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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Maxime Giroux &"Felix & Meira"/ハシディズムという息苦しさの中で

今、ケベック映画界が熱いというのは何度も何度もブログで書いてきたし、ドラン/ヴィルヌーヴ/ヴァレ以降の若手作家たちを実際何人も取り上げてきた。だがまだまだいる、全然紹介し足りない、まだまだ、本当まだまだいる。ということで私の好きな監督・俳優その74ではケベックの新星Maxime Girouxと彼の監督作"Felix & Meira"を紹介していこう。

Maxime Girouxは1976年ケベックモントリオールに生まれた。まずは映像作家としてキャリアを始め、Vulgaires Machins, Dahlia, Louise Forestier, Daniel DupuisなどのMVを監督し話題となる。映画監督としてのデビューは2006年の"Le rouge au sol"IKEAへのドライブの途中、人生のドン底のまで落ちた男と彼の母親による対話を描き出した作品はジニー短編作品賞、メルボルン映画祭では短編最高賞、ミラン映画祭では主演俳優賞・特別賞を獲得するなど話題になる。更にこの作品は長年タッグを組むこととなる脚本家Alexandre Laferriere、俳優Martin Dubreuilとの初の共同作品でもあり、この関係が"Felix & Meira"に繋がっていく。

同年の第2短編"Les Jours"を経て、Giroux監督はデビュー長編"Demain"を手掛ける。今作は糖尿病に苦しむ父と彼を介護する娘の姿を通じて若さという名の無力感を描き出した作品だという。そして2010年には第2長編"Jo pour Jonathan"を監督、鬱屈を抱える青年たちが夜の街でストリートレースにのめり込んでいく様をむしろ淡々と描いた作品、第3短編"La Tete en Bas"は以前取り上げたChloé Robichaud監督"Sarah préfère la course"(この記事を読んでね)の主演ソフィー・デマレーを起用、3人の少女の日常を通じ人々が抱える孤独と憂鬱について描く作品だそうだ。そして2014年、第3長編"Felix & Meira"を手掛ける。

食卓に男たちの朗唱が響き渡る。黒ずくめの服装、鬱蒼たる顎髭、こみかみに垂れる束ねた髪、頭には大きな帽子、彼らはいわゆる超正統派のユダヤ教徒だ。私たちはまず食事の前に彼らが行う儀式を目の当たりにすることとなる。そこに1人の女性メイラ(「フィル・ザ・ヴォイド」ハダス・ヤロン)が現れ、椅子に座る。顔を覆うのはあからさまな憂鬱だ。食事の最中、彼女はふと視線を上げる、真正面に座る夫シャラム(Luzer Twersky)と目が合う、すぐに視線を逸らす、だがシャラムも反らしたかと思えば、彼女を見つめ、また反らし、そして見つめる。そんな彼の瞳には静かな怒りが宿っている。

メイラはシャラムとの生活に限界を感じていた。誰かにとってユダヤ教は救いであるかもしれないが、彼女にとってはむしろ苦しみでしかない。ユダヤ教の戒律はそのままシャラムの厳格さでもあり、彼はメイラの行動を束縛し続けそこに自由はない。自分の好きな曲ーー例えばウェンディー・レネ"After Laughter"、例えばロゼッタ・サープ"Didn't it Rain"ーーですら、聞いている所を見つかると、シャラムに容赦ない罵倒を叩きつけられる。息苦しさの中でメイラにとって唯一の希望は娘だけだ。しかし彼女の存在は救いではなく、ある意味でこのユダヤ教コミュニティに自分を縛り付ける枷でもあった。

そしてフェリックス(Martin Dubreuil)という男もまた彼女と同じく孤独を抱える人間だ。絶縁状態だった父、彼と再会を果たした時には認知症によって、既に存在すら忘れ去られている。そして和解も何もないまま、父は亡くなってしまう。妹のカーロ(Anne-Elisabeth Bosse)には何もない風を装いながらも、狭い部屋の中でベッドにうずくまり、フェリックスは独り大きすぎる喪失に涙を流す。2人が住む世界は、その心の色彩を反映したかのような灰色に包まれている。だが、彩りは刈り取られ人生への諦念が滲み渡る世界でこそ2人は出会いを果たす。

最初の出会いはとあるパン屋、娘と共にテーブルに座るメイラ、フェリックスは何となく彼女に近づくと絵を描いているのに気づく、いい絵だ、そう彼が言うとメイラは居心地悪げに店を出ていく。2回目の出会いは路上、偶然メイラの姿を見つけたフェリックスは彼女を追いかけ、1枚の絵を手渡す、これを君の娘さんに、"船でヴェニスに向かうネコ"の絵だ……突然自分の人生に現れた男に不信感を抱きながらも、家庭内でのシャラムの束縛はますます強まり、いつしかメイラはフェリックスの中に安らぎを見出だし始める。

Giroux監督はそのメイラの心の揺らめきを、繊細な手つきで以て描き出していくが、2人の心が少しずつ近づく過程に、更なる誠実さと説得力を与えているのが"Tu dors Nicole"なども手掛けている気鋭のケベック人撮影監督Sara Misharaだ。長回しと言ってしまうと語弊があるかもしれないが、この映画を観ていると他の作品より1つ1つのショットが長めに撮られていることにあなたは気づく筈だ。フェリックスの父の邸宅でメイラがゆっくりと階段を登る、2人が卓球をしながら自分についての言葉を紡ぐ、そんな何気ないシーンにおいてGiroux監督たちはカットを割らずに、表情や身ぶりから互いへの慈しみと愛おしさが浮かび上がる様を掬いとっていく。

監督たちの巧みな采配はここで終わることがない。波のたゆたいにカメラを委ねながら、小さな船に乗り辺りをさまようメイラの姿を360度のパン撮影で描き出すシークエンスが湛えるえもいわれぬ感動に連なり、2人の世界はそれまでの灰色を塗り潰すような色彩に溢れだすこととなる。ネオンの眩い青に包まれたブルックリンで視線は摩天楼に向けながら、それでも確かにメイラとフェリックスは2人だけの世界を生きている瞬間。その果て、ホテルの一室でフェリックスは初めてメイラの顔に触れる。それはキスではなく、セックスではなく、ただ手のひらでその頬に優しく触れる。だがここには深い官能性があり、そして1つの曰く言い難い当惑があり、それを越えた先に溶け合うような親密さが在ってくれる。

この関係性は、しかし不倫として括られるものだ。倫理的な問いを伴わずには続くことは全く赦されない。フェリックスとメイラ、そしてシャラムの間の三角関係は静かに不穏さを増していき、束の間に満ち溢れた色彩を世界から消し去ってしまう。愛の不確かな存在性、結婚という契約、ユダヤ教徒であること、様々な問いが3人の胸を締め付けながら、それぞれが1つの選択を果たす。それが何であるにしろ、監督がそこに宿すのは純粋なる後悔だ。3人は選択の先の世界で、選べなかった未来への後悔をその顔に滲ませながら、それでも前へと進む。そして全ては再び灰色へと戻っていく。

だが私たちは最後にある風景を目の当たりにし、何よりある響きをその耳にするだろう。だからこそ私は誰が何と言おうとも"Felix & Meira"とは希望の物語なのだと、そう語りながら、涙を流していたいのだ。

"Felix & Meira"トロント国際映画祭カナダ映画部門の作品賞を獲得、ホイッスラー映画祭では作品・監督・主演俳優・脚本の4部門を制覇、そしてアカデミー外国語映画賞カナダ代表に選ばれるなど高い評価を獲得した。ということでGiroux監督の今後に期待。

カナダ映画界、新たなる息吹
その1 Chloé Robichaud &"Sarah préfère la course" /カナダ映画界を駆け抜けて
その2 ソスカ姉妹&「復讐」/女性監督とジャンル映画
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その4 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その5 Julianne Côté &"Tu Dors Nicole"/私の人生なんでこんなんなってんだろ……
その6 Maxime Giroux &"Felix & Meira"/ハシディズムという息苦しさの中で
その7 ニコラス・ペレダ&"Juntos"/この人生を変えてくれる"何か"を待ち続けて
その8 ニコラス・ペレダ&"Minotauro"/さあ、みんなで一緒に微睡みの中へ
その9 Lina Rodríguez&"Mañana a esta hora"/明日の喜び、明日の悲しみ
その10 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その11 Kazik Radwanski&"How Heavy This Hammer"/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その12 Kevan Funk&"Hello Destroyer"/カナダ、スポーツという名の暴力
その13 Ashley McKenzie&"Werewolf"/あなたしかいないから、彷徨い続けて

私の好きな監督・俳優シリーズ
その1 Chloé Robichaud &"Sarah préfère la course"/カナダ映画界を駆け抜けて
その2 アンドレア・シュタカ&“Das Fräulein”/ユーゴスラビアの血と共に生きる
その3 ソスカ姉妹&「復讐」/女性監督とジャンル映画
その4 ロニ・エルカベッツ&"Gett, le procès de Viviane Amsalem"/イスラエルで結婚するとは、離婚するとは
その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
その7 キャサリン・ウォーターストン&「援助交際ハイスクール」「トランス・ワールド」/「インヒアレント・ヴァイス」まで、長かった……
その8 Anne Zohra Berracherd & "Zwei Mütter"/同性カップルが子供を作るということ
その9 Talya Lavie & "Zero Motivation"/兵役をやりすごすカギは“やる気ゼロ”
その10 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
その11 リンゼイ・バージ&"The Midnight Swim"/湖を行く石膏の鮫
その12 モハマド・ラスロフ&"Jazireh Ahani"/国とは船だ、沈み行く船だ
その13 ヴェロニカ・フランツ&"Ich Ser Ich Ser"/オーストリアの新たなる戦慄
その14 Riley Stearns &"Faults"/ Let's 脱洗脳!
その15 クリス・スワンバーグ&"Unexpected"/そして2人は母になる
その16 Gillian Robespierre &"Obvious Child"/中絶について肩の力を抜いて考えてみる
その17 Marco Martins& "Alice"/彼女に取り残された世界で
その18 Ramon Zürcher&"Das merkwürdige Kätzchen"/映画の未来は奇妙な子猫と共に
その19 Noah Buchel&”Glass Chin”/米インディー界、孤高の禅僧
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その22 David Wnendt&"Feuchtgebiete"/アナルの痛みは青春の痛み
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その66 Valerie Gudenus&"I am Jesus"/「私がイエス「いや、私こそがイエ「イエスはこの私だ」」」
その67 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その68 Boris Despodov& "Corridor #8"/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く
その69 Urszula Antoniak& "Code Blue"/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動
その70 Rebecca Cremona& "Simshar"/マルタ、海は蒼くも容赦なく
その71 ペリン・エスメル&"Gözetleme Kulesi"/トルコの山々に深き孤独が2つ
その72 Afia Nathaniel &"Dukhtar"/パキスタン、娘という名の呪いと希望
その73 Margot Benacerraf &"Araya"/ベネズエラ、忘れ去られる筈だった塩の都