送っていた。この生活はいつまで続くのか、それは彼らにも勿論私たちにも分かりはしない。

“Werewolf”から受ける第1印象は武骨でぶっきらぼうというものだ。McKenzie監督と撮影監督のScott Mooreはブレイスとネッサの彷徨いを、その一挙手一投足を少しの映画的装飾もなく淡々と追い続ける。画面は常に薄い灰色に包まれており、観る者の心を確実に濁らせ磨耗させていくのだ。

何の救いもない彼らの旅路に際立つのは、何とも形容しがたい侘しさの数々だ。ネッサはある時、殺した蝿の死体を手のひらで延々と弄ぶことになる。そこには溜め息混じりの侘しさが存在しているが、そういった場面を監督の眼差しは明晰なまでの観察眼で捉えていくのだ。

それと同時に今作には生の身体性をも浮かび上がってくることとなる。汚れに縁取られた足の爪、死んだ魚のような瞳が揺れるその動き、項垂れたように草を刈り続ける時の疲弊に押し潰されそうな全身。そういった物に重なっていくのが、カナダインディーバンドYouth Hauntsによる不穏なる音楽の数々だ。不協和音の彩られたその音楽が聞く者の心を不気味に揺らし続けるうち、2人の鬱屈したドン詰まりの感覚がこれでもかと肌に迫ってくるのである。

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そのドン詰まりの感覚というのは、つまり共依存の地獄というものだ。2人はいつも一緒にいてほとんど離れることがない。お互いを理解できるのはお互いだけという風に他者に対しては没交渉の態度でいる。彼/彼女しか頼れないという認知の歪みは2人を更なるドン底へと追い込んでいく。監督はその様子を静かにかつ丹念に描き出していく。

それでもネッサには転機が訪れる。医者の“カップルで薬物依存を克服するのは難しい”という言葉を聞きながら、彼女の中で燻っていた思いが再び首をもたげ始める。“このクソみたいな生活から抜け出したい”という思いが。そして彼女は一念発起し、アイスクリーム屋で職を得ることになる。その一方でブライスは破滅への道をゆっくりと進んでいく。

今作において最も印象的なのは監督のフレーミング、世界の切り取り方だ。例えば苦労しながら仕事をこなすネッサ、その顔に赤い発疹が現れだすのに観客は気づくことだろう。それはどんどん多く、色彩も濃くなっていく。McKenzie監督はそれを様々な角度から切り取っていき、緊張感を高めていく。監督の世界の捉え方は私たちとは微妙に違い、その微妙な違い、言うなればその明晰なる眼差しこそが“Werewolf”を薬物依存や共依存を描く作品以上の特別な作品に変えているのだろう。

“Werewolf”トロント国際映画祭でプレミア上映後、ベルリン国際映画祭、アトランティック映画祭、リスボン国際インディペンデント映画祭などで上映され話題を博す。更にバンクーバー映画批評家協会賞では最優秀女優賞と最優秀デビュー長編賞、トロント映画批評家組合賞では最優秀カナダ映画賞を獲得するなどカナダ国内で破格の評価を受けることとなった。そんなMcKenzie監督の新作は短編“Marrha Brook Falls”で、ノヴァスコシアに位置する川の流れを映し出す実験的映画だそうだ。さて、最後はMcKenzie監督による"Werewolf"のプロダクション・ノートを以てこの記事に幕を下ろしたい。

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"'Werewolf'はサマームービーです。タイトルが想像させるような、娯楽映画的な意味でもジャンル的な意味でもありませんが。この映画はメタドン中毒のカップルが錆びた草刈り機を引いて、お金を稼ぐため家から家へと小さな町を彷徨う姿を描いた、関係性についての映画なんです。

今作は私の住んでいる場所、ケープ・ブレトン島を舞台としています。ここでは夏が一番重要な時です。最大限楽しまないと!というプレッシャーすら感じられます。でないと瞬きする内にまた雪を掘る羽目になるぞと。もし人生に余裕があるならば泳いで、ハイキングをして、太陽を浴びて、社交的になろうという訳です。

私にとって初長編である'Werewolf'の脚本を書き始めたのは6年前のことです。何年か遠ざかっていた島へ帰ってきた時です。2作目の短編'When You Sleep'を完成させた頃で、それをシドニー(ノヴァスコシアの町の名前)にいる友人フィルに見せるため帰って来たんです。長編映画でまた一緒に仕事をしようと話す為、また会いたくもありました。彼はその時自宅軟禁中で両親と共に暮らしていました。

フィルは呼び鈴を鳴らしてくれと言ってましたが、到着した時に実際は玄関の前で待っていてくれました。足が地面から離れて、しかも肺から空気が全部吐きだされてしまう程、強く抱きしめられました。家の中のブラインドは熱を仕切りから出さないためか下ろされていました。彼は私とボクシングを始めようとしたり、アロエベラジュースをガブ飲み――飲むと不死身になれると言ってました――したり……興奮が彼の毛穴から滲み出ていましたね。'誰かが訪ねてきてくれた時、自分がここに閉じ込められるって忘れられるんだ'と彼は言ってました。

私はフィルに'When You Sleep'――ハイファックスにある公共住宅の近くで撮影された作品です――を観て何を感じるか聞いてみました。'そこで暮らしてる時の気持ちは分かるよ'と彼は言いました。'起きてから今日1日一体何をやりゃいいんだ?って思う場所なんだ。それから太陽がクソの欠片を照らしてるってそんな感じ' フィルが表現した恐怖は'Werewolf'を作っている間ウイルスのように耳から離れることはありませんでした。

薬物中毒や精神障害に苦しむ若者たちはこの感情に共感していました。グレイス・ベイの麻薬中毒から回復しようとしている若い男性とのインタビューはこの停滞した状況についてが中心になっていました。目を開ける前の目覚める瞬間を、彼は病的な恐怖が心によぎる前のインターバルだと答えていました。瞼の裏側で、1日の重みが迫ってくるんです。

'Werewolf'を作ってから夏を前と同じように感じなくなりました。夏を執行猶予のように感じる人もいれば、全くの窒息状態のように感じる人もいます。先月CBCが報じるには、カナダにおいて30歳から39歳までの人々が主に何で亡くなるかと言えば麻薬だというのです。政府の発表によると、去年約4000人のカナダ人が晶かな麻薬のオーバードーズで亡くなったといいます。非常に多くの人々が麻薬による混乱と共に毎日を生きているという訳です。

どうすればそんな停滞した状態で生活を成り立たせることが出来るんでしょう? 瞼を開く時の恐怖。あなたが永遠に染まってしまう前の時間の欠片。あなたの目の前に広がるシシフォス的な果てなき存在。'Werewolf'を製作する少しの間に解明したかったものがその現実なのです。映画が大きくなってしまうと抱えるものも重くなってしまいます。ですから自分が出来ることを選り分けるため、作品は引き締まった外科的な作風に留めました。実態は率直です。この物語を語りたいという熱意は'Werewolf'が場面から場面へと息を切らし進んでいくようなものに感じられます。私はそれから目を逸らさずにいようとしていたんです"*1

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カナダ映画界、新たなる息吹
その1 Chloé Robichaud &”Sarah préfère la course” /カナダ映画界を駆け抜けて
その2 ソスカ姉妹&「復讐」/女性監督とジャンル映画
その3 Chloé Robichaud&”FÉMININ/FÉMININ”/愛について、言葉にしてみる
その4 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その5 Julianne Côté &”Tu Dors Nicole”/私の人生なんでこんなんなってんだろ……
その6 Maxime Giroux &”Felix & Meira”/ハシディズムという息苦しさの中で
その7 ニコラス・ペレダ&”Juntos”/この人生を変えてくれる”何か”を待ち続けて
その8 ニコラス・ペレダ&”Minotauro”/さあ、みんなで一緒に微睡みの中へ
その9 Lina Rodríguez&”Mañana a esta hora”/明日の喜び、明日の悲しみ
その10 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その11 Kazik Radwanski&”How Heavy This Hammer”/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その12 Kevan Funk&”Hello Destroyer”/カナダ、スポーツという名の暴力

2018-08-16

Nicole Vögele&"打烊時間"/台湾、眠らない街 眠らない人々

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私のツイッターフォロワー台湾好きが多い。彼/彼女らは頻繁に台湾へと旅行し、様々に楽しんでからほっくり顔で帰ってくる。そして皆がその時の写真を挙げる訳だが、美味しそうな食事に洒脱な建物、美しい風景や驚きの仮装写真などなど見てるこっちまで台湾を旅行しているような気分になるものばかりだ。しかし今回紹介する作品はそんな煌びやかな台湾とはまた別の、それでもやはり同様に魅力的な台湾を描き出す、Nicole Vögele監督による長編作品"打烊時間"を紹介していこう。

Nicole Vögeleは1983年スイスのグレッツェンバッハに生まれた。2002年からはリポーター/ジャーナリストとしてテレビ局に勤務していた。その後2010年にドイツのバーデンヴュルテンベルク映画学校でドキュメンタリー制作について学び、本格的に映画製作を始める。2013年に山登りについて描いた実験的短編"In die innereien"と孤独な女性の日常を追った短編ドキュメンタリー"Frau loosli"を製作後、翌年には初の長編作品"Nebel"を完成させる。霧深い山間部の村に広がる自然や人々の生活を追った作品であり、ベルリン国際映画祭では特別賞を、ポツダム=バーベルスベルク国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を獲得するなど話題になる。そして2018年には台湾に拠点を移し、最新作である"打烊時間"を監督する。

舞台は深い夜に包まれた、眠らない町台北。そこに深夜だけ営業しているクオさんとリンさんの料理屋がある。眠らない町の眠らない住民たちに暖かな食事を提供する、人々の憩いの場所こそがこの料理屋なのである。今作はそんな場所を中心として夜の台北を描き出そうとする作品な訳である。

まず監督はクオさんとリンさんが仕事に励む姿を静かに見つめていくこととなる。クオさんは厨房で猛烈な勢いを以て人参(台湾の人参は太いぞ!)の皮を向いていき、リンさんは椅子に座って何かの肉を一心不乱にハサミで裁断していく。そして2人が店に揃った時には、常連客らしき中年男性と共に“昔は良かったなぁ”だとかそんな与太話を笑いながら繰り広げるのである。

そしてその合間にVögele監督と撮影監督Stefan Sickが持つカメラは、夜の台北へも漂い始めることとなる。ヘッドライトをつけた車が疎らに通る高速道路俯瞰図、通行人の頭上で煌々と輝くネオンの美しさ、歩道橋の前で強風に煽られながらクルクルと躍り回る新聞紙の何とも言えないエモさ、その後路上を歩いていたお婆ちゃんの方へと意図せず突撃していく時の微笑ましさ。全てが滑稽で崇高なまでに詩的であり、観客には新鮮な驚きを与えてくれるだろう。

更にカメラは眠らない町だけでなく、眠らない人々へも焦点を向けていく。クオさん夫婦の店にはたくさんの人々がやってくる。昔馴染みらしい元タクシー運転手の中年男性、ABCの機械がやりたいと駄々をこねる少女と彼女をいなす父親に母親、“お前具合悪いのか?” “いやそういう訳じゃ……”と緊張感を発する刺青だらけの兄貴とその舎弟などなど。その多彩ぶりは台湾に生きる人々の多様性をも反映しているのだろうと思わされる豊穣さだ。

それは台北の町においても同様である。例えば建物の壁に沿って黙々と掃き掃除を行う中年男性には一抹の寂しさが宿っている。深夜営業の雑貨屋で客が来ないのを良いことにパソコンでゲームに明け暮れる店員の姿は可笑しさを湛えているし、クレーンゲームにド嵌まりして金を注ぎ込みまくる奇特な若者の姿も何となく笑える。個人的に一番好きなのは、超歌が下手くそなのに恋人と一緒に熱唱した末、最後彼女に渾身のドヤ顔を決める眼鏡野郎だ。彼らは映画においてほとんど数十秒しか現れないのだが、それでも頗る印象的で、監督の見識眼の高さを思い知らされる。

作品それ自体はとても淡々としていながらも、心地よいほど多彩に描かれる台北の姿を目の当たりにする内、台湾好きでなくとも”ここ行ってみたいなあ”と思わされる展開が続きながら、しかし本作は更にその先へと進んでいく。クオさんはいつものようにやはり眠らない巨大市場へと赴き、料理の材料を探していき、顔馴染みの売り手とお喋りを繰り広げる。だがその帰り道、彼は間違えていつもとは違う高速道路の出口へと行ってしまう。それに気づかないクオさんは、そのうち全く未知の世界へ辿り着くこととなってしまう。

クオさんは動揺しながら、近くにあった店の店主に“公衆電話とかありませんか?”などと聞くのだが、つれない返事で途方に暮れてしまう。そんな彼は正に不思議の国のアリス状態で辺りを狼狽と共に彷徨うこととなる。そうして彼は生粋の台湾人でありながらも知らなかった台湾という国の奥の奥へと導かれていくことになる。空気が紫色に染まったような場所に広がるのは鬱蒼と繁り曲がりくねった道を形成す木々の群れ、壊れた道路標識が放置された細い道、そして何よりも壮大ながら畏怖をも抱かせるような紫に完全に染まった波の重なり。一体ここはどこなのだろうか…………

熱帯夜、鬱陶しい暑さや不快な湿気で眠れないあなた。ベッドから起き、涼やかな風を運ぶ窓に向かって歩いていき、外を眺めながらあなたはこう夢想する。"今、起きている皆は何をしてるんだろう? 今、町はどんな風になっているのだろう?" 今作はそんな夢想を映画化したような幻惑的な1作だ。私たちの、そこに住む台湾人本人たちすらも今まで見た事ない眠らない台湾がここには映っている。

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参考文献
http://www.swissfilms.ch/en/film_search/filmdetails/-/id_person/2146142471(監督プロフィール)
https://variety.com/2018/film/festivals/locarno-closing-time-director-nicole-vogele-profile-1202895322/(監督インタビュー)

私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&”Lamb”/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&”A batalha de Tabatô”/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&”Woman Undressed”/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&”Ninah’s Dowry”/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&”Aloys”/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&”Já, Olga Hepnarová”/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&”Córki dancingu”/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&”Girl Asleep”/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&”Hooligan Sparrow”/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&”Yek khanévadéh-e mohtaram”/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&”Pharmakon”/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&”Centaur”/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&”Montanha”/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&”Mister Universo”/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&”Park”/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&”Le Parc”/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&”How Heavy This Hammer”/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&”Adiós entusiasmo”/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&”O lună în Thailandă”/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&”Ce lume minunată”/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&”Autumn, Autumn”/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&”Jours de France”/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&”Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&”Ejercicios de memoria”/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&”Prevenge”/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&”Dearest Sister”/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&”Orly”/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&”One Week and a Day”/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&”A blast”/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&”Boy eating the bird’s food”/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&”Ingen ko på isen”/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&”Makala”/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&”La idea de un lago”/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&”Teesklejad”/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&”Shelly”/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&”Hristo”/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&”Amnestia”/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&”Hotel Dallas”/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&”El auge del humano”/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&”Godless”/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&”Hounds of Love”/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&”Hunting Flies”/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&”Scary Mother”/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&”3/4”/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&”Dene wos guet geit”/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&”Strange Colours”/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&”Hello Destroyer”/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&”Szatan kazał tańczyć”/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&”Mochila de plomo”/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&”Sophia Antipolis”/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&”Temporada”/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&”Trote”/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&”Siyabonga”/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&”Dubina dva”/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&”Cocote”/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&”Antes Que Cante El Gallo”/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&”Gaze”/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&”Los Versos del Olvido”/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&”打烊時間”/台湾、眠らない街 眠らない人々

Alireza Khatami&"Los Versos del Olvido"/チリ、鯨は失われた過去を夢見る

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チリは1989年まで軍政によるピノチェト独裁政権が続いていた。その後政権が崩壊して民主化が進行する中で、しかし忘れられていくものも存在していた。失われた文化、失われた命。今回紹介するAlireza Khatami監督作“Los Versos del Olvido”はチリの過去と現在を交錯させながら、生と死への洞察を深めていく真摯な一作だ。

Alireza Khatami1980年イランに生まれた。4年間映画・広告業界で働いた後にマレーシアへ移住、マルチメディア学位を取りVFXスーパーバイザーとして勤務する。2010年にはサバンナ芸術大学フェローシップに選ばれ、アメリカでファインアート修士学位を獲得する。在学中から映画製作を始め、2009年には短編"Focal Point"でシネマニアラ国際映画祭の短編賞を獲得、2011年には短編"Elephant in the Street"を手掛け、2013年には2作の短編"When the Curtain Falls""Rain Dog"を製作すると同時にオムニバス映画"Taipei Factory"に参加する。先述した国は勿論のこと台湾フランスなど世界中を巡りながら映画製作を行っていたが、2017年にはチリに渡って完成させた初長編"Los Versos del Olvido"ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門でプレミア上映されることとなる。

今作の主人公となる存在は名もなきモルグの管理人(Juan Margallo)だ。彼は死体の確認作業や墓地の手入れを孤独に毎日毎日続けるという日々を送っている。だが彼には謎の空白がある。日々の記憶はハッキリしているのだが、自分の名前についてどうしても思い出すことが出来ないのだ。

物語は管理人の静かなる1日を淡々と描いていく。モルグでの雑務をこなす一方で、同僚である墓掘り人(Tomás del Estal)の話に耳を傾け、霊柩車運転手(Manuel Morón)と共にお喋りを繰り広げ、そして墓地の壁に巣食う蜜蜂の姿を眺めて思索に耽る。そういった日々の光景が物語に連なっていく。

それでもこの作品が観客を退屈させないのは、Antoine Héberléによる詩的な撮影が頗る美しいものだからだ。何の変哲もない日常の中で、植物たちや墓碑の色彩が鮮やかに浮かび上がる姿は息を呑むほどに美しい。そして例えばラドゥ・ジュデの“Inimi cicatrizate”や日本でも公開されたリサンドロ・アロンソ「約束の地」のように画面は四角でなく丸枠となっている。その不思議な形が淡々とした日常をまるで幻惑的な白昼夢のように見せていくのだ。

そんなある日近隣でデモ活動が行われることとなる。その余波で軍隊がモルグを襲撃、保管されていた死体が強奪されるという事件が発生する。だが唯一残った若い女性の死体が、管理人の記憶を震わせ始める。そして物語には不気味な過去が浮かび上がる。事件を受けて人々は軍政時代に起きた様々な事件やその醜悪さを語り、管理人自身その時代に失踪した今でも行方不明の娘がいることが分かってくる。その傷がまだ彼を苛んでいることは明白だ。何故なら彼は女性の死体に娘を重ね合わせ、葬式を行おうと決意するからだ。

そこから管理人の奇妙な旅路が幕を開ける。その中で観客の目を惹くのは、Jorge Zambranoによる精緻に作り込まれた美術の数々だろう。モルグの侘しくも美的な姿に加えて、埃を被ったモルグの地下室に広がる禍々しくも魅力的な全容。管理人はその中を進んでいくが、その歩みは個人の記憶やチリの歴史の奥へと潜行していくような感覚に似ている。

そして今作を語るに欠かせないのが“鯨”の存在だ。管理人はTVで岸辺に打ち上げられた哀れな鯨についてのニュースを聞いてから、その幻影にとり憑かれることとなる。だが実際には彼らこそが管理人を真実へと導いていく存在なのだと、私たちには分かってくる。旅路の最中、空を悠然と泳いでいく鯨の姿がいわゆる魔術的リアリズム的に現れる様は息を呑むほどの壮大さを誇っているだろう。

“Los Versos del Olvido”は1人の男の心の中で混ざりあう生と死についての物語だ。チリがかつて経てきながら、今にすら蔓延する凄惨な悲劇のように、世界には理由なき暴力や死が満ちている。だがその最中に生の歓びと死の悲しみを想いながら、失われていった命を癒そうと奔走する管理人の姿には確かに希望の手触りがあると、この映画は私たちに語りかけてくる。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&”La idea de un lago”/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&”Teesklejad”/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&”Shelly”/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&”Hristo”/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&”Amnestia”/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&”Hotel Dallas”/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&”El auge del humano”/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&”Godless”/神なき後に、贖罪の歌声を
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その251 Ilian Metev&”3/4”/一緒に過ごす最後の夏のこと
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その254 Kevan Funk&”Hello Destroyer”/カナダ、スポーツという名の暴力
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その264 Arí Maniel Cruz&”Antes Que Cante El Gallo”/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&”Gaze”/イラン、私を追い続ける視線

Farnoosh Samadi&"Gaze"/イラン、私を追い続ける視線

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Farnoosh Samadiイラン出身の映画作家だ。Iranian Youth Cinema Societyにおいて映画製作を始め、数多くのビデオ・インスタレーションを手掛ける。そしてイタリアフィレンツェ国立芸術大学で映画について学ぶが、この地で創作上のパートナーとなるAli Asgariと出会う。意気投合した2人は共に映画製作を始めるのだが、その記念すべき1作目が2013年の“Bishtar az do saat”だった。1組の若いカップルがある事情から真夜中のテヘランを駆け回る姿を描いた今作にFarnooshは脚本家として参加、カンヌ国際映画祭でプレミア上映後、釜山やナウサなどの映画祭で賞を獲得するなど高い評価を得る。そして2014年には共同第2作“Bacheh”を、2015年には歯医者へと赴いた男が直面する悲劇を描く“La douleur”を製作、着実にステップアップを果たしていく。その中から今回は“Bacheh”を紹介したい。

今作の主人公はナルゲス(Sahar Sotoodeh)というテヘランに住む大学生だ。彼女は親と離れて暮らしている故、休みに親の訪問を目前としていたのだが、ナルゲスにはある秘密があった。それは父の分からない赤ちゃんを産み、そして育てているという事実だ。この事実を隠し通すために、彼女は友人(Faezeh Bakhtiar)と共にテヘランを駆けずり回ることとなる。それでも子供を預けられる場所は見つからず、他の友人に電話をかけるもすげなく断られ、ナルゲスたちは2人途方に暮れてしまう。

Asgali監督はそんな彼女たちの姿をステディカムで執拗に追跡していく。それはダルデンヌ兄弟クリスティアン・ムンジウかと言った風の社会派リアリズムであり、息詰まる空気感が画面から濃厚に薫ってくる。彼はこの物語によってイランという保守社会における女性の劣悪な立場を鋭く描き出している。だが希望も存在している。ナルゲスと友人の絆は固いものであり、女性同士の連帯がここにおいて確かに希望となりうることを、絶望と平行して彼は示しているのである。

このイランに生きる人々の日常を描いた三部作を完成させた後、Farnooshは監督としても活動を始める。まず手掛けたのが2016年に製作されたAsgariとの共同監督作“Il silenzo”(「サイレンス」という邦題で日本でも公開済み)だ。主人公はイタリアに生きるクルド人移民の少女ファトマ、彼女は病院で母が乳ガンに冒されているとの告知を受けるのだったが……今作はベルリンで最優秀短編賞を獲得するなど世界中で高く評価されることとなる。そして2017年にFarnooshは単独初監督作である“Negah”(英題:"Gaze")を完成させる。

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1人の女性(Marzieh Vafamehr, 自身も映画監督)がバスの座席に腰を下ろし、携帯で家族と会話している。だがその最中に彼女は場面を目撃してしまう。若者が老人から財布を抜き取ったのである。彼は女の視線に気づいてか、彼女の方へと向き直り淀んだ視線で睨みつける。

ここにおいてFarnooshは女性の表情にカメラを向けることになる。彼女の視線は時間と共に劇的に移ろっていく。最初は犯行現場と若者をじっと見つめながら、恐れを成した後には全てをやり過ごすように俯いてしまう。しかし最後には意を決して犯人を決然と見据えて、周囲の人々に対して彼の犯行を暴き出すのだ。

こうしてイランの新しい波を踏襲するような倫理劇が繰り広げられた後、しかし物語の風向きが変わっていくのに観客は気づくだろう男が逃げ出す前に乗客たちは彼を捕まえようとするが、一瞬の所で彼は逃げおおせてしまう。男が居なくなったことで安堵する女性だったが、それも束の間、窓から仲間のバイクに乗った男の姿が見え、安堵は再び恐怖へと引き戻されてしまう。

今作の英題は“視線”を意味しており、つまりはそれが核となっていく。バスに乗っている間も、バスから降りて自宅に向かう間も、現れては消える男の姿/視線に追いたてられ不安に怯える彼女の姿、それは女性にとっては多かれ少なかれ覚えのある光景なはずだ。誰かに追われている/周りの誰かが自分を襲おうとしている、この家父長制社会においてそんな恐怖は女性たちの日常に深く根づいてしまっている。“Negah”はそんな女性が日常的に感じるだろう神経症的不安を追体験させる試みに満ちている。ぜひともこの映画は男性が観るべきだと言えるだろう。

今作はAFI映画祭やティミショート国際短編映画祭で作品賞を獲得、世界中で好評を得た。彼女の次回作は脚本を執筆したAsgariの初監督作“Nepadid shodan”(英題:“Disappearance”)だ。先述した短編“Bishtar az do saat”を元にした本作は、若いカップルが巡る運命の一夜を描き出した作品でヴェネチアを皮切りにトロントサンパウロテッサロニキなど世界中の映画祭で公開され高い評価を得ている。ということでFarnoosh監督の今後に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&”Lamb”/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&”A batalha de Tabatô”/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&”Woman Undressed”/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&”Ninah’s Dowry”/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&”Aloys”/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&”Já, Olga Hepnarová”/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&”Córki dancingu”/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&”Girl Asleep”/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&”Hooligan Sparrow”/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&”Yek khanévadéh-e mohtaram”/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&”Pharmakon”/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&”Centaur”/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&”Montanha”/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&”Mister Universo”/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&”Park”/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&”Le Parc”/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&”How Heavy This Hammer”/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&”Adiós entusiasmo”/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&”O lună în Thailandă”/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&”Ce lume minunată”/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&”Autumn, Autumn”/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&”Jours de France”/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&”Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&”Ejercicios de memoria”/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&”Prevenge”/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&”Dearest Sister”/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&”Orly”/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&”One Week and a Day”/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&”A blast”/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&”Boy eating the bird’s food”/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&”Ingen ko på isen”/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&”Makala”/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&”La idea de un lago”/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&”Teesklejad”/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&”Shelly”/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&”Hristo”/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&”Amnestia”/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&”Hotel Dallas”/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&”El auge del humano”/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&”Godless”/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&”Hounds of Love”/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&”Hunting Flies”/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&”Scary Mother”/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&”3/4”/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&”Dene wos guet geit”/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&”Strange Colours”/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&”Hello Destroyer”/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&”Szatan kazał tańczyć”/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&”Mochila de plomo”/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&”Sophia Antipolis”/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&”Temporada”/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&”Trote”/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&”Siyabonga”/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&”Dubina dva”/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&”Cocote”/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&”Antes Que Cante El Gallo”/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを

Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて

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さて、ルーマニア映画を観るにあたって本当に本当に有り難いのは、様々なルーマニア映画を配信する国公認のYoutubeアカウントCINE PUBが存在していることだ。旧作に新作、短編に長編、劇映画ドキュメンタリーなどなど何でもござれで正直宝の山としか言い様がない。私はこのアカウントを通じて“ルーマニアの新たなる波”に属する作品を観て、このブログにレビューを書いてきた訳だが、短編作品については余り紹介してこなかった。ということで今回は今後注目のルーマニア映画作家Mihaela Popescuと彼女の印象的な短編作品“Plimbare”を紹介していこうと思う。

Mihaela Popescuルーマニアアメリカシカゴを拠点とする映画作家だ。本格的に映画製作に関わり始めたのは2010年、Bogdan George Apetriによる長編映画"Periferic"に共同プロデューサーとしてだった。その後、2013年にIgor Cobileanski監督作であるモルドバ映画"La limita de jos a cerului"に製作総指揮として参加すると共に、彼女にとって初の監督作品である短編映画"Plimbare"を完成させる。

この物語はある一人の女性(Valeria Seciu)の姿を描いた作品だ。設えられながら古めかしい匂いを感じさせる部屋、そこには白髪のほつれた老女が独りで住んでいる。しばらく彼女は思案に暮れるよう虚空を見つめているが、何か決意を決めたかのように立ち上がると、化粧台へと向かう。そしてその乾いた唇に真っ赤な口紅を塗ったかと思うと、おもむろに外へと出ていく。

そしてPopescuと撮影監督Marius Panduruは静かに彼女を追っていく。着飾った老女の佇まいには何か浮き足立つものを感じさせながら、ブカレストの街並みはそんな彼女をも喧騒と活気によって抱き止めていく。路上では少年たちがサッカーをして遊び、灰色の壁には色彩がグチャグチャと衝動のまま重ねられたグラフィティが描かれ、道路には車の数々が満員電車さながら犇めくとそんなルーマニアではお馴染みの光景が広がっている。それらはある種の翳りを以て撮し取られながら、親しみ深い空気感まで隠すことは出来やしない。

老女は果物屋へと赴き、ごく普通に買い物をする。だが雨が降ってきたことから、この店で雨宿りをすることになる。彼女は店の隅に立ちながら、若い店員(Sergiu Costache)が働く姿を見つめる。その視線はフラフラしながらも、確かに彼の姿を意味深に捉え続け、そして意を決した老女は店員のもとへと近づいていく。

冒頭から顕著だが、目前の光景をストイックに見据えるPopescuの演出は、例えばコルネリュ・ポルンボユクリスティ・プイウなど“ルーマニアの新たなる波”に属する作家たちと重なりあうような物だ。しかし決定的に違う点が存在する。後者の場合、食事をする、待つ、地面を掘るなどそういった行為を即物的な物として捉える故、待つという行為には“待つ”という意味しか存在しないという。不純物を排して、行為を行為として純粋に捉えることで真髄が見えてくるとでもいうようもストイックなのだ。

しかしPopescuは真逆なスタンスを取っている。つまり老女や店員たちが見せる行動の数々に、行為それ自体以上の意味を見出だしていくのだ。例えば部屋の中で老女が独り座っている姿、若者に向ける何とも言いがたい視線、そして震える手で彼女が取り出すもの、そこには、彼女がこの時に至るまで今までどんな道筋を生きていたのか?ということを観客に考えさせる豊かな余白が存在している。それは例えばケリーライヒャルトアンドリュー・ヘイの作品がそうであるように、何気ない所作の端々にこそ人生の豊穣さが浮かびあがるのだとPopescuは語る。

そしてここからはネタバレなので、本編を観てからの方が読むのは望ましいが、まあどっちでも大丈夫ではある。物語の後半、老女の目的が男娼でもある若者を買いセックスをすることだと判明する。どちらも躊躇しながら最後には事に及ぶ訳だが、ここで振り返るべきは老いた者たちのセックスがポジティブに捉えられる機会の少なさだ。特に老いた女性においては、そもそもが女性は性欲がないものか逆に異常性欲的かで捉えられることが多かったので、描写が極端になるのも然もありなんだが、この頃老いた女性たちの性欲を真摯に見つめる作品が多くなってきている。セバスティアン・レリオ「グロリアの青春」クレベール・メンドンサ・フィリオの「アクエリアス」などがそれにあたるが、この作品も正にそうだ。彼女のセックスに至るまでの決意をちゃかさずに描いた上で、セックスを終えた老女の薄く軽やかな笑みで以て物語は幕を閉じる。得てしてスティグマとして描かれやすい、老いた女性の人生を豊かに、そして彼女の性をポジティヴに描き出す、たった14分の中でPopescuはそれを成し遂げているのだ。

さてPopescu監督はその後、2017年に初長編であるドキュメンタリー"On Another Corner"を手掛ける。アメリカ独立記念日である7月4日に7歳の子供が射殺された事件をめぐる作品だという。更に翌年の2018年には初の劇長編"În pronunțare"を完成させる。コルネリュ・ポルンボユ監督作トレジャー オトナたちの贈り物」で主演だったクジン・トマを同じく主演に据えた、ある事件をきっかけにし危機に追い詰められる男の心象風景を幻想的に描き出す、ルーマニア映画としては珍しい表現主義的な映画だという。今作はベルリン国際映画祭でプレミア上映され、好評を博したようだ。ということでPopescu監督の今後に期待。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & ”A fost sau n-a fost?”/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & ”Aferim!”/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & ”Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism”/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &”Comoara”/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&”Autobiografia lui Nicolae Ceausescu”/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&”Marfa şi Banii”/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&”Hîrtia va fi albastrã”/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&”Boogie”/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&”Aurora”/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&”Toată lumea din familia noastră”/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&”O lună în Thailandă”/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&”Două lozuri”/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&”Duminică la ora 6”/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&”Croaziera”/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&”Reconstituirea”/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&”De ce trag clopotele, Mitică?”/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&”Balanța”/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&”S-a furat o bombă”/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&”O vară de neuitat”/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&”Prea târziu”/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&”Terminus paradis”/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&”Dupa-amiaza unui torţionar”/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&”Niki Ardelean, colonel în rezelva”/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&”Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&”Cursa”/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&”Cea mai fericită fată din ume”/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&”Autoportretul unei fete cuminţi”/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&”Inimi cicatrizate”/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&”Hotel Dallas”/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&”Pescuit sportiv”/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&”Un etaj mai jos”/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&”Meandre”/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&”Din dragoste cu cele mai bune intentii”/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&”Domestic”/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係

2018-08-15

Arí Maniel Cruz&"Antes Que Cante El Gallo"/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを

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思春期を生きるというのは真綿で首を絞められるような苦しみを伴う。自分を支配しようとする親や先生たち、自分と同じ長さを生きているはずだのにどうにも理解できない同級生や友人たち、そして何より大人と子供の間で身体も心も自由にならない自分への苛立ち。こういう気持ちを私と同じような時を生きる世界中の人々も感じているのだろうか、窓の外を眺めながらそんな思いに耽る少年少女もいるだろう。その答えは“もちろん居るに決まってる”だ。今回紹介するのはアメリカに属する小さな国プエルトリコ思春期に苦しむ少女の姿を描き出したArí Maniel Cruz監督作“Antes Que Cante El Gallo”だ。

Arí Maniel Cruzは1978年プエルトリコのサン・フアンに生まれた。 妻のKisha Tikina Burgosは彼の手掛けた長編で主演や脚本執筆なども担当する人物。大学で報道や脚本執筆について学んだ後、TV界・映画界を問わずシットコム脚本家プロデューサーとして活動する。映画監督としては"Zompi"(2005)や"El Brindis del Bohemio"(2009)などテレビ映画を手掛けた後、2012年に初の長編作品"Under My Nails"を監督する。プエルトリコ移民の孤独な女性がニューヨーク深い闇に墜ちていく姿を描いた作品だった。そして2016年には故郷のプエルトリコに戻り、第2長編の"Antes Que Cante El Gallo"を完成させる。

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この物語の主人公は13歳の少女カルミン(Miranda Purcell)、彼女はプエルトリコの中心部にある山間の村バランキダスに祖母(Cordelia González)と共に住んでいる。だが自然以外は1つの大きな広場とキリスト教の集会会場でもある農園しかない世界に、彼女はもうウンザリしている。都会に住んでいる母ドリス(Kisha Tikina Burgos)がもうすぐで自分もそこへ連れてってくれる日だけを夢見て、カルミンは退屈な日々をやり過ごしていく。

監督はまずカルミンという少女の人物像を丁寧に描き出していく。中学には全く馴染めないカルミンが、学校を抜け出して向かうのは近くの森だ。堅く雄々しい木の幹が大地に横たわる中、彼女はそこに寝転がってiPodで音楽を聞きながら、煙草をスパスパ吸う。そうして心がやっと楽になるのだ。しかし家に帰ると怒り心頭の祖母が待っていて、彼女を執拗に叱り始める。厳しく保守的で、自分のことなど何も分かってくれない。そんな日常の中で、カルミンは磨り減っていく。

そして彼女を取り巻く環境もまた息苦しいものだ。母が出稼ぎに出なくてはならない状況はプエルトリコの逼迫した状況をダイレクトに反映しており、監督のデビュー長編の主人公も貧困のためニューヨークへとやってきた移民という設定だった。そんな貧困の中で祖母のグロリアがのめり込むのはキリスト教だ。農園で行われる集会、そこでは盲目の女性が聖母マリアの言葉を語り、信者たちは信仰に咽び泣く。グロリアもその一人だが、カルミンが彼女に向ける視線は冷たい。聖母が自分たちを救ってくれたことなんてあった? こんなのただ現実から目を背けるための方便じゃないの? カルミンの眼差しはそんな疑問と神への不信を声高に語る。

だがカルミンにとって待望の日がやってくる、母が町から帰ってきたのだ。だが妊娠中らしい彼女からカルミンは思いもよらぬ言葉を告げられる。もうこの国では生きていけない、だから恋人とアメリカに行こうと思う、だから今はあなたを連れていけないけど、いつかは迎えに来るから……彼女は絶望感に打ちひしがれ塞ぎこんでしまうが、時を同じくして家へと帰ってきたのは疎遠だった父のルーベン(José Eugenio Hernández)だった。

そこからカルミンの日常は変化を遂げるが、安易な救済はここには存在しない。刑務所に長く収監されていた父と久しぶりの再会を果たしたカルミンは、まず不信感を拭いきれないでいるが、母と違いずっと自分といてくれる彼に心を開き始める。だがその交流の中に何か違和感があることに観客は気づくだろう。ルーベンは娘の部屋にズカズカと入り込んだり、ベッドで一緒に寝ようとしたりと余りに距離が近すぎるのだ。印象的なのは父が娘に触れるシーンのおぞましさだ。ベッドで眠るカルミン、ルーベンは彼女を見下ろしながら、掛け布団越しにその身体を撫でる。手つきは恋人に触れる時のそれに似て、親子同士の間にあるべきそれではない。だが物理的にも精神的にも遠く隔たる母や祖母よりも、余りに近いとしても側にいてくれる父の方がカルミンにとっては大切であり、彼女の顔には笑顔すら浮かび始める。

それでもあの不気味な身体の感覚はカルミンの人生を捻じ曲げていく。ある日彼女は股間が血に濡れているのを見つけ、自分が初潮を迎えたことを知る。身体が変化していくごとに、世界もまた否応なく拡大していく中、彼女の目にはセックスという行為が目に入り始める。盲目の女が信徒の一人と車内でセックスする姿、そしてルーベンが露骨なまでにある女性へ性欲を向ける姿、それは全て醜悪なものに映り、カルミンに吐き気をもたらす。だが自分もそこから自由ではいられない。不気味な感覚の数々は彼女を襲い、心を絡め取っていく。そんなカルミンに監督は思春期という成す術なき灰色の苦しみを浮かび上がらせていく。

カルミンを演じるMiranda Purcell“Antes Que Cante El Gallo”という映画の正に要だ。純朴な顔立ちにはいつであっても不機嫌な苦味が浮かんでいる。自分の周りにある全てに耐えられず、だが一番耐えられないのは他ならぬ自分自身だということに苦悩し続ける姿は、私たちそれぞれの心から吐き気にも似た記憶を引き出していく。“Antes Que Cante El Gallo”はその吐き気に慰めを用意することはない。プエルトリコの逼迫した状況、自分を救ってなどくれない神への不信、心を縛りつける家族という名の呪い、自分が自分ではなくなっていくような感覚……そんな環境の中で少女は大人になるのではなく、大人に仕立て上げられていくのだ。身体は変わり時は過ぎ去る、彼女の心は無視され打ち捨てられたままで

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参考文献
https://vimeo.com/user12602831(監督公式vimeo)
https://iffr.com/en/persons/ar%C3%AD-maniel-cruz(監督プロフィール)
http://larespuestamedia.com/ariel-manuel-cruz-interview/(監督インタビュー)

私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&”Lamb”/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&”A batalha de Tabatô”/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&”Woman Undressed”/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&”Ninah’s Dowry”/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&”Aloys”/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&”Já, Olga Hepnarová”/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&”Córki dancingu”/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&”Girl Asleep”/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&”Hooligan Sparrow”/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&”Yek khanévadéh-e mohtaram”/革命と戦争、あの頃失われた何か
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その254 Kevan Funk&”Hello Destroyer”/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&”Szatan kazał tańczyć”/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&”Mochila de plomo”/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&”Sophia Antipolis”/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&”Temporada”/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&”Trote”/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&”Siyabonga”/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&”Dubina dva”/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&”Cocote”/ドミニカ共和国、この大いなる国よ

M.P. Cunningham&"Ford Clitaurus"/ソルトレーク・シティでコメdっjdjdjcjkwjdjdkwjxjヴ

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最近このブログで紹介してきた奇妙な映画として(注:この記事は結構前に書いて放置していたので、実際は最近じゃない)挙げられるのは、ダミアン・マニヴェルによる愛の劇的な移ろいを描いた“Le parc(レビュー記事読んでね)
や、引きこもりの母親に振り回されるきょうだいの姿を描き出したコロンビア映画“Adios entusiasmo”(レビュー記事読んでね)などだろう。しかし私はこれらに勝るとも劣らない奇妙すぎる映画を見つけてしまったのである。ということで今回はM.P. Cunningham監督作“Ford Clitaurus”を紹介していこう。早速本編をどうぞ

ユタ州最大都市ソルトレーク・シティ、ここにMPにテイラーブライス(M.P. Cunningham&Taylor Young&Bryce Van Leuven)という若者たちが住んでいた。彼らは何だか適当に町をフラつき、食料雑貨店で店番する傍ら歌なんか唄ったり、プールサイドでタコスを頼んだり、公民館みたいな所でワークショップを開いたり、何だかそういう感じのダラダラな日々を送ったりしていた。そんな感じで日々は過ぎていく感じだった。

と、まあ粗筋はこんな感じであり、つまりはアメコメに良くあるモラトリアム若者たちが無意味に若さを浪費していく系映画な訳だ。そこに実は芸術家として身を立てたくて苦労してるなんて設定も付いてくるとなると、超低予算だけどSXSW映画祭やらトライベッカ映画祭やらでなら一発当たるかもしれない(実際は上映すらされない)的なインディー映画有象無象の1本としての貫禄は充分すぎるほどだろう。

がそういう凡百の映画とは何かが違うことに、観ているうち早々気づく筈だ。ある時GMたちは町の郊外で開かれる犬のテーマパークに赴き、牧羊犬が羊たちを追っている姿をボーッと眺める。かと思ってたら、いきなり映画が別次元の何かに変容する瞬間を目撃することになる。パソコンのバグか?vimeoがやらかしたか?それともこれは悪夢か?いや、これは現実だ、この異常な歪みは完全に現実だ!

今作は何とも味わい深いシュールなコメディと次元がねじ曲がったような奇妙な断絶/飛躍が混ざりあっている作品だ。これを観ながら思い出すのは現代ロシア文学界の異形ウラジミール・ソローキンである。今でこそ彼はグロテスクでファニーなSF作品を連発しまくっているが、昔はもっとポストモダン的な内容以上に形式にこだわる作家だった。短編集「愛」と長編「ロマン」を読めば分かるが、最初は普通だった登場人物が唐突に電波発言垂れ流したり、ウンコを喰い始めたり、dっjdjdjcjkwjdjdkwjxjヴぃwcdj府ぃ府ぃ府ぉしsじゃかjをうぃうぃfhvっjdjあzhdjうぃかjwksじゃjsjxでけいえいえっややjsと文章が乱れたかと思うと、そのまま作品が終わるという異常な光景が広がる。小説をただの文字の連なりと解釈し、悪意に満ちた切断の遊戯に勤しむ彼の作風は、読んだ当時本当に衝撃だった。

この唐突に全てがひっくり返る、ぶっ壊れる感覚をこの“Ford Clitaurus”は共有しているのだ。まるでソローキンが超低予算でインディーコメディを作ったという風に。最近いわゆる“ギリシャの奇妙なる波”など過去の映画史とはまた異なる文脈を伴った奇妙な映画が現れ始めているが、今作はそういった作品とも違う暴力的なまでの脱線が繰り出され、そしてしれっと普通に戻り再び暴力的な脱線が始まる。ここまで荒っぽい奇妙さを持ち合わせた映画というのは余りないだろう。おそらく短編映画だからこそ出来る技であるのかもしれない。

そして今作の奇妙な空気を支える大きな存在は変な男女3人を演じる俳優たちだろう。とはいえ、大分前に観たので結構忘れちゃったのだが(冒頭とこのセンテンス以外は当時書いて放置してた文章)ポーカーフェイスで一際変な姿をお披露目するロン毛野郎がいて、彼こそがこの映画の監督であるM.P. Cunninghamなのだ。それから……あー、何書こうとしたんだっけ、当時の私。正直丸っきり忘れてしまった。だって1年くらい前だし。まあ………………いいか。とにかく面白くて奇妙だったのは覚えてるから、観て損はないと思う。vimeoに丸々アップされてるはずから好きな時に観よう。ということでバイバーイ。

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ポスト・マンブルコア世代の作家たちシリーズ
その1 Benjamin Dickinson &”Super Sleuths”/ヒップ!ヒップ!ヒップスター!
その2 Scott Cohen& ”Red Knot”/ 彼の眼が写/映す愛の風景
その3 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
その4 Riley Stearns &”Faults”/ Let’s 脱洗脳!
その5 Gillian Robespierre &”Obvious Child”/中絶について肩の力を抜いて考えてみる
その6 ジェームズ・ポンソルト&「スマッシュド〜ケイトのアルコールライフ〜」/酒が飲みたい酒が飲みたい酒が飲みたい酒が飲みたい…
その7 ジェームズ・ポンソルト&”The Spectacular Now”/酒さえ飲めばなんとかなる!……のか?
その8 Nikki Braendlin &”As high as the sky”/完璧な人間なんていないのだから
その9 ハンナ・フィデル&「女教師」/愛が彼女を追い詰める
その10 ハンナ・フィデル&”6 Years”/この6年間いったい何だったの?
その11 サラ=ヴァイオレット・ブリス&”Fort Tilden”/ぶらりクズ女子2人旅、思えば遠くへ来たもので
その12 ジョン・ワッツ&”Cop Car”/なに、次のスパイダーマンの監督これ誰、どんな映画つくってんの?
その13 アナ・ローズ・ホルマー&”The Fits”/世界に、私に、何かが起こり始めている
その14 ジェイク・マハフィー&”Free in Deed”/信仰こそが彼を殺すとするならば
その15 Rick Alverson &”The Comedy”/ヒップスターは精神の荒野を行く
その16 Leah Meyerhoff &”I Believe in Unicorns”/ここではないどこかへ、ハリウッドではないどこかで
その17 Mona Fastvold &”The Sleepwalker”/耳に届くのは過去が燃え盛る響き
その18 ネイサン・シルヴァー&”Uncertain Terms”/アメリカに広がる”水面下の不穏”
その19 Anja Marquardt& ”She’s Lost Control”/セックス、悪意、相互不理解
その20 Rick Alverson&”Entertainment”/アメリカ、その深淵への遥かな旅路
その21 Whitney Horn&”L for Leisure”/あの圧倒的にノーテンキだった時代
その22 Meera Menon &”Farah Goes Bang”/オクテな私とブッシュをブッ飛ばしに
その23 Marya Cohn & ”The Girl in The Book”/奪われた過去、綴られる未来
その24 John Magary & ”The Mend”/遅れてきたジョシュ・ルーカスの復活宣言
その25 レスリー・ヘッドランド&”Sleeping with Other People”/ヤリたくて!ヤリたくて!ヤリたくて!
その26 S. クレイグ・ザラー&”Bone Tomahawk”/アメリカ西部、食人族の住む処
その27 Zia Anger&”I Remember Nothing”/私のことを思い出せないでいる私
その28 Benjamin Crotty&”Fort Buchnan”/全く新しいメロドラマ、全く新しい映画
その29 Perry Blackshear&”They Look Like People”/お前のことだけは、信じていたいんだ
その30 Gabriel Abrantes&”Dreams, Drones and Dactyls”/エロス+オバマ+アンコウ=映画の未来
その31 ジョシュ・モンド&”James White”/母さん、俺を産んでくれてありがとう
その32 Charles Poekel&”Christmas, Again”/クリスマスがやってくる、クリスマスがまた……
その33 ロベルト・ミネルヴィーニ&”The Passage”/テキサスに生き、テキサスを旅する
その34 ロベルト・ミネルヴィーニ&”Low Tide”/テキサス、子供は生まれてくる場所を選べない
その35 Stephen Cone&”Henry Gamble’s Birthday Party”/午前10時02分、ヘンリーは17歳になる
その36 ネイサン・シルヴァー&「エレナ出口」/善意の居たたまれない行く末
その37 ネイサン・シルヴァー&”Soft in the Head”/食卓は言葉の弾丸飛び交う戦場
その38 ネイサン・シルヴァー&”Stinking Heaven”/90年代の粒子に浮かび上がるカオス
その39 Felix Thompson&”King Jack”/少年たちと”男らしさ”という名の呪い
その40 ジョセフィン・デッカー&”Art History”/セックス、繋がりであり断絶であり
その41 Chloé Zhao&”Songs My Brothers Taught Me”/私たちも、この国に生きている
その42 ジョセフィン・デッカー&”Butter on the Latch”/森に潜む混沌の夢々
その43 Cameron Warden&”The Idiot Faces Tomorrow”/働きたくない働きたくない働きたくない働きたくない
その44 Khalik Allah&”Field Niggas”/”Black Lives Matter”という叫び
その45 Kris Avedisian&”Donald Cried”/お前めちゃ怒ってない?人1人ブチ殺しそうな顔してない?
その46 Trey Edwards Shults&”Krisha”/アンタは私の腹から生まれて来たのに!
その47 アレックス・ロス・ペリー&”Impolex”/目的もなく、不発弾の人生
その48 Zachary Treitz&”Men Go to Battle”/虚無はどこへも行き着くことはない
その50 Joel Potrykus&”Coyote”/ゾンビは雪の街へと、コヨーテは月の夜へと
その51 Joel Potrykus&”Ape”/社会に一発、中指ブチ立てろ!
その52 Joshua Burge&”Buzzard”/資本主義にもう一発、中指ブチ立てろ!
その53 Joel Potrykus&”The Alchemist Cookbook”/山奥に潜む錬金術師の孤独
その54 Justin Tipping&”Kicks”/男になれ、男としての責任を果たせ
その55 ジェニファー・キム&”Female Pervert”/ヒップスターの変態ぶらり旅
その56 Adam Pinney&”The Arbalest”/愛と復讐、そしてアメリカ
その57 Keith Maitland&”Tower”/SFのような 西部劇のような 現実じゃないような
その58 アントニオ・カンポス&”Christine”/さて、今回テレビで初公開となりますのは……
その59 Daniel Martinico&”OK, Good”/叫び 怒り 絶望 破壊
その60 Joshua Locy&”Hunter Gatherer”/日常の少し不思議な 大いなる変化
その61 オーレン・ウジエル&「美しい湖の底」/やっぱり惨めにチンケに墜ちてくヤツら
その62 S.クレイグ・ザラー&”Brawl in Cell Block”/蒼い掃き溜め、拳の叙事詩
その63 パトリック・ブライス&”Creep 2”/殺しが大好きだった筈なのに……
その64 ネイサン・シルヴァー&”Thirst Street”/パリ、極彩色の愛の妄執

アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係

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アドリアン・シタル&”Pescuit sportiv”/倫理の網に絡め取られて
アドリアン・シタル&”Din dragoste cu cele mai bune intentii”/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
アドリアン・シタル監督の略歴と彼の長編についてはこちら参照


前、ルーマニアの友人と犬について話していたことがある。ルーマニアではハムハム(ham-ham)と鳴くらしいだとか(ちなみに日本ではワンワンと鳴くと言うと爆笑された、何でかは分からない)、10年前は野犬がたくさん居て自分も背中を噛まれただとか。アドリアン・シタル監督の第3長編“Domestic”を観ている時、そんなことが思い出された。何故ならこの頗る奇妙なブラックコメディは、ルーマニアにおける動物と人間の関係性を描き出した作品だからだ。

今作の舞台はブカレストに位置するとある団地、ここで管理人であるラザール氏(「エリザのために」アドリアン・ティティエニ)は住民たちに詰め寄られていた。ある部屋で飼われている犬が煩くてしょうがないと彼らは直談判しに来たのである。ラザール氏はタジタジになりながら、あくる日飼い主たちの元へ行くのだが、彼らは露ほど警告を聞き入れることはない……

シタル監督が“Domestic”において挑戦しようとしているのは群像劇、今まで中心人物は少なめの作劇法を取ってきた彼にとっては新境地というべきだろう。管理人ラザール一家に加えて、ミハエス家は息子のために父親がウサギを持ってきたことで一騒動起こり、姉と同居中の独身男は煩い犬を黙らせるため行動に打って出る。他にものべつまくなしに喋りまくる住民たちが登場し、作品は賑やかしを極めていく。

そしてシタル監督の演出もやはり変貌を遂げている。長回し主体なのは前の“Din dragoste cu cele mai bune intentii”と同様なのだが、今回は舞台劇のような佇まいでカメラはそれぞれの家族が住む部屋を映し出していく。つまり長回しの持続時間は5,6分当たり前、時には10分にも渡る長さで以て登場人物の行動を逐一レンズに焼きつけていく。それ故に私たちは舞台を観ているような錯覚に襲われることともなる訳である。

さて作劇法も演出も異なれば、今作は中身の質まで違ってくる。前作、前々作と倫理の面から人々の心へと潜行していったシタル監督だが、ここでは以前とは一線を画するドス黒い笑いをブチ撒けにブチ撒ける。それは冒頭から顕著だ。カメラが撮すのはラザール氏の部屋、父と娘が会話をしていると、そこに母親が帰ってくる。その手には何と鶏が。これ捌かないと、と母に対して娘が渋々ながらそれを引き受け、何度か躊躇しながらも、しかし彼女は風呂場で鶏の首を掻き切る!その間にも両親の妙な口論が繰り広げられ、まだ動いてるんだけど〜という声まで響く。この一騒動を先述した10分にも渡る長回しで描く様は、悪夢的シットコムの様相を呈している。

という訳で、今作の黒い笑いにはルーマニアにおける人間と動物の関係性が密接に係わってくる。取りあえずまず目につくのはルーマニア人の動物の豪快な扱い方だ。先述の鶏屠殺からウサギの雑な持ち方まで日本人から見るとちょっとヒくくらいの扱い方をしている。そしてその様を観察していくうちに、分かってくるものがある。ルーマニア人は愛着あるペットにはとことんゾッコンになる。特にネコちゃんはかなり可愛がられる。が、どうでも良い動物には超残酷になれる一面も持つ。鶏は頸動脈ブチ切るわ、うざい犬は拉致って勝手に捨てるわ……

だが今作でもう1つ重要なのは、ここで動物たちはある種死生を司る存在であることだ。動物を残酷に扱う奴にはそれ相応の罰が下ることになるのだが、唐突さは余りにも急すぎて驚くほどだ。死生が分かたれることの不条理さのような物をシタル監督は動物たちの行動の予測しえなさに託している訳である。“Domestic”はそうしてルーマニアの諸相を奇妙な笑いと共に描き出した作品なのである。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & ”A fost sau n-a fost?”/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & ”Aferim!”/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & ”Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism”/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &”Comoara”/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&”Autobiografia lui Nicolae Ceausescu”/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&”Marfa şi Banii”/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&”Hîrtia va fi albastrã”/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&”Boogie”/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&”Aurora”/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&”Toată lumea din familia noastră”/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&”O lună în Thailandă”/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&”Două lozuri”/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&”Duminică la ora 6”/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&”Croaziera”/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&”Reconstituirea”/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&”De ce trag clopotele, Mitică?”/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&”Balanța”/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&”S-a furat o bombă”/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&”O vară de neuitat”/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&”Prea târziu”/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&”Terminus paradis”/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&”Dupa-amiaza unui torţionar”/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&”Niki Ardelean, colonel în rezelva”/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&”Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&”Cursa”/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&”Cea mai fericită fată din ume”/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&”Autoportretul unei fete cuminţi”/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&”Inimi cicatrizate”/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&”Hotel Dallas”/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&”Pescuit sportiv”/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&”Un etaj mai jos”/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&”Meandre”/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&”Din dragoste cu cele mai bune intentii”/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……

アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……

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人間は生きている限り、老いからは逃れられない。その例外は一切存在していない。しかし殊に、誰かの子供であった私たちは自分の親だけは他の人々と違って、ずっと老いることなく自分たちの傍らにいると思ってしまっていないだろうか。それは悲しいがあり得ない。彼らもまた老い、そして私たちを残してこの世を去っていく。それに気づいた時の驚きを、私たちはどう表現すべきなのだろうか。ということでアドリアン・シタル監督特集第2弾は、その驚きや当惑、悲しみを描き出した一作“Din dragoste cu cele mai bune intentii”を紹介していこう。

30代のアレックス(「私の、息子」ボグダン・ドゥミトラケ)はこの日もいつもと変わらない日常を送る筈だった。しかし1本の電話が彼の日常を切り裂いてしまう。電話の主は父(Marian Rálea)からだったのだが、彼は母(Natașa Raab)が脳卒中で倒れて病院に運ばれたとアレックスに伝える。その報せに動揺したアレックスは着の身着のまま故郷への道を急ぐ。

映画監督として様々な手法を実験するのは義務だ”というシタル監督の言葉通り、“Din dragoste cu cele mai bune intentii”は冒頭からして前作と遠く隔たっている。電話を受けたアレックスは四方八方に電話をかけながら、服を着替えて荷物をバッグに詰め込んでいく。前なら激しいカット割りで息つく間もなくこの情景を描き出していたはずだが、撮影のAdrian&Mihai Silisteanuはカメラを一点に据え、アレックスの一挙手一投足を見逃すまいとむしろカットをかけない。つまり演出の主体は長回しであり、前作とは作劇のリズムが全く異なっているのだ。

ということでトランシルヴァニアの故郷へと帰ってきたアレックスだったが、母の病状は安定していて深刻なものではないと聞き少し安心する。だが田舎の病院は信用できないからと、ルーマニア随一の大都市であるブカレストかクルジュの病院に彼女を移そうと計画を始める。それでも、そこから彼の前に様々な問題が持ち上がるのだった。

今作において映し出される病室は混乱状態にある。比較的狭い空間内に患者数人とアレックスら見舞い客、時おり検診に来る医師たちと常時たかり続ける蝿たちにと入り乱れているのだ。そんな彼らが犇めきあいながら、症状に食事管理に心配の言葉にと縦横無尽に会話が繰り広げられ、全く以て情報過多な状況が浮かび上がっている。その様は2016年において最も称賛されたルーマニア映画である、クリスティ・プイウ「シエラネバダを彷彿とさせる物となっている。

その光景はつまりアレックスの頭に広がる混乱と共鳴しあっていると言っていいだろう。顔見知りでもある医師のクリシャン(「エリザのために」アドリアン・ティティエニ)は母の症状は全く心配ないというが、果たして本当だろうか?母をもっと設備のいい病院に移すべきなのか、安静にさせていた方がいいのか。頭の中に様々な思いが去来し、アレックスの心を掻き乱していく。そうして生まれる混沌がそのまま映像として映し出されているのである。

そしてこの苦悩にはルーマニアの社会の現状も反映されているだろう。まず親族の結びつきだ。ルーマニアは東欧に位置しながらもイタリアなどと同じくラテンの血を引く民族ゆえか、その結びつきは頗る密接だ。病室にはひっきりなしにアレックスの親族がやってきて、空間は瞬く間にカーニバルさながらの状況を呈する。陽気で凄まじいパワーに満ち溢れながら、アレックスの悩みを更に加速させる要素であることは言うまでもない。

もう1つ重要な要素がルーマニア医療関連である。ルーマニアの病院の腐敗ぶりはクリスティ・プイウの「ラザレスク氏の最期」についての記事に記したので詳しくはこれを読んで欲しいのだが、それはルーマニア人自身が一番良く知っているのだ。それでも田舎よりは大都会の方がマシだとアレックスは奔走する訳だ。そしてここに主要都市と地方都市の軋轢が浮かび上がることになる。クルシャン医師は移動に表だって反対することはない。だが彼はブカレストを“弱肉強食の世界”だと形容し、反感を隠すこともない。そしてこの田舎町だからこそ成し得たこともあるとアレックスを牽制する。

そして彼はそういった物の板挟みになり神経衰弱に陥ることとなるが、そんなアレックスを演じるボグダン・ドゥミトラケの演技は印象的だ。カメラは常にアレックス以外の視線と重なりあいながら彼を見つめ続ける故に、ドゥミトラケはほぼ出ずっぱりなのだが、混乱と混沌の中でみるみる疲弊していく姿をこれでもかと生々しく描き出している。それでいてカメラが母親の視線と重なり、真正面から彼の表情を映し出す時、陰影ぶかい顔からは悲哀に彩られた暖かみが伺い知れる。そこからは親を想う子の慈愛が滲み渡っている。

実を言うならば“Din dragoste cu cele mai bune intentii”の物語展開や設定は目新しいものでも何でもない。しかしシタル監督は細部の書き込みや独特の演出法によって親の老いと死に触れる子供が抱くだろう不安やカオスをありのまま描くことに成功している。この手捌きこそがロカルノ映画祭及びゴーポ賞(ルーマニアアカデミー賞)における監督賞主演男優賞のW受賞という快挙を成し遂げさせたのだろう。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & ”A fost sau n-a fost?”/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & ”Aferim!”/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & ”Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism”/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &”Comoara”/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&”Autobiografia lui Nicolae Ceausescu”/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&”Marfa şi Banii”/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&”Hîrtia va fi albastrã”/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&”Boogie”/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&”Aurora”/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&”Toată lumea din familia noastră”/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&”O lună în Thailandă”/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&”Două lozuri”/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&”Duminică la ora 6”/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&”Croaziera”/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&”Reconstituirea”/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&”De ce trag clopotele, Mitică?”/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&”Balanța”/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&”S-a furat o bombă”/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&”O vară de neuitat”/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&”Prea târziu”/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&”Terminus paradis”/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&”Dupa-amiaza unui torţionar”/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&”Niki Ardelean, colonel în rezelva”/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&”Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&”Cursa”/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&”Cea mai fericită fată din ume”/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&”Autoportretul unei fete cuminţi”/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&”Inimi cicatrizate”/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&”Hotel Dallas”/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&”Pescuit sportiv”/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&”Un etaj mai jos”/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&”Meandre”/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38

Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃

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さてさて、ルーマニア映画界である。私は今までLucian PintilieMircea Daneliucなど映画界に絶大な影響を与えた巨匠たちについてもこのブログで紹介してきた。もちろんこれでは足らなすぎる。他にもDan PițaMircea VeroiuNicolae Margineanuなどなど紹介しなくてはならない重要人物と映画作品はとても多い。しかし上述の人物は取りあえず後に回して、今回はたった2本の長編作品を残しただけながら、ルーマニア映画史において重要な立ち位置にある偉大なる映画作家Mircea Săucanと彼の作品“Meandre”を紹介していこう。

まず私たちはある女性の顔をその目に映すこととなる。ショールで頭を包み、美しくも生気の欠けた表情だけを彼女は世界にさらけ出している。彼女はある男と再会した後、闇に包まれた部屋へと赴くこととなる。2人は彼女たちだけにしか分からない会話を繰り広げながら、テレビ画面を見つめ続ける。群れを成した水鳥たちが黒に染まった湖で羽根をバタつかせる、崇高な白を纏った馬が全身の筋肉を躍動させながら地を駆け抜ける。

だがその馬は私たちを全く違う世界へと導く。現れるのは美しい白色の夕焼けが広がった砂浜、そこで一頭の馬が若い男女と共に戯れている。恋人同士らしい彼らは砂の巷を自由に踊り回り、時は過ぎていく。夜が海を覆う頃、熱が冷めたように落ち着いた様子の青年は、しかし友人にこう尋ねる、ペンを持ってないか、アイツを殺しに行きたいからさ。そしてペンを片手に彼は背広を着た人物の後をついていく、彼はテレビ画面を見ているあの男だ……

“Meandre”という作品は凄まじく難解な代物だ。物語は直線を忌避するように苛烈なうねりを見せ、現れては消えていく登場人物たちの素性や関係性も容易には掴むことが出来ない。それでも少しずつ観客は今作の一端を垣間見始めるはずだ。建築士であるペトル(Mihai Paladescu)とその妻であるアンダ(Margareta Pogonat)、だが彼らの結婚生活は既に終りを迎えたようにも見える。そしてペトルの友人であるコンスタンティン(Ernest Maftei)と彼の息子であるジェル(Dan Nuțu)、家族仲は険悪のようでありジェルはむしろペトルを慕いながら、では何故ジェルは彼をペンによって殺害しようと目論むのか?

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今作が私たちの脳髄に混乱をもたらす理由の1つは、異なる時間が混ざりあう錯雑した編集だ。まずペトルとアイダが再会を遂げてからの時間があり、2人とジェルが奇妙な形で愛し憎みあう時間があり、更にそれらから逸脱するような断片的な過去の数々、もしかすると実在しなかったのかもしれない時間がここには存在している。そして私たちを更に混乱させるのは“現在”の欠落だ。再会の時こそが他ならぬそれのようにも思われながら、断言できる証拠は余りにも乏しい。今作において時間は万華鏡の鏡像のごとく入り乱れていくのだ。

そしてGheorghe Viorel Todanによる撮影によって世界はまた深く歪んでいく。彼が世界を真正面から捉えることは殆どない。見上げるように、見下げるように、風景を抉りとるように、凍てつかせるように、歪な悪意を以て世界を捉える。その時ペトルやアイダの顔は不自然なまでに斜めに傾き、影に覆い尽くされ、生気を刈り取られていく。更にTodanの撮影で特徴的なのは長回しの異様さだ。例えばパーティ会場を映す時、彼はカメラを空間の中心に固定し、ゆっくりと360度回転させる。来賓客たちが絶えず移動を繰り返す中で、画面の奥の人物たちを映すロングショットが繰り広げられていたかと思うと、ヌッと別の人物が現れ、突如クロースアップに移行する。私たちは絶えず距離感を狂わされる中で、ある当たり前の事実に行き当たる。世界はカメラが映す場所にだけ存在する訳ではないのだと。その瞬間にスクリーンの外へ世界が拡大していくような感覚を味わうかもしれない。しかしそれは明るいものではない、むしろ油が床を這いずるような不穏さを秘めている。

ここにおいて、今作の主人公はペトルたち以上に空間それ自体と言えるようになる。光と闇が交互に現れる砂浜、憂鬱げな曲が流れ続けるダンスホール建築士のそれとしては余りにも殺風景であり生活臭微塵も感じさせない家の内装、それらがTodanのカメラによって不気味に迫り、いつしか私たちの周囲にすら広がっていくような生々しい幻想を抱く。この不穏に開けていく世界を融通無碍に駆け回る存在がいる、それがジェルだ。彼は猿のような俊敏さと身体感覚で以て、私たちの目前から消え去ったかと思うと、全く別の姿を伴いながら再び現れ、消え去りとそんな躍動を幾度となく繰り返していく。その姿には文字通りの自由さを見出だせる、彼は私たちの救世主なのだ。しかし同時にそれは真逆の感触をも抱かせることとなる、すなわち運命的な不自由の感触を。

彼の姿に代表されるように、今作においては相反する2つの要素が絶えず激突し、その時に生まれる力が物語を牽引していく。世界を駆け回る自由はその実黙示録を思わす不自由に裏打ちされ、ペトルがジェルたちに向ける不器用な愛は不可解な殺意として返されていく。そして劇中でジェルはこんな言葉を呟く、人間の心には欺く自分と欺かれる自分の2人がいると。全てはコインの裏表としての関係性にあり、対立しながらも片方が消えるなら片方もまた消え去るしかない。

だが今作はそのダイナミクスの先を描き出そうとする。後半、観客は荒廃した廃墟やまるで完成することを拒まれたような建設現場の風景を目撃することになるだろう。そして不気味な予感に晒されることにもなる、全ては既に終わっているのではないか? 時代は1968年チャウシェスクが第一書記としてルーマニアの最高権力者になって数年が経った頃だ。この時期は自由化の気風が吹き荒れていた時であり、まだチャウシェスクルーマニアを救う人物として国民に慕われていた。だがここから数年経たないうちに、ルーマニアは徹底した統制によって独裁政権へと姿を変え、貧困と荒廃がもたらされることになる。“Meandre”はそんな未来の予知夢として当時の人々の前に顕現したのだ。だがそれが遠く過ぎ去った歴史でしかない私たちにとっても、このヴィジョンは凄まじい生々しさを以て迫ってくる筈だ。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & ”A fost sau n-a fost?”/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & ”Aferim!”/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & ”Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism”/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &”Comoara”/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&”Autobiografia lui Nicolae Ceausescu”/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&”Marfa şi Banii”/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&”Hîrtia va fi albastrã”/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&”Boogie”/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&”Aurora”/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&”Toată lumea din familia noastră”/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&”O lună în Thailandă”/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&”Două lozuri”/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&”Duminică la ora 6”/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&”Croaziera”/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&”Reconstituirea”/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&”De ce trag clopotele, Mitică?”/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&”Balanța”/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&”S-a furat o bombă”/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&”O vară de neuitat”/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&”Prea târziu”/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&”Terminus paradis”/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&”Dupa-amiaza unui torţionar”/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&”Niki Ardelean, colonel în rezelva”/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&”Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&”Cursa”/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&”Cea mai fericită fată din ume”/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&”Autoportretul unei fete cuminţi”/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&”Inimi cicatrizate”/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&”Hotel Dallas”/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&”Pescuit sportiv”/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&”Un etaj mai jos”/罪を暴くか、保身に走るか